混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

死者は何処へいったか?

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茫々 我ら現生人類40,000(4万)年の歴史を 顧みて、

文明時代の 過去4,000年を 憶え。


猿人以来の4,000,000(400万)年の歴史を 顧みて、

ホモ・サピエンス・サピエンス 40,000(4万)年の歴史を 憶え。


恐竜滅亡以来65,000,000(6500万)年の歴史を 顧みて、

100万年前に滅んだ 猿人400万年の営みを 憶え。


600,000,000(6億)年前 カンブリア爆発以来の地球の歴史を 顧みて、

新生代 65,000,000(6500万)年を 憶え。


地球4,500,000,000(45億)年を 顧みて、

まだ 地上は 植物のない不毛の大地だった 450,000,000(4億5000万)年前を 憶え。
( 植物が 地上に上陸するのは、やがて シルル紀に入って 3億5000万年前のことであるという )



宇宙15,000,000,000(150億)年の歴史を 顧みて、

地球 4,500,000,000( 45億)年の過去を 憶え。



そして 50億年後には、地球は 赤色巨星となった太陽に呑み込まれている。

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      150           100           50 45          6 0             50
       億

以上 越し方を顧み 未来を憶うとき、

高々100年の寿命を保つに過ぎない我らの

欲望を満足させる営みや、利害を求めて 血で血を洗う争いが、 

空しく思えはしないだろうか?



しかし、日常に帰るとき、

我々は またしても 性懲りもなく、 面前の名利を求めて 狂いまわるのである。

み仏さま、 このような科学的知見は この悲しく哀れな生き物(衆生)の 暴虐を鎮めるには、

まったく 何の役にも 立たないのです。



                                  合掌

ヒロシマ断章(39)

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「 我一人の救済は、万人の救済である。」(先師)



み仏さま、 此岸の私は 仏ならぬ「 生死の凡夫 」であります。

自他・男女・賢愚・親疎・好悪・苦楽・善悪・長短・内外 etc. の差別を、絶対視してはならないのは、

三宝に帰依する者の 生命であります。


大慈悲は 宇宙を貫いている。 ユダヤ人であろうが、ソマリア人であろうが、フランス人であろうが、

中国人であろうが、米国人であろうが、日本人であろうが、・・・・。

或は また、遠い 何億光年かかなたの惑星に住む 生き物であろうと。




偶然に生き残った 先師及び師は、 ヒロシマの惨禍を その眼で見た。

何千・何万という 肉の焼け爛れて助けを求め 水を求めて叫びうめく人々や 

川の流れを堰き止めるほどの 死骸を見た。

それから 25年。 師は、目の前に現れた 暗い顔の 目をギラギラさせた20歳の青年を ジット見た。


( その頃、ベトナムのジャングルでは、最新兵器を駆使した米軍と裸足のベトコンが 死闘を繰り広げていた。 
ニクソン米大統領は、1$=360円の固定レートを崩して 変動相場制の移行に手を付け、田中首相のブルドーザ政治が 始まろうとしていた。この間、米ソ両大国は 歯止めの効かない 核軍拡競争をしていたのである。)



                                               合掌



     ** 師の話しから

    「 私は 昭和20年8月6日、原爆が広島に落ちた日、広島の本部にいた。
    それから後、広島市内を 何回も行ったり来たりして、広島師範学校の学生と共に救護活動をしたのです。
    約20日間位いでした。 そうすると 8月の終り位に、私も 一緒に行った学生も、頭の毛がボロボロ抜け
    始めましてね、血便が出るようになった。 それで これではいかんと思って、僕は 一応そこで 解散して
    皆を帰しました。 私は しばらく残っていましたが、現在まで生き残っています。私の友達は かなり死に
    ました。 その現場で 死んだのではなく、後に 白血病その他を起して 死にました。

    私は まあ 今の所もう少し長生きしたいと思っていますが、私が 今まで生きているのは何故か よく分り
    ません。よく分りませんが、私は 酒が好きで大いに飲んだんです。 しかし、当時は 酒がなくて。私は
    化学の先生をしていましたから、アルコールを 沢山持っていた。何十缶と持っていた。配給がありまして
    ね。 それを調合するわけなんです。勿論 個人的にするのではない。あれは 一番純粋なのは 100%、
    その次に 99.8%、95% とある。それを 25%に薄めて、色々な物を入れるんです。そして味をつけて
    砂糖を少し入れて、杉の木を削って その中に入れて一週間位おく。そうしたらいいのが出来るんですよ。
    それを学校中に配って、私も学生も一緒に 飲むは 飲むは。 アルコールだけではない。その中に色々な
    ものを入れていますから、放射線を 随分吸収したと思う。

