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ラクナウの市街地を進むと、道路は 人々、自転車の引く力車、バイク・車があふれ、所々に 牛がたむろしていました。 これらを縫うように 我々を乗せた専用バスは 巧みに進みます。 まもなく シュラーバスティに向かう高速道路に出ましたが、そこにも 牛が歩いており、力車が 走っていました。 道路は、建設中で 所々 サンダル をはいた人夫たちが働いています。 今日の目的地 シュラーバスティ まで 約170kmを( 日本では せいぜい3時間ですが ) 5時間で走破したのは、バスの馬力がなかったのではなく、実に 震度4の地震の中を5時間 我々は揺れていたような道路事情のためでした。 インドでは 自動車は クラクション を鳴らすことが義務付けられており、クラクション を鳴らしながら 人や車や動物たちをかすめて 走っていくのでした。 道路で目に付いた動物は、牛・猿・犬。 インドでは、猿は その交通事故死が ニュース になるそうです。 日本に住む添乗員パンディさんの奥さんは インド人ですが、猿が 日本の 都会に出て その大とり物が ニュースになるのに 驚かれたほど、インドの人々にとって、 猿は 大切にされている身近な動物です。 ヒンドゥー の神に 孫悟空の元になったとされる 猿の姿の ハヌマーン があるほどです。 途中の風景は、まことに印象的でした。 インドは 今 初春で、行けども行けども 菜の花の黄色い畑が続き、その間の緑の所は 小麦 が植わっていました。又、背の高い 穂を出したサトウキビが あちこちに植えられていました。 ( ひっくり返るのではないかと思われるほど 砂糖キビを積んだ トラック に よく出逢いました ) 道路脇には、温暖化対策だということで、どこも ユーカリ( 樹皮は 紙の原料になります ) が、政府の政策で 植えられつつありました。 ラクナウから 6日目(1/31)に ビハ―ル州に入るまで、山というものを見ませんでした。 ずっと平地で、ところどころに インド特有の木が 1本また数本と生えていて、道路から 見える 人の住む家といえば、UT州では 道路沿いに貼りついたように並ぶ 細い曲がった柱 の 背が低い茅葺きの 牛小屋かと思える 小さな家だけです。皆 牛を飼っていたからです。 ( 干してある洗濯物で やっと これが家だとわかるほど 粗末なもので、 家具というもの を見なかったのです。 ) ただ、道路沿いには こうした家とともに、人が入れる 大きな犬小屋のような 足つきの箱の 中で 菓子や小物を売る店や、果物やピーナツなどを売る露店が 延々と続いていました。 人々は その箱の中や露店で 蜘蛛が獲物を待つように、寝たり坐ったりして きめの細かい 砂を被りながら じっとしている光景が、黄色い菜の花畑を背景に ずっと続くのです。 旅行に出る前に、かってインドに旅したことのある人からの注意書きが 送られて きました。 その中に 「 マスク 」というのがありました。 私は てっきり インフルエンザの感染防止のためかと思い込んでいましたが、後で聞くと これは この地の 細かい砂ほこり防止のためだと分りました( インド は 今 乾季なのです )。 私は マスク を持参していましたが、結局 旅行中 使いませんでした。これは、この間 バスの室内の密閉が 向上したためなのかもしれません。 しかし、それでも マスク を している人も 何人かいました。 埃っぽい道路は 絶え間なく 車 や バイク や 自転車が走り、電線が 低く張られていました。 十数年前にも インドを訪問した人の話では、当時と違う所は 電気と 手漕ぎの水汲みポンプ、 そして モータリゼーションだそうです。 しかし、とにかく UP州は 道路に人が溢れています。 @ 世界各国の人口順位で見ても ウッタル・プラデーシュ州だけで世界6位に入り、 インド国内総人口の約1/6の人口を占める 1憶9000万人(2006)。 これは 日本の総人口の約 1.5 倍、中国最多の人口の河南省の約 1.9 倍、 アメリカ最多の人口のカリフォルニア州の約 5.2 倍に相当すると言います。 男は 白い民族服よりは 西洋風の現代服を着た人が多く、女は 畑仕事の時も サリーを 身につけていました。