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チェルノブイリ
近代国民国家の犯罪的性格
周辺30km圏避難住民の外部被曝量の評価
今中哲二,小出裕章
京都大学原子炉実験所 1998年
(3)
ここでは,図3に示されているデータポイントのうち,表2に示した 4つの居住区
について 外部被曝量を計算する.
クラースノエ村は 図3で 最も空間線量率の大きかった村で, ボルシチェフカ村は
ルパンディン 論文で 典型的な急性放射線障害例が報告されている村である.
ウソフ村と チェルノブイリ市については,後に述べる リフタリョフらの論文においても
外部被曝が評価されており,われわれの評価と比較できる.
表2 30km圏内のいくつかの居住区での住民避難までの外部被曝量
1Ci/km2 =3.7×1010 ㏃/km2 =3.7×104 ㏃/m2=37K㏃/m2
100Ci/km2 =3.7×1012 ㏃/km2 =3.7×106 ㏃/m2=3700K ㏃/m2
いわき市、川俣町、飯館村など10市町村余の15歳以下の子供1080人の甲状腺被曝は、
生涯平均の推計で 12m㏜、最大 42m㏜。 30m㏜以上は 4人。(放医研)
〜チェルノブイリでは 子供を中心に 約6000人が甲状腺癌になった。避難民の甲状腺被曝の
平均は 490m㏜。 (国連)
地表汚染からの外部被曝
表2の第2列は,図3に示されている5月1日の各居住区の空間線量率である.
一方,図4の点線から,5月1日12時(約5.5日後)におけるセシウム137沈着量当り
の空間線量率は, 0.805 [(mR/h)/(Ci/km2)] である.
@ 0.805 mR/h = 7.06μ㏜/h
従って, 例えば クラースノエ村の セシウム 137沈着量は, 380÷0.805=470 Ci/km2
となる. @ 470 Ci/km2 = 470×37K㏃/m2 = 17,390K㏃/m2
表2の第3列は そうして求めた セシウム 137沈着量である.
第4列には,各居住区の避難実施日を示してある.放射能が沈着したのは 4月27日
12時と仮定しているので,その時刻から避難実施日の12時までの空間線量率を
積分して,各居住区の積算空間線量D(R,レントゲン)を求めた.
空間線量Dは 空気中を飛び交っているガンマ線の量(空気照射線量)を示している
が,その値から 人々の被曝量H(Sv,シーベルト)を求めるには いくつかの換算係数
を掛ける必要がある.ここでは 以下の式を用いた.
H = C3× C2 ×C1 ×D
それぞれの係数値は リフタリョフ論文に示されている値を そのまま採用した.
表2の第5列が地表に沈着した放射能による避難するまでの外部被曝量(シーベルト)
である.
放射能雲からの外部被曝
各居住区での空気中放射能濃度の測定値はまったくないが,ここでは,地表の
放射能汚染量から 各放射能の空気中放射能濃度を逆算して 放射能雲からの外部
被曝量を求める.
一般に,積算空気中濃度と地表汚染量との関係はつぎの式であらわされる.
(地表汚染密度,Ci/km2) = (沈着速度,m/s)×(積算空気中濃度,(Ci/m3)・s)
ここで,上記の式を書き換えると,
(積算空気中濃度) = (地表汚染密度)/(沈着速度)
となり,沈着速度が分かれば 積算空気中濃度を求めることができる.
一方,放射能雲からの外部被曝量は,
(放射能雲外部被曝,Sv)=0.61×(放射能雲被曝係数)×(積算空気中濃度)
で求められる. ここで, 0.61は 居住遮蔽係数で,放射能雲被曝係数の単位は,
Sv/[(Ci/m3)・s] である.沈着速度の値については,実際の値は不明であるが,
ここでは 米国ラスムッセン報告を参考に 以下の2つのケースを用いた.
また,放射能雲被曝係数についても,ラスムッセン報告の値を用いた.
放射能雲からの外部被曝の計算結果を 表2の第6列と第7列に示してある.