    一番恐いのは、ストロンチウム90です。あれは、脊髄に沈着しますからね。それを 入った途端飲むから
    沈着する暇がない。要するに新陳代謝、それで助かったなぁと思ってね。本当に化学の先生であることに
    感謝した。(笑)

    今は 生活の智慧を発揮して、一日に15種類以上の物を食べて、できるだけ薄め、できるだけ早く出す。
    ( この話しは、PCBなどが環境中に拡散し、食物連鎖を通じて濃縮されて 我々の口に入る事への対処
    を話題としている文脈のなかの一部です。)
    これが 乱世を生きるコツですよ。 いらん話しですが、体も大事にしないといけない。体を離れて仏法は
    ないですから。仏を 大医王というように、体のことを知っておかないといけない。・・・ 」と。




   ** 「 因縁についての断章 」 http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/9575358.html









     

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濁水奔乱 (38)

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   「 急に 雨が、篠sinoつくように 降りだしました。 風さえ加わって。

     支流の水は、急に 増しました。 

     家を流し、石垣を壊し、田を河原にし、大小の橋を 皆流してしまいました。


     清らかに湧き出る 井戸の水、それも 水であります。

     狂乱の河水も 水であります。

     真如法性の清水は 如来の み胸に湧き、 怒濤狂乱の濁水は 私の胸に 逆巻きます。


     あの河の水は、そのまま 海に注ぎます。

     けれども 海は、緑に澄んでいます。


      『 尽十方無碍ge光の

          大悲大願の海水に

          煩悩の衆流syuru 帰しぬれば

          智慧のうしおに 一味itimiなり 』( 親鸞 ―― 曇鸞和讃 )


     濁った支流は、大事を起しながら 太田川oota-となって、瀬戸の海に入ります。

     海は そのままを みんな自己としてしまいます。

     私の煩悩は 濁水逆巻く河であります。 如来は 大悲大願の海水であります。


     このまんま流れたとて このまんま流れたとて、澄みせる如来のうしおに 変わりはありません。

     このまんま このまんま、智慧のうしおに 一味とは、有難いではありませんか。

     今日の新聞に 有島武郎さんが、他処の奥さんの首を締めて 情死した話が出ていました。」(先師)





この世において、怨親に 引き裂かれた牢獄のような 私の生の状況は、

かのホップスが言うように、‘ 万人は 万人の敵 ’であります。

倶tomoに死後までも、姑と同じ墓に入るのを ‘ おぞましい ’ とする 嫁の心情は、切々たるものがあります。

< 倶会一処(くえいっしょ)> は 真宗の旗幟kisiではあるが、生身の者には 耐え難い。


有島武郎(1878〜1923)の‘ 心中 ’は、 

この世で 一処に添え得ない故の < 限りなく 奪う > 愛であったか?

しかし、彼らは 情死して、その奪いあった愛の空しさに 臍hozoを噛んだであろう。

        ( もはや 今日、こうした愛を歌い上げる閉塞した時代ではない。 
          今日のそれは、愛憎の感情が枯渇して アパシーに浸潤された ‘心中’である。)


このように、人間の感情は、この世でも あの世でも 解きほぐすことができない。 これを 娑婆という。

したがって、この世もあの世も 超えた世界が無くては、人は救われないのである。 これを 浄土という。


かの人の生も 如来の悲願に 直面していたし、 私の生も また 如来の悲願に 直面している。

私を愛し救う 如来を 私のためだけにあるように思うのは、如来の私物化・愛の独占であろう。

如来は、例えば 私が恨みに思う かの人の前にも 立ち現れたまう。


そこに 依姑贔屓なく、かの人にも 私にも その全体を現したもう。

私だけの如来と かの人だけの如来は、 同じ一つの如来である。

ここに、私は 真の共同性を 与えられるのであろう。



      『 尽十方無碍光の

          大悲大願の海水に

          煩悩の衆流 帰しぬれば

          智慧のうしおに 一味なり 』



                                     合掌


       
 

無常の世に (37)

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自然のうちで 悪い境遇や死に遇うのを、無常という。

人工物のうちで 悪い境遇や死に遇うのは、被害者意識となる。

‘ 誰の所為seiで こうなったのか?! ’と。

昔は 諦念と忍従、 今は 恨みと自己主張の時代。



 「 ・ ・ ・ ・ ・

   わが身の死を 目の前に見て泣く 病室の人。

   日毎に聞く 哀しき死によって、生まれて出る 地上の涙は、

   いつの世にとて 枯れようぞ。 」(先師)


病を得て 死を待つ人には、それが辛くとも 幾ばくかの時間が与えられる。

事故で死ぬ人には、それがない。 突然にやってきて 命根myou/konを奪われる。

坦々たる日常が 急に 絶たれるのである。


  「 ‘ 今日も 人の死ぬる日にて候 ’と。

   ( 乃至 )

