混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

お遊び

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

将棋 棋士列伝


      前編
       



             後編
              





        


              【貴重映像】升田幸三
             

      


      
     升田幸三 vs 大山康晴    「解説 豊川孝弘」 矢倉編
       




                









世界の破壊者・原子力推進の総本山 ICRPのご託宣
汚染地域に居住し続けることには、住民、社会双方とも便益を見出すことになろう。
国は 一般に その領土の一部を失うことを受け入れることはできず
又 住民のほとんどは 非汚染地域(自発的であってもなくても)に移住させられるよりは、
総じて 自身の住居に留まる方を好んでいる。 
その結果、汚染レベルが 持続可能な人間活動を妨げるほど高くはない場合、当局は
人々に汚染地域を放棄させるのではなく、人々が汚染地域に住み続けることができるように
するために 必要な すべての防護対策を実施しようとするであろう。

    ――― ICRP 2007 年勧告、Pub.111 及び声明から
    ※ 現存被曝状況の参考レベルを 1〜20mSv/年の範囲に設定する勧告文


 日本国の政府と学者は、ICRPの忠実な信徒のようだ。
 しかし、これは 国民の同意を得たものではないであろう。
 我々は、いつ わが国政府が、
 ICRPの忠実な信徒になったのか聞かされていない。

 原子力を進める立場からの発想に拘束されていては、
 ICRPの託宣(勧告)を乗り越えて、
 日本国 および日本国民を 本当に守ることはできない。
 我々日本人は、国際的な原子力推進勢力の犠牲者になってはなりません。

 広範な国民を 放射線被曝から守るためには、
 日本国が、自らの「 政策の破綻 」を認め、「 国土を失った 」ことを 
 率直かつ誠実に 認めなくてはなりません。
                              合掌
 


【 年20m㏜の土地に 住む子供の癌死数について 】


■10歳以下の子供の癌死率が、320人/1万人とし、
( 1年間20m㏜の土地にいた時、1万人の内 320人が発症 )
 汚染地帯の新生児が 毎年47万人だと仮定する。

 計算が複雑になるため、 a=47万、 r=320/1万 とおく。


▼ まず、
 20m㏜の地に住んでいた子が事故10年後までに 癌死に確定する総人数を計算する。
  ( ただし、11歳以降は 放射線の影響はないと仮定する )

・事故時に 0歳の新生児: 10年後に10歳になる
  1年目に 癌死に決まるのは  ar人 =A1
  2年目に    〃      ( a ー ar )r 人=A2
  3年目に    〃      ( a ー A1ーA2 )r 人=A3
  4年目に    〃      ( a ー A1−A2−A3 )r 人=A4
  ・・・
 10年目に    〃      ( a ー A1−A2−・・・−A9 )r 人=A10
   
  従って、新生児が 10歳になるまでに 癌死が確定する人数は、
   C0= A1+A2+A3+A4+A5+A6+A7+A8+A9+A10 人となる

    A1= ar
    A2=(a − ar)r = ar(1−r )
    A3=(a − 2ar + ar^2)r = ar(1−r )^2
    A4=(a − 3ar + 3ar^2 − ar^3)r = ar(1− r )^3
    A5= ・・・・ =ar(1− r )^4
    ・・・・
    A10=ar(1− r )^9

   従って、
    C0= ar + ar(1−r )+ ar(1−r )^2 + ar(1−r )^3 +・・・ + ar(1−r )^9
     = ar [1−(1−r )^10]/[1−(1−r )] = a [1−(1−r )^10]      
    ※(1−r )^10 =10Ⅽ0・1+10Ⅽ1・(-r)^1+10Ⅽ2・(-r)^2+・・・+10Ⅽ1・(-r)^10
            =1−10r + 45r^2 −・・・ ≒1−10r
    C0≒a[1−(1−10r)]= a・10r=10ar=150400

