混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

地獄とは何か?

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私の潔白を

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私の潔白を 主張し 求める心ほど、穢いものはない。

それは、私が 人々の呪いの的であり 怨府の存在であることを 覆い隠す。


外からの火の粉を払い除けようとしている その手の持ち主が、

すでに 地獄の火炎に 燃え上がっているのだ。 南無阿弥陀仏



「 汝は 限りなく 裁き 逆襲し、どこまでも 我執をして 勝たしめようとする。

  汝は 必然的に 闇に葬られる。」(先師)



この世で、他者に 賛同を求め 自分を 理解し受け入れてもらうということが、

成り立ち得るという この甘い自己幻想!


何十年 この地上にあっても、

未だ このような 穴蔵の夢から 覚めないとは、何という 愚か者であろうか!



この 悦に入って 蝶々と語る者よ  汝は 汝の その姿を知らないのだ。

親鸞は、これを 「 悲しき哉 」 と言い、「 恥ずべし 傷むべし 」 と嘆息した。


自分を受け入れ 理解してくれる人が、誰か この地上に 一人でも居るのではないのだ。

そんなことは、金輪際 あり得ないことなのだ。



この私を 受け入れ 理解すれば、その人は 発狂せねばならないだろう。

このことは、人の よく為し得ることではないのだ。



「 弥陀の五劫思惟siyuiの願を よくよく案ずれば、

ひとえに 親鸞一人ichininがためなりけり  云々 」(歎異抄 後序)と。


「 南無阿弥陀仏は、 自利利他一如の世界である。

  人間に恵まれる たった一つの真実である。


  いかなる言葉も、裁く声であり 呪いであり 自己讃嘆であり 悪口であり 両舌であり 

  綺語であり 妄語であり 愚痴であり 自暴であり 弁解であり 遁辞である。


  そうした一切を 虚仮kokeとして否定しつつ 南無阿弥陀仏に生きる。

  お念仏は 唯一の まことである。


  生命の内奥、 浄土より 如来より 生まれ出た真実行である。」(先師)

  なむあみだぶつ




                           合掌




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                  ―――― 欲望の奴隷になって、冷静な判断を失うまい! 

                        子孫に 我らの負債を 残すまい! ―――― 
                 

目鼻のない欲望の大地

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  沖天chuutenには 冴saえ渡る月影。
  
        川面(かわも)を吹き渡る風は、 

      黒々とした 葦原(あしはら)をなびかせ、

           我らが 目合(まぐわ)いを暴abaく。

 
    *****       *****         *****



人間関係は 我らの存在の一回性のゆえに、

抜き差しならない 闇の関係である。


愛憎・親疎・優劣・内外 などに 深く既定されて、

互いに欲望をからませ、相手を羽交hagaい絞jimeめにし合うのである。


その欲望や、 底深く 無拘束にして 

相手を占有し 喰らい尽し 破壊せんとするのであるが、



その 一見 波乱のない日常は、種々の慮(おもんぱか)り や 断念 や 悲哀 と共にあり、

赤裸々な欲望を秘め隠した そのさまは、まことに奇怪である。


悶々monmonたる愛欲よ、その迸(ほとばし)りよ、

そのうちに這haいずりまわって、 しかして 事終って後の 寂寥sekiryouと空虚よ、


また、裏切りよ、

そして 生涯、 互いに 身心に深い刻印(傷痕)を残す。




「 果たして 人間の愛によって、地上に天国が生まれてくるのでしょうか? 」(先師)

――― これは、驚くべき問いである。


地上 一切の我らの営みを、一瞬のうちに 否定しさり、

その営みの虚妄性を 暴き出す。



我らの日常は、あたかも それが無いかのように装い、 

それを他人に気取られまいと振舞う。


しかし それは 現に 内に有るのであり、

実際に 外に その営みが無い故に、それは無いのではない。


さまざまな慮(おもんぱか)り と 利害打算による保身 と わずかばかりの良心 とが、

いわゆる常識が、その行為を 抑えているに過ぎないのだ。



その欲望を満足させたいという 悶々monmonとした心は、

縁さえあれば、いつでも容易に 外に形となって噴出するであろう。


‘ それは、その結果を考えない行為であった! ’ とは、

事終えて後の ホゾを噛む後悔に過ぎない。


私のつねの現実は かくのごとし。 

太古以来の動物としての わが身の現実である。




相手のこの世の運命に 深く関りつつ、

その運命に対する責任は、

自らに負oおうとしないのである。


たとえ負っても、大抵(たいてい)は 世俗的な負い方であって、

因縁を越えた 究極的な責任の取り方ではない。

あぁ! 私は 何を 恰好kakkouのよい空想をしているのだろうか?