表の値から分かるように,放射能雲からの外部被曝は,地表汚染からの外部被曝
に比べ,ケース1で 約10%,ケース2で 約2%であり,それほど大きな寄与を示して
いない. そこで,ケース1とケース2の幾何平均の値を放射能雲からの外部被曝
とし,地表汚染からの外部被曝を加えて,合計外部被曝量とした (表2第8列).
5月1日の空間線量率が最大であった クラースノエ 村での合計外部被曝量は 0.32㏜
となった.外部被曝量の計算結果は,はじめに急性放射線障害の 「めやす被曝量」
とした 0.5㏜ には達していない. @ 0.32㏜=320m㏜ 0.5㏜=500m㏜
ただし,表2の外部被曝量は 各居住区の平均的な値を求めたものであり,個人々々
が受けた被曝量は,その平均値のまわりに ばらついているはずである.
居住区内での被曝量分布
各居住区内での個人の被曝分布を検討する上で,興味深いデータが同じく1986年
3月のEC/CISレポートに示されている. 図5は,30km圏南東部のパリシェフ村の
避難住民 335人について事故当時の行動のアンケート調査を実施し,それに基づいて
各個人の外部被曝の分布を評価したものである.図から明らかなように,個人被曝量の分布は,対数正規分布で きれいにあらわすことができる.
図5 パリシェフ村住民の外部被曝量分布
その対数正規分布のパラメータを計算し,95パーセンタイル被曝量(95%がその値
より小さく,残りの5%が大きい被曝量)を求めると 平均被曝量の2.85倍となった.
@ パリシェフ村の空間線量率:3mR/h = 26.3μ㏜/h
ここで,パリシェフ村の被曝量分布の形が 30km圏の他の村々にも適用できると
仮定すると,たとえば クラースノエ村の95パーセンタイル外部被曝量は,0.32× 2.85
=0.91 ㏜となる.つまり,クラースノエ村では 住民の5%に 0.91 ㏜以上の外部被曝
があったことになる.
表3は,ここで着目している居住区において,0.5㏜以上,及び 1㏜以上の外部被曝
があったと考えられる住民の割合である.
表3 外部被曝が 0.5シーベルトと1シーベルトを越えた住民の割合
障害のめやす被曝量である 0.5 ㏜を越えている.
事故当時のウソフ村の人口は 159人とされているので, 32人が 0.5 ㏜以上,
その内4人が 1㏜以上の外部被曝となる. ボルシチェフカ村(5月1日空間線量率
100mR/h)で 0.5 ㏜を越えた住民の割合は 0.5%である.
大雑把に判断するなら,図3の空間線量率で 100mR/hを越えている 11の居住区
では 急性放射線障害があり得たと考えてよいであろう. 各居住区の人口は不明で
あるが,われわれの評価結果から,30km圏全体では 少なくとも 数100人の住民
に 急性放射線障害があり得たといえるであろう.
(つづく)
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近代国民国家の犯罪的性格
周辺30km圏避難住民の外部被曝量の評価
今中哲二,小出裕章
京都大学原子炉実験所 1998年
(2)
5月1日の空間線量率データ
図3は 事故発生から5日後の1986年5月1日における,原発周辺30km圏内の
各居住区の空間線量率データである. GM管式測定器を用いて 地上1mで測定
された値である.原発北方6kmのクラースノエ村で最大値(380mR/h)が認められる.
自然放射線によるバックグランドは 通常0.01mR/h程度なので,クラースノエの値は
その 3万8000倍である. そこに 20分ほどいると,日本などの法令で定められて
いる一般住民の年間被曝限度(1m㏜)に達するといった,とんでもないほどの汚染
である.