・事故時に 1歳の子: 9年目に 10歳、 10年目に 11歳になる
  1年目に 癌死が決まるのは  ar=A1
  2年目に    〃      ( a ー ar )r 人=A2
  3年目に    〃      ( a ー A1ーA2 )r 人=A3
  4年目に    〃      ( a ー A1−A2−A3 )r 人=A4
  ・・・
  9年目に    〃      ( a ー A1−A2−・・・−A8 )r 人=A9
          
  従って、1歳の子で、10年後に癌死が確定するのは、
   C1= A1+A2+A3+A4+A5+A6+A7+A8+A9 = a [1−(1−r )^9] ≒a・9r=9ar

・2歳の子: 8年目に 10歳、 9年目に 11歳になる
   C2= A1+A2+A3+A4+A5+A6+A7+A8 = a [1−(1−r )^8] ≒a・8r =8ar
 
  同様にして、
・3歳の子:C3≒7ar、  ・・・・   、9歳の子:C9≒ar、 10歳の子:C10= ar

 従って、
  事故1年目に生れていた 0〜10歳の子供の内、10年後に癌死が確定する人数は
  X =C0 + C1 + C2 + C3 + C4 + C5 + C6 + C7 + C8 + C9 + C10
    =10ar+9ar+・・・+2ar+ ar + ar =56ar = 842240

  
▼ 次に、
 この10年間にも 毎年 新生児47万人が生れてくるとすると、

 ・事故2年目の新生児が、1歳になるまでに 癌死が確定する人数: ar =A1
   3年目に 癌死が決まるのは、 A2
   4年目に      〃      、A3
   ・・・・
  10年目に      〃      、A9
 
  従って、事故2年目に生れた子のうち 事故10年後に癌死が決まるのは、
    B2 = A1+A2+A3+A4+A5+A6+A7+A8+A9 = 9ar

 ・事故3年目の新生児が、1歳になるまでに 癌死が確定する人数: ar =A1
   4年目に 癌死が決まるのは、 A2
   5年目に      〃      、A3
   ・・・・
  10年目に      〃      、A8

  従って、事故3年目に生れた子のうち 事故10年後に癌死が決まるのは、
    B3 = A1+A2+A3+A4+A5+A6+A7+A8 = 8ar

 ・・・・

 ・事故10年目の新生児が、癌死が確定する人数: B9=A1=ar


  従って、事故後に生まれた子のうち、事故10年目までに 癌死が決まる人数は、
   S=B2 + B3 + B4 + B5 + B6 + B7 + B8 + B9
    = 9ar + 8ar + ・・・+ 2ar + ar =45ar


以上より、事故10年後の時点で 癌死が確定する人数は
   ( ただし、10歳を越えると 放射線の影響はないとする )

  X + S = 56ar + 45ar =101ar =101×47万×320/1万 =1519040 
  
と計算できます。


  ( 計算に 間違いがあるかもしれません。 ご指摘 頂ければ幸いです )
   

                              合掌


基本部会(第40回) 議事録   文科省
 国際放射線防護委員会(ICRP)2007年勧告(Pub.103)の国内制度等への取入れについて
                 (現存被ばく状況関連)
出席者
委員
  甲斐部会長、石榑委員、飯本委員、大野委員、神田委員、清水委員、杉浦委員、
  中村委員、藤川委員、桝本委員、横山委員、米原委員
文部科学省
  合田科学技術・学術政策局長、渡辺次長・原子力安全監、中矢放射線規制室長、
  永田放射線安全企画官
オブザーバー
  茶山(原子力被災者生活支援チーム)、毛利(厚生労働省)

 資料第41−2号 
   国際放射線防護委員会(ICRP)2007年勧告(Pub.103)の国内制度等への取入れ
   (現存被ばく状況関連)について(案)
  

