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卑しい思いに 支配された言動である。
此岸の 小心翼々たる このさまよ、 哀れ!
あぁ 私は 余りに多くの望みを持っている。
その多くは 些細なものなのだが ・・・。
そして その一つ一つは 断念することもできはするが、
こうした望み それ自体を 断念することは、命を奪われると同じことに 感ずるのだ。
やがて来る 死というものは、しかし そういうものなのであるが、
奇妙なことに、 私は いつまでも こうした望みを持ち続けられるつもりでいる。
一つの幻想世界に 呼吸しているのである。
生の一回性は、 かくして その希有性を取り戻すべくもなく、
曖昧のうちに 消失する。 わが命を 無意味なものとする。
今の瞬間を、永遠の今 と為し得ない わがテイタラク。
多くの些細な望みが 茨の林の如く 繁った場所に、 迷い込んでいるのである。
この者、哀れ! この者は 自らの本当の願いを知らない。
自らに願いがあることが 分らないままに、ただ 訳もなく 事々に苦悩している。
自らの存在が 完結したものではなく、様々な遺漏あることを 日々 感じ、
それに堪えているのではあるが、こうした自己全体に目覚めることは ついぞ無いのである。
奇妙なる存在である! まことに 私は 奇妙なる者である。
信念なくして 信念を語り、 時を把握することなくして 時を使い、
生きることなくして 生きようとする。
この此岸のさまを、 顛倒(てんどう)といい 虚偽という。
「 およそ 事を断じて 行わんとする。
一切を捨ててかからずして できることではない。」(先師)
この世の事ですら そうである。
まして この世(此岸)のすべてを 抜こうとする時、
やがて壊滅する この身心を愛惜し、
わずかでも これを保とうとして、様々に 慮ることの 不釣合いさ!
あぁ 多くの欲望よ! その生々しさよ!
貪欲(とんよく)と言い 瞋恚(しんに)と言い さらに愚痴と、これを言う。
このもののうちに、のめり込んでいるのだ。
正義の御旗を立てようにも、
忽ち これを呑込み 焼き尽くして 跡を止めない。
なむあみだぶつ 哀れむべし、このわが身よ!
如来大悲ましますことを 知らざる この者よ!
釈迦が出られたということは、
それが 時代も処も 遠いものであるけれども、
「 応現娑婆 度有縁( 娑婆に応現して 有縁を度したまう )」(善導:法事讃)
すなわち、すでに かの地で 私の問題を 問題とされていたのだ、ということなのである。
合掌
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