混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

大乗起信論 4.

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]

云何薫習 起染法不断
所謂 以依真如法故 有無明 
以有無明染法因故 即薫習真如 以薫習故 則有妄心
以有妄心 即薫習無明 不了真如法故 不覚念起 現妄境界
以有妄境界染法縁故 即薫習妄心 
令其念著 造種々業 受於一切身心等苦
此妄境界薫習義・・・・、妄心薫習義・・・・、無明薫習義・・・・

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(よみかた)ーーー染法薫習 1.ーーーーーーーーーーーーーー
云何が 薫習、染法を起して断ぜざるや。いわゆる、真如の法に依るを以っての故に、無明あり。
無明染法の因あるを以っての故に 即ち 真如に薫習す。薫習するを以っての故に、則ち妄心あり。
妄心あるを以って 即ち無明に薫習す。真如の法を了せざるが故に、不覚の念 起こりて、妄境界を現ず。
妄境界染法の縁あるを以っての故に、即ち妄心に薫習し、其soをして念著し、種々の業を造りて、一切の身心等の苦を受けしむ。
この妄境界薫習の義・・・・、妄心薫習の義・・・・、無明薫習の義・・・・。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 義記は、
  「 自下は、第二に別釈の中に、二あり。 先に 染、後に 浄なり。 
  染の中に、また 二あり。 先に 略、後に 広なり。 汎oyoそ、薫習を論ずるに、二種あり。
  一に、習薫。 謂く、心体に薫じて 染浄等を成ず。 二に、資薫。 謂く、現行の心境および諸惑相aい資tasu
  くる等なり。
  初の中に、{ 依真如有無明 }とは、これ、能薫の法と所薫の法体とを挙ぐ。又 また、この中に但だ 能薫の
  無明を挙aぐべし。然sikaるに、必ず 真に依るが故に、本に約して 挙ぐるなり。
  { 以有無明 乃至 薫真如 }とは、謂く、根本無明薫習の義なり。
  { 以薫習故 妄心 }とは、無明 真如に薫動するに依りて、業識心あるなり。 この妄心 還りて無明に資薫
  して、その不了を増すを以って、其soをして転じて 転識及び現識を成ぜしむ。故に{ 不覚念起故現妄境界
  故 }と云うなり。 この境界 還りて心海を薫動して、諸の識浪を起こすを以って、かの境を縁念して、即ち
  事識を起すなり。 上の六粗の中に、初の二を 念と名づけ、中の二を 著と名づけ、後の二名は これに同
  じ。謂く、惑に依りて 業を造り、業に依りて 苦報を受く。」と。

         **業識・転識・現識・(分別)事識
                http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/16521713.html
                http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/17465703.html


(染法薫習の広釈)
此妄境界薫習義 則有二種 云何為二
一者 増長念薫習、 二者 増長取薫習
妄心薫習義 則二種 云何為二
一者 業識根本薫習 能受阿羅漢・辟支佛・一切菩薩生滅苦故
二者 増長分別事識薫習 能受凡夫業繋苦故
無明薫習義 有二種 云何為二
一者 根本薫習 以能成就業識義故
二者 所起見愛薫習 以能成就分別事識義故

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(よみかた)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この妄境界の薫習の義に、則ち二種あり。云何が二と為す。 一には、増長念薫習、二には、増長取薫習なり。
妄心薫習の義に、則ち二種あり。云何が二と為す。
一には、業識根本薫習なり。能く阿羅漢・辟支佛・一切菩薩をして、生滅の苦を受けしむるが故なり。
二には、増長分別事識薫習なり。能く凡夫をして、業繋の苦を受けしむるが故なり。
無明薫習の義に、二種あり。云何が二と為す。
一には、根本薫習なり。能く業識を成就する義を以っての故なり。
二には、所起見愛薫習なり。能く分別事識を成就する義なるを以っての故なり。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(妄境界薫習)
  義記は、
  「 先の、境界 妄心を薫動することを明かす。
  { 増長念 }とは、謂く、境界の力に由りて、事識の中の智相・相続相を増長する法執分別の念なり。
  { 増長取 }とは、事識の中の執取相・計名字相を増長す。謂く、人我見愛煩悩なり。」と。