 放射線審議会 委員名簿 平成23年10月  文科省

  石榑 信人 (名古屋大 医学部保健学科 教授)
  今村 惠子 (聖マリアンナ医科大 放射線医学講座 客員教授)
  梅田 泉  (独・国立がん研究センター東病院 機能診断開発部細胞機能室 室長)
  大野 和子 (京都医療科学大 医療科学部教授)
  甲斐 倫明 (大分県立看護科学大 人間科学講座環境保健学研究室 教授)
  小松 賢志 (京都大 放射線生物研究センター 教授)
  酒井 一夫 (独・放射線医学総合研究所 放射線防護研究センター長
  下 道國  (藤田保健衛生大 客員教授)
  杉浦 紳之 (独・放射線医学総合研究所 緊急被曝医療研究センター長)
  高倉 かほる (元国際基督教大 教授)
  中村 佳代子 (社・日本アイソトープ協会 医療連携室室長)
 会長  丹羽 太貫 (京都大 名誉教授)
  野嵜 美和子 (獨協医科大越谷病院 放射線科教授)
  平井 昭司 (東京都市大 名誉教授)
  藤原 佐枝子 (財・放射線影響研究所 臨床研究部長)
  古田 定昭 (独・日本原子力研究開発機構 東海研究開発センター 核燃料サイクル工学研究所 
        放射線管理部 部長)
  桝本 和義 (高エネルギー加速器研究機構 教授、放射線管理室長)
  山本 英明 (独・日本原子力研究開発機構 東海研究開発センター 
        原子力科学研究所放射線管理部 次長)
 会長代理  米倉 義晴 (独・放射線医学総合研究所 理事長)



 
【 ちょっと お遊び 】

円周率π の読み上げについて


 円周率π は、円において 周の長さと直径の比、
      すなわち 円周の長さを 直径で 割った値のことですが、

   この値は、どんなに大きい円でも どんな小さい円でも 一定であるというだけでも
   感嘆すべきことですが、

   さらに、この数は 小数点以下 限りなく続いており、
   しかも 小数点以下 X番目の数が何か? ということが、その計算の前には 
   予め予測できないという 驚くべき数です。 
    ( 単純な 丸い円に、このような数が潜んでいるということも・・・ )
   高校では、 
    整数の比 n/m (n,m:整数 但しm≠0)では表せない無理数
   だと教わりました。

   さらに、有理数を係数に用いた有限次の代数方程式の根にならない数(超越数)でも
   あります。 整数から 四則演算 と 累乗根をとる操作 だけを有限回組み合わせた計算で
   π の正確な値は 求めることができないわけです。
     これは、古代ギリシャ以来 問題だった「 定規とコンパスだけを有限回使って
     円と同じ面積を持つ正方形を作図せよ 」という円積問題を解くのは 不可能だ
     ということでもあります。
    π が、この超越数であることは、1882 に はじめて証明されたそうです。

   ところで、
   西欧数学の伝統から独立に インドでは、14世紀のサンガマグラマのマドハヴァが、
     π= 1−1/3+1/5−1/7+・・・・+(−1)^2・1/2n+1・・・
     π= √12( 1ー 1/3・3 + 1/5・3^2 − 1/7・3^3+・・・ )
   という πの無限級数表示を見出しています。 驚くべきことです。


 
  
  この記事は、しかし 上のようなことを述べたくて 書いているのではありません。
  円周率π の値の読み上げについて、ちょっと考えてみようと思ったからです。

  πは、  3.14159 26535 89793 23846 26433 83279 50288 ・・・・
  と、限りなく 続いていく数ですが、
  
  2008 2月現在、東大の金田康正教授が、スーパーコンピュータで
  約 1兆2400億ケタまで 計算したものが、人類の達した最後のものだそうです。

  この計算には、約600時間 かかったそうです。


  ところで、
  πの値を どこまで人は記憶できるか という競技があるそうですが、
  その人が記憶したものの正しさを証明するには、
  それを その人が口に読み上げなくてはなりません。

  そこで、
  上の人類の達したケタまで 記憶した人があったとして、その人に これを読み上げて}
  もらったら、どれほどの時間がかかるのでしょうか?

