混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

地獄とは何か?

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プライド

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   「 自分で 自分を誤魔化gomakaすことのできる人に、

         どうして 真実の道が与えられましょうか? 」(先師)




ああ、またしても 短慮を出してしまった。

‘ これが 私か! ’ と、 げんなり する。


自分の実際を 虚偽の自己で覆う このプライドというもの

――― りっぱで 恰好イイ 虚偽の自己を 自己としているのである。


哀れむべし。 また 現実に当れば、 虚偽の自己では 歯が立たぬゆえ、

実際の自己 や 正義 に逃げ込んで、 現実に身を晒すことを避ける 言い訳とする。



私が 自分に 決して認めたくない私 というものがある!

「 穢悪eakuの凡夫 」 とは、 単なる観念ではなく、 それを 自らに認めるには、

プライドを へし折られるという 恐ろしい苦痛の伴うものである。


「 地獄一定ichijyou 」 とは、 威勢のよい言葉ではない。

「 まともに 自分を批判して、偽りの衣を脱ぎ おしろいを落して 自分の真の相に触れた時、

  地獄が あるか ないか ではなくて、 私の行く必然の世界が 地獄であった。」(先師)というものであろう。 





  「 見るも煩悩 聞くも煩悩、 まるで猿猴のような 浅ましい心、

    愛欲に執われ 邪見に執われて とりもち や 膠nikawa の如き執着の念、

    心の奥の 髄の中まで 罪障より外に 何がある・・・・。


    眠るには 覚めた心を どうしよう?

    ごまかすには 厳しい魂の声を どうしよう?

    無間地獄に通ずる心、 一分のすきのない この丸裸が、 やがて 法然上人の前に 投げ出された!


    ・ ・ ・ ・ ・

    一言が 一句が 魂の底まで響く。


    われ 如来を見出すに非ずして、 如来 われを見出したまう。

    われ 如来を信ずるに非ずして、 如来の お心こそ 大信海である。

    如来は、ついに 生死syouji界に 名告nanoりたまう。」(先師 〜 親鸞 報恩講式考)





                               合掌







                ● kyomu- の アッピール ●

                原子力発電を やめよう! & 六ヶ所村再処理施設を 止めよう! 


                 ―――― 欲望の奴隷になって、冷静な判断を失うまい! 

                      子孫に 我らの負債を 残すまい! ―――― 

懺悔について

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わが立場、わが見解、わが懈怠ketai、わが逸楽、わが欲望を、 不覚に 押し通そうとする処に、

私は、自らの世界を狭め 自らの自由を奪われて、

この 暗い牢獄のなかで、鉄鎖に繋tunagaれているのです。



『金光明最勝王経』懺悔品konkoumyou/・・/kyou/sange/bonに、 妙憧菩薩は 仏の前で 歌います。


 「 常に 仏に親しみ、 あらゆる悪しき業を捨て、

   清き もろもろの善を 修せん。」 と。



「 清き もろもろの善を 修せん 」と。

こうした私には、 これは 恐るべき言葉であります。


それを為すことで、 たとえ わが身・命myou・財を 毀損kisonしようとも、

「 清き もろもろの善を 修せん 」 と言うのですから。



  「 この金鼓(konku 金のツツミ)の音を聞いて、 求むるところを満たし、

    無間mukenの地獄に焼かるる者も、 この音を聞いて 苦を脱れん。」(同上)


悪い境遇に 堕ochiiって、 この世の楽しみを 永遠に断念し、

無間地獄の痛苦を 味わねばならない時にも、

金鼓konkuの音あり。


  「 三千大千世界に (響き)わたり、

    悪道の罪も、人の世の苦も、 悉く みな滅ぶ。」(同上)



「 十方にいます 仏よ 」、 何故 このようなことが 可能なのでしょうか?


