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すると すぐその前に次の戸がありました。 「 料理は もうすぐできます。 十五分とお待たせはいたしません。 すぐ たべられます。 早く あなたの頭に瓶(ビン)の中の香水をよく振りかけてください 」 そして 戸の前には 金ピカの香水の瓶が置いてありました。 二人は その香水を、頭へ ぱちゃぱちゃ振りかけました。 ところが その香水は、どうも酢のような匂がするのでした。 「 この香水は へんに酢くさい。どうしたんだろう 」 「 まちがえたんだ。下女が風邪でも引いて まちがえて入れたんだ 」 二人は 扉をあけて 中に入りました。 扉の裏側には、大きな字でこう書いてありました。 「 いろいろ注文が多くて うるさかったでしょう。お気の毒でした。 もう これだけです。どうか からだ中に、壺の中の塩をたくさん よく もみ込んでください 」 なるほど 立派な青い瀬戸の塩壺は置いてありましたが、今度という今度は 二人とも ぎょっと して お互にクリームをたくさん塗った顔を見合せました。 「 どうも おかしいぜ 」 「 ぼくも おかしいとおもう 」 「 沢山(タクサン)の注文というのは、 向うが こっちへ注文してるんだよ 」 「 だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料理を、来た人に 食べさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる家(ウチ)と こういうこと なんだ。 これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが…… 」 がたがた がたがた、ふるえだして もう ものが言えませんでした。 「 その、ぼ、ぼくらが、……うわあ 」 がたがた がたがた ふるえだして、もう ものが言えませんでした。 「 遁(ニ)げ…… 」 がたがたしながら 一人の紳士は うしろの戸を押そうとしましたが、どうです、戸はもう一分 (イチブ)も動きませんでした。 奥の方には まだ一枚扉があって、大きなかぎ穴が 二つつき、銀色のホークとナイフの形が 切りだしてあって、 「 いや、わざわざご苦労です。 大へん結構にできました。 さあさあ おなかにおはいりください 」 と書いてありました。 おまけに かぎ穴からは きょろきょろ 二つの青い眼玉が こっちをのぞいています。 「 うわあ 」 がたがた がたがた。 「 うわあ 」 がたがた がたがた。 ふたりは 泣き出しました。 すると 戸の中では、こそこそ こんなことを云っています。 「 だめだよ。もう気がついたよ。塩を もみこまないようだよ 」 「 あたりまえさ。親分の書きようがまずいんだ。 あすこへ、いろいろ注文が多くてうるさ かったでしょう、お気の毒でしたなんて、間抜(マヌ)けたことを書いたもんだ 」 「 どっちでもいいよ。 どうせ ぼくらには、骨も分けてくれやしないんだ 」 「 それは そうだ。けれども もし ここへあいつらが入って来なかったら、それは ぼくら の責任だぜ 」 「 呼ぼうか、呼ぼう。 おい、お客さん方、早くいらっしゃい。いらっしゃい。いらっしゃい。 お皿も洗ってありますし、菜っ葉も もうよく塩でもんで置きました。あとは あなたがたと、 菜っ葉をうまくとりあわせて、まっ白なお皿にのせるだけです。はやくいらっしゃい 」 「 へい、いらっしゃい、いらっしゃい。 それとも サラドは お嫌いですか。 そんなら これから火を起して フライにしてあげましょうか。とにかく はやくいらっしゃい 」 二人は あんまり心を痛めたために、顔がまるで くしゃくしゃの紙屑のようになり、お互に その顔を見合せ、ぶるぶる ふるえ、声もなく 泣きました。 中では ふっふっと わらって また叫んでいます。 「 いらっしゃい、いらっしゃい。そんなに泣いては 折角(セッカク)のクリームが流れるじゃ ありませんか。 へい、ただいま。じき もってまいります。さあ、早くいらっしゃい 」 「 早くいらっしゃい。親方が もうナフキンをかけて、ナイフをもって、舌なめずりして、 お客さま方を待っていられます 」 二人は 泣いて泣いて 泣いて泣いて 泣きました。