    仮に、1秒に 2つの数を 読み上げるとします。
    読み終わるまでは、口が渇くでしょうが、このペースでやってもらうことにします。

  1兆2400億 個の数字を 読み上げてもらうわけです。

   まず、これを読み上げるのには、何秒かかるか? ですが、
    1兆2400億 ÷ 2 = 6200億 (秒) かかります。

   次に、これを 「分」に直すと、
     6200億 ÷ 60 = 103.333・・・億 (分) です。

   また、これを 「時間」に直すと、
     103.333・・・億 ÷ 60 = 1.7222・・・億 (時間) です。

   さらに、これは 何日に当るのでしょうか?
      1.7222・・・億 ÷ 24 = 0.07175925・・・億 (日) です。
      すなわち、717.5925・・・万 日 に当ります。

   これは、一体 何年 なのでしょうか?  一年を 365日として、
      717.5925・・・万 ÷ 365 = 1.96600・・・万 (年)

    すなわち、約 1万9660 年 となります。


  どうでしょうか? 
   我々は この人に、1万9660年の寿命を与えなくては、
   1兆2400億の数字を すべて読み上げてもらうことはできません。

  π という数字は、中学生でも これを簡単に扱って、さまざまな計算をしますが、

   πの、少数点以下 2兆番目の数字 を、今日 人類の誰も知りませんし、
   又、この数 πを使う際 には、一瞬のうちに使い終えますが、
    いざ この ほんの一部*を読み上げるにも、我々の短い一生の内には 
    全く手に負えないシロモノです。
   ふつう 我々は、この数字の 端っこの所を ほんの チョットだけ見ているだけです。

      * ほんの一部 : πは、限りなくつづく数ですので、2兆番目は まだ
              かわいいものです。 10兆番目、100兆番目、1000兆番目 
              どころか 10京番目、・・・・、100穣番目、・・・・ と、
              気が遠くなるほど 先に数字がつづきます。
              
            



  どういうことを言いたいかというと、それは

   現代の数学や物理学などで 極めて重要な この円周率πという数を
   あたかも、重度の弱視の人が ものを見ているように、
   我々は、たいへん オボロゲにしか 見ていない

  ということなのでした。

   したがって、 数学とか 科学とかの 対象認識というものは、
  我々素人は、
  何か 神のように すべてを見ることができる 偉大な認識であるかのように考えますが、
  上に見たように、これらは けっこう コケ脅しのもので、
  数学者や科学者の その世界認識というものは、
  洞屈の中の 目が退化した動物の視力と そう変りはない程度の オボロゲな認識なのだ。

  ということも、これで 明らかになるのではないでしょうか?

  彼ら 数学者や科学者は、世界の全体を 明瞭に見ているのではありません。
  単に、世界の影を しかも その一部or表面オボロゲに見ているにすぎません。

   そのオボロゲなものを 特別に取り出して、
   我々の眼を そこに注目させて 世界の他のものを無視させ、
   これこそが 世界の本当の姿だと言い、明晰判明な認識だと ホラを言ったのが、
   かの 近代科学の祖・デカルトでした。

   しかし、彼は この認識こそが 真実の認識だ' と言ったのですから、
   後の数世代の人々の 「真実」に対する見方を歪めた 稀代の詐欺師・傀儡師だった
   と言っても過言ではありません。

   同時代の ブレーズ・パスカルという人は、 その晩年に 彼を評して
    デカルト、無用にして 不確実 (パンセ)
   と言っています。

 
  
                               合掌


   (補遺)
     上に指摘したように、
     我々は、π という数字の内実を すっかり知って、これを使っているのではなく、
     その内実は 我々に掴み得ないが、そのものを πと名づけることによって、
     その内実全体を 我々の意の如く 扱っているのでしょう。 

     これは、
     丁度、昔の呪のようなハタラキをするのが、この数学記号 πなのでしょう。
     ‘ チチンプイプイ ’ と呪文を言っただけで、痛みを除く効力をもっているように、
     πという呪で、簡単に 様々なことを成し遂げることができます。

     この πという呪は、人間が世界を支配するための 強力な呪なのでしょう
     科学・技術というも、科学言語という呪を使う現代版魔術ではないでしょうか?
                                       合掌

                               
  

今とは 何か?

