混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

地獄とは何か?

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光と闇(2)

                                     
日の光に 明るさと温かさを感じ、夜の闇を暗いと言う。 
我々は これに何の疑いももたない。
「 これは、事実であり 現実である 」と。
 
太古以来、この物質世界にのめり込んで生きてきた我々の、
これは、生存本能が感ぜしめる現実感覚であろう。

しかし、昼の明るさの中で、ここにのみ光と熱を感ずるほど
人間は 単純ではない。 単純ではないとは、
利口であるとか、叡智的存在であるという意味ではない。

昼の日中から 暗い心を抱いて 人間関係に苦悩する我々である。
世間の冷たさを骨身に感ずる時、日の光は 心を温めてはくれない。
常に 老病死の不安と恐れを抱えている・・・。


日の光に 明るさと温かさを感じ、夜の闇を暗いと言う。
この現実感覚を 「 無明・煩悩 」という。

       科学は、この現実感覚の上に成り立っているのであってみれば、
       科学というものは、「 無明・煩悩 」の所産ということになる。


          *  *  *  *  *  *  *  *  *


無明の闇宅において、智慧の燈(トモシビ)を然(モ)やす
      ――― 於無明闇宅 然智慧燈  (法集経)


犬儒派のディオゲネスは、ある日 真昼から ランプに灯をともして アテネの町を歩いていた。
人々がいぶかしがって声をかけると、

私は イヌと呼ばれている。そうかもしれない。
それでは 人間はどこにいるのか。 
私は 人間を探しているのだよ。


と答え、相手の方にランプをかざして、じっと見つめるのであった。


この三界は、蓋(ケダ)し これ 生死凡夫の 無明流転の闇宅なり
     ――― 此三界 蓋是 生死凡夫無明流転之闇宅   ( 曇鸞・論註 )


                     ( つづく ) 

光と闇(1)


暗黒の宇宙の中で、恒星は 自ら光を出して輝く。
しかし、惑星は 光に照らされて輝く。

我々人間は、恒星のように、自ら光を出して 輝くモノではなく、
惑星のように、光に照らされて 輝くものである。
我々衆生の、これが 恐るべき 存在の限界である。

古人が、太陽を この上ないものとして崇めたのは、
いろいろ 理由はあろうが、
この「 自ら光るもの 」という事実にあるだろう。

我々はじめ これ以外の すべてのモノは、
太陽がなければ、まったくの暗黒、死の世界のなかにある。

この現実に対する 己が実存の深みからの 畏怖と感嘆ゆえに、
古人は 太陽を崇めたのではないだろうか?

我々は、いかに 科学を発展させても、
自ら光を出して、周囲を照らし 温められるような存在ではない。
永遠に 冷たい闇の存在である。




                        (つづき)

密厳院発露懺悔文

密厳院発露懺悔文(ミツゴンイン/ホツロ/サンゲ/ノモン)