そのとき うしろからいきなり、 「 わん、わん、ぐゎあ 」という声がして、あの白熊のような犬が二疋(ヒキ)、扉をつき破って 室(ヘヤ)の中に飛び込んできました。鍵穴(カギアナ)の眼玉は たちまちなくなり、 犬どもは うう とうなって しばらく室の中をくるくる廻っていましたが、 また 一声 「 わん 」と高く吠(ホ)えて、いきなり 次の扉に飛びつきました。 戸は がたり と開き、犬どもは 吸い込まれるように飛んで行きました。 その扉の向うの 真っ暗闇のなかで、 「 にゃあお、くゎあ、ごろごろ 」という声がして、それから がさがさ鳴りました。 室は 煙のように消え、二人は 寒さにぶるぶるふるえて、草の中に立っていました。 見ると、上着や靴や財布やネクタイピンは、あっちの枝にぶらさがったり、こっちの根もとに ちらばったりしています。 風が どうと吹いてきて、草は ざわざわ、木の葉は かさかさ、 木は ごとんごとんと鳴りました。 犬が ふう とうなって戻(モド)ってきました。 そして うしろからは、 「 旦那(ダンナ)あ、旦那あ 」と叫ぶものがあります。 二人は 俄(ニワ)かに 元気がついて 「 おおい、おおい、ここだぞ、早く来い 」と叫びました。 簔帽子(ミノボウシ)をかぶった専門の猟師が、草をざわざわ分けてやってきました。 そこで二人はやっと安心しました。 そして 猟師のもってきた団子(ダンゴ)をたべ、途中(トチュウ)で 十円だけ山鳥を買って 東京に帰りました。 しかし、さっき 一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯に 入っても、もう もとのとおりになおりませんでした。 |
文学作品
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(1) 二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、 白熊(シロクマ)のような犬を二疋(ヒキ)つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、 こんなことを云(イ)いながら、歩いておりました。 「 ぜんたい、ここらの山は 怪(ケ)しからんね。鳥も獣(ケモノ)も 一疋も居やがらん。 なんでも構わないから、早く タンタアーンと、やって見たいもんだなあ 」 「 鹿の黄いろな横っ腹なんぞに、二三発 お見舞もうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。 くるくるまわって、それから どたっと倒れるだろうねえ 」 それは だいぶの山奥でした。 案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、 どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。 それに、あんまり山が物凄(モノスゴ)いので、その白熊のような犬が、二疋いっしょにめまい を起こして、しばらく吠(ウナ)って、それから 泡を吐(ハ)いて死んでしまいました。 「 じつに ぼくは、二千四百円の損害だ 」と一人の紳士が、その犬の眼(マ)ぶたを、 ちょっとかえしてみて言いました。 「 ぼくは二千八百円の損害だ 」と、もひとりが、くやしそうに、頭をまげて言いました。 はじめの紳士は、すこし顔色を悪くして、じっと もひとりの紳士の顔つきを見ながら 云いました。 「 ぼくは もう戻(モド)ろうとおもう 」 「 さあ、ぼくも ちょうど寒くはなったし 腹は空(ス)いてきたし 戻ろうとおもう 」 「 そいじゃ、これで切りあげよう。なあに戻りに、昨日(キノウ)の宿屋で、山鳥を拾円も 買って帰ればいい 」 「 兎(ウサギ)もでていたねえ。そうすれば 結局 おんなじこった。では 帰ろうじゃないか 」 ところが どうも困ったことは、どっちへ行けば戻れるのか、いっこうに見当がつかなく なっていました。 風が どうと吹いてきて、草は ざわざわ、木の葉は かさかさ、木は ごとんごとんと鳴りました。 「 どうも腹が空いた。さっきから 横っ腹が痛くてたまらないんだ 」 「 ぼくもそうだ。 もう あんまり歩きたくないな 」 「 歩きたくないよ。 ああ困ったなあ、何か食べたいなあ 」 「 喰(タ)べたいもんだなあ 」 二人の紳士は、ざわざわ鳴る すすきの中で、こんなことを云いました。 その時 ふと うしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。 そして 玄関には RESTAURANT 西洋料理店 WILDCAT HOUSE 山猫軒 という札が出ていました。 「 君、ちょうどいい。ここは これで なかなか開けてるんだ。入ろうじゃないか 」 「 おや、こんなとこに おかしいね。 しかし とにかく 何か食事ができるんだろう 」 「 もちろんできるさ。 看板に そう書いてあるじゃないか 」 「 入ろうじゃないか。 ぼくは もう何か喰べたくて倒れそうなんだ 」 二人は玄関に立ちました。玄関は 白い瀬戸の煉瓦(レンガ)で組んで、実に立派なもんです。 そして 硝子(ガラス)の開き戸がたって、そこに 金文字で こう書いてありました。 「 どなたも どうかお入りください。決して ご遠慮はありません 」 二人は そこで、ひどく よろこんで言いました。 