@ 1R=8.77 m㏜ 0.01mR/h= 0.0877 μ㏜/h
10mR/h= 0.0877 m㏜/h =87.7μ㏜/h
380mR/h= 3.33 m㏜/h
※ 飯館村の放射能レベル「人住めない」 京大が衝撃データ発表 2011年4月15日
今中助教によると、同村南部の曲田地区で、毎時10μ㏜を超える放射線を確認
飯館村前田区、長谷川区長さんのスピーチ - Eisbergの日記 2011年11月27日
事故が起こってすぐ、私は原発がおかしい、何かが起こっているのではと強く
思いました。そして、新聞に三号機の爆発が発表された 3月14日、私は慌てて
村役場に飛んで行きました。「 原発はどうなっているのですか 」と問いただすと、
「 大変なことが起きている。空間放射線量が 40μ㏜を超えている 」という説明
を受けました。 驚いた私が部屋を出ようとすると、役場の人はこう言うのです。
「 誰にも言わないでくれ。村長に口止めされているんだ 」・・・
これは公式に発表された村の放射線量です。3月15日の午前6時20分の
ところを見て下さい。44.7μ㏜/時と書いてあります。 ジャーナリストから
知らせてもらった数値は 100μ㏜以上です。
マスコミの報道姿勢に疑問! 時事通信 3月16日
福島県庁付近(約60km): 16日午前、18〜20μ㏜/h
約20Km地点: 15日午後9時頃、195〜330μ㏜/h
( 0.195〜0.33m㏜/h )
@ ↓の図3 と 福島第1原発事故の汚染とを比べてみて下さい。
福島県庁は 黒色地帯、 20km地点は 桃色地帯にあたります。
30km圏全体では かなりのバラツキがあるものの,概して 原発の北方に大きな値
が認められる. プリピャチ市以外の30km圏住民が避難したのは 5月3日から6日
にかけてであるから,これらの居住区の住民は 1週間から10日ほど 図3のような
状況の中での生活を余儀なくさせられたことになる.
図3のようなデータが,事故直後から避難の日まで そろっていれば,毎日の値を
足し算することで だいたいの外部被曝量を見積もれるが,残念ながら,データが
発表されているのは 5月1日についてのみである.
図3 1986年5月1日におけるチェルノブイリ原発周辺30km圏の各居住区の空間線量率(mR/h)
居住区名は 別の資料で調べて今中が記入した.
元のデータは m Gy/h表示であるが mR/hへ換算した.
赤色: 0.8〜3.3m㏜/h、 桃色: 0.17〜0.7m㏜/h、 黒色: 8.77〜157.9μ㏜/h
福島県の周辺地図-Yahoo!ロコ
地図画面右上の「地図▽」を開いて、「情報を重ねる」欄の「放射線情報[災]」
に ✔を入れると、詳細な汚染地図になります。 空間線量率の変化データ
30km圏住民が被曝を受けたのは、事故から 10日間程度であるが,その間の
空間線量率の変化のしかたを計算できれば,図3に示したデータと組み合わせて,
各居住区での外部被曝量を計算できることになる.
図4は,原発北方ベラルーシ側のホイニキ地区の空間線量率の変化データで,
縦軸の値は セシウム137の沈着密度 (1Ci/km2) 当りの空間線量率(mR/h)で
表してある. ◆印が 測定データで, 2つの線(実線と点線)が われわれの計算値
である. 測定データが始っているのは 事故から5日目であり,それ以前の変化に
ついては計算に頼ることになる.
@ 1Ci(キュリー)=3.7×1010ベクレル(370億ベクレル)
1Ci/km2 =3.7×1010 ㏃/km2 =3.7×104 ㏃/m2
図4 セシウム137単位沈着量当りの空間線量率の変化
実線(計算値1)の方は,イズラエリらが報告している原発近傍での 各放射能の
沈着比と それぞれの放射能の空間線量率換算係数を用いて(表1),各放射能から
の地上1mでの空間線量率を計算し,それらの値を足し合わせて得られたもので
ある.図4から分かるように,30km周辺住民の被曝が問題になる事故から 10日目
までは,実線の値は 測定値よりも大きい.
そこで,ジルコニウム95 と バリウム140の沈着比を 表1の半分にして 空間線量率
の変化を計算したものが図4の点線(計算値2)である. 点線の方は 測定値の最初
の部分とよく一致しており,測定データのない事故後5日間の空間線量率の変化を
推測するのに有効と考えられる.