         **智相・相続相・執取相・計名字相
                http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/15369889.html   

(妄心薫習)
  義記は、
  「{ 業識根本薫習 }とは、この業識 能く 住地の無明を資薫し、無相に迷いて、能く 転相・現相等を
  起して相続するを以って、かの三乗の人をして、三界を出て事識分段bundanの粗苦を離れしむと雖も、なお
  梨耶変易riya/hennnyakuの行苦gyoukuを受けしむ。 然るに、この細苦は、無始よりこのかた あり。
  ただ、細をとって粗に異なるが為の故に、すでに粗苦を離れるのとき 相の顕れる処に約して説くなり。
  { (増長分別)事識薫(習)}とは、この事識 能く 起時の無明に資薫するを以って、見愛の粗惑を起し、
  身口を発動して 種々の業を造り、凡夫に分段の苦を受けしむるなり。」と。

(無明薫習)
  義記は、
  「{ 根本薫習 }とは、謂く、根本不覚 真如に薫動して、業識等の諸識を成ず。ただ、今 初を挙ぐるが
  故に、業識と云うなり。
  { 所起見愛薫(習)}とは、謂く、枝末不覚 心体に薫習して、分別事識を成ず。 上の文に云く、
  < この識は、見愛煩悩に依りて 増長する義なるが故に >と。 ただ、末は 本より生ずるが故に、所起と
  云うなり。勝マン(経)のなかに説く。< 無明住地、能く 一切の四住地の煩悩を起す >と。」と。
  

復次 有四種法薫習義故 染法・浄法起不断絶 云何為四。 
一者 浄法 名為真如、 二者 一切染因 名為無明、 
三者 妄心 名為業識、 四者 妄境界 所謂六塵
薫習義者 如世間衣服実無於香 若人以香而薫習
故則有香気 此亦如是
真如浄法 実無於染 但以無明而薫習 故則有染相
無明染法 実無浄業 但以真如而薫習 故則有浄用

ーーーーーーーーーーーーーーーーー(よみかた)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
復た次に、四種の法 薫習kunjyuuの義あり。染法と浄法と起こりて断絶せず。云何ikanが 四と為す。
一つには、浄法なり、名づけて真如と為す。     二つには、一切の染因なり、名づけて無明と為す。
三つには、妄心なり、名づけて業識gossikiと為す。 四つには、妄境界-kyougaiなり、所謂iwayuru 六塵なり。
薫習kunjyuuの義とは、世間の衣服は 実には香kaori無きも、もし 人 香を以って薫習すれば、
故kotosaらに則sunawaち、香気あり。これも亦maたかくの如し。
真如の浄法は、実には染無きも、但taだ無明を以って薫習すれば、故kotosaらに則ち、染相あり。
無明の染法は、実には浄業無きも、但だ真如を以って薫習せれば、故らに則ち、浄用zyouyuuあるなり。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 心生滅門は、≪ 染浄生滅 ≫と≪ 染浄相資 ≫ の2つに分けられるが、
これより その第二の ≪ 染浄相資 ≫ に入るのであります。
 
 海東疏は、
  「 以下は、広く生滅門を釈す内に、二分ある中に、初に正しく広く釈すること竟owaりぬ。前にあり。
  これより下は、第二に言に由りて、重ねて明かす。 何となれば、上の文に言うが如し。 < この識に
  二種の義あり。 能く 一切の法を摂し 一切の法を生ず >と。しかも、その摂の義は、前にすでに、広説す。
  能生の義、なお未だ分明ならず。この故に、これより下は、広く この義を顕す。云々」と。
             
          < >内参照 URL: http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/10494554.html
 義記は、
  「 自下は、第二に 染浄互薫相生して、不断なることを明かす。即ち、上の総の中の能生一切法の義を顕す
  なり。  中において、四あり。   初に、数を挙げて総標し、  二に、染浄法の名を列っし、
  三に、広く染浄薫習の義を釈し、  四に、染浄尽不尽の義を明かす。
  初の中に、この染浄相資に由るが故に、(染法と浄法は)起こりて断ぜざることを得るなり。」と。