「 衆生は 帰依なく 救なし 」 と言われるものであります。

依り処なく 帰る処なく、 地上の 矛盾も痛苦も 免れず 救われようものないものであります。



妙憧菩薩は、さらに 歌います。

  「 我wareは かって 仏を信ぜず、 親を敬わず、 善を修osaめず、 悪を造tukuり、

    自らの種姓(syusyou 国籍・家柄) と 財 と 位 と 若さ とを頼み、

    放逸をふるまい、 邪念を起し、 悪しく言い、 悪しく行いぬ。


    心は 無明に覆ooわれ、 善yoからぬ友を 友とし、 

    或は 楽しみ、 或は 悩み、 つねに 貪musaboり と 瞋ikaり に縛られ、

    憎しみ 嫉netaみ 諂heturaい 欺azamuき、 かくて 諸moromoroの悪を 為naしぬ。」(同上)


帰依なく 救いなき この者の日常は、 さらに このようなものでありました。

身・命myou・財 を失うことを 恐れる この者の日常は、 このような 悪を為す者であります。


しかしながら、ここに 致命的なことは、 このような現実を 私は 少しも 問題とは感じないことであります。

何十年来 これを当然なこととして、鬱屈しつつも やってきたのであります。


ところが、この妙憧菩薩は 金鼓konkuの音を聞いて、

  「 飲食 と 衣服 と 色欲 とを貪musaboりて、 衆罪を造りぬ。

    我ware いま、 尽kotogotoく 懺悔sangeしたてまつる。

    百千劫にわたる 罪も、 よく懺悔すれば しばらくのうちに 消えん。


    十方にいます仏よ、 願わくは われを観misonawaし、 われを護り、

    大悲の み心にて、 この懺悔を 受けたまえ。

    (乃至)


    未だ 起さざる 悪しき業は、 起こらざるよう 防huseぎ護らん。

    たとえば、 ここに 違tagaうとも 必ず 覆hukuみ蔵kakuさざるべし。

    我 いま、 仏に 帰依したてまつる。


    (その)海のごとき 徳をたたえ、 金山konzanの 世を照らすがごとき、

    上なき 仏を、 帰依したてまつる。

    願わくは、 哀れみて  我wareを 摂受syouzyuしたまえ。


    光明は 日のごとく 遍く、 諸の塵を 離れ、

    光明は 月のごとく 清く、 人の悩みを 除く。


    苦しき生死syoujiの 疾toき流れに、 老い と 病 の水に 漂う。

    仏は 光をのべて、 堪えぬ悩みを 尽したまう。」(同上)


と、歌い出したのであります。


帝釈天は、 ここに 仏のみ前に出て 問わざるをえません。


  「 世尊よ、 どのように 懺悔して、 

    罪を滅することができるのでしょうか? 」と。




                                  合掌

我らは生死の凡夫かわ

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                                           しょうじ   ぼんぶ
  超世の悲願 聞きしより   我らは生死の凡夫かわ

      うろ    えしん
  有漏の穢身はかわらねど  こころは浄土にあそぶなり

                                              帖外和讃 (親鸞)

                                 〜〜〜〜〜〜
                                     〜〜〜〜〜〜



昔から この国の人々は 代々、

「 我らは 罪悪生死の凡夫 」 と 言い伝えられ、

この言葉を 聞きつつ、生死syoujiしてきたのでした。



そして、 ここに 私もまた、愚痴と叫喚のなかに、 生死しているのである。



「 生きる意味 」 は、 劇の役者のごとく、 

生来 その者自身の 持っているものではなくて、

時代社会が 我らに 与えるものであり、



本来 「 生きる意味 」 があって、 我らは生きてきたのでも 生きているのでもありません。



「 なに(何)せうぞ くすんで  一期(いちご)は夢よ ただ狂へ 」(閑吟kangin集) 

と、富者といい 貧者といい、 賢者といい 愚者といい、 女といい 男といい、

我らは みな、生きてきたのである。         
                     ** 閑吟集 : 日本の歌謡集。永正15年(1518年)に成立。
                          ある桑門( 世捨て人)によってまとめられた歌謡集。
                       http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%91%E5%90%9F%E9%9B%86

どれほど その頭を叩いても、 我らは ガランドウの鈍い音しか しないのだ。



凡夫は 凡夫であって、 如来(仏)ではない。

これは 極めて 当り前のことではあるが、

しかし、実に 凡夫の凡夫たるところは、 自己の業報因縁のなかで、


  「 知らず知らず 高上りして、 賢人となり 善人となり、

    わが姿を 取り落として、

    他人の善悪にばかり 拘kodawaって、(乃至) 自己の姿を 失っている 」(先師) のである。



自己が 凡夫であるということに、納まり切れないのである。

「 凡夫は 永遠の凡夫です 」 と なり得ないのであります。

深いかな! わが迷妄は ・・・ 。



  「 実に 如来の み前に 合掌するとき、

    見えてくるものは、凡夫であります。

    (乃至)