@ 福島県環境放射線モニタリング 小・中学校等実施結果(23.4.8更新)
事故から約1か月後の空間線量(地上1m)は、
浪江町: 津島小 23.0μ㏜、 飯館村: 草野小 14.0μ㏜、
福島市: 御山小 4.9μ㏜、渡利中 5.4μ㏜、渡利幼稚園 4.8μ㏜、
伊達市: 小国小 4.8μ㏜、松陽中 3.0μ㏜、富成幼稚園 3.2μ㏜、
川俣町: 伊達崎小・中 6.6μ㏜、 二本松市: 石井小 4.0μ㏜、
小浜中 4.2μ㏜、杉田幼稚園 4.0μ㏜、 郡山市: 薫小・郡山第一中
4.5μ㏜、 セントポール幼稚園 3.8μ㏜、・・・ などが目立ちます。
※ 約1.5キロにある除染後の山林 2012年02月11日
除染直前で毎時100μ㏜、除染後は 60μ㏜まで低下
表1 原発近傍に沈着した放射能の組成比 (セシウム137=1) と空間線量率換算係数
*: 他の核種の沈着比を参考にして今中が決めた値.
**: 換算係数は 今中らのグループが計算して求めた値.
外部被曝量の計算方法の結果
ここでは,地表に沈着した放射能からの外部被曝と大気中の放射能雲からの
外部被曝を計算する.
まず,以下の2つの仮定をおく.
A.各居住区での放射能の沈着は,4月27日12時に一度に起きたと仮定する.
B.各居住区の空間線量率の相対的な変化のしかたは,図4の点線と同じであった
とする.つまり沈着した各放射能の組成比は 30km圏内で同じであったと仮定する.
4月26日の最初の爆発に伴う放射能雲は 西から北西方向に流され,27から28日
にかけて 北から北東方向, 29日以降は 南向きに流されたとされている.30km
圏内全域で 一度に沈着が生じたとする仮定Aは 大胆ではあるが,図1で 最も
大きな値を示している原発北方の居住区については それほどまずい仮定ではない
であろう.
仮定Bも,もちろん厳密には成立しないが,急性放射線障害の有無を検討するという
本稿の目的の範囲では許される仮定であろう.
(つづく)
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チェルノブイリ
近代国民国家の犯罪的性格
周辺30km圏避難住民の外部被曝量の評価
今中哲二,小出裕章
京都大学原子炉実験所 1998年
(1)
はじめに
チェルノブイリ原発4号炉が爆発炎上したのは,1986年4月26日午前1時24分(モスクワ時間)の少し前であった.原発職員が住んでいるプリピャチ市(原発から3〜6km)
住民の避難が始まったのは,それから 約36時間後の4月27日午後2時であった.
1300台のバスを使って,住民4万5000人の避難が約3時間で完了したと言われて
いる.・・・
避難が始った頃のプリピャチ市内の空間線量率は,数100mR/h(ミリレントゲン/時)
まで上昇していたことがわかる.
@ 1R= 8.77 mGy= 8.77 m㏜ 100mR/h= 0.877 m㏜/h
一方,プリピャチ市以外の周辺住民の避難が決定されたのは,事故から1週間経
った 5月2日のことであった. まず 原発周辺10km圏の村落の避難が5月3日から
始った. さらに 周辺30km圏内の残りの村落の避難が行なわれ,5月6日には
ほぼ終了した. プリピャチ市民を含め,結局 13万5000人の住民が チェルノブイリ原発
周辺30km圏から避難した.
1986年8月に ソ連政府がIAEA(国際原子力機関)に提出した事故報告書に基づく
と,事故による被曝によって 急性の放射線障害が現われたのは203人で,その全員
が原発職員と消防士であった.そのうち 28人が3カ月以内に死亡,事故による死者
は,破壊された原子炉建屋に閉じ込められた1人,事故当日に火傷で死亡した1人,
他の原因による死者1人を加えて合計31人であった.
一方,周辺住民の間には 1件の急性放射線障害もなかったとされている.
