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復次 真如用者 所謂諸仏如来 本在因地
発大慈悲 修諸波羅密 摂化衆生 立大誓願
尽欲度脱等衆生界 亦不限劫数 尽未来
以取一切衆生 如己身故 而亦不取衆生相
此以何義 謂如実知一切衆生及與己身 真如平等 無別異故
以有如是大方便智 除滅無明 見本法身
自然而有不思議業・種々用 即與真如等 遍一切処
又亦無有用相可得
何以故 謂諸仏如来 唯是法身智相之身 第一義諦
無有世諦境界 離於施作 但随衆生見聞 得益故説為用
ーーーーーーーーーーーーーーーーー(よみかた)ーーー用大 1.ーーーーーーーーーーーーーーーー
また次に、真如の用yuuとは、所謂iwayuru諸仏・如来は、もと因地にありて 大慈悲を発okoし諸の波羅密を修し
衆生を摂化sekkeし大誓願を立て、尽kotogotoく 等しく衆生界を度脱せんと欲し、また劫数を限らず未来を尽tuくすなり。 一切衆生を取ること 己身の如くなるを以っての故に、しかもまた 衆生の相を取らず。
これ 何の義を以ってなりや? 謂iwaく 如実に 一切衆生とおよび己身と 真如平等にして 別異なきを知るが故なり。 かくの如きの 大方便智あるを以っての故に、無明を除滅し 本motoの法身を見araわし、自然zinenにしかも不思議業・種々の用あり。即ち 真如と等しく一切処に遍ずるも、また用相の得べきものあること無し。
何を以っての故に、謂く 諸仏如来は ただこれ法身・智相の身なり。第一義諦にして 世諦の境界あることなし。施作sesaを離る。 ただ衆生の見聞に随いて 益を得るが故に 説いて用yuuと為すのみ。
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ここでは、絶対・無限・平等(真如)は ただ 相対・有限・差別の我らから はるか遠い彼方の存在として止まっているのではなく、諸仏・如来となって その働き(用)を 我らに及ぼすことを明らかにするのであります。
海東疏は、
「{ 復次真如用者 }より以下は、第二に別して 用大yuudaiの義を釈す。
中に於いて 二あり。 総じて明かし、 別して釈す。
初の中に また二あり。 一には、果に対して 因を挙ぐ。 二には、因を牒tyouして 果を顕す。
初に、因を挙ぐる中に また三句あり。 先は、行。 次は、願。 後は、方便を明かす。
初に{ 諸仏本在因地 乃至 摂化衆生 }とは、本行を挙ぐるなり。
次に{ 立大誓願 乃至 尽於未来 }とは、本願を挙ぐるなり。
次に{ 以取衆生 乃至 真如平等 }とは、これ智慧の大方便を挙ぐるなり。」と。
義記は、
「 第二に、用大の文に 二あり。 初に 総じて明かし、 次に { 此用有二 }の下は 別して釈す。
前の中に また二あり。 初に、果に対し 因を挙aぐ。 二に、因を牒し 果を顕す。
初の中に、三あり。 初に{ 諸仏 乃至 化衆生 }とは、本motoの正行を挙ぐるなり。
次に{ 立大誓願 乃至 尽未来 }と言うは、本の大願を挙ぐるなり。
中に於いて、初に 広大心なり。 次に 長時心なり。
{ 取一切 乃至 真心平等 }とは、悲智の大方便を挙ぐるなり。また、則ち 不顛倒tendou心なり。
中に於oいて物を取ること 己の如し。悲の深きを顕すなり。 また 前の長時を得る所以yuenを釈すべし。
物の相を取らずとは、智の深きことを明かすなり。
{ 此以何義 }とは、前の悲智の深き所以を徴tyouすなり。
{ 謂如実知 }の下は、真如門に依yoりて答えて 深きを顕すなり。」と。
また、
「{ 以有如是 }の下は、因を牒し果を顕す。 中において、また三あり。 初に前因を牒すなり。
二に、{ 滅無明見法身 }とは、自利の果なり。 三に、{ 自然 }以下は、正しく用相を顕す。
即ち、利他の果なり。 この中に、三句あり。 初に、用甚深にして 作意を待つに非らざることを明かす。
摂論に云うが如し。< 摩尼天鼓の 思い無くして、自の事等を成ずるが如し。> と。
二には、{ 即與真如等 遍一切処 }とは、用の広大を顕す。 理に称うの用なるを以っての故なり。
三には、{ 又亦 }の下は、用にして常に寂なることを明かす。
中において{ 何以故 }とは、責めて云く。仏は三身を具す。何故ぞ、乃し{ 無有用相 }と云うや?
釈して云く。 もし機感を廃すれば、如来はただ、これ妙理の本智にして、さらに 応化世諦生滅等の相なし。
ただ縁に随いて用を起す。用すなわち無用なること、波すなわち水の如し。故に、用 恒に寂なり。
涅槃経に云わく。< わが 今この身は、即ち法身なり。>と。
梁の摂論に云わく。< ただ(唯)如如とおよび如如智とのみ、独り存す。名づけて法身と為す。>と。
故に、{ 謂諸仏如来 乃至 離於施作 }と云うなり。 真理の妙智は 本来常に湛たりと雖も、しかも
機感に随いて 益用無辺なり。 寂に即して 常に用なるが故に、{ 但随衆生 乃至 為用 }と云うなり。」と。
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