   ああ、 何ぞ 決定ketuzyouせざる。 無常の世に。

   ああ、 何ぞ 決定して、死の解決をせざる。

   大死一番、 死を 往生に更kaえることによってのみ、死の解決がある。

   死は 輪廻の死で、 往生は 仏への誕生である。

   往生! 往生! ここに 人間 最後の解決がある。 」(同上)


病で 死のうと  事故で 死のうと、

わが身も 親も 子も 周りの人々も、

みんな みんな 百年も経たない間に 死を迎えて 居なくなる。

野辺の 石地蔵は 残っても、

生きたものは みな 消えていく。 子孫を残して or 残さず 消えていく。


  「 わが亡き後 名は残るとも 何になる。 わが亡き後 富は残るとも 何になる。

    わが亡き後 世の文明は進むとも われに 何の関係がある。

    無常の世に 常なるもの・末通りたるものの 見つからない間、

    ああ、 何を 目的に生きていく。

    人よ 人よ、 刻々と消えゆく無常に 覚めよ!  無常とは 一切万物の死である。

    無常を思うとき 魂は、すべての いい加減な 学問や事業や遊戯から 覚めて、

    深く 深く 何かを 探ろうとする。」(同上)



   「 宗教は 死の解決であります。

    ( 乃至 )

    信仰は 罪の救いであります。

    特に、親鸞の教えは、 祈らず 願わず 頼らず 懺悔せぬままを、

    (弥陀の)本願力一つによって、罪のままを 抱きとって 仏にしよう という宗教です。

    ( 乃至 )

    死をおそれ 宿業に泣き この世に飽き 無常に 魂の戦ononoき震える人

    ――――― その人のみ 信仰の門には 入れます。

    救われたい人 助けて欲しい人 人生の目的のわからぬ人 そうして その解決が欲しい人、

    その他の方は、 もっと行って 人生の本当を 見て来ねばなりません。」(同上)



荒々しく 名利myou/riに狂奔する粗野な 我執を 鎮sizuめて、

微妙mimyouなる法に、お粗末な わが身を感じるほどまでに、謙虚であれ。

世間では言う ―――― ‘ 汝は なんぼの もん(者)じゃ! ’と。


仏智疑惑の 我執の前には、 

「 何をもって行ったとて 何の 権威 や 慰めが あろう。」(同上)

どんな言葉も 世に尊敬される哲学も 撥haね返してしまう。

いかに 切々と説かれる道理も 歯が立たない。


これを 罪悪深重zin/zyuuの凡夫という。

なむあみだぶつ

なむあみだぶつ





                                                   合掌





    

    

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昔から 英雄や権勢者は、多くの人々の運命を翻弄してきた。

今日の科学・技術者も その発明や発見によって、企業家は それを利用することで、我々を弄んでいる。

――――― しかし、こういう考えは 被害者意識ではないだろうか? 

      客観的思考ではなくて、愚痴ではないだろうか?


所用で 飛行機に乗らざるを得ない者にとって、

その事故死は、他の誰彼の所為(せい)にしても 始まらない。

私は、自らの死を 自ら受取る以外に 術(すべ)はない。


    一切恐懼kuku 為作大安   ( 一切の恐れ懼osoれるものに 為tameに大安をなさん 〜 大経 )


とは、飛行機事故を 神通力で 回避させよう という願ではない。

死に対する 恐れや不安といった慮omonpakaりを 私から取り除こう という願であります。


    迂遠なる思考を止めよ! 

    胸の裡は どうあれ、 汝の頭蓋を 差し出すべし!


偶々 因縁熟さず、生命を失わず 生き長らえることができたにすぎない 私であります。

しかし この間、私の手には わが運命を左右する術subeは まったく無かったのです。

かの人工物と他者の手のうちに、それは 委ねられていたのでした。


この事態が 気に食わぬと言っても、どうにもなりません。


 「 決定ketuzyou 決定、死の問題を 決定せよ!

   死の問題に 明確なる答のない者に、何で徹底した人生があろうぞ。


   大死一番  死の問題を決定せよ!

   誠makotoに 死に直面したとき、日頃の大言壮語も 役に立たぬ。 頭に詰め込んだ知識も駄目。


   そもそも 死の問題に 明らかなる回答がないかぎり、

   今日一日の生活すら 何らの意義もないはずだ。


   真実を求める者よ! 全ての空想と理論とを排して、本当に 人生そのものを生活せんとする者よ!

   死は まぬかるべからざる事実である。

   
   浮世を三分五厘で 暮し得る浅薄者流は しばらく捨て置き、 真実の一道を 求むる者よ!

   死の事実に 明確なる答を得よ! 」(先師) と。

   



                                  合掌


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