周辺住民に1件の急性放射線障害もなかったという86年ソ連報告書の見解は,ソ連
の崩壊後もIAEA,WHOなどに受け継がれ 現在に至っている。
チェルノブイリ事故当時のソ連において最も大きな権力をもっていたのはソ連共産党で
ある.その中枢である共産党中央委員会政治局に,事故対策の基本方針を決める
ため「事故対策作業グループ」が設置された.
ソ連崩壊後の1992年4月,その事故対策作業グループの秘密議事録が暴露された. その議事録によると,チェルノブイリ周辺住民に多くの急性放射線障害があったこと
が,共産党中央へ報告されていた.
たとえば,1986年5月6日の議事録にはつぎのような記述がある.
「 病院収容者は 3454人に達する.うち入院治療中は2609人で 幼児471人を含む.
確かなデータによると 放射線障害は 367人でうち子供19人.34人が重症.モスクワ
第6病院では,179人が入院治療中で 幼児2人が含まれる 」
(詳しくは 本書の ヤロシンスカヤ論文参照,また秘密議事録中の被災者に関する記載は
本書最後の今中論文にまとめてある).
一方,ロシア科学アカデミー・社会学研究所のルパンディンは,チェルノブイリ原発に隣接
するベラルーシ・ゴメリ州のホイニキ地区において,1992年に 医師の面接や地区中央
病院のカルテの調査を独自に実施している.
その結果,残されていた事故当時の住民のカルテから 82件の放射線被曝例を
見出し,うち8件に急性放射線障害を確認している.ルパンディンは チェルノブイリ周辺
30km圏全体では 少なくとも1000件の急性障害があったであろうと述べている
(詳しくは 本書のルパンディン論文参照).
共産党秘密議事録の記載や ルパンディン報告は,周辺住民において急性放射線障害は 1件もなかったとする旧ソ連当局やIAEAなどの見解と全く反するものである.
本稿では,最近明らかになった事故直後の汚染データなどを用いて,30km圏から
避難した住民の外部被曝量評価を試みる.その結果を基に周辺住民において急性
放射線障害を引き起こす程の被曝があり得たかどうか を検討する.
急性放射線障害を生じる目安被曝量
「急性放射線障害」という言葉そのものに曖昧さが伴うので,どの程度の被曝で
急性放射線障害が起きると 一概に決めることはできない.
古くから,一度に 1㏜以上の全身被曝をうけると,しばらくして吐き気,嘔吐といった
急性障害の「前駆症状」が生じ,一方,0.25㏜以下では 急性障害は生じないと
されてきた. @ 0.25㏜=250m㏜
中川は,こうした「常識」は 広島・長崎原爆で観察された遠距離における急性障害例
を無視して得られた結論であり,放射線影響を過小に評価していると批判している.
ICRP(国際放射線防護委員会)によると,感受性が大きいのは生殖細胞で,男性
の場合 0.15 ㏜の被曝で 精子数の顕著な減少が観察される.
又 造血器官に関連して,0.5 ㏜の骨髄被曝で造血機能に低下が生じるとしている.
どのような症状に着目するかで,急性放射線障害が生じる被曝量は変わってくるし,
又 被曝線量率や全身被曝か部分被曝か といった被曝の受け方も関係するであろ
う.さらに,年齢や健康状態といった個人の感受性によっても変わってくる.
ここでは,ICRPの見解を参考に,0.5㏜の外部被曝量をもって,急性放射線障害
があり得たかどうかの 「めやす被曝量」としておく.
@ 0.5㏜=500m㏜
事故直後のデータ
事故直後の チェルノブイリ原発周辺の放射能汚染状況について,86年ソ連報告書に
図1(欠)のような 断片的なデータが含まれていたものの,原発周辺全体の汚染状況
を評価できるようなものはなかった.
86年ソ連報告書は,それまでの秘密主義に比べ,西側専門家が驚くほど大部な
ものであったが,当時のソ連では チェルノブイリ 事故に関する情報は 基本的に秘密
事項であった. 図2は 事故に関する情報の機密体制を強化するよう指令したソ連
政府の通達である.