その空想たるや、 川面を渡る風になびく 葦原のようなものだ。

しかし、この葦(あし)は 空(そら)に生えているのではなく、

目鼻のない無明煩悩の大地に 生えているのである。





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火の車(業火)

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人はみな、 その心の奥底に 他人(ひと)と仲良くしたいという 切なる願いを持っている。

しかし 我らにおいては、 その願いは 多くの汚濁物をもってしか 表に現れない。


そこに 人間関係の葛藤が生じ、 やがては 修復不能にまで その関係は壊れてしまう。

ここに 「 生きるとは 所詮 悩みである 」 と言わねばならない 我らの現実がある。




そこで 私は、 しばらく 先師の言葉に耳を傾けねばなりません。




 「 汝の過去を 振り返って見るがいい。

   生きんとする意志は、 盲目的に 何ものかを求めてきた。

   そうして 汝は 今 如何なる状態に置かれてあるか?


   汝は 汝の血みどろな 傷だらけな身体を 見るがいい。

   全身の傷からは 血が流れているではないか。

   汝の手は 焼け爛れているではないか。 」



 「 求めても 求めても 汝が好んで求めるものは、『 火の車 』 なのだ。

   求め得た 次の瞬間、 すでに 手を焼かれているではないか。

   所詮 汝には 如来の弘誓(ぐぜい)の船に さばりつく手は 持っていないのだ。


   汝の手で つかんだものは 『 火の車 』 であって、弘誓の船ではない。

   血眼になって求める名誉というもの、地位というもの、 愛欲も みな 『 火の車 』 だ。

   その火車に 手が焼きついて 離れないのだ。 」



 「 燃え上がる火炎の中で 劫初より 尽未来際、 焼かれに焼かれ 爛れに爛れて 生きているのだ。

   苦しんでいるのだ。 あわれ 一切群生gunjyou海の この現実!

   生れては死に 死んでは生まれ、 混沌たるこの生死海中に 


   覚めることもなく 救われることもなく、

   互いに かみあい、戦いあい、呪いあい、裏切りあい、騙しあい、陥いれあいつつ、

   ただ 生から死へ 死から生へ、 流転の旅をつづけていく。 

 
   覚めやらぬ衆生は、 ただ 善悪を言う。 人を裁く。

   自己の立場を失わないためには、 親をも子をも、隣人をも恩人をも、

   誰でも引き寄せて、 我慢・我欲の下敷きにしてゆく。


   そこに どんな道徳があるか、 そこに どんな道がある。

   道徳というも 道というも、所詮 自分の勝手を通してゆく 美しい表看板ではないか。

   無明なるかな、 生死海なるかな! 」 




 「 学問が進んでも、文化が向上しても、 大地の上に この業火が消える時は あり得ない。

   業火は 業火によっては消えない。

   しからば、 我らには 絶望が与えられてあるだけであろうか? 


   我らは ただ 絶望に泣いていたらいいのだろうか?

   親鸞聖人ほど、 真実の教に値(お)うたことを 喜ばれたお方はいない。

   (乃至)


   何を与えた時 一番喜ぶか?  

   それを聞いた時、 その人の求めるものが 何であるかが分る。

   猫に小判 豚に真珠、 どんな尊いものでも 求めない者には 何らの価値もありえない。



   大地の涯に立つ どんな哀れな貧しい一人をも、 

   取り除かれることのない立場に立って、

   全人格の要求として 何かを求めた聖人は、 大無量寿経を読むことによって、


   如来の久遠の本願に出逢い、 如来の大悲の名のりを 聞かれたのであった。

   久遠劫来 魂の奥底に求めたものが 見つかったのである。

   大きな満足と 喜びと 安心とが 与えられたのである。 」 と。




み仏さま、 私は 全身を耳にして 上の言葉を聞かねばなりません。

何という出来合いの観念をもって、 日々を押し渡っていることでしょうか!



なむあみだぶつ




                                    合掌

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私の思いは、 信用ならない。

時を 貪欲に喰らう このもの。


かって 人生 50年と言われていたが、 今や 人生 80年。

この長く 餅mochiのように間延びした 時の感覚に 堕ち込んで、 その中に 溺れている私である。


‘ しっかりせよ! ’ と 自らを叱咤しても、

足腰は 立つことができません。



最後は 一人。 この たった一人が、 

人々を支え 人類を支え 地球を支え 宇宙を支えるものなのだ。


しかし、この ウカウカとした者には、どうして このような芸当ができるでしょうか?

多くの先人たちの 汗と血と涙の ご苦労の歴史を、 欠伸akubiをしながら聞き流す この者に!


人間 私の愚かさ とは、こういうモノで あったでしょう。

すなわち、この長い長いご苦労の歴史に 恩恵を少しも感ずることがないというものであったでしょう。



この感受性の 鈍磨・欠損のなかで、 日々 無邪気に戯れている 私に、

どうして、外に開かれた 公明正大の世界 いわゆる ご恩の世界があるでしょうか!


