混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

大乗起信論 5.

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 前のページ ]

復次 真如用者 所謂諸仏如来 本在因地
発大慈悲 修諸波羅密 摂化衆生 立大誓願
尽欲度脱等衆生界 亦不限劫数 尽未来
以取一切衆生 如己身故 而亦不取衆生相
此以何義 謂如実知一切衆生及與己身 真如平等 無別異故
以有如是大方便智 除滅無明 見本法身 
自然而有不思議業・種々用 即與真如等 遍一切処
又亦無有用相可得  
何以故 謂諸仏如来 唯是法身智相之身 第一義諦
無有世諦境界 離於施作 但随衆生見聞 得益故説為用

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(よみかた)ーーー用大 1.ーーーーーーーーーーーーーーーー
また次に、真如の用yuuとは、所謂iwayuru諸仏・如来は、もと因地にありて 大慈悲を発okoし諸の波羅密を修し
衆生を摂化sekkeし大誓願を立て、尽kotogotoく 等しく衆生界を度脱せんと欲し、また劫数を限らず未来を尽tuくすなり。 一切衆生を取ること 己身の如くなるを以っての故に、しかもまた 衆生の相を取らず。
これ 何の義を以ってなりや? 謂iwaく 如実に 一切衆生とおよび己身と 真如平等にして 別異なきを知るが故なり。 かくの如きの 大方便智あるを以っての故に、無明を除滅し 本motoの法身を見araわし、自然zinenにしかも不思議業・種々の用あり。即ち 真如と等しく一切処に遍ずるも、また用相の得べきものあること無し。
何を以っての故に、謂く 諸仏如来は ただこれ法身・智相の身なり。第一義諦にして 世諦の境界あることなし。施作sesaを離る。 ただ衆生の見聞に随いて 益を得るが故に 説いて用yuuと為すのみ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

  ここでは、絶対・無限・平等(真如)は ただ 相対・有限・差別の我らから はるか遠い彼方の存在として止まっているのではなく、諸仏・如来となって その働き(用)を 我らに及ぼすことを明らかにするのであります。
 
 海東疏は、
  「{ 復次真如用者 }より以下は、第二に別して 用大yuudaiの義を釈す。
  中に於いて 二あり。 総じて明かし、 別して釈す。
  初の中に また二あり。 一には、果に対して 因を挙ぐ。 二には、因を牒tyouして 果を顕す。
  
  初に、因を挙ぐる中に また三句あり。 先は、行。 次は、願。 後は、方便を明かす。
  初に{ 諸仏本在因地 乃至 摂化衆生 }とは、本行を挙ぐるなり。 
  次に{ 立大誓願 乃至 尽於未来 }とは、本願を挙ぐるなり。
  次に{ 以取衆生 乃至 真如平等 }とは、これ智慧の大方便を挙ぐるなり。」と。

 義記は、
  「 第二に、用大の文に 二あり。 初に 総じて明かし、 次に { 此用有二 }の下は 別して釈す。
  前の中に また二あり。 初に、果に対し 因を挙aぐ。 二に、因を牒し 果を顕す。
  初の中に、三あり。 初に{ 諸仏 乃至 化衆生 }とは、本motoの正行を挙ぐるなり。
  次に{ 立大誓願 乃至 尽未来 }と言うは、本の大願を挙ぐるなり。 
  中に於いて、初に 広大心なり。 次に 長時心なり。
  { 取一切 乃至 真心平等 }とは、悲智の大方便を挙ぐるなり。また、則ち 不顛倒tendou心なり。 
  中に於oいて物を取ること 己の如し。悲の深きを顕すなり。 また 前の長時を得る所以yuenを釈すべし。
  物の相を取らずとは、智の深きことを明かすなり。
  { 此以何義 }とは、前の悲智の深き所以を徴tyouすなり。
  { 謂如実知 }の下は、真如門に依yoりて答えて 深きを顕すなり。」と。