図2 チェルノブイリ事故に関する情報の機密体制強化を指令するソ連政府
の通達
ヤロシンスカヤからの情報を基に今中が作成.
ソ連の消滅によって,機密体制そのものはなくなったが,事故当時に 重要な立場
にあった人々の多くが 今も健在である. こうした状況は,事故当時に発表された
データはもちろんのこと,その後のデータについても,データの“質”に対して 十分に
注意を払う必要があることを示唆している.
事故から10年を経た 1996年3月, EU(ヨーロッパ委員会)と CIS3カ国 (ベラルーシ,
ウクライナ,ロシア)の共同研究の報告会が ミンスクで開催された.
その共同研究レポート の中に,事故直後の興味深いデータが幾つか発表されている。
ここでは それらのデータに基づいて 外部被曝量評価を試みる.
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次の3つのことを主張していきたいと思います。
1 内部被曝に関した情報の規制が存在し、市民の内部被曝に対する警戒心が なくなっています。
2 首都圏にもホットスポットが存在し、実際の健康被害も出現しています。 3 内部被曝を軽視した政策、食品基準 と がれき処理が実行されているという事 です。
1と2を 布施が、3を 中山が説明させていただきます。 1. 正確な情報を流さないマスメディアと政府の 「あんぜんである」 という情報
で、内部被曝についての関心を持ちにくくなっています。
事故当時から 今に至るまでッ政府からは 安全であるとの主張のみであり、
テレビ新聞からは 詳しい情報は得られていません。
政府が発表する被害の数値、汚染の数値などは、 海外等の第三者機関が発表する数値とは 食い違うものばかりで 数値が、過少になっているとしか思えない状況です。 日本の多くの医師は 内部被曝に無関心であり 沈黙しています。 日本の甲状腺学会などの各医学会なども その通りです。 日本の医師たちは 内部被曝についての学習を受けておらず 内部被曝に関する関心を持ちにくくなっています。 それで、内部被曝についてですが、
内部被曝は吸入と食物からの経口摂取による放射能物質の蓄積です。 ECRRなどは @ ECRR(欧州放射線リスク委員会)2010年勧告
内部被曝のリスクは外部被曝のリスクの200倍から600倍と言っています。 内部被曝による被害は癌などの悪性疾患に限らず、 免疫不全や血管障害など様々な疾患に悪影響を与えます。 しかし 日本政府は内部被曝と、それによる健康被害を低く評価しています。 2. 健康被害については、
倦怠感、下痢、鼻血、喉の違和感、胸痛、湿疹等の症状を 多くの人に認めます。
吾々は 今後 子どもの甲状腺癌や白血病。
大人の癌、癌以外にも循環器疾患、糖尿病、消化器疾患などの病気が増えてくる のではないかと思っています。
次は 日本全体放射性セシウムの土壌汚染マップです。
関東から 東北を拡大したものです。 関東地方には ホットスポットが散在しています。 ホットスポットは気候条件、風や雨などによって形成される島状に出現する放射能 高濃度汚染地帯です。
それでも ここは避難区域ではありません。
現在 実際の土壌の計測は 12メガ㏃/㎡以上です。 @ 12メガ=12×106=12000k
ここで人々は普通に生活をしています。 これも 政府が過小に数値を公表している一つの証拠です。
そして、この事実は 日本のマスコミでは報道されておりません。 3. 日本政府は 被曝を軽視して 内部被曝を認めようとしません。 それを 示す二つの事があります。
一つは、 この食品安全基準 もう一つは、 汚染瓦礫の処理です ○ 新しい食品安全基準は、 お米を含む一般食品が 100㏃/kg
水と牛乳に関しては 10㏃/kg と 50㏃/kg です。 そこで、ベラルーシの基準を見てみます。
水は 同じですが、 主食のパンについては ベラルーシが 40㏃に対して、
日本は 100㏃です。 そして、
乳児用の牛乳は ベラルーシが 37㏃/kgに対して、日本は 50㏃/kgです。
ICRPの体内蓄積のグラフを見ますと