‘ わが身一つ かわいや ’ で 始終する この臆断・暗愚の日々、

厭aくことのない 渇愛の世界に 身を没している この者に、 どうして 清浄真実の言葉が 口から出ようか!




「 汝自身を知れ! 」 とは、 太古以来 我々人間に与えられた 神々の智慧の言葉であった。

み仏さま、 まことに この言葉は、


私の全存在を貫いて 地軸まで達し、

無始以来の臆断を突き崩して 宇宙の底の底まで 達する言葉です。


すでに 私は、 このような言葉を与えられていつつも、

この恩恵のなかに、 小さくまとまって 三毒をもって 不覚に生死していたのであります。



この言葉に、この恩恵に 反逆している者、すなわち 今の この私自身であります。

およそ この地上の 悪という悪 罪という罪は、 ついには このこと以外にはないのでしょう。


この わが身の罪悪 ( 智慧の言葉に対する無視・反逆 ) を、

この智慧の言葉の前に 発露hoturoし 懺悔sangeするという試練を通さずには、


真に 公明正大の ご恩の世界に 呼吸することは かなわないのが、 

我ら人間というものなのでしょう。



                                   合掌









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ありのままの私に帰れ

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     ぐんじょう/かい
一切の群生海 無始よりこのかた
ないし  こんにち・こんじ       えあく/わぜん      しょうじょう 
乃至 今日今時に至るまで 穢悪汚染にして 清浄の心なく
 こけ/てんぎ 
虚仮諂偽にして 真実の心なし
                                    『教行信証』 信巻 至心釈(親鸞)





さまざまの臆断の林に 引っかかって 三業を為す私であります。
                       * 三業 : 身口意の三業 (業とは 働き・行い)
み仏さま、 ここ 私の居る処は、 清浄真実の処ではないのでした。

ここは、 虚偽の処、 意味を喪失した 五濁の処でありました。


私は 何か 勘違いをして、

‘ ここに 意義を見出せない、見出せない! ’ と 不平不満の愚痴で 世を渡ってきました。

「 そらごと たわごと まことあることなき 」処が、 この 「 火宅無常の世界 」であったのでした。


ここに 真実を求め 清浄を見出そうとすることは、 誤謬であったのです。

むしろ、意味喪失の処 虚偽のど真ん中に 私はあったのでした。

こうした中に 生きているということを、 私は よく理解できませんでした。 


まさしく、 こうしたことに納得できない 私が、 実は すべての病根であったのです。

元来 意味喪失の処に ‘ 意味がない! ’ と不平を言って、 

ここに 意味を要求するのは ムリであります。


社会は 様々に ここに意味を仮構していますが、

そうした世俗的価値観の虚妄性を 見破る眼が萎naえて、

その幻想のうちに 埋没しているのであります。


五濁悪世を 五濁悪世と、 私は はっきりと知らねばなりません。 

幻想の穴に堕ち込んで ‘ ここは よき処 ’ と、

一時の逸楽に耽る 日頃の私の奇怪さに、 真に 驚かねばなりません。




富者も貧者も 賢者も愚者も 男も女も 地位ある者もない者も 

日本人も米国人も中国人も ・・・、 すべて 一人の例外もなく、 

死を免れず 業苦に繋縛kebakuされながら やがて 滅び行くものであります。


ここに 徒な‘ 希望 ’ を夢みて、 幻想の穴に 逃避することなく、

ありのままの私に 帰らなければなりません。


激甚な原発事故が 明日起こるかもしれないと恐れて、

外にさ迷い出で ウカウカと今日を過ごす前に、


明日の命の保証もない 厳粛な わが身の現実に 直面せねばなりません。

その心に張り付いて 根を張った 我gaと我所gasyoに対する臆断を 捨てよ!




  「 穢悪汚染eakuwajenで どうして 真実の国土が生まれましょう。

    真実のない 虚仮諂偽koketengiの心が お浄土まで通じましょうか。


    しかし、
                                           ひみん
    ここをもって 如来、一切苦悩の衆生海を 悲憫して
         ちょうさい/ようこう                  ぎょう
    不可思議兆載永劫において 菩薩の行を行じたまいしとき

    三業の所修 一念一刹那も
    しょうじょう
    清浄ならざるはなく 真心ならざるはなし
                                          (上の親鸞の文につづく文)



    と 如来の真実を 見出されたとき、

    この真実 久遠の真実のみが 永遠に光って、 私を 光の国に 歩ませて下さいます。


    それは、 いかなる悲しい人の上にも 

    恵まれる 真実であります。 」 (先師)


                                     合掌








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               原子力発電を やめよう! & 六ヶ所村再処理施設を 止めよう! 


               ―――― 欲望の奴隷になって、冷静な判断を失うまい! 

                   子孫に 我らの負債を 残すまい! ―――― 





             


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