混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

死者は何処へいったか?

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「 私たちは、腹の立った時、何もしてはなりません。

  何も言ってはなりません。
 
  ただ、強く 自ら忍ばねばなりません。・・・・」


と、 先師は すでに 青年の時、このことを知っていた。



もし、私が この言葉を知っており、このことを十分に尊敬していたならば、

今日の私はなかったでしょう。 

私の人生も ずいぶん違ったものとなっていたでしょう。



   今までに 多くの事に敗れてきたという経験が 私の手足を縛って、

   足を 一歩 踏み出すことを躊躇させているのだ。

   み仏から見れば、‘ 何とも不甲斐ない 情けない奴 ’ となっているのです。

   何とも だらしない者 となっているのでしょう。 役立たず者と・・・・。

   ―――― 事は、結局 この胸三寸にあります。




人と人とは、決して その思想を同じくできません。

どんな優秀な人間どおしでも、

どんなに 同じ事に 長年取り組んできた者どおしでも、

或は 同じ師をもち、 或は 同じ教えに順ずる者たちでも・・・・。



同じ大地を踏み 同じ天空を仰ぐ 我らは、

この自然の恩恵のなかで、互いに別々の思想を懐idaきます。

それらは、まさに どれも管見kankenに過ぎないものです。



そうした者どうしが 共同して事を為すのは、その思想の故ではありません。

それは、利害であり 名聞myoumonであり 習慣であり、その他つかみ所のない感情の故です。

―――― 私は、この苦悩の娑婆にある。 我らの、み仏さま、現実であります。



それ故に、親鸞は歌います。


   如来の作願saganをたずぬれば     

   苦悩の有情をすてずして
  
   回向ekouを首syuとしたまいて       

   大悲心をば成就せり   

と。




                                      合掌

対話とは何か?(19)

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‘ これはこうだ ’、‘ これが正しい ’ という 私の判断は、

どれもこれも 主観であり、偏頗henpaなものであろう。

それは、無明煩悩のなかでの 判断であるからです。


たとえ、‘ それは 間違っているであろう ’と他者の上に、それを見たところで、

やはり、その見方は 一面的であることを免れないでしょう。

この娑婆の住人たる私の、これが限界であろう。


私の判断は、それが 如何に 客観的で よく考えられたものであろうと、

やはり、そのもの自体を その全体において 認識したものではありません。

それは 偏ったものであり、 私の見えていない膨大な世界が 背後に横たわっています。



他人に、自分を理解してもらおうとし、

自己を主張し、わが考えを押し付けるのが、対話ではない。

賛同者を得ることが、対話の目的ではない。


この世で、そんなことをして何になるか?

他人が、私を理解するなどということは、あり得ないことであろう。

そのような非現実的なことを求めるのは、愚かであり 無明の営みです。


我らは みな、誰にも 他者の理解を期待できない 痛切な孤独を 生きているのである。

そもそも、親が 子のことを分っているだろうか?

子が、親のことを分っているだろうか?


妻が 夫のことを、 夫が 妻のことを・・・・・・・?

また より根本的には、自分が 自分のことを 分っているだろうか?

まことに、私の現実は このようです。 絶対的な 寂莫のなかに あるのです。



なむあみだぶつ




                             合掌

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常(常なるもの)・楽(楽しみ)・我(堅固なもの)・浄(清浄なるもの)