「 こいつは どうだ、やっぱり世の中は うまくできてるねえ、きょう一日なんぎしたけれど、 こんどは こんないいこともある。このうちは 料理店だけれども ただで ご馳走するんだぜ 」 「 どうも そうらしい。決して ご遠慮はありません というのは その意味だ 」 二人は戸を押して、中へ入りました。 そこは すぐ廊下になっていました。その硝子戸の 裏側には、金文字で こうなっていました。 「 ことに 肥(フト)った お方や若いお方は、大歓迎いたします 」 二人は 大歓迎というので、もう大よろこびです。 「 君、ぼくらは 大歓迎にあたっているのだ 」 「 ぼくらは 両方兼ねてるから 」 ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは 水色のペンキ塗(ヌ)りの扉がありました。 「 どうも 変な家(ウチ)だ。 どうして こんなに たくさん戸があるのだろう 」 「 これはロシア式だ。 寒いとこや山の中は みんなこうさ 」 そして 二人は その扉をあけようとしますと、上に黄いろな字でこう書いてありました。 「 当軒は 注文の多い料理店ですから、どうか そこは ご承知ください 」 「 なかなか はやってるんだ。 こんな山の中で 」 「 それあそうだ。見たまえ、東京の大きな料理屋だって 大通りには すくないだろう 」 二人は云いながら、その扉をあけました。するとその裏側に、 「 注文は ずいぶん多いでしょうが どうか 一々こらえて下さい 」 「 これは ぜんたい どういうんだ 」 ひとりの紳士は 顔をしかめました。 「 うん、これは きっと注文があまり多くて 支度(シタク)が手間取るけれども ごめん下さい と斯(コ)ういうことだ 」 「 そうだろう。 早く どこか室(ヘヤ)の中に入りたいもんだな 」 「 そして テーブルに座りたいもんだな 」 ところが どうもうるさいことは、また扉が一つありました。そして そのわきに鏡がかかって その下には 長い柄(エ)のついたブラシが置いてあったのです。 扉には 赤い字で、 「 お客さまがた、ここで 髪をきちんとして、それから はきものの泥を落してください 」 と書いてありました。 「 これは どうも もっともだ。 僕も さっき玄関で、山の中だとおもって見くびったんだよ 」 「 作法の厳しい家だ。 きっと よほど偉い人たちが、たびたび来るんだ 」 そこで 二人は、きれいに髪をけずって、靴の泥を落しました。 そしたら、どうです。ブラシを板の上に置くや否や、そいつが ぼうっとかすんで無くなって、 風が どうっと 室の中に入ってきました。 二人は びっくりして、互によりそって 扉をがたんと開けて、次の室へ入って行きました。 早く 何か暖いものでも食べて、元気をつけて置かないと、もう途方(トホウ)もないことに なってしまうと、二人とも思ったのでした。 扉の内側に、また 変なことが書いてありました。 「 鉄砲と弾丸(タマ)をここへ置いてください 」 見ると すぐ横に黒い台がありました。 「 なるほど、鉄砲を持って ものを食うという法はない 」 「 いや、よほど偉いひとが 始終来ているんだ 」 二人は 鉄砲をはずし、帯皮を解いて、それを台の上に置きました。 また黒い扉がありました。 「 どうか 帽子と外套と靴をおとり下さい 」 「 どうだ、とるか 」 「 仕方ない、とろう。 たしかに よっぽど えらいひとなんだ。奥に来ているのは 」 二人は 帽子と オーバーコート を釘にかけ、靴をぬいで ぺたぺた歩いて 扉の中に入りました。 扉の裏側には、 「 ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡(メガネ)、財布、その他金物類、ことに尖(トガ)ったものは、 みんな ここに置いてください 」 と書いてありました。扉のすぐ横には 黒塗りの立派な金庫も、ちゃんと口を開けて置いて ありました。 鍵(カギ)まで そえてあったのです。 「 ははあ、何かの料理に電気をつかうと見えるね。 金気(カナケ)のものはあぶない。 ことに 尖ったものはあぶないと こう云うんだろう 」 「 そうだろう。して見ると 勘定は 帰りに ここで払うのだろうか 」 「 どうも そうらしい 」 「 そうだ。きっと 」 二人は めがねをはずしたり、カフスボタン をとったり、みんな金庫の中に入れて、ぱちんと錠 (ジョウ)をかけました。 すこし行きますと また扉があって、その前に 硝子(ガラス)の壺が一つありました。 扉には こう書いてありました。 「 壺の中のクリームを 顔や手足に すっかり塗ってください 」 みると たしかに壺の中のものは 牛乳のクリームでした。 「 クリームをぬれ というのは どういうんだ 」 「 これはね、外がひじょうに寒いだろう。室(ヘヤ)の中があんまり暖いとひびがきれるから、 その予防なんだ。