 我等(ラ) 懺悔(サンゲ) 
 無始よりこのかた 妄想に纏(マト)(わ)れて 衆罪(シュザイ)を造(ツク)
 身口意(シンクイ)の業(ゴウ)、常に顛倒(テントウ)して 誤って無量不善の業を犯す
 珍財を慳悋(ケンリン)して、施を行ぜず
      (ココロ)に任せて、放逸にして 戒を持(ジ)せず
 しばしば忿恚(フンニ)を起して 忍辱(ニンニク)ならず
      多く懈怠(ケタイ)を生じて 精進ならず
 心意(シンニ) 散乱して坐禅せず
      実相に違背(イハイ)して 慧を修せず
 (ツネ)に 是(カ)の如くの六度の行(ギョウ)を退して 
      (カエ)って 流転三途(ルテン/サンズ)の業(ゴウ)を作る
      * 六度 : 布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧
 名を比丘(ビク)に仮って 伽藍(ガラン)を穢し
      形を沙門(シャモン)に比して 信施を受く
 受くる所の戒品(カイボン)は 忘れて持せず
      (学)すべき律義(リチギ)は 廃して好むこと無し
 諸佛の厭悪(エンノ)したもう所を慚(ハ)じず
      菩薩の苦悩する所を畏れず
 遊戯笑語して 徒(イタズ)らに年を送り
      諂誑詐欺(テンノウ/サギ)して 空しく日を過ぐ
 善友(ゼンウ)に随は(わ)ずして 癡人(チジン)に親しみ
      善根を勤めずして 悪行を営む
 利養を得んと欲して 自徳を讃じ
      名聞(ミョウモン)を欲して 他愚を誹(ソシ)
 勝徳(ショウドク)の者を見ては 嫉妬を懐(イダ)
      卑賤(ヒセン)の人を見ては 驕慢を生じ 
 富饒(フニョウ)の所を聞いては 希望(ケモウ)を起し
      貧乏の類(タグイ)を聞いては 常に厭離(オンリ)
 (コトサラ)に殺し 誤って殺す、有情の命
      (アラ)(わ)に取り 密かに盗る、他人の財
 触れても触れずしても 非梵行(ヒボンノギョウ)を犯す
      口四(クシ) 意三、互に 相続し
 佛を観念する時は 攀縁(ハンネン)を発(オコ)
      経を読誦する時は 文句を錯(アヤマ)
 (モ)し 善根を作(ナ)せば 有相(ウソウ)に住し
      還って 輪廻生死(ショウジ)の因と成(ナ)

 行住坐臥(ギョウジュウザガ)、知ると知らざると、犯す所の是(カ)の如くの無量の罪 
      今 三宝に對(対)して、皆 発露(ホツロ)し奉(タテマツ)
 慈悲哀愍(アイミン)して 消除せしめ賜え 
      乃至(ナイシ)法界の諸(モロモロ)の衆生 三業所作(ショサ)の此(カ)の如くの罪
 我 皆 相代って尽(コトゴト)く 懺悔し奉る 
      (サラ)に亦(マタ) その報いを受けしめざれ

 南無 慚愧懺悔(ザンギ/サンゲ)無量 所犯罪(ショボンザイ)



   この『密厳院発露懺悔文』は、
  真言宗中興の祖・興教大師覚鑁(カクバン 1095〜1144 新義真言宗始祖)が、
  腐敗した真言宗総本山金剛峰寺に深い憂いを持ち、金剛峰寺内の自所「密厳院」で 
  3余年に及ぶ無言行を敢行。 その直後、一筆の下に これを書き上げた。
  ( 宗派によって 文面が微妙に異なる )


【 kyomu-意訳 】
み仏さまの前に、 私は 自らを懺悔いたします。
無始より このかた 今日まで、私は 妄念妄想に纏われており、
ありとあらゆる罪悪を 造ってまいりました。

身に為すこと・口に言うこと・心に思うこと(三業)は、いつも みな 顛倒(テンドウ)しており、
私は 真実に背いて、量り知ることもできないほどの不善の三業を 犯してまいりました。

ケチで欲深く、自分の持っている物を 他に施すことなどしたことがなく、
思いのままに振舞って、十善戒を持(タモ)つことができません。

すぐに 怒って 忍耐するということがなく、
怠け者で 為すべきこと為そうという気がありません。

心は いつも落ち着かず、心を静めようともせず、
仏法に背いて、真如法性(ホッショウ)を知る<慧(エ)>を修することもありません。

彼岸に渡るために せっかく 仏さまが教えて下さった 六度の行は、
このように、私には やろうとしても とてもできません。 
また それを為しても、かえって 虚偽のもの・悪しきものとなってしまいます。