―――― これらは、よくよく考えてみると、 相対・有限の この世界では、

ある得べからざることである。 信じがたいことである。



しかし 日常生活において、私は これらを 有るものとして、何の疑いも無く 過ごしています。

太陽が 東から出て 西に沈み、 この大地は 堅固で 崩れることなどない、

というようなことは 疑うべからざることとして、今日を 過ごしています。


また、風呂に入り 歯磨きをし 洗濯をした衣服をまとい、 部屋は 清掃ができており、

清潔な身なりで 汚れやゴミもなく 虫もいない部屋に居ると 思い込んで 安心しています。

身の回りが ‘ いつ 壊するかもしれない ’とか、‘ 汚穢にまみれている ’とは、思わないのです。


今日食べる豚肉が、血を抜かれ 首を刎られ 胸を引割れて 吊り下げられた屠殺場から来たものであることや、

糞尿・汚物に満ちた下水道は 地下に埋められ、 種々の廃棄物は 我々の目に触れない所に 遠ざけられ、


本来 蛆や微生物のためにある 我らの死体は、 焼却場で 忽ちのうちに キレイな骨片や灰となり、

その鼻をつく死臭や 腐りゆくさまは、 地上から 消えて無くなっています。



この市民社会の表の顔は、女性の化粧した顔のように 常楽我浄あることを 信じさせるが如く営まれています。

しかし、この社会の裏の顔に よくよく目を凝らして見ると、

そこに、表の顔とは まったく違った世界が広がっていることに、私は 慄然とします。



この大地も 我々の衣食住も、 生き物たちの死骸で 出来ているのであり、

私は 彼らの死骸に埋り、それらを利用して 生活しているのです。


そして あろうことか、この死骸と 今現に生きているものたちを、

己の欲望の為に 如何に上手に 利用し尽くすか、ということが、文化的生活であると 信じて疑わないのです。


常楽我浄を ここに作り出す こうした 我々 市民社会の営み 

―――― 我々人類が この現世で 今日繰り広げる業は、 実に 恐るべきものがあります。





                                     合掌 




   ** 
    ‘ なぜ、殺人は イケナイのか? ’ という若者たちの問いに 答えられない大人が 沢山居ます。
    彼らは、こうした自分に慌てて ‘ イケナイ ’理由を さまざまに 見つけようとしました。

     しかし、どうでしょうか?  十分に 答えられた人がいるでしょうか?

     私は 思います。 この問いに答えられない理由を むしろ考えた方が 生産的ではないか? と。

    それは、今日の市民社会の有り方 それ自体に、
    我々に、この問いに 十分な答えをせしめない原因が あるのではないか? と・・・。


   **
     この科学技術文明or市場経済体制が、‘ 人類滅亡までつづく ’ と、 誰が信じさせたのでしょうか?

    常なるもの・堅固なものは 何一つなく、 楽なるものは 続かず、 清浄なることは 虚偽にすぎません。
    いつまでも続くと思われた 冷戦の時代も、科学的イデオロギーの権化であった ソ連も、崩壊しました。
  
     我々は、その状況(体制)のなかに 居る限り、その状況の全体を俯瞰することはできません。
    しかし、その中にある個々人の意識と行動が、やがて飽和点に達して 状況全体を劇的に変化させるという
    ことは、 歴史の上には よくあることです。


     我々は、‘ この世に 常楽我浄を実現できる ’ という幻想を振りまく 煽動者・誘惑者の言に
    耳を傾けることなく、 あり得べからざる希望に 幻滅して、 事実に即した ものの見方・考え方をし、
    この地上に許された 我々の着実な生き方を 早く取り戻さねばなりません。


     仏教は この常楽我浄への誤った我々の考え方を、「 四顛倒si/tendou 」と言って問題とします。
    
     参考:  http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/10095155.html
          http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/10164955.html


          

 
 

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当たり障りのない付き合いに 始終するしかないのか?


