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「 私たちは、腹の立った時、何もしてはなりません。
何も言ってはなりません。
ただ、強く 自ら忍ばねばなりません。・・・・」
と、 先師は すでに 青年の時、このことを知っていた。
もし、私が この言葉を知っており、このことを十分に尊敬していたならば、
今日の私はなかったでしょう。
私の人生も ずいぶん違ったものとなっていたでしょう。
今までに 多くの事に敗れてきたという経験が 私の手足を縛って、
足を 一歩 踏み出すことを躊躇させているのだ。
み仏から見れば、‘ 何とも不甲斐ない 情けない奴 ’ となっているのです。
何とも だらしない者 となっているのでしょう。 役立たず者と・・・・。
―――― 事は、結局 この胸三寸にあります。
人と人とは、決して その思想を同じくできません。
どんな優秀な人間どおしでも、
どんなに 同じ事に 長年取り組んできた者どおしでも、
或は 同じ師をもち、 或は 同じ教えに順ずる者たちでも・・・・。
同じ大地を踏み 同じ天空を仰ぐ 我らは、
この自然の恩恵のなかで、互いに別々の思想を懐idaきます。
それらは、まさに どれも管見kankenに過ぎないものです。
そうした者どうしが 共同して事を為すのは、その思想の故ではありません。
それは、利害であり 名聞myoumonであり 習慣であり、その他つかみ所のない感情の故です。
―――― 私は、この苦悩の娑婆にある。 我らの、み仏さま、現実であります。
それ故に、親鸞は歌います。
如来の作願saganをたずぬれば
苦悩の有情をすてずして
回向ekouを首syuとしたまいて
大悲心をば成就せり
と。
合掌
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