混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

死者は何処へいったか?

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秋の気のなかで(5)

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 日常の中に 埋没している 私です。



 昨日のように今日があり、今日のように明日があるという

 朧げだが 鋼鉄のような 私の意識であり、


 種々の煩いを抱えて、それらに心が奪われている状態のなかで、

 思い込みの自分を押出して、名利に鼻面をつかまれており、


 濃厚な 私の色に染め上がった 主観のなかで、

 外からの様々な縁に 根拠もなく、私は 応対しています。



 そんな中で、時は 知らぬ間に過ぎていき、

 ふと気付くと、すでに 秋の気のなかに、一人 取り残されたような 自分を見出します。


 何十年と こうした秋を経てきた私が、いくぶん鈍くなった 日の光の中に 空ろに居ます。

 時を 自分のものとできず、時に 不本意に 私は流されています。



 死は、このような私にとって、はるか彼方の蜃気楼のようなものです。

 この 時の流れの 延長線上にあって、‘いつか来るもの’ でしかありません。


 死は 今の現実ではなく、

 何か おとぎ話のようなもの となっています。


 時を 自己の外の流れゆくものと感じられるのは、

 死が、このように 朧げであり、日常に 埋まっているということでしょう。



 死者は何処へいったか?


 私の死も かの人の死も 私の日常のなかに、埋没しているのでしょう。

 他でも無い、私が 自らの主観の中に、死者を 閉じ込めているのでしょう。




                                      合掌
 

 

 
 

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  死者は どこへ行ったか?

  ―――― この問いに対して、はっきりと、

  「 かの人は、浄土へ往った。 」

  と答えることができなければならない。


  ‘ 私は、死後、浄土へ往くか? 地獄に堕ちるか? ’

  と心配するのではない。

  かの人が、浄土に 往くのでなければ、

  私は 救われず、地獄に堕ちねばならないのであろう。


  浄土とは、何か?

  それは、衆生が、そこで はじめて悟りを開くことができる処。

  それは、衆生が、そこで はじめて他の衆生を助けることができるものとなる処。

  衆生が、そこで はじめて仏になることができる処。


  私以外のすべての人々が、アフリカの人々も、南北アメリカ諸国の人も、東アジアの諸国民も、

  南アジアの人々も、イスラームの諸国民も、欧州の人々も、ロシアの民も、

  また、地上のウイルスから、細菌をはじめ、虫たちやトカゲや蛇や、犬や猫や、牛豚馬羊鶏らに至るまで、

  あるいは、山川草木に至るまで、すべての衆生が、浄土に往かねばならない。


  親しい人 や 愛する人 や 仏を信ずる人だけが、そこへ往くのではない。

  私に疎遠な人 や 害を為す人 や 仏教を排斥する人が、そこへ往かなければ、浄土ではない。

  しかし、彼らが居る所には、自分は往きたくないと思うのか?

  なるほど、私の地獄行きは、すでに決まっている。



                             合掌


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人間久遠の迷執(3)

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義母の 延命治療をするか 否かを、 医者から 尋ねられたという。

脳の収縮が 進行しているという。


今朝、 新聞の書籍広告を見ていた 妻から、‘ 生きる目的とは なに? ’ と問い詰められる。

私は、口籠もって 答えられなかった。


これは、ショックだった。 

身 と 言葉 の乖離を 突きつけられたのだ。


‘ これでは ダメだ!’と、様々な言い訳をして 自己を偽ろうとする思いが 湧き上がる。

人の生の現実を 目の当りにして、私は それを受取りかね、陰鬱に 沈むほかないのである。


日頃の大言壮語は 雲散霧消する。

結局、幻想に酔って 自己満足していたのである。


み仏さま、 自己肯定を捨てて わが ありのまま を見なくてはなりません。



「 (念仏は) 濁れる心が、 如来の悲涙に 洗われて、 永遠に力強く 立ち上がったのだ。

  念仏によって、心の底に 泉が湧く。


  荒んだ目で 世間を見れば、世間も また荒んで見えよう。

  愛で潤るむ眼を通して、疲れ切った世間を見れば、何で 悲しまずに居られようぞ。」(先師)



ああ、この半端者よ!  荒んだ眼の者よ!