    凡夫だということは、

    如来の全体が、 

    衆生の全体に おなり下さった 自覚の天地においてであります。」(先師) と。



なむあみだぶつ




                                 合掌








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厚い皮をかぶって

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             (1)


私のうちの 根強い弊悪(へいあく)に 鬱屈する。


  「 凡夫は 内なる世界に 何もないので、

    いつも その立場に捕えられて 苦しむのであります。


    道徳であっても 習慣であっても 法律であっても、

    それが 我々を縛りあげる世界では、


    人は 厚い皮をかぶって、一時を偽るのです。」(先師)



「 厚い皮をかぶった世間 」 とは、 外の誰彼に あるのではないのです。

み仏さま、 私自身が 「 つねに この世間に住しています 」。


  「 厚い皮を着て 保っているあいだに、

    いつしか 自分の本当の相を 失ってしまって、


    皮 や 化粧 を見て、

    自分だと 思うようになるのです。」(同上)



この厚い皮の世間を 自己自身だとしているのです。


その地位 その学歴 その習慣 その国籍 あるいは そのプライド を除いて、

私というものは考えられないという 恐ろしい処に 生きています。


否、死んでいます。

これを 「 衆生 」 と言い、 「 凡夫 」 と言う。



    


              (2)



  ―――― 是心作仏  是仏是仏  諸仏正遍智海 従心想生 ――――  

      ( この心 作仏す、 この心 これ仏なり、 諸仏の正遍智海は 心想より生ず  ) 『観無量寿経』




 これを 曇鸞(どんらん)は その 『浄土論註』 に釈し、 


   「 火、木より出でて  火、木を離れることを得ず

     木を離れざるをもっての故に、 すなわち よく木を焼く

     木、火のために焼かれて  木、すなわち 火となる 」 


 と 比喩で示されている。


 親鸞は その『教行信証』信巻に また この釈を引用して、

   「 ( 上の論註の文 引用 ) ・・・・・

     これを <如実修行相応> と名づく 云々 」 と。



 講録には、「 木は 衆生心に 喩え、 火は 仏身に 喩う 」 と言う。




この 「 衆生心 」 から、 私の意図しない間に、 

仏が 生まれた。


仏の大悲は、 私の意を超えて、

存在の奥底から それを 抱きとめ、


私の思いを 問題とし、 

否定し、否定し尽すことを通して、


私の存在を 全肯定しようとする。

なむあみだぶつ 





                                     合掌




     ** 上の曇鸞の 「 比喩 」 について

       こうした事情は、人間知性を越えていて それでは把握不可能であるから、比喩が持ちいられます。
      すべてが、知性で把握可能だという前提で動いている現代文明 ( ほんとうは 誰も そんなことは
      信じていないにも拘らず、これを前提とすることで 現代社会は動いています。 大きな虚妄の世界が
      そこに展開しています ) は、 したがって 真実というものに 背を向けた文明であり、また真実を僭称
      する 質tachiの悪い文明であります。

       西欧人は、何か 大きな誤解をしています。 人間には、真実というものが 比喩でしか表わせない
      ということが、彼らは 本当には 分かっていないのではないでしょうか? 
      彼らの 近代における 物質文明の成功が、 世界の人々を 幻惑して ここに真実というものがある
      というトラウマを刻みつけました。

       もし 物質支配の成功 (本当に それが成功であったかは たいへん疑問です!) がなければ、
      誰も 変人以外には デカルト や スピノザ などの哲学者を 有難がる者は いなかったでしょう。
      なぜなら、かれらの哲学では、人間我らは 本当には 救われないからです。

       そうでないという人があるなら、私は その人に問います。
      ‘ イエスの言で多くの人が 救われたように、デカルトの書で 誰か 救われた人がいたのですか? ’
      ‘ 死に直面して苦しんでいる あなたの親や妻や子に、スピノザの哲学を説きますか? ’と。

       イエスは、比喩の達人でした。 ところが、パウロは イエスを救世主として実体化することで、
      イエスが 折角 試みた ユダヤ人の<歴史の実体化>を解体させる 比喩の力を、反古にしました。
      西欧人たちは、このパウロのキリスト教という <歴史の実体化>を真実とする誤謬を、近代的知性
      で解体しようとしました。 

       それが デカルトであり スピノザらであったでしょう。しかし 本来ムリなことを 彼らは為したのです。
      なぜなら、実体化を何とかしようとする近代的知性自体が、モノの実体化を基礎にして働くからです。
      彼らの大仰な哲学は、恰も 子供たちが 相手の顔に墨を塗って その顔に恐れを抱く遊びのような 
      愚かなことをしていたのではないでしょうか?      