求道者だと自称しつつ、仏教2500年のご苦労の歴史を汚し、
仏さまの弟子だと僭称して、 人の尊敬を得ようとしております。

仏さまが授けて下さった 五戒・十善戒を 取り落としている この日常、
学ぶべき 仏教徒としての姿勢を、蔑ろにして 少しも好みません。

諸々の仏さまが 好まれないことを、平気で為して 恥じることなく、
菩薩方の 私に対する悲しみを 顧みることなく、

自らのあり様への問題意識もなく 徒に 50年余の年月を送り、
真実を誤魔化して 空しく 一日一日を過ごしてまいりました。

よき師・よき友を嫌って 親しむことなく、智慧のない人々に 好んで近づき、
善いことをするよりは 悪いことばかりいたします。

私の都合ばかりを求めて、 自らを善人・賢者と為し、
人から尊敬されることを欲して、 人を 冷たく批判ばかりしてきました。

勝れた人を見ては 妬み、 卑しい人を見ては 驕慢となり、
金持ちの豪奢な暮しを聞いては 羨み、 貧乏な人の有様を聞いては おぞましく思います。

殺意をもって 或は 意図せずに誤って 生き物を殺し、
公然と 他人の物を盗み、 人に気付かれないように 密に他人の物を掠めてきました。

肌に触れ 或は触れないままに 異性との淫らな行為に耽り、
粗悪な言葉 や 卑しい心は 次から次へと出てきて、
 
仏さまの清浄真実な世界を憶(オモ)おうにも、色々な思いに碍(サマタ)げられ、
経典を 読む時には、その言葉を誤解して取ってしまいます。

たとえ、何か 善い事をしても その結果を期待して、
かえって それを為したことが、迷いの元となってしまうのです。


日常生活の中で為す 私の罪悪は、 その全貌を知ることさえできませんが、
今 私は、仏と法と僧伽(三宝)のみ前に、この全てを 包み隠さず 発露いたします。

み仏さま、 この私を 悲しみ慈しみ 哀愍してくださって、
どうか この無量の罪悪を 消し除いてくださいますよう。

さらに、この世の ありとあらゆる衆生が その三業に為す罪悪も、
私一身に背負って、その ことごとくを 懺悔申し上げます。

私は 再び この罪悪を犯しません。
また 彼らは、どうか その罪悪の結果を受けることがないように。

なむあみだぶつ。 無量の罪業を 私は 慙愧し懺悔いたします。
                                  合掌


  @ 覚鑁は、平安時代後期の朝野に勃興していた念仏思潮を、
   真言教学において いかに捉えるかを理論化した。即ち、西方極楽教主阿弥陀如来とは、
   真言教主大日如来という普門総徳の尊から派生した別徳の尊であるとした。

   日本に 五輪塔が普及する 切っ掛けとなった 『五輪九字明秘密釈』の著者。

    父は 肥前国(現・佐賀県)総追補使・伊佐平次兼元
    13歳で 得度・出家、 古式な真言宗の伝法の悉くを35歳の若さで灌頂、
    弘法大師以来の才と称された

    36歳の時、真言宗総本山・高野山の現状に眼を止める 
    僧侶は 食べる手段と割り切った信心の薄い下僧と、権力に眼を眩ませる上僧が
    蠢く有り様で、真言宗が腐敗衰退した現状を嘆き、自ら宗派の建直しを敢行

    高野山金剛峯寺に 大伝法院を建立し 座主に就任したのを皮切りに、金剛峯寺座主も
    兼ねて、事実上 同山の主導権を握り、真言宗の建て直しを図る
    この強硬策に反発した 上下の僧派閥は、覚鑁と激しく対立
    遂に 1140、覚鑁の自所・金剛峯寺境内の密厳院を急襲して これを焼き払い、
    金剛峯寺を追放さる

    これより前、彼は 真言宗門徒の有り様を嘆き、密厳院において 長期に渡る無言行を
    修し、直後に この懺悔文を一気に書き上げた
    堕落した僧界の現状を恥じる同経文は、
    「 我皆相代わって悉く懺悔す、更にまたその報いを受けしめざれ 」
    という贖罪の決意を明らかにした末文も相まって、現在も 真言宗各派において
    宗教家の自覚を促し自戒する経文として 広く唱えられる