どうも 奥には、よほど えらいひとがきている。こんなとこで、案外ぼくら は、貴族とちかづきになるかも知れないよ 」 二人は 壺のクリームを、顔に塗って 手に塗って それから 靴下をぬいで足に塗りました。 それでもまだ残っていましたから、それは 二人とも めいめい こっそり顔へ塗るふりを しながら喰べました。 それから大急ぎで扉をあけますと、その裏側には、 「 クリームをよく塗りましたか、耳にも よく塗りましたか 」 と書いてあって、ちいさなクリームの壺が ここにも置いてありました。 「 そうそう、ぼくは 耳には塗らなかった。あぶなく 耳にひびを切らすとこだった。ここの 主人は じつに用意周到(シュウトウ)だね 」 「 ああ、細かいとこまで よく気がつくよ。 ところで ぼくは 早く何か喰べたいんだが、 どうも こう どこまでも廊下じゃ 仕方ないね 」 (つづく)
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(13) 36 クリストの一生 勿論 クリストの一生は あらゆる天才の一生のやうに情熱に燃えた一生である。 彼は 母のマリアよりも 父の聖霊の支配を受けてゐた。 彼の十字架の上の悲劇は 実に そこに存してゐる。 彼の後に生まれたクリストたちの一人、―― ゲエテは 「 徐(オモム)ろに老いるよりも さつさと地獄へ行きたい 」と願つたりした。が、徐ろに 老いて行つた上、ストリントベリイの言つたやうに 晩年には 神秘主義者になつたりした。 聖霊は この詩人の中に マリアと吊(ッ)り合(ァ)ひを取つて住まつてゐる。 彼の 「 大いなる異教徒 」の名は 必しも当つてゐないことはない。 彼は 実に 人生の上には クリストよりも更に大きかつた。況(イハン)や 他のクリストたちよりも大きかつたことは 勿論 である。 彼の誕生を知らせる星は クリストの誕生を知らせる星よりも 円(マル)まると かがやいてゐたことであらう。 しかし 我々のゲエテを愛するのは マリアの子供だつた為ではない。マリアの子供たちは 麦畠 の中や長椅子の上にも充ち満ちてゐる。いや、兵営や工場や監獄の中にも多いことであらう。 我々の ゲエテを愛するのは 唯 聖霊の子供だつた為である。 我々は 我々の一生の中に いつか クリストと一しよにゐるであらう。 ゲエテも亦 彼の詩の中に 度たびクリストの髯(ヒゲ)を抜いてゐる。 クリストの一生は 見じめだつた。 が、彼の後に生まれた聖霊の子供たちの一生を象徴 してゐた。( ゲエテさへも 実はこの例に洩れない。 ) クリスト教は 或は滅びるであらう。 少くとも絶えず変化してゐる。けれども クリストの一生は いつも我々を動かすであらう。 それは 天上から地上へ登る為に 無残にも折れた梯子(ハシゴ)である。薄暗い空から叩(タタ)き つける土砂降りの雨の中に傾いたまま。…… 37 東方の人 ニイチエは 宗教を「 衛生学 」と呼んだ。それは 宗教ばかりではない。道徳や経済も 「 衛生学 」である。 それ等は 我々に おのづから死ぬまで健康を保たせるであらう。 「 東方の人 」は この「 衛生学 」を大抵涅槃(ネハン)の上に立てようとした。 老子は 時々無何有(ムカイウ)の郷に 仏陀(ブツダ)と挨拶をかはせてゐる。しかし 我々は 皮膚の色のやうに はつきりと東西を分(ワカ)つてゐない。 クリストの、―― 或は クリスト たちの一生の 我々を動かすのは この為である。「 古来 英雄の士、悉(コトゴト)く 山阿 (サンア)に帰す 」の歌は いつも我々に伝はりつづけた。 が、「 天国は近づけり 」の声も やはり我々を立たせずにはゐない。老子は そこに 年少の孔子と、―― 或は 支那のクリストと問答してゐる。 野蛮な人生は クリストたちを いつも多少は苦しませるであらう。 太平の艸木(サウモク)となることを願つた「 東方の人 」 たちも この例に洩れない。 クリストは「 狐は 穴あり。空の鳥は 巣あり。然れども 人の子は枕する所なし 」と言つた。 彼の言葉は 恐らくは 彼自身も意識しなかつた、恐しい事実を孕(ハラ)んでゐる。我々は 狐や鳥になる外は 容易に塒(ネグラ)の見つかるものではない。 (昭和二年七月十日) ※ マタイ 8章 それから、イエスは ペテロの家に来られて、ペテロの姑が熱病で床に着いているの を ご覧になった。 イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。 夕方になると、人々は悪霊につかれた者を大ぜい、みもとに連れて来た。 そこで、 イエスはみことばをもって霊どもを追い出し、また病気の人々をみなお直しになった。 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。 