〜〜〜〜〜
  〜〜〜〜〜〜

明日の私を 想像することはできる。

しかし、それが 如何に 移ろい易く 止め難い ものであろうと、

私は 明日に居るのではなく、 今に居るのである。

今以外に、 私の居る場所がない!



しかるに、私を存在せしめる 今という たった一つの場は、

あっと言う間に 消失してしまう。

すなわち、一時間前の私は もはや消滅しているのである。

しかし この間、 私は 変ることなく 私であった。


昨日の私 と 今の私 と、

奇妙なことに 同じ私であると 感じている。

これは、記憶という 過去の貯蔵庫があるからか? or 霊魂というものがあるからか?

否、そうではないであろう。


例えば、 この机が ここにあるのは 何故か?

4年前、私が ここに置いたから 今 ここにある。

すなわち、過去のものが 今 あるのは、

私だけではなく、この机も そうである。


机に 自己を記憶する能力 や 霊魂 がないように、 私も 記憶とか霊魂とかがあるから、

今 あるのではない。 記憶が失われても、 私は 今 あるのだ。

すなわち、過去の持続というものは、 記憶という 人間特有の心の働きだけでなく、

広く この世界に行き渡っている 現実である。



机という実体があって、4年前から ずっと ここにあるのではない。

そうではなく、ここに 机を置いた時は、

もはや 永遠に還らない 今は失われた 4年前である。

その過去の 私の行為の結果が、 今 私と机として ここに残っているのである。


今 私は 机の前に 座っているが、 この現実は 

過去の そうしたことが無ければ あり得ないことである。

すなわち、私が 過去のことを記憶するまでもなく、

今の現実に、 過去が ここに露出しているのである。



    
                              合掌



             ● kyomu- の アッピール ●

                  原子力発電を やめよう! & 六ヶ所村再処理施設を 止めよう! 

                  ―――― 欲望の奴隷になって、冷静な判断を失うまい! 

                        子孫に 我らの負債を 残すまい! ―――― 
 

〜〜〜〜〜〜
   〜〜〜〜〜〜

     「 ものは すべて、相対・有限なものである。 」 


 という命題の真偽について、すこし お遊びで 考えてみたいと思います


 この命題は、真でしょうか 偽でしょうか? ――― どう思われるでしょうか?



           *    *    *    *    *



 ( お屠蘇を飲みながら、記事を書いています。 
元来 アルコールは 強くないのですが、それでも アルコールなしで、一日を終えることは
できない私です。
もちろん 中毒ではありません。 一日の疲れを 少量のアルコールで癒すのです。
で、このお屠蘇は、 すでに 私の中枢神経を麻痺させ 心地よい気分で PCに向っています。)



 「 ものは すべて、相対・有限なものである。 」 という言葉(命題)は、
これを 私が言った場合には、実に 奇妙な事態に陥ります。
これは、恐らく 私が酔って目が回っているためではないと思うのですが・・・。


 何故なら、この命題or世界に対する認識が 真である とすると、
これも 一つの <もの> ですから、これも相対・有限なもの ということになるでしょう。
つまり、この命題or認識も 永遠で絶対的なものではなく、やがて 移ろいゆくものということ
になります。

 しかし、もし そうだとすると、 
又しても この命題or認識は 真実を語っているもの・真の命題or認識だということになります。

すると また、この命題も 一つの <もの> ですから、・・・・。  
真は 偽となり、それ故に また真となり、すると また偽となり・・・。 
このように、無限循環に 私は 陥ってしまいます。



 では、この命題は 始めっから 偽なのでしょうか?    
「 諸行無常 」 という仏教のテーゼは、 まさしく この「 ものは すべて、相対・有限な
ものである。 」なのですが・・・。 

釈尊は、 はたして ウソを語ったのでしょうか? 
「 諸行無常 」とは、間違った言葉なのでしょうか? ここに、今日の我々の 言葉に対する
常識は、実は 大きなデッド・ロックに乗り上げているのです。


 この世俗文明の中にある我々は、 言葉というものは 我々人間が発する言葉であり 
それ以外の言葉があるとは認めません。 言葉は、我々の 知性と感情と意志の為すものであり 
それ以外のものではないわけです。

 そして、ここでは 上の釈尊の言葉「 諸行無常 」は、 自己矛盾のものであり 我々には 
理解不能の言葉となります。 では、これは どういうことなのでしょうか? 