しかし、時折 皮 ジャンバー を着て バイク に乗ったり 自動車を運転する女性 にも 出くわしました。 また、この日は 平日でしたが、少年や少女を よく見かけました。 パンディさんに、 「 彼らは 学校には行かないんですか? 」と聞くと、「 学校はありますが、家の仕事を させるために、親は 子供を学校にやらないのです。 」とのこと。 しかし、チョットした町中に入った時 「 あれを見て下さい。 彼らは 学校に通っているのです。 」 と 教えてくれました。 見ると、目の覚めるような色の綺麗な制服姿の少女や少年たちが、 本を抱えながら 列を作って 学校から帰宅していました。 制服は 民族服ではなく 西欧風の ものでした。 @ 沿道には 所々 人々が集まる町がありました。 こうした所の近くは レンガ造りの家 や店が多くあります。 ただ、町といっても 昔のごく田舎の市(イチ)といった感じです。 レンガを焼く 先が細い円筒形の構造物が、沿線には よく見られましたが、未だ 一般の 庶民には、特に UP州では、レンガは 高根の花のようでした。 途中の休憩所〜 人通りが 少し途絶えた所に車を止めて 用は畑の中で済まします 〜で、 日本の歴史にも詳しいパンディさんに、 この田舎風景は まさに 日本で言えば、縄文時代ですね! ( と、その道路沿いの粗末な 茅葺の小さな家の インパクト が強くて言いましたが、畑には 麦が植わっていることを思って ) いや、江戸時代以前の日本の田舎の家も まだ このようでした。 私のインドの第一印象は、現代( 自動車や トラック や バイク、そして電気など 近代的もの ) を 古代が呑み込んでいる といった感じがします。 と言いました。 過去に インド に来たことのある ツアーの一人は、この間の この地の変りように、現代文明 に呑み込まれつつあるインドを 強く感じたようでしたが・・・。 |
インド仏蹟紀行
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1月27日( 第2日目 ) 9:00 デリーから 約1時間の フライト で ラクナウ着くや、 2月2日までの 1週間 お世話になる 専用バスに乗り込み、 いよいよ本格的な仏蹟回りが始まりました。 まず、目指すのは ラクナウ から約 170 Km、祇園精舎のある シュラバスティです。 シュラバスティは、仏典では「 舎衛城(シャエイジョウ) 」と言われており、 釈尊在世当時 十六大国の一、コ−サラ国の都だった所です。 @ 祇園精舎 コーサラ 国 シュラバスティー(舎衛城)の富豪・スダッタ(須達多)は、ある時 マガダ国 に赴き、竹林精舎で 釈尊の説法を聞くと 深く敬信の心を生じ、釈尊に 舎衛城への遊化に来てほしいと請い、さらに そのために精舎を建立する願を 立てました。 舎衛城に精舎に適当な地を探して、ついに祇陀( ジェータ )太子が 所有していた林苑を見つけ、ジェータ太子に譲ってほしいと頼みました。 すると、太子は 冗談に「 その土地を金貨で敷き詰めたら 譲ってやろう 」と 言ったところ、スダッタが 本当に 金貨を敷き詰め始めたため、太子は驚いて その土地を彼に譲り、さらに 自らも樹木を寄付して 寺院建設を援助しました。 このことから、この僧園は ジェータ太子と給孤独者スダッタ両者の名を冠して 「 祇樹給孤独園( ギジュギッコドクオン ) 」と呼ばれます。 ※ スダッタは、よく 孤独(=身寄りのない)な貧者に食物などを施した ので、「 給孤独(anathapindada) 」とも呼ばれた。 ※ ジェータ太子: コーサラ国 波斯匿( ハシノク:プラセーナジット )王の王子、 釈迦族を滅ぼした毘瑠璃と兄弟 空港を出ると、添乗員バンディさんは この ウッタル・プラデシュ 州の首相(州の最高実力者) マーヤーワティー(大衆社会党 BSP の党首)の顔写真が 市のあちこちに掲げてある ことに、我々の注意を向けさせました。そして、市のど真ん中の 広大な敷地に建設中の 彫像群を入れた塀の傍を通る時、 これは、貧しい人々からの税金で 彼女が建設させています。この彫像群の中には インドの英雄だけでなく 彼女自身の像も作らせており、この件で 訴訟も起されて いますが、彼女の公金濫用は やむ気配もない。この世で 一番の悪党は 政治家です。 と言って、我々を驚かせました。 