「 彼が 私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った 」 さて、イエスは 群衆が自分の回りにいるのをご覧になると、向こう岸に行くための 用意をお命じになった。 そこに、ひとりの律法学者が来てこう言った。 「 先生、私はあなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります 」 すると、イエスは彼に言われた。 「 狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません 」 また、別のひとりの弟子がイエスにこう言った。 「 主よ、まず行って、私の父を葬ることを許してください 」 ところが、イエスは 彼に言われた。 「 わたしについて来なさい。死人たちに 彼らの中の死人たちを葬らせなさい 」 イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。 すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは 眠っておられた。 弟子たちは イエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。 「 主よ、助けてください。私たちはおぼれそうです 」 イエスは言われた。「 なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ 」 それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。 人々は驚いてこう言った。 「 風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう 」 それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり 墓から出て来て、イエスに出会った。 彼らは ひどく狂暴で、だれも その道を通れないほどであった。 すると、見よ、彼らはわめいて言った。「 神の子よ、いったい 私たちに何をしよう というのです。まだその時ではないのに、もう 私たちを苦しめに来られたのですか 」 ところで、そこからずっと離れた所に、たくさんの豚の群れが飼ってあった。 それで、悪霊どもはイエスに願ってこう言った。 「もし 私たちを追い出そうとされるのでしたら、どうか豚の群れの中にやってください 」 イエスは 彼らに「 行け 」と言われた。 すると、彼らは 出て行って 豚に入った。 すると、見よ、その群れ全体が どっと崖から湖へ駆け降りて行って、水に溺れて死んだ。 飼っていた者たちは 逃げ出して 町に行き、悪霊につかれた人たちのことなどを 残らず知らせた。 すると、見よ、町中の者がイエスに会いに出て来た。そして、イエスに会うと、 どうか この地方を立ち去ってくださいと願った。 |
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(12) 35 復活 ルナンは クリストの復活を見たのを マグダレナのマリアの想像力の為にした。 想像力の為に、―― しかし 彼女の想像力に飛躍を与へたものは クリストである。 彼女の子供を失つた母は 度たび彼の復活を ―― 彼の何かに生まれ変つたのを見てゐる。 彼は 或は 大名になつたり、或は 池の上の鴨になつたり、或は 又蓮華(レンゲ)になつたり した。 けれども クリストは マリアの外にも 死後の彼自身を示してゐる。 この事実は クリストを愛した人々の どの位多かつたかを現すものであらう。 彼は 三日の後に復活した。 が、肉体を失つた彼の 世界中を動かすには 更に長い年月を 必要とした。 その為に 最も力のあつたのは クリストの天才を全身に感じたジヤアナリストの パウロである。 クリストを十字架にかけた彼等は 何世紀かの流れ去るのにつれ、シエクスピイア の復活を認めるやうに クリストの復活を認め出した。 が、死後のクリストも 流転を閲(ケミ) したことは 確かである。 あらゆるものを支配する流行は やはりクリストも支配して行つた。 クララの愛したクリストは パスカルの尊んだクリストではない。 が、クリストの復活した後、 犬たちの 彼を偶像とすることは、 ―― その又 クリストの名のもとに横暴を振ふことは 変らなかつた。 クリストの後に生れたクリストたちの 彼の敵になつたのは この為である。 しかし 彼等も同じやうに ダマスカスへ向ふ途(ミチ)の上に 必ず彼等の敵の中に聖霊を 見ずにはゐられなかつた。 「 サウロよ、サウロよ、何の為に わたしを苦しめるのか? 棘(トゲ)のある鞭(ムチ)を 蹴ることは 決して手易(タヤス)いものではない。 」 我々は 唯 茫々(バウバウ)とした人生の中に佇(タタズ)んでゐる。 