 我々の 言葉に対する考え方が 正しいのか? あるいは、釈尊が 正しいのか?
―――― はて、どうでしょうか? どう考えたら よいのでしょうか? 
( 酔いで ロレツが回らなくなりました )


         ・ ・ ・ ・ ・





   ( お屠蘇の酔いは もう 醒めましたので、もう少し 考えます )

 今日の論理学は、近代西欧のものであり、その言葉に対する考え方は たいへん精密では
あっても バイアスが 掛かっています。
すなわち、これは 人間知性で把握できるものしか、言葉の真理性を認めないのです。

 しかし、昔 言葉に対するインドの見方(ie.論理学)には、
「 聖語 」というものがありました。 すなわち 言葉には、ただ 人間が喋るものだけではなく、
我々の認識能力を超えた絶対者の語った 聖なる言葉がある と言いました。


こうした 人間の認識能力を超えたものに対して、近代西欧の思考は 警戒的・禁欲的で、 
これを その思惟の中から 「 疑しいもの・不確かなもの 」として排除することで 自己と世界
を知ろうと試みてきました。

このため、上のような言葉の矛盾に 我々は 困惑しなくてはならなくなりました。 
釈尊の言葉である「 諸行無常 」も、我々現代人は これを 釈尊の意の如くには 十分に
理解できないということになっています。



 実は、この 「 ものは すべて、相対・有限なものである 」、 すなわち 「 諸行無常 」
という言葉は、人間の語った言葉ではないのです。
これは、雪山童子が わが身を食わせることで 羅刹から聞き得た言葉で、


  諸行無常  是生滅法  生滅滅已   寂滅為楽    (涅槃経)
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E8%A1%8C%E7%84%A1%E5%B8%B8

の 四句のなかの 一句なのです。


すなわち、これは 雪山童子(ヒマラヤ山ー雪山ーで 修行していた若者)が、自分で考え
出した言葉ではなく、自身の命と引き換えに 羅刹から聞いた言葉であったわけです。



 このように、仏教の言葉は みな 世俗(我々人間)の言葉ではなく、仏の語った言葉だ
というのが、昔からの約束事であったのです。 それは 人間知性に語りかけたものではなく、
人間の実存に語りかけた言葉です。

我々は ‘ 仏教は 宗教的であるよりは 哲学的だ ’ とかと よく言いますが、それは 
西欧の宗教観から そう言うのであって 本来の仏教ではありませんし、こういう考えでは 
仏教は 永遠に分からないでしょう。

深い迷いの中にあって しかも そのことを知らない我々を 目覚めさせるために、仏が
そうした我々に語りかけた言葉です。
すなわち 仏の智慧から出た言葉ですから、迷妄にある我々の言葉ではないのです。



 このように、論理学が いやしくも 真実を 知ろうor明らかにしようとするなら、西欧の如く
「聖語」 というものを、その思考体系から排除しては、
結局 その自己矛盾を 如何に誤魔化すか? ということになります。

ここに、真実というものに対する 近代西欧の思考の限界を、我々は 見出すべき時機に
もはや来ているのではないでしょうか? 


 人間知性は、世俗的な事柄に対しては 大変 有効に働きました。しかし、人間は これに
納まるものではないということは、すでに 19C西欧で 実存哲学と一般に言われる思潮において
次第に自覚されて来ていました。

しかし、こんなことは 仏教では 当り前のことで、我々日本人が 卑下して 彼らから学ぶべき
ものではなく、逆に、彼ら西欧人たちが 仏教から 頭を下げて学ぶべきものであったでしょう。   





                             (おわり)





    ★ 「 六ヶ所再処理工場を動かさない 」  http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/45054771.html
     〜原子力資料情報室(CNIC)より

 

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.
kyomutekisonzairon
kyomutekisonzairon
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
検索 検索

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事