 また、
  「{ 以有如是 }の下は、因を牒し果を顕す。 中において、また三あり。 初に前因を牒すなり。
  二に、{ 滅無明見法身 }とは、自利の果なり。  三に、{ 自然 }以下は、正しく用相を顕す。
  即ち、利他の果なり。 この中に、三句あり。 初に、用甚深にして 作意を待つに非らざることを明かす。
  摂論に云うが如し。< 摩尼天鼓の 思い無くして、自の事等を成ずるが如し。> と。
  二には、{ 即與真如等 遍一切処 }とは、用の広大を顕す。 理に称うの用なるを以っての故なり。
  三には、{ 又亦 }の下は、用にして常に寂なることを明かす。 
  中において{ 何以故 }とは、責めて云く。仏は三身を具す。何故ぞ、乃し{ 無有用相 }と云うや? 
  釈して云く。 もし機感を廃すれば、如来はただ、これ妙理の本智にして、さらに 応化世諦生滅等の相なし。
  ただ縁に随いて用を起す。用すなわち無用なること、波すなわち水の如し。故に、用 恒に寂なり。
  涅槃経に云わく。< わが 今この身は、即ち法身なり。>と。
  梁の摂論に云わく。< ただ(唯)如如とおよび如如智とのみ、独り存す。名づけて法身と為す。>と。
  故に、{ 謂諸仏如来 乃至 離於施作 }と云うなり。 真理の妙智は 本来常に湛たりと雖も、しかも
  機感に随いて 益用無辺なり。 寂に即して 常に用なるが故に、{ 但随衆生 乃至 為用 }と云うなり。」と。

問曰 上説真如其体平等 離一切相
云何復説 体有如是種々功徳
答曰 雖実有此諸功徳義 而無差別之相 等同一味 唯一真如 
此義云何 以無分別 離分別相 是故無二
復以何義 得説差別 以依業識生滅相示
此云何示 以一切法本来唯心 実無於念 而有妄心 不覚起念 
見諸境界故 説無明 心性不起 即是大智慧光明義故   
若心起見 則有不見之相 心性離見 即是遍照法界義故   
若心有動 非真識知 無有自性 非常・非楽・非我・非浄 
熱悩衰変 則不自在 乃至 具有過恒沙等妄染之義  
対此義故 心性無動 則有過恒沙等諸浄功徳相義示現    
若心有起 更見前法可念者 則有所少 
如是 浄法無量功徳 即是一心 更無所念
是故 満足名為法身如来蔵

ーーーーーーーーーーーーーーーー(よみかた)ーーー体相二大 2.ーーーーーーーーーーーーーーー
問うて曰く。上に 真如は、その体 平等にして一切の相を離れたり と説けるに、云何ikanぞ、また体にかくの如き 種々の功徳ありと説くや?
答えて曰く。実に この諸の功徳の義ありと雖も、しかも差別の相無く、等同一味にして 唯一真如なり。
この義 云何ん? 無分別にして 分別の相を離れたるを以って、この故に 無二なればなり。
また 何の義を以ってか、差別ありと説くことを得るや? 業識gossikiの生滅相に依yoりて 示すを以ってなり。
これ 云何が示すや? 一切の法は、本来 唯心にして、実に念無きも しかも妄心あり。不覚にして念を起して、諸の境界を見るが故に 無明と説くも、心性sinsyouにして 起こさざれば、即ちこれ 大智慧光明の義なるを以っての故に。 もし、心にして見を起さば、則ち不見の相あるも、心性にして 見を離れれば、即ちこれ 遍照法界の義あるが故なり。 もし、心動ずることあらば、真の識知に非らず。自性あること無ければ、常に非らず・楽に非らず・我に非らず・浄に非らず 熱悩衰変し 則ち自在ならず。乃至 具tubuさに過恒沙等の妄染の義あり。
この義に対するが故に、心性 動 無きときは、則ち過恒沙等の 諸の功徳の相の義を示現zigenすることあるも、もし 心にして起こることありて、更saraに前法の可念を見るときは、則ち少kaくる所あればなり。
かくの如く、浄法の無量の功徳は、即sunawaちこれ一心にして 更saraに念ずる所無し。 この故に、満足するを 名づけて法身如来蔵となす。 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 義記は、
  「 下に重ねて弁ずる中に、二あり。初に、体を執し 相を疑いて難じ、後に、相 体に違せずして、答う。
  答の文に 二あり。 初に 差別すと雖も 不二なるを明かし、
  後に{ 復以何義 }の下は、不二なりと雖も、差別することを明かす。 
  前の中に また二あり。 初に 実徳多しと雖も 同一如味なることを明かし、次に 不二を釈成す。
  { 以無分別 }とは、能分別に非aらざるが故に。{ 離分別相 }とは、所分別に非aらざるが故に。
  次に 能所の分別 無きが故に、無二なり。」と。