「 如来金剛のみ力は あなたのものでは ありませぬか?! 」と、若い先師は 仰る。



どうしたものか  どうしたものか ・・・

今を誤魔化して、事をやり過ごす。


‘ やれやれ、どうにか 誤魔化せた! ’ と、一息つくのであります。

哀れむべし、 恥ずべし。


先師は、これを 「 人間久遠の迷執 」 と仰る。 

徹頭徹尾 利害打算の心である。 



炎々と 燃え上って 天を焦がしている この巨大な幽霊屋敷 

―――― どんな真実の言葉も、忽ちのうちに 焼失してしまう。


この自分だけ、美味い汁を啜ろう よい境遇でありたい 救われよう という 功利心。

身を泥土に没した 悪い境遇の自分など、信じられず 受け入れられない という 盗人根性。


仏教さえも その犠牲に供しているのです。

「 生きる目的 」なぞは、さらに 問題としないのです。




                                    合掌

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なむあみだぶつ  この善人意識が、臆面もなく 今日を過ごす。

この鉄面皮よ!  狭量よ!

かくして 人生の表層を、 コロコロと 転がっていく。



「 汝は、世間に 不幸なる罪悪が 行われたとき、 冷たい眼で 見て通りはせぬか?

 ‘ 仕方のない奴らだ ’と 身の程を忘れて、さも善人らしく 冷やかに眺め下していないか?

 
  人間や自然との 激しい争闘に 疲れた人たちに、一番 欲しいものは、

  安らかな 憩いではないか? 安息ではないか? 」 (先師)



ああ、カラカラに乾いて ささくれ立った胸を抱いた 私もまた、

師の前で、その温かい 慈愛に 憩いたかったのではないか?



「 人は皆、 愛に輝く 人格の前で、心の底の泉を 掘り下げたいのだ。

  温かく 潤む心に なりたいのだ。

  愛に輝く人格は 火鉢hibatiである。 万人の火鉢である。」 (先師)



しかるに、‘ 求道、 求道 ’と言いつつも、 私は このことを わが上に認められなかった。



「 血みどろになって 斃れんとする兄弟たちに、人間苦に悩みたまう兄弟たちに、

  何で この上、修養が 説かれようぞ。 人は、修養では 救われぬ。

  理論に飽き 道理に中毒し 理想の破れた 兄弟たちに、何で 無味乾燥な哲理が 間に合おう。」(先師)



理想を実現しようとして、「 内から動く宿業の力に もろくも罪悪の奴となって、冷たい因果の鉄則の前に 」 

身動きとれない 状況に陥り、衆人の前に 哀れにも 恥を晒すのでした。


そして、何心もない人々は 侮りと嘲笑をもって、私を 追い詰め、

「 自暴自棄の酒によって 哀愁の涙を消そうとする 」 ほか ないのでした。



         「 来たりたまえよ、久遠のみ座に。 

           帰りたまえよ、心霊の故郷に。 大慈大悲の 親里へ。」(先師)



面子とプライドを保つのが よいのではない。 私に それは、かけがえのないように思われても、

如来真実の前には、それは 壊れるべきものであります。


しかるに 縁に触れ 事に出遇って、この面子とプライドを守る 張りつめた争闘に 血みどろとなり、

愚痴のうちに 日々を過ごし、慰めを知らず 帰る処を知りません。


そして、またぞろ 性懲りもなく、ここに 独善の墓穴を 掘るのであります。

なむあみだぶつ



         「 哀れな 疲れたる兄弟よ、来たりたまえよ 慈悲の園sonoに。

           阿弥陀仏こそ、御身onmiたちの 安息のみ胸よ。」 (先師)





                                 合掌

  

恩顧(1)

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かって 深く恩顧をこうむった人は、すでに無い。

かの人は、もう11年前に 私をこの世に残して 逝ってしまった。



かの人の 言葉や表情や仕草は どれも、私に対する その願いを語っていた。

5年・10年・20年・・・ と、雨の日も 風の日も また晴れた日々も、

身体が 不調の時も 休むことなく訪れて、私に 語りかけてくれていたのである。


今 私は 一人 ここに取り残され、かの人の庇護を失なっている。

かの日々、私は すっかり その温かい庇護の下に 安心して身を委ね、

自分の足腰で歩こうとは 思いもしなかったのだ。


しかし それでも、かの人は 願いをもって 自立を促しつつ、語りかけてくれていた。

深い恩顧を、私は こうむっていたのである。



そして、今 それら日々は 過去のものとなった。

かの人は もはや この世には居ないが、その深い願いから語られた 多くの言葉は、

いまだ どの1つも、私の内に 根を下してはいない。


かの人を 死者のなかに入れて、忘れるということは、

かの人の願いを 無にし 忘れ去るということである。

その 私に対する願いが、無かったことにするということである。


今日、かの人の願いは、私の上に 成就していない。

それは、多くの言葉となって 風とともに 天空をさ迷っている。





                                  合掌


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