「 云何為四 〜 」

 義記は、
  「 第二の中、{ 浄法名真如 }と言うは、これはこれ、生滅門の中の真如なり。 三義を以っての故に、
  浄法と云う。 一には、体に約す。本来浄なるが故に。 二には、体相に約す。 内薫をもっての故に、染に反
  して 始浄を成ぜしむが故なり。 (乃至) 三に、用薫に約するが故に、機に応じて、浄縁を成ずるなり。
  { 染因名為無明 }とは、謂く、六染および九相等は、みな無明に因りて有るなり。
  { 妄心 }は、事識および業識に通ず。 今は、その本に拠yoるが故に、但だ業識と言うなり。
  { 妄境謂六塵 }とは、謂く、事識所縁の境なり。   
  この三は、みな これ染法なり。この染法の自性差別の仗託する因縁に由るが故に、具tubusaに三種を説く。
  浄法は 染に対して薫の義を成ずと雖も、しかもその体用は、竟tuiに未だかって別ならず。故に、但だ一種を
  明かす。」と。

「 薫習義者 〜 」

 義記は、
  「 広釈の中に、二あり。 先に 総、後に 別なり。  総の中に、二あり。先に 喩、後に 合なり。
  合の中に、二あり。謂く、染浄薫なり。
  { 薫故有染相 }とは、真は、無相なれども薫に随いて、相を現ずることを顕す。
  また、妄法は、無体なることを顕すが故に、但だ{相}と云う。また、当相 自ら反流hanruの用yuu無きが故に、
  {相}と云いて、用と云わざるなり。これは、随流生滅門zuiru-に約して説くなり。 これは、経の中の、<如来蔵
  悪習の為に薫ぜられる>等を釈す。
  二に、{ 有浄用 }とは、これは、これ生滅門の中の本覚真如なるが故に、薫の義あり。 真如門の中には、
  則ち この義なし。この本覚 内に不覚に薫ずるに由りて、厭求を成ぜしめ、 反流して 真に順ずるが故に、
  {用}と云うなり。これは、経の中の < 如来蔵あるに由るが故に、能く 生死の苦を厭い、涅槃を楽求す >
  を釈するなり。 涅槃経に云く。< 闡提(sendai=断善根)の人 未来に 仏性力の故に還りて善根を生ず >
  と。かれに、仏性力と言うは、即ち この本覚内薫の力のみ。良makotoに 一識に この二義を含むを、さらに
  互いに相薫じて、遍く染浄を生ずるが故なり。この中に、仏とは これ覚。性とは、これ本なり。故に、仏性を
  名づけて、本覚と為すなり。」と。   

問曰 若心滅者 云何相続、若相続者 云何説究竟滅
答曰 所言滅者 唯心相滅 非心体滅
如風依水而有動相 若水滅者 則風相断滅 無所依止
以水不滅 風相相続 唯風滅故 動相随滅 非是水滅
無明亦爾 依心体而動 若心体滅 則衆生断滅
無所依止 以体不滅 心得相続 唯痴滅故 心相随滅
非心智滅

ーーーーーーーーーーーーーーーー(よみかた)ーーー生滅相2.ーーーーーーーーーーーーーーーーー
問うて曰く。もし、心 滅せば、云何ikanが相続せん。もし、相続せば、云何が究竟じて滅すると説くや。
答えて曰く。言う所の滅とは、唯taだ 心相の滅にして、心体の滅には非aらず。
風の 水に依yoって 而sikaして動相あるが如し。もし、水滅すれば、則ち風相 断滅して、依止する所なし。
水 滅せざるを以って、風相は相続す。唯だ 風滅するが故に、動相は随いて滅す。これ水の滅には非aらず。
無明も また爾sikaなり。心体に依りて 動ず。 もし、心体滅すれば、則ち衆生は断滅して、依止する所なし。
体 滅せざるを以って、心 相続することを得。唯だ 痴 滅するが故に、心相は随いて滅して、心智は滅するに非aらず。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  義記は、
  「 疑いを釈する中に、先に 問い、後に 答えるなり。
  問いの中に、{ 若 心滅(者)云何相続 }とは、もし、境界滅する時、心体もまた滅せば、無明三細
  すでに、それ 未だ尽きず。心体 すでに亡ずれば、さらに何の法に依りて、しかも相続することを得るや?
  これは、相応心を疑うなり。
  { 若 相続(者)云何究竟滅 }とは、もし、心体 滅せざるを以って、無明をして相続を得しむと言わば、
  心体は すでに それ滅せず。無明は 則ち常に相続せん。云何が、治道に究竟の滅を得るや?
  これは、不相応心を疑うなり。
  