我々に 平和を与へる ものは 眠りの外にある訣(ワケ)はない。 あらゆる自然主義者は 外科医のやうに残酷に この事実を解剖してゐる。 しかし 聖霊の 子供たちは いつもかう云ふ人生の上に 何か美しいものを残して行つた。 何か「 永遠に超(コ)えようとするもの 」を。 ※ パウロの回心 使徒行伝 9章&22章 さて、サウロは なおも主の弟子たちを脅迫し 殺そうと意気込んで、大祭司のところ へ行き、 ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。 それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに 連行するためであった。 ところが、サウロが旅をして ダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が 彼の周りを照らした。 サウロは地に倒れ、「 サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか 」と 呼びかける声を聞いた。 「 主よ、あなたは どなたですか 」と言うと、答えがあった。 「 わたしは、あなたが迫害しているイエスである。 起きて 町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。 」 同行していた人たちは 声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず 立っていた。 サウロは 地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。 人々は 彼の手を引いて ダマスコに連れて行った。 サウロは 三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。 ところで、ダマスコに アナニアという弟子がいた。 幻の中で 主が「アナニア」と呼びかけると、アナニアは「 主よ、ここにおります 」 と言った。 すると、主は言われた。「 立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家 にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。 アナニアという人が入って来て 自分の上に手を置き、元どおり目が見えるように してくれるのを、幻で見たのだ。 」 しかし、アナニアは答えた。 「 主よ、わたしは、その人が エルサレムで、あなたの聖なる者たちに対して どんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。 ここでも、御名を呼び求める人を すべて捕らえるため、祭司長たちから権限を 受けています。 」 すると、主は言われた。 「 行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らに わたしの名を伝える ために、わたしが選んだ器である。 わたしの名のために どんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは 彼に示そう。」 そこで、アナニアは出かけて行って ユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。 「 兄弟サウル、あなたが ここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、 あなたが 元どおり 目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、 わたしを お遣わしになったのです。 」 すると、たちまち 目から うろこのようなものが落ち、サウロは 元どおり見える ようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、 食事をして元気を取り戻した。 サウロは 数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、
すぐ あちこちの会堂で、「 この人こそ神の子である 」と、イエスのことを宣べ伝えた。 これを聞いた人々は 皆、非常に驚いて言った。 「 あれは、エルサレムで この名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。 また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行する ためではなかったか。 」 しかし、サウロは ますます力を得て、イエスが メシアであることを論証し、 ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。 |
