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その時、大迦葉-kasyouは、
「 我らは、今日 仏から 直接 教えをお聞きして、躍り上がるほど歓喜し、
未だかって経験したこともなかったものを得ました。
仏は、仰っいました。< 声聞syoumonは、まさに仏になることができる。>と。
かくして、この上ない宝の集まり(無上宝聚)は、
思いもかけず、わが身に得られました。
譬えば、・・・・・・」と言って、上の喩えを、歌にして重ねて述べながら、この喩えの意味を語ります。
「 私が 小さなものを楽hegaっていることをお知りになって、
仏さまは、未だかって、“君たちは 仏に作naるのだ”と説かれることがありませんでした。
むしろ 我らを、“無漏muroを得て小乗を成就する声聞弟子だ”と仰っていたのです。
仏さまは、“ 最上道を修習syuzyouせよ。成仏は、間違いない。 ”と教勅したまう。
私は、仏さまの教を承けて、さまざまな因縁や譬喩などをもって 無上道を大菩薩のために説き、
彼らは、その法を聞いて、昼夜思惟し、精勤syougonに修習syuzyouしました(聞思修)。
この時、諸仏は 仏子たちに記を授けて、“ 君たちは、必ず、来世に仏と作るのだ。”と仰いました。
一切の諸仏の 秘められた法は、ただ菩薩のためのみに その実makotoの事を演noべられて、
私のためには、その真の要を説かれませんでした。
それは ちょうど、かの窮子guuziが、せっかく その父に近づいて その宝物を取扱うようになっても、
それらを わが物としようと悕negaう心がなかったように、
我らは、仏の法蔵を説いても、自らは それを志願することがなかったのです。
我らは、自らの煩悩を滅することで 十分だと謂omoって、
他に為すべき事があるとは知りませんでした。
たとえ、仏国土を浄めて 衆生を教化kyoukeするという 菩薩bosatuの仕事を聞いても、
まったく、喜びを覚えませんでした。
我らは、思っていたのです。“ 一切のもの(法)は、みな 悉く空寂で、
生ずることも 滅することも無く、大きいものも 小さいものも無く、無漏・無為である。”と。
それ故に、菩薩の仕事に 何の喜びも覚えませんでした。
この長い暗黒の夜の間、仏の智慧をわが身に得ようという志願は無く、
これが、究極のものだと謂omoっていたのです。
すなわち 我らは、長い無明の夜に 空法を修習syuzyuuして 三界の苦悩の患いを免れ得て、
もはや迷いの生に逆戻りしない 有余涅槃uyo/nehanに住したのですが、
これを、すでに 仏の教化の恩に報いたものとなしていたのでした。
我らは、多くの仏子に 菩薩の法を説いて 求道させましたが、自らは これを求めはしなかったのです。
仏さまは、このような わが心を観じられて、我らをそのままにしておかれたのです。
それは、あの富んだ長者が、わが子の志が劣っているのを知って、
方便の力をもって、窮子の心を 柔らかにし伏せしめて、その後 全財宝を付与したようなものです。
仏さまは、希有の事を為したまうのです。
小さなものを楽う者だと知って、方便の力をもって わが心を調伏し、おもむろに大智を教えられました。
(つづく)
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