  答えの中に、並びて この二に答えるなり。法と喩と合とあり。法の中は総説にして、喩と合とは別説なり。
  { 唯心相滅 非(心)体滅 }とは、境界 滅する時に、唯taだ 心の粗相 滅するなり。心の自体 滅す
  るに非らざるなり。 また、無明 滅する時、唯だ心の粗相 滅して、また心体 滅するに非らざるを以って、
  これ、通じて二問に答えるなり。
  
  喩のなかに、別して この二を顕すなり。
  { 如風依水而動 }とは、無明の風 心体に依るが故に、動相あることを喩う。これ、無明は 心体を離れて
  自ら現ずること能わざることを示すなり。
  { 若水滅 乃至 無所依止 }とは、これ もし、境界 滅する時は、心体をして また滅せしむることを
  示すは、則ち 無明の風に動ぜられること無きが故に、業等の三細 則ち断滅すべし。
  { 以水不滅風相続 }とは、境界 滅する時、心体 滅せざるを以っての故に、無明三細 則ち長く相続する
  ことを得る。 良makotoに、以omonmiれば、無明 滅するが故に、境界 滅す。境界 滅するを以っての故に、
  無明 滅するに非らず。この義に由るが故に、境界 滅する時 無明 心を動じて、三細 相続す。
  これ、初の問いの相応心滅の義に答えるなり。
  { 唯風滅 乃至 水滅 }とは、無明尽きる時に 業等の動相 またこれに随いて滅するを以って、静心
  の体 しかして また滅するに非らず。これ、後の問いの不相応心滅の義に答えるなり。

  合の中に、次第に 前の二種の心を合す。
  { 非心智滅 }とは、下の文は、不覚に対するを以っての故に、名づけて覚となす。則ち、一識に二義あり。
  今 痴に対するを以っての故に、名づけて智と為す。則ち、一心に体相あり。不覚の痴相 転utataた滅して、
  始覚と成る。本覚の智体 不滅と還源とは、無二無別なり。
  上来、染浄生滅の因縁の相を釈し竟んぬ。」と。


  海東疏は、
  「 問いの中に、{ 若心滅者 云何相続 }とは、外道の説に対して、この問いを作naす。
  十巻経に云うが如し。< もし、阿梨耶識 滅せば、外道の断見の戯論keronに異ならず。諸の外道 説かん。
  “ 諸moromoroの境界を離れれば、相続識 滅す。相続識 滅し已oわれば、即ち諸識を滅す。 大慧、もし
  相続識滅せば、無始世より このかた 諸識 滅すべし。この意は、正しく諸moromoroの外道の説を明かす。
  無想天に生ずるが如きは、無想定に入る時、諸の境界を離れて、相続識 滅す。 根本 滅するが故に、
  末も また滅するなり。” 如来 破して云わく。“ もし、衆生 無想に入る時、衆生の本たる相続識 滅せば
  六・七識等の種子 随いて滅す。かれより還りて 諸識を起すべからず。しかも、かれより出て 還りて
  諸識を起す。当に知るべし。無想に入る時、その相続識滅せず。”と。かくの如く、破するなり。>と。
  今 この論の中には、これに依りて問う。もし、無想定・滅尽定に入る時、心体滅せば、云何が 還りて相続せ
  ん。故に、{ 若心滅者 云何相続 }と言うなり。もし、かれに入る時 心体滅せずして、還りて相続せば、この
  相続相何に由りてか 永く滅せん。故に、{ 云何説究竟滅 }と言うなり。
   
  答えの中に、三あり。謂く、法と喩と合となり。
  初の法の中に、{ 所言滅 }とは、無想等に入る時の如き、諸識を説けば、ただ粗識の相を滅して、阿梨耶
  の心体を滅するには非らざるが故に、{ 唯心相滅 }と言う。また復た、上に説く。{因滅故不相応心滅}とは、
  ただ、心中の業相等の滅を説く。自相の心体の滅を謂iうには非らず。
  
  喩の中に、別して この二滅の義を顕す。
  { 如風依水而有動相 }とは、無明の風の 心に依りて動じるに喩うなり。
  { 若水滅者則風断絶 無所依止 以水不滅風相相続 }とは、無想等に入るの時、心体滅せざるが故に、
  諸識相続するに喩うるなり。   これ、初めの問いに答えるなり。
  { 唯風滅故 動相随滅 }とは、仏地に到る時、無明 永く滅するが故に、業相等の動も、また随いて滅尽す
  れども、その自相の心体は、滅せざるが故に{ 非是水滅 }と言うなり。
  これ、後の問いに答えて、究竟滅を明かすなり。