     高野山を追われた覚鑁は、弟子一派と 根来山(ネゴロサン)に退いて 根来寺を建立
    大伝法院や密厳院を移し、真言宗の正しい有り方を説き 独自の教義を展開す
    彼の死後、弟子らは 高野山へ戻るが、既に金剛峯寺との確執は深く、再び根来山に
    戻り頼瑜(ライユ)を中心として 覚鑁の教学を基礎とした「新義真言宗」へと
    発展させた

    後に 根来山は、豊臣秀吉と確執し 討伐を受けて壊滅、生き延びた一部の僧
    たちは、奈良や京都へ逃れ長谷寺(豊山)や智積院(チシャクイン)において 新義真言宗
    の教義を根付かせ、現在の新義真言宗(根来寺派)、真言宗豊山派、智山派の基礎
    となる             (Wikipediaより)
 ( テレビで、1944年 10月に始ったレイテ島の戦い を見て )



 あぁ、 私の言動や 情けない!

 私は、 自覚・覚他・覚行窮満(カクギョウ・グウマン)のではない 

 ということを、 しみじみと思う。

 〜〜〜〜                      〜〜〜〜〜
    〜〜〜〜

  まだ、 事が 進展していない 昭和2年(1927)に、先師は

     「 私は、今 愛媛県宇和島市に 講演に行くために、汽船・宇和島丸に乗っている。

       宇和島丸は、佐多岬を迂回して 八幡浜に向って 走っている。

       静かな春の海、 彼女は 今 赫灼と燃ゆる夕日をあびて、薄紫に黄昏てゆく。


       ただ 一人、 甲板に立つ。

       遙か彼方の 水平線上、 そこに 九州の山々が 霞の中に消える。

       久原精錬所の大煙突が 煙を流しつつ、マッチの軸ほどに見える。

       太陽は 今 紫金色に燃えつつ、悠々と かの故郷へと帰ってゆく。

       あぁ、 その荘厳! この大芸術! この大自然!

       この大自然の前に、 一点の穢れなし。


       真紅に燃える 一大円鏡は、今 大地のはてに 入らんとする。

       彼は 紫金色のベールに覆われている。

       彼の周りには、 黄金色 橙色 紫色 紅色に輝く雲が浮かんで 動かぬ。

       容赦もなく 太陽は、 刻一刻 この大荘厳の中に 沈んでいく。

       一分、二分、・・・、八分、九分、 あぁ ついに 彼は九州の彼方に没す。


       その刹那、偉人聖者の 大往生をおもう。

       暮れゆく 西の彼方を 眺めつつ 佇む 数分間。

       ただ、 そこに存在する者は、 天地と我と あるのみ。

       大自然の中に立った時だけ、 我は ただ 一人の人間である。

       そこに、善悪もなく 正邪もなく、争闘もない。 ・・・・・ 」 

  と書いている。


                                     〜〜〜〜
                                  〜〜〜〜


 国家は、人から その人格or倫理性を 剥奪して、 機械の部品と為す。

 人は、 国家によって 囲い込まれて 家畜となり、

 その外に逃れて 生きるということはできない。


 生々流転の只中で、 いつ 国は このような 野蛮な国家となったのであろうか?

 人類は、 いつ このような存在を許すようになったのであろうか?

 あぁ、欲望の渦よ! 我らが煩悩の大海よ!


 なむあみだぶつ


    「 誰も 彼も、 人間の苦悩を背負って、灰色の世界に泣いている。

      苦悩に当面したときほど、人間であることを知る時はない。

      そうだ。 みな 人間なのだ。

      苦しんでいる人間なのだ。

      ・・・・・

      私は、いま 悲しい 一個の人間です。

      一切の 非難にも 攻撃にも 相当する 小さな一個の凡夫です。 」(同上)



 その 輝く鋼の装甲を取れ!  長年 大切に着けてきた 自己中心の装甲を!


    「 苦しみ 悩む人たちは、あなたから 去っていきます。

      彼らは、 あなたに 用事はないのです。

      あまりに 多くの友だちが 泣いているのを 知らされます。 」(同上)



 私は、 何を拘(コダワ)っているのか?!