マーヤ―ワティの肖像写真は、この州にいる間 いたるところで見られました。 @ BSP[バフジャン・サマージ・パールティー]) カースト制度の下で厳しく差別されてきたダリット( 元不可触民。現在のインド では 指定 カースト と呼称される )の解放運動で、1978年 カーンシー・ラームら によって創設された 全インド後進少数コミュニティ被雇用者連盟(BAMCEF)及び 1982年創設された被抑圧者社会闘争委員会(DS-4)の運動を踏まえて、 1984年に結党。 又 ダリット解放の父・インド憲法の起草者、アンベードカル・インド 初代法務大臣 と、彼を創始とするインド新仏教運動の影響も強い。 現在の党首は ウッタル・プラデーシュ 州首相を務めるマーヤーワティー・ナイナー・クマーリー、 地域的な主な地盤は ウッタル・プラデーシュ州(以後UP州)だが、他州にも勢力を 広げつつあり、選挙委員会には「全国政党」として登録されている。 ※ 新生マヤワティUP州政権が直面している課題は? 2007 7月 ダリット通信 マヤワティよ、カンシ・ラムの使命の原点にただちに立ち戻れ! 2009 10月 同上 ※ インド初の女性議長が誕生、ダリット出身のクマル氏 2009 6月 |
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この度 ご縁を頂いて、1 月 26日〜 2 月 5日 正味 10日間、総勢16人のツアーで釈尊の 遺蹟を回ってきました。 今 旅から帰って、当地での印象が いまだ薄れないうちに 感じた事どもを記録しておき たいと思い、新たに この書庫を作りました。 1月26日 11:15 ツアー参加者16人が 全員集合。 インド人添乗員バンディさんに この時 始めて会う。 13:15 関西空港を エアーインディア AI315 で出発。 約4時間半後 夕暮れの香港に着。 ここで 1時間半ほど機内で待機した後に 18:00 香港を飛び立ち、インドシナ 半島の上空 闇の空を一路 デリーへ。 すでに日付が変わろうとする時間ですが、空港内は 人も多く 煌々と明かりに 包まれていました。 入国審査の後、 関西空港で テロ対策のためタバコのマッチを没収されて いたため、半日もガマンしていたタバコを吸おうにも 吸うことができません。 スーツケースを受け取った後、空港で待機していた 現地人ガイド・メイラさんに このことを訴えると、マッチとともに現地インドのタバコを箱ごと渡して、 ‘ どうぞ、吸って下さい ’という流暢な日本語が返ってきました。 ‘ 現地のタバコは 口に合うかな? ’と 少々不安でしたが、吸ってみると 案外 口に合います。 少し後ろめたい気もしましたが、ツアーのタバコ吸い 数名にも分けて、私は 立て続けに2本吸いました。 @ タバコの名柄は GOLD FLAKE、38 ルピーで、箱には 英語で Tabcco causes cancer と書かれていました。 特別に タバコの吸い場所が設定されているわけではありませんでしたが、 ゴミ捨て箱のそばで吸っていると、現地の人が 火を貸してくれと近づいて きました。そこで 始めて‘ ここで吸っていいんだな ’と安心しました。 タバコを吸い終わると、現地ガイド・メイラさんにせかされて、専用バスに乗り 今夜の宿泊所ホテル・シャングリラへ。 日本時間では 午前3時過ぎ、ベッドに入る。 ( 以下の時間は 現地時間 ) 2月27日 5:00 モーニングコール 初日から いささかハードスケジュールです。 5:30 朝食 インド滞在中 宿泊のホテルでは 大抵がバイキング形式の食事でした。 そして、火を通していない生野菜に気をつければ、食事は 日本人の口に 大抵 合うもので、ツアーの皆も どこでもタラ腹食べていました。 ( マンゴー・スイカ・パイナップル・グレープフルーツ・バナナ・ザクロなどの果物は食べて可。 肉は 私の苦手な鶏肉がよく出ました。 ) 朝食後、専用バスでデリー空港へ。 8:05 インド国内線で ウッタル‐プラデシュ州の州都ラクノウへ。 @ ラクノウ: ガンジス川支流沿いにあり、金銀細工や繊維・印刷工業が盛ん。 ムガル帝国時代から繁栄し、イスラム建築の遺構が多く残る。 1857年 セポイの反乱の中心地の一 ※ 1853年 ペリー提督の東インド艦隊艦船4隻が浦賀沖に来航 |




