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この三界道は、顛倒(テンドウ)の世界である。 何をしても 何を言っても 何を思っても、みな顛倒なのである。 法性(ホッショウ)に依らず、したがって 二諦に順ゼざるが故である。 誰か人のため、社会or国家のため、人類のため ――― と言いつつ、あるいは 為しつつ、そして 思いつつ、 それは 貫徹せず、中途半端で終わる。 誰もかれも そうである。 熱悩衰変の世界である。 衆生を 本当には摂し得ず、 衆生に 真の利益(リヤク)を もたらし得ない。 やること、言うこと、思うこと、みな 虚偽である。 こういう処に、私はあるのです。 しかし、このことが徹底して分るには、 勝過三界道の世界が 現前していなくては、どうにもならない。 観彼世界相 勝過三界道 究竟如虚空 広大無辺際 ――― 真実功徳の 本願の世界である。 我々(私)にとって 真に重大な事は、 この「 彼の世界 」に 背を向けて、世間に目を奪われている自己が転回されて、 この 三界を勝過した世界に 眼を開かれることである。 これを外した 仏教の話や行は、 いかに高遠の理を語ろうと 厳しい修行をしようと、 すべて 無意義である。 閑人の手すさびである。 仏法は、個人の救いではない。 発心(ホッシン)するとは、「 自己の救いに発心する 」というのでは、不十分である。 今可発心 当度苦悩衆生 今 発心すべし まさに苦悩の衆生を度(ド)すべし ( 龍樹【十住毘婆沙論】 ) 「 度衆生 」ということが抜けては、片手落ちである。 なむあみだぶつ 合掌
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無題
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『 弥陀の本願を 本当に いただいた者は、 |
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なむあみだぶつ |
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昨日、「 白鳥座X-1 」さんから ゲストブックに 次のようなメッセージを頂いた。 |
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菩提心を発して、仏道修行している者は、だれか? 法蔵菩薩である。 私においては、その間 妄念妄想のうちに 動いていたのである。 その言動や、 主観のなかに 埋没して、のたうちまわっていたのだ。 だれが、このような私の言を 信用しようか! ――― 私は、何か 大きな間違いをしています。 仏法は、他人に 主張するものではなく、 わが身の上に、それを聞くべきものである。 このことが 曖昧のままに、仏法を云々している。 このナマ温かい独善! 真の客観性のない 妄雲 重畳たる この主観。 この対極が、「 真実清浄 」というものであろう。 こういう私が、世界を荘厳すれば どうなるか? ――― この問いに ハッキリと答えられないのは、 正道の大慈悲は 出世の善根より生ず (浄土論) という天親の一句を いい加減に聞いているからである。 奇妙なことだ! 何故 私は 願心荘厳の世界が 分からないのであろうか? 私は 聖者ではない。 ただの そこらじゅうにいる初老の男に過ぎない。 しかし、私は 恣意で動いてよいであろうか? たとえ、そういう自分であっても、それは 肯定されるであろうか? 誰も、これを 肯定も否定もしない。 ただ、いっそう 如来の大悲を 呼び起すのだ。 合掌
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