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自分を変えず 動かさないで、
このままで 真実を得よう 人生の解決を獲(え)よう と、 私はしている。
人生の矛盾、苦悩、不幸を 厭い避けようとするのです。
これを 凡夫という。
全身、 貪欲tonyoku・瞋恚sinni・愚痴の三毒の者には、
「 人生には 矛盾のあるもの。
しかして 決して その矛盾は、
全て取り除いて 生きる天地があるのでなくして、
矛盾それ自体の中にこそ、
人生の意義も 幸福も 見出されていくことを、 体感すべきであります。
どこに われを殺す矛盾が あろう。 」
という言葉は 納得しがたいのであります。
むしろ、
「 矛盾に泣き 憤って、 その生きてゆく道を失い、 自暴自棄に陥り、
或は ただ 逃避的態度をとって、 いよいよ無明の惑いを深めてゆきます。」
というのが、私の日常の 偽らざる現実であります。
これが、 私の生きている有り様であり、 私の世界であります。
しかも 愚かなことに、
このような日々を 当然のこととして、
そこに 何の問題も 感ぜられないのであります。
しかし、「 信心の智慧(=正しい認識) 」 というものは、
「 人生は 矛盾だらけである。
しかも その中に いつも、 はっきりとした 統一がある。 」
と 見るのである。 すなわち、
「 矛盾、統一をさまたげず。 統一、 矛盾をしりぞけず。
いかなる境遇に 至ろうとも、
よく そのうちに、 この統一調和に 永遠微笑して、
しかして 敢て 人生の矛盾相を 捨離しようとは しないのであります。」と。
摂取不捨sessyu/husyaとは 弥陀の働きであるが、
これは、善悪ともに 如何なるものも 摂め取って捨てず、
この世の矛盾すべてを 統一のうちに 肯定するということであろう。
曰く、
「 善は 悪に対立し 悪は 善に相対する 世界では、
真実の善は 分りません。
善悪ともに 否定されるところに、
悪と対立しない 絶対善が生かされるのであります。」 と。
** 「 」内、先師の言
合掌
● kyomu- の アッピール ●
原子力発電を やめよう! & 六ヶ所村再処理施設を 止めよう!
―――― 欲望の奴隷になって、冷静な判断を失うまい!
子孫に 我らの負債を 残すまい! ――――
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