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(11) 33 ピエタ クリストの母、年をとつたマリアは クリストの死骸の前に歎いてゐる。―― かう云ふ図 のPita と呼ばれるのは 必しも感傷主義的と言ふことは出来ない。唯ピエタを描かうとする画家 たちは マリア一人だけを描かなければならぬ。 http://www.k-moto.net/book32/archives/2009_08_27_02.jpg(ミケランジェロ作 1498 - 1500 大理石、サン・ピエトロ大聖堂) ※ ギュスターヴ・モロー (1876年頃) 34 クリストの友だち クリストは 十二人の弟子たちを持つてゐた。が、一人も友だちは持たずにゐた。 若し 一人でも持つてゐたとすれば、それは アリマタヤのヨセフである。 「 日暮るる時 尊き議員なるアリマタヤのヨセフと云へる者来れり。この人は 神の国を 望めるものなり。彼 はばからず ピラトに往きて イエスの屍(シカバネ)を乞(ネガ)ひたり。」 ―― マタイよりも古いと伝へられるマルコは 彼のクリストの伝記の中にかう云ふ意味の深い 一節を残した。この一節は クリストの弟子たちを「 これに従ひ つかへしものどもなり 」 と云ふ言葉と全然趣を異にしてゐる。 ヨセフは 恐らくは クリストよりも 更に世間智に富んだクリストだつたであらう。彼は 「 はばからずピラトに往き イエスの屍を乞 」つたことは クリストに対する彼の同情の どの位深かつたかを示してゐる。 教養を積んだ議員のヨセフは この時には 率直そのもの だつた。後代は ピラトやユダよりも はるかに彼には冷淡である。しかし 彼は 十二人の 弟子たちよりも 或は 彼を知つてゐたであらう。 ヨハネの首を皿にのせたものは 残酷にも美しいサロメである。が、クリストは 命を終つた後、 彼を葬る人々のうちに アリマタヤのヨセフを数へてゐた。 彼は そこに ヨハネよりも まだしも幸福を見出してゐる。 ヨセフも亦 議員にならなかつたとしたらば、―― それは あらゆる「 若し………ならば 」のやうに 畢竟(ヒツキヤウ) 問はないでも善いことかも知れない。 けれども 彼は 無花果の下や象嵌(ザウガン)をした杯(サカズキ)の前に 時々 彼の友だちの クリストを思ひ出してゐたことであらう。 ※ マルコ 15章 夜が明けるとすぐに、祭司長たちをはじめ、長老、律法学者たちと、全議会とは協議を こらしたすえ、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した。 ピラトは イエスに尋ねた。「 あなたは、ユダヤ人の王ですか。 」 イエスは 答えて言われた。「 そのとおりです。 」 そこで、祭司長たちは イエスをきびしく訴えた。 ピラトは もう一度 イエスに尋ねて言った。「 何も答えないのですか。見なさい。 彼らは あんなにまで あなたを訴えているのです。 」 それでも、イエスは 何もお答えにならなかった。それには ピラトも驚いた。 ところで ピラトは、その祭りには、人々の願う囚人を 一人だけ赦免するのを例と していた。 たまたま、バラバという者がいて、暴動のとき 人殺しをした暴徒たちといっしょに 牢にはいっていた。 それで、群衆は進んで行って、いつものようにしてもらうことを、ピラトに要求し始めた。 そこで ピラトは、彼らに答えて「 このユダヤ人の王を釈放してくれというのか。」 と言った。 ピラトは、祭司長たちが、妬みからイエスを引渡したことに気づいていたからである。 しかし、祭司長たちは群衆を扇動して、むしろ バラバを釈放してもらいたいと言わせた。 そこで、ピラトは もう一度答えて 「 では いったい、あなたがたがユダヤ人の王と 呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか 」と言った。 すると 彼らは またも「 十字架につけろ 」と叫んだ。 だが、ピラトは 彼らに「 あの人がどんな悪いことをしたというのか 」と言った。 しかし、彼らは ますます激しく「 十字架につけろ 」と叫んだ。 それで、ピラトは 群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスを むち打って後、十字架につけるようにと引き渡した。 兵士たちは イエスを、邸宅 すなわち総督官邸の中に連れて行き、全部隊を呼び集めた。 そして イエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、 それから、「 ユダヤ人の王さま。ばんざい。 」と叫んで あいさつをし始めた。 また、葦の棒でイエスの頭をたたいたり、つばきをかけたり、ひざまずいて拝んだり していた。 