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2005年(平17年)7月からはじめた 当ブログは、すでに10年を超え、
その記事の内容も 多岐にわたり過ぎました。
本来は、仏教に関するブログでしたが、
この間、さまざまなこと、特に 福島第一原発事故が起こり、
当ブログは、原発ブログの観を呈してしまいました。
そこで、初心に戻って、
仏教に関する記事に、重心を移したいと考え、
新たにブログ「jyo*****」を開きました。
第一稿は、「大乗仏教興起について」です。
こちらの方も、立ち寄って下されば、幸いです。
合掌
追って。
第二稿、「六道輪廻」 2016/10/20(木)
第三稿、「運命の共同」 2016/11/03(木)
第四稿、「悪人」 2016/11/08(火)
第五稿、「弥陀の浄土」 2016/11/14(月)
第六稿、「私の存在意義とは?」 2016/11/29(火)
第七稿、「”共にあろう”とすること」 2016/12/01(木)
第八稿、「自障障他」 2016/12/04(日)
第九稿、「他を利するとは?」 2016/12/07(水)
第十稿、「経道滅尽(きょうどうめつじん)」 2016/12/19(月)
2017年
第一稿、「生き恥」 2017/01/08(日)
第二稿、「依存と自立」 2017/01/23(月)
第三稿、「生きている価値」 2017/02/06(月)
第四稿、「刹那と持続」 2017/02/16(木)
第五稿、「人間存在の欠陥」 2017/02/25(土)
第六稿、「魔窟」 2017/03/01(水)
第七稿、「理想国家とは」 2017/03/08(水)
第八稿、「人生空過」 2017/04/05(水)
第九稿、「手を離す」 2017/04/22(土)
第十稿、「小室直樹 - 「日本教」」 2017/05/13(土) YouTube
第十一稿、「必ず大般涅槃をさとる」 2017/05/23(火)
第十二稿、「存在理由の喪失or欠落」 2017/06/22(木)
第十三稿、「尊敬」 2017/07/17(月)
第十四稿、「原爆〜何の罪もない者が・・・」 2017/08/07(月)
2019年8月29日
https://ameblo.jp/kyomutekisonzairon/ で、すこし書いています。
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先師のことば
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『 念願は人格を決定す 継続は力なり 』
この言葉の出処は知りませんが、
恩師( 住岡夜晃 )の持言でありました。
私は 一体、 この一句を いかに領解(りょうげ)すべきでありましょう。
本願とは何か?
誰が起す心なのか?
人格とは 一体 どういうものか?
何故に 念願が人格を決定することができるのであろうか?
継続とは 一体 何を継続するのか?
それが 何故 力であるのか?
私には 尊いお言葉と聞かせて頂くより
疑問ばかりが起きて、
師語を そのまま高座の前で 絶呼する勇気どころか、
疑問百出である。
私が 私の 偽らない心に聞いてみる時、
私の念願は 人前に出せそうもない、碌でなしの欲望ばかりであり、
その人格は 鬼か蛇か
鼻もちならぬ あさましい相しか持ち合わせておりません。
また、一貫するものは 本能の欲求以外には、
何一つ価値あるものを見出すことはできません。
三不三信の教として浄土論註の み教え
や 安楽集の釈文を聞く時、
おぼろげながらも 知らせて頂けるようであります。
――― 花田保太
※ 三不三信の教 ( 『浄土論註』〜曇鸞(どんらん)〜 )
「 称名憶念することあれども、
無明 なお存して 所願を満てざる者は 如何となれば、
実の如く修行せざると、名義と相応せざるとによるが故なり。
いかんが 実の如く修行せず、名義と相応せざると為(な)すや。
謂(いわ)く、如来は これ実相身なり、 これ為物身なり と知らざればなり。
また、三種の不相応あり。
一には、信心 淳(あつ)からず。 存せるがごとく 亡せるがごときが故に。
二には、信心 一ならず。 決定(けつじょう)なきが故に。
三には、信心 相続せず。 余念 間(へだ)つるが故に。
この三句 展転(てんでん)して 相成ず。
信心 淳からざるをもっての故に、決定なし。
決定なきが故に、念 相続せず。
また、いうべし。
念 相続せざるが故に、決定の信を得ず。
決定の信を得ざるが故に、心 淳からず、と。
これと相違せるを 如実修行相応と名づく。 」
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「 生死の苦海ほとりなし 」 |