否、こうした生活意識を 引き裂いて、

< 弥陀の浄土の徳は、その聖衆の上 以外には あり得ない。>

と、言えなければならない。


このことを無視し 軽視して、個我の思いを募れば、

擯罰hin/batuを被koumuること、今日の如し。


いかに気に食わない者であろうと、弥陀の聖衆たるべきことを、

我gaの手足をもいで、合掌・頂礼すべきである。


見よ! 「一念多念証文」(親鸞)に曰く。

< 必ず 安楽浄土へいたれば、 弥陀如来と同じく 彼の正覚の華に化生kesyouして 

  大般涅槃のさとりを 開かしむるを むねとせしむべし となり。>



業にしたがって この娑婆に狂い回る我らも、

死ねば 浄土に迎え取られ、正覚の華に化生すべきこと、

痛焼の我らを 救いとらんとする 大悲本願の面目である。


しかし 第一義的には 私においてではなく、 これを 彼の人々において見るべきものであろう。

この世における 恨みつらみ・生死勤苦の業因縁の鉄鎖に繋がれて 死んだ人々、

終わりのよくなかった人々の上において、 これを言えねばならない。



‘ あの人は 恨みを残して死んだ ’とか、

‘ あんな奴は 浄土に往生できるか ’とか、

‘ あの人は 仏法の縁に遇わずに死んでしまった。可愛そうなことだ ’とか、


こうした世俗の思いのうちに起臥していては、

弥陀の浄土を 泥土に埋めるものである。



昨日は あの人、 今日は この人、 明日は わが身と、

雨滴が、木々の葉を したたり落ちるように逝く 人の世の有り様の中にあって、


ここに 一時の 我欲を募り、

人に 是非・利害・親疎・好悪をつけて 自縛する。



見よ! 大地は、清浄なるものも 汚染のものも、 みな 載せて 自己とする。

大空は、善人も 悪人も さまざま民族or国を 包み込んで、 何一つ拒むことはない。

時間は、生と死 禍と福 古と今 を呑み込んで 矛盾せしめない。


太陽と月の下にある この乾坤・この宇宙でさえも、 小さな 我らの慮りを越えているのだ。

まして、超日月光たる弥陀の 浄土は、

その超絶性、 如何ばかりのものであろうか!




                           合掌


          

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   本師源空明仏教    本師源空(法然)、仏教を明らかにして

   憐愍善悪凡夫人    善悪の凡夫人を 憐awaみ愍awaれんで

   真宗教証興片州    真宗の教と証とを 片州(日本)に興し

   選択本願弘悪世    選択本願を 悪世に弘めたまう

                                   「 正信念仏偈 」 親鸞



         *   *   *   *   *   *



太古以来  我らは、 この 東海の 粟散zokusan片州に 這いつくばうようにして 、

世代から世代へ 営々と 生死してきました。


    多くの 悲しみや 幾ばくかの ささやかな喜びや がありました。

    たくさんの 夢 や 挫折や がありました。


ひとの一生は、夢の如く あっという間に過ぎ去り、 

人々は、彼or彼女が居なかったかのように その存在を忘れ去って、日々の辛苦の中に 生きてきました。



春夏秋冬の 我らの営みは、 時代の変遷につれて 多少の形を変えながらも、

太古以来 大自然の営みと共に ありました。


大海の波濤は、何万年もの間、この列島の岸を 崩さんばかりに 打ち寄せ打ち返して来ましたが、

今日も 我らは、この大地の上に 生きています。


   時に 大地は震い 覆kutugaeり、 山は 火を噴き、 

   時に 海は 山のような津波となって 沿岸を洗い、


   度々 旱魃があり、 長雨が降って、 洪水は 堤を崩して溢れ出もしましたし、

   疫病もあり、兵火もありました。 


   その度に、 多くの人が死にました。

   多くの親は 子を失い、 多くの子らは その親を失って 孤児となりました。



しかもなお、我らは 今日 この粟散片州の大地の上に、

何も無かったかのように 生きています。


  子供らは、公園で 大声で叫びながら 駆け巡り、

  恋人たちは、河辺や 海辺で 寄り添いつつ 愛を語らい、


  電車の中では、仕事に疲れた男女が さまざまな思いを胸に沈めて ジット立っており、

  道路には、 獣の如く 何かに飢えた若者たちが、 爆音を立てて バイクを乗り回しており、


  老人ホームでは、能面のような顔が 車椅子にジットしており、

  病院では、今まで訪れたこともない見知らぬ女が カラ涙を流し 何やら喚きつつ ベッドに取り縋っている。


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                               合掌


    ** 粟散片州 : 日本列島のこと。
              大陸から粟awaをまき散らしたような島々からなる、片ほとりにある国。 


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