彼らは イエスを嘲弄したあげく、その紫の衣を脱がせて もとの着物をイエスに着せた。 それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。 そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て 来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。 そして、彼らは イエスをゴルゴタの場所(「どくろ」の場所の意)へ連れて行った。 そして 彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスは お飲み にならなかった。 それから、彼らは、イエスを十字架につけた。そして、だれが何を取るかをくじ引きで 決めたうえで、イエスの着物を分けた。 彼らが イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。 イエスの罪状書きには、「 ユダヤ人の王 」と書いてあった。 また 彼らは、イエスとともに ふたりの強盗を、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架 につけた。 〔 異本 :こうして 『この人は罪人とともに数えられた』とある聖書が実現したの である 〕 道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。 「 おお、神殿を打ちこわして 三日で建てる人よ。 十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。 」 また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって 言った。「 他人は救ったが、自分は救えない。 キリスト、イスラエルの王さま。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、 それを見たら信じるから。 」 また、イエスといっしょに 十字架につけられた者たちも イエスをののしった。 さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。 そして、三時に、イエスは大声で、「 エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。 」と 叫ばれた。それは訳すと 「 わが神 わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか 」という意味である。 そばに立っていた幾人かが、これを聞いて「 そら、エリヤを呼んでいる 」と言った。 すると、ひとりが走って行って、海綿に酸いぶどう酒を含ませ、それを葦の棒につけて、 イエスに飲ませようとしながら言った。 「 エリヤがやって来て、彼を降ろすかどうか、私たちは見ることにしよう。 」 それから、イエスは 大声をあげて 息を引き取られた。 神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。 イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、 「 この方は まことに神の子であった 」と言った。 また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。その中に マグダラのマリヤと、小ヤコブ とヨセの母マリヤと、またサロメもいた。 イエスがガリラヤにおられたとき、いつも つき従って仕えていた女たちである。 このほかにも、イエスといっしょにエルサレムに上って来た女たちがたくさんいた。 すっかり夕方になった。その日は 備えの日、すなわち安息日の前日であったので、 アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトの所に行き、イエスのからだの下げ渡しを 願った。ヨセフは 有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。 ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いて、百人隊長を呼び出し、イエスがすでに 死んでしまったかどうかを問いただした。 そして、百人隊長からそうと確かめてから、イエスのからだをヨセフに与えた。 そこで、ヨセフは 亜麻布を買い、イエスを取り降ろしてその亜麻布に包み、岩を掘って 造った墓に納めた。墓の入口には 石をころがしかけておいた。 マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスの納められる所をよく見ていた。 |