もし 1日に10 ㏃/kgの食品を食べ続けたら、600日で1400 ㏃/kg 身体に残留します。
ユーリ・バンダジェフスキー先生の論文では、 1400㏃の体内残留は 約半数に心電図に異常がでるレベルである と述べています。
ですので、我々は この基準は 不十分と考えています。
○ 次は がれきについて 日本政府は 、がれき約50億ポンド。 可能であれば それを燃やして、燃やせなければ それを埋立てようとしています。 ( 島田市の例を出して )
ガスになった放射性物質は 約32%は 大気中に拡散することになります。
日本政府は 福島原発事故を再現させようとしています。
放射性物質は 世界中に拡散していきます。 そして 出てきた灰を 海洋へ埋め立てようとしています。 甚大な海洋汚染につながります。 全く 理解できない行為です。 原発事故による被害は その国だけにとどまらず 世界中に 拡散してしまいます。
以上の経験を踏まえて 世界の安全安心のために 我々が 提案することは 3つあります。
1. 原発、放射線にかかわる情報には 透明性が必要である事。
2. 内部被曝に注目、 診断技術や病態解明に力を注いで 周知させる事。 3. 原発事故は 世界規模の災害となるため 世界全体で縮小するべきもの であること。
以上です。 ありがとうございました。 ウラジーミル・P・マツコ,*今中哲二
ウクライナにおける法的取り組み オレグ・ナスビット,*今中哲二
ベラルーシの現行基準 http://t.co/RlrblDcU
1992年10月21日 ベラルーシ国家衛生総監が承認した共和国許容レベル(RAL-92)
※ ベラルーシ
1990年7月27日に独立宣言(主権宣言)を行い、1991年8月25日に独立が
承認された。 同年の12月8日
ウクライナのレオニード・クラフチュク、ベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチ
締結された。 9月15日 国名が白ロシアから正式にベラルーシ共和国となった。
1991年 12月25日 ゴルバチョフ、ソ連大統領辞任
26日 ソビエト連邦 崩壊
※ 「チェルノブイリ原発事故被災者に対する社会的保護について」 1991年2月22日上程
修正・追加の上 1991年12月11日採択 注。 ベラルーシの基準は、キュリーを単位としています。
1キュリー(Ci)=3.7×1010ベクレル (370億ベクレル)
1μCi = 10-6×3.7×1010㏃ =37000㏃、
1 p Ci=10-12×3.7×1010㏃=0.037㏃
→ 飲料水 18.5㏃= 0.037㏃×500=500pCi 20120520 【東京講演会】
「チェルノブイリ法」への道のり-その成果と課題
ロシア・チェルノブイリ同盟の副代表アレクサンドル・ヴェリキン氏
チェルノブイリ事故後、5年の歳月を経て制定された「チェルノブイリ法」。
追加放射線量年1ミリシーベルト以上の地域が「避難権利ゾーン」として認められ、
在留者、避難者 双方に支援を行う、先進的な内容でした。
・・・・ 今国会で原発被災者の支援のための法律が審議されていますが、「避難の権利」を 確立し、実効性の高い具体的な支援策を一刻も早く実現させるためにも、チェルノブイリ法から 学びながら議論を深めます。
◆アレクサンドル・ヴェリキン氏略歴 1953年レニングラード生まれ、レニングラード工業大学卒業。1986年チェルノブイリ原発事故処理のため召集され、作業に従事。1990年ソ連邦チェルノブイリ同盟大 会へ代表団員として参加し、その後、同盟の幹部として、「チェルノブイリ 法」の制定に貢献。作業労働者、原発事故の被害者の権利を擁護するために活動。 「勇敢」勲章、「サンクトペテル ブルグ300年」メダル、功労賞を受賞。 土壌汚染(Cs137) K㏃/㎡ 追加的被曝量 m㏜/年
特別規制ゾーン 1480以上 ー
移住の義務ゾーン 555以上 5 以上
移住の権利地域 185〜555 1 〜5
徹底的な 37〜185 0.5〜1
モニタリングゾーン(特恵的社会ステータス付居住地域)
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