 海東疏は、
  「 問の意は、知るべし。 答の中に、二あり。総じて答え、別して顕す。
  別して顕す中に、先ず ‘差別の無二’の義を明かし、 後に ‘無二の差別’の義を顕す。 
  この中に、また二あり。 略標と広釈なり。 略して標する中に、{ 以依業識生滅相示 }とは、生滅相の内に、
  諸の過患kagenあり。但し その本を挙aぐるが故に業識と名づく。この諸の患に対して、諸の功徳を説くなり。
  { 此云何示 }より以下は、別して衆過に対して、以moって徳の義を顕す。文相は知るべし。」と。
  
 義記は、
  「 無二にして差別する中に、先ず 略、 後 広なり。 略の中に 疑いて云く。既にそれ 不二なり。
  何を以って、別と説くや? 釈して云く。生滅の識相 恒沙の染法に依りて、これに返じて、真如の浄徳 恒沙
  goujyaの差別を表示するを以って、且sibaらく その染末を挙ぐるが故に、ただ{業識}と云う。
  
  広の中に、二あり。先に 染に対して表示するの相を問い、 次に かの染法を挙げて 一々に対顕す。
  { 以一切法 乃至 無於念 }とは、所迷の理を挙ぐるなり。{ 而有妄心 }とは、真に依りて、妄を起す。
  謂く、細粗の染心 本末不覚なり。まさに浄を釈せんと欲して、先に その染を挙げて、対して以ってこれを
  顕す。 下の諸句 例して然なり。

  云何が顕すとならば、心相念起は 即ちこれ不覚無明なるを以っての故に、知りぬ。心性 起らざるは、即ち
  これ本覚の智明なり。故に{ 大智慧光明義 }と云うなり。
  { 若心起見 }等とは、妄見 周amaneかざることを明かす。{ 心性離見 }等とは、真照円明を顕す。
  { 若心有動非真識知 }とは、妄識倒知を明かす。これに返じて、即ち 真照無倒を顕す。{ 無有自性 }と
  は、妄染無体を明かす。これに返じて、即ち 自性清浄心を顕すなり。{ 非常 }等とは、妄の四失を明かす。
  これに返じて、即ち 真如の四徳(常・楽・我・浄)を顕す。 諸惑 心を焼くこと、これ極めて{ 熱悩 }なるが
  故に、真如はこれ清涼なりと説くなり。 妄染 遷改す。これ{ 衰変 }の相なり。即ち 返じて、真如は 
  不変たることを顕す。 業果 繋縛kebakuして 自在ならざるを以っての故に、即ち 真如は自在たることを
  顕すなり。 故に 上の文に{ 清涼不変自在義故 }と云うなり。
  { 乃至具有 }等とは、総じて 妄染は衆多なることを挙ぐるなり。

  これに翻対するが故に、心性不動なれば、即ち 恒沙の徳相等あるなり。
  { 若心有起更見前法 }等と言うは、妄心 外に念じて、これを求むるに足ざることを明かす。
  { 如是浄法 }等とは、浄徳の性 満して外求geguを仮kaること無きことを明かす。
  結名は、知るべし。」 と。 

復次 真如自体相者 一切凡夫声聞縁覚菩薩諸仏
無有増減 非前際生 非後際滅 畢竟恒常
従本已来 性自満足一切功徳 
所謂 自体有大智慧光明義故 遍照法界義故
真実識知義故 自性清浄心義故
常楽我浄義故 清涼不変自在義故
具足如是過於恒沙 不離不断不異不思議仏法
乃至満足 無有所少義故 名為如来蔵 亦名如来法身