                                         合掌







                      ● kyomu- の アッピール ●

                       原子力発電を やめよう! & 六ヶ所村再処理施設を 止めよう! 


                         ―――― 欲望の奴隷になって、冷静な判断を失うまい! 

                                   子孫に 我らの負債を 残すまい! ―――― 




  

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         阿鼻地獄 abi/jigoku 〜 善導の『 法事讃 』 より

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仏 のたまわく。 


もし、衆生あって、 三宝を 殺害し 偸盗tyuutouし 汚染し 欺誑goouし 謗毀し 破壊haeし、

父母を 殺害し 偸盗し 汚染ozenし 欺誑し 謗毀boukiし 破壊し、 六親を罵辱する、

このような 殺逆の罪を作す者は、 命終る時、 



銅の狗が 口を開け その燃立った十八の車のような姿は 金の車に変わり、 空には 宝の蓋が覆う。

燃え立っている火炎の塊は 姿を変えて 玉女と為り、 

この罪人は 遥かに これを見て 喜び、 その中に行こうとし その中に 居たいと願う。


冷たい風が 刀の如く その身体を引き裂くとき、

‘ たとえ 火に燃え盛った車の上であろうと、むしろ そこに座って その火に炙られたら 何と好かろう!’

と 念じて、その命を終える。



忽ちのうちに かの金の車の上に座って 遥かに 玉女たちを仰ぎ見れば、

彼女らは 鉄の斧onoを 振りかざして、自分に襲いかかり わが身を切り裂かんとし、

その座っている車には、旋火輪の如く 火が 激しく燃え上がる。


あっと言う間に、阿鼻大地獄のなかに落ち、 その地に墜落して 身は ぐちゃぐちゃとなる。

銅の狗は 猛り狂って、その骨に喰らいつき その髄を啜る。

獄率の羅刹は、大鉄叉をとって その先で 罪人の身体から 火を起し、火炎は 阿鼻城に燃え広がる。


閻魔王の変化hengeは 大声で 宣言する。

「 痴れ者よ、 これは 汝の運命なのだ。

  汝は 世にあるとき、 父母に孝行せず 邪yokosimaで 驕慢・無道であった。


  汝の 今 いる処は、 阿鼻地獄である。

  汝は 恩を知らず 慙愧ないが故に、 この大苦悩を受けているのだ。

  これを楽しみと為すや 否や 」


   ・  ・  ・  ・  ・  ・




五逆**の罪人は、五逆罪を造作して しかも無慙無愧であっために、

その臨終には、 鉄火の燃える車のように 十八の風の刀が その罪人の身を 切り裂く。

彼は 熱に逼められて 言う。


「 美しい花が咲く 涼しい大樹の下で 遊べたら、何と楽しいことだろうか! 」と。

こう思うと、 阿鼻地獄の 八万四千の 恐ろしい剣の林は、 

忽ち変じて 宝の樹となり、 花や果実のなった木々は 行列して目の前にある。


大いなる熱火は、蓮華と化して その樹の下にある。

かの罪人は、これを見て 「 わが思いのままとなった! 」と言って、

暴雨の降るよりも 疾く、 その蓮華の上に座りこむや、


鉄の嘴kutibasiのある虫たちが 火となった蓮華より這いでて、

罪人の骨を砕いて 髄の中に入り、 或は 心臓や 脳髄に入り込む。

これを避けて 樹によじ登れば、


鉄の枝は 肉を割き 骨を刺し貫く。

遥かに広がる 刀の林は 枝を上下に震わし、

蓮華は 火の車となって、 火鉢の中の燃えた炭の如くなる。



このような 十八の苦事が 一時に来たって、 その身は 地獄の底に落ちて バラバラとなる。

そこに 燃え上がった火炎は 地獄の天を焦がし、 罪人の身も その火炎に巻き上げられる。

その罪人の熱悩たるや、その眼は カッと見開き その舌は 口を飛び出ている。


  ・  ・  ・  ・  ・   ・ 



                             訳責 kyomutekisonzairon     


    ** 五逆 :  http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/9770749.html








  ★ 「 六ヶ所再処理工場を動かさない 」  http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/45054771.html
     〜原子力資料情報室(CNIC)より
 


  


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