 自分だけは、 悪い境遇(悪趣)に 縁なき者として・・・。


 この我愛の心が、 事実において 否定されてはいても、

 なおさら これに しがみ付いている。


    「 おぉ、 苦悩のどよめきが、 地の底から聞こえる。

      そうして、 私たちは それと 切っても切れぬ業に つながる 」(同上)


  〜〜〜〜〜
      〜〜〜〜〜


 そして、これを書いて 18年後の夏 (まだ レイテでの陰惨な戦いはつづいていた)、 

 上空で炸裂した 新型爆弾によって、

 一瞬のうちに 紅蓮の炎に包まれて 壊滅した ヒロシマの街に、 彼は 居た。



 なむあみだぶつ

                                合掌     

     




 

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正当防衛のアメリカ

〜〜〜〜
  〜〜〜〜

 アメリカは、「 正当防衛 」の国である。

 彼らは、 ナチス・ドイツに対する 正当防衛として、

 ユダヤ人物理学者たちに 唆(ソソノカ)されて、原爆を作った。


 そのナチスへの恐怖が 幻想だったと分ってからは、

 当(アテ)が外れた彼らは、 振り上げた拳の手前、

 その原爆を、日本に対する正当防衛を 仮構して、使用した。


 アメリカ人は、「 正当防衛 」のために、銃器を持つ。

 誰か分らぬ 危害を加える者を、予め恐れて・・・・。

 「 正当防衛 」の思想は、自分と同等orそれ以上の暴力的な誰かを 幻視してのことである。

 
 したがって、 彼らが 日本に 2度にもわたって、原爆を落としたということは、

 もし、それが 動物実験ではなかったなら、やがて 日本を始め他国も、

 彼らアメリカに、正当防衛で 原爆を落すだろうという悪夢を 背負い込むことになった。


 「 正当防衛 」の考えは、

 < 相手が為すだろう 自分への悪は、先に 自分が 相手に為せる > というものだが、

 実際は、< 自分がやった(思った)悪は、相手もやる(思う)だろう > となるのである。


 ちょうど これは、鏡に映った 自分の顔を見て、

 その顔を 恐れて、他人の顔だと誤認する 愚か者のようなものであろう。

 我々は、このような愚か者となってはならぬ!  鏡に映る醜い顔は、自分の顔なのだ。


 軍事司令官たる米国大統領は、その就任の折 聖書に手を当てて 宣誓すると言う。

 その聖書に イエスは言っている。

  Put up thy sword into its place.
  : for all they that take the sword shall perish with the sword. (マタイ)
  ――― 汝の剣を 納めよ。 剣を取るものは、みな 剣によって滅ぶ。


 米国人キリスト教徒は、 彼らの国が 現に「 正当防衛 」として 為してきたこと と、

 このイエスの言葉 との間に、何の矛盾も感ずることなく、

 神の栄光を受けた その星条旗に 忠誠を誓えるのであろうか?   


                                   合掌


( 参考 )

  * フランク・レポート( 1945 6/11 )
        http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/flanc_report.htm

   「 科学者はこれまでしばしば、各国の幸福を促進するよりもむしろ国同士がお互いに
   破壊し合うための兵器を提供してきた、と告発されてきた。例えば「空を飛ぶこと」
   の発見を例に取って、これまでの所、人間に楽しさや利益をもたらすより 悲惨さを
   もたらしてきたことをみても、それは疑うべくもない真実である。

   しかし 科学者は 人類に取って利益にならない科学の使用については、過去には、
   直接の責任を免れてきた。しかし 今や われわれ科学者は、同じ態度を取ることは
   できない。 原子力の開発で達成した成功は、過去における諸発明をすべて合わせても
   まだ さらに大きな危険を、永久に孕んでいるからである。われわれ全員、原子工学の
   現在の状態をよく知っているわれわれ全員は、 真珠湾の何千倍もの惨劇に相当する
   一瞬の壊滅が、我々自身の国に、この国のひとつひとつの主要な都市に襲ってきている姿
   を目に浮かべながら、今日を生きている。・・・・ 」      
 

                  

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