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー(よみかた)ーーー体相二大 1.ーーーーーーーーーーーーー
また 次に 真如の自の体相とは、一切の凡夫・声聞・縁覚・菩薩・諸仏に、増減有ること無し。前際に生ずるに非aらず、後際に滅するに非aらず。畢竟hikkyouして恒常なり。 本motoより以来 性syouに自ら 一切功徳を満足す。いわゆる、自体に 大智慧光明の義あるが故に、遍照法界henzyou/hokkaiの義あるが故に、真実識知の義あるが故に、自性清浄心zisyou/syouzyou-の義あるが故に、常楽我浄の義あるが故に、清涼syouryou不変自在の義あるが故に、
かくの如き 恒沙gouzyaに過ぎたる 不離・不断・不異・不思議の仏法を具足し、乃至naisi満足して、少kaくる所 有ること無き故に、名づけて如来蔵と為す。亦た如来法身hossinと名づく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 海東疏は、
  「 これより下は、第二に 義を釈す章門なり。上の立義(分)の中に、二種の義を立つ。いわゆる大の義と、
  及び 乗の義とにして、今この文の中には 正しく 大の義を釈し、兼ねて乗の義を顕すなり。
  中において、二あり。 一には、総じて 体相の二大を釈し、 二には、別して 用大の義を解す。」と。

  すなわち、前回までは、立義分に、
 「 摩訶衍(大乗)には、総じて説けば 二種あり。云何が 二と為す。 一には 法、 二には 義なり。
 言う所の法とは、・・・・。 言う所の義とは、則ち 三種あり。云何が 三と為す。・・・・。」
 とある中、「 法 」について詳しく述べてきたのですが、
  ここからは、その「 義 」について詳述していくのです。義とは、三大のこと。(下のURL参照)
       URL: http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/8745987.html

 義記は、
  「 自下は、第二に 生滅門の中の 所顕の義大を釈す。 中において 二あり。
  初に 体相の二大を釈し、後に 別して用大を解す。」と。

( 復次 真如自体相 〜 )

 義記は、
  「 前の中に、また二あり。 初に 総じて 二大の名を標し、 後に 別して 二大の義を釈す。
  
   義の中に また二あり。 先に 体大の義を明かす。 謂く、人は 位に就いて以って優劣を分つと雖も、
  真体は 人に随いて 未だかって増減せず。故に{ 無増減 }と云うなり。
  { 非前 乃至 常恒 }とは、不増減の所以を顕すなり。前際に生ずるに非らざるが故に、{常}なり。
  後際に滅するに非らざるが故に、{恒}なり。 凡位を{前際}となし、仏果を{後際}となすなり。」と。

( 従来已来 自性 〜 )

 義記は、
  「{ 従来 }の下は、相大を釈す。中において 二あり。
  初に 正しく性徳を明かす。 二に 問答して重ねて解す。 
  前の中に、また二あり。 先に 徳相を明かし、後に 立名を顕す。 
  前の中に、三あり。 初に 総、次に 別、後に 結なり。
  別の中に、六句あり。 一に、本覚智明の義。 二に、本覚顕照諸法の義。 三に、顕照之時 無倒なるの義。
  四に、性 或染を離るるの義。 五に、性徳円満の義。 六に、性徳無遷の義なり。
  下に 結っする中に、謂く、性徳の塵沙 真体を離れず。故に{ 不離 }と云うなり。
  無始より相続するが故に、{ 不断 }と云うなり。また 治道亡ぜざるを謂うべし。 
  体と同味なるが故に{ 不異 }と云うなり。不異にして 恒沙の義あるが故に{ 不思議 }と云うなり。
  ただ 仏のみ窮達するが故に、{ 仏法 }と云う。また これは、所覚の法なるべきが故なり。
  もし、この真体に 性徳なくば、如来 これを証して、徳を具すべからず。 すでに性を証し已owaりて、
  万徳円満す。即ち、験akiraけし、真如は 本より恒沙の徳を具し給えるなり。故に{ 満足無有所少 }と云う。
  下は 二名を立す。 隠るる時に、能く 如来を出生するを 如来蔵と名づけ、 顕れる時に、万徳の依止と
  為るを、法身と為すなり。」と。

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 前のページ ]


.
kyomutekisonzairon
kyomutekisonzairon
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
検索 検索

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事