  合の中に、次第に前の二義に合す。
  { 非心智滅 }とは、神解の性を 名づけて心智と為す。上の文に{智性不壊}と云うが如きは、これ 自相の
  不滅の義を明かすなり。
  
  

  
  

     ――――― 生滅相 1.(つづき)―――――

( 生滅の義を明かす )「 此二種生滅 〜 」

  海東疏は、
   「 中において、二あり。 先は、生の縁を明かし、後(「若因滅」〜)は、滅の義を顕す。
   初の中に、また二あり。先は、通縁を明かし、後(「所謂」〜)は、別因を顕す。  
   通じて これを言はば、 粗細の二識は、皆、無明住地に依りて 起こるが故に、{ 二種生滅 依於無明
   薫習 而有 }と言う。
   別して これを言はば、無明の因に依るが故に、不相応の心生じ、境界の縁に依るが故に、相応の心起る事
   を得るが故に、{ 依因者 不覚義故、依縁者 妄作境界義 }と言う。
    もし具の義を説けば、各二因あり。四巻経に云うが如し。< 大慧、不思議薫 及び不思議変とは、これ
   現識の因なり。種々の塵を取る 及び無始の妄想薫は、これ分別事識の因なり。>と。
   解して云く。不思議薫とは謂く、無明 能く真如に薫じて、薫ずべからざる処に、しかも能く薫ずるが故に、
   <不可思議薫>と名づくるなり。 不思議変とは、所謂 真如 無明の薫を受けて、変異すべからずして、
   変異するが故に、故に<不思議変>と名づく。この薫 及び変は、甚だ微にして かつ隠なるが故に、所起
   の現識の行相 微細なり。中において、また転識と業識あり。然るに、粗を挙げて細を兼ねるが故に、ただ
   現識と名づくるなり。
   <取種々塵>とは、現識所取の種々の境界 能く心海を動じて 七識の波を起すが故に。
   <無始妄想薫>とは、即ち、かの現識を名づけて、妄想となす。本より以来、未だかって 相を離れざるが
   故に、無始妄想と名づく。 上の文に言うが如し。< 本よりこのかた、未だかって念を離れざるが故に、
   無始無明と名づく。>と。 この中の妄想も 当知 また爾sikaなり。  十巻経に云うが如し。
   < 阿梨耶識 名識の相を知る。所有の体相は、虚空の中に毛輪ありて住するが如し。 不浄智の所行の
   境界なり。>と。この道理に由るが故に、これ妄想なり。かの種々の塵 及びこの妄想、自相の心海に薫じ
   七識の波浪を起さしむ。妄想 及び塵は、粗にして且kaつ顕わるるが故に、その所起の分別事識は、行相
   粗顕にして、相応の心を成ずるなり。
   現識は、不思議薫を因とするが故に 生ずることを得、不思議変に依るが故に 住することを得、
   分別事識は、種々の塵を縁ずるが故に 生ずることを得、妄想薫に依るが故に、住することを得ることを
   明かさんと欲す。
    今 この論の中には、ただ生縁を取るが故なり。 
   細中には、唯だ 無明変を説く。粗中には、単に 境界縁を挙ぐるなり。

   { 若 因滅 }の下は、次に滅の義を顕す。 中において、二あり。 一には、ただ明かし、
   { 問曰 }以下は、往復して疑いを除く。
   始めの中に、{若因滅則縁滅}と言うは、何の位に随いて、対治を得るや? 時に、無明の因 滅すれば、
   境界 随いて滅するなり。 {因滅故 不相応心滅}とは、三種の不相応の心は、親しく無明の因に依りて
   生ずるが故に、無明滅するの時、また随いて滅するなり。 {縁滅故 相応心滅}とは、三種の相応心は、
   親しく境縁に依りて 起こるが故に、境界滅するの時、また随いて滅するなり。

   この始終起滅の道理に依りて、以って 二種の生滅の義を明かす。 刹那生滅の義に約するには非らざる
   なり。」と。 
   

復次 分別生滅相者 有二種、云何為二、
一者 粗、與心相応故、  二者 細、與心不相応故
又 粗中之粗 凡夫境界、 粗中之細 及細中之粗
菩薩境界、 細中之細 是仏境界
此二種生滅 依無明薫習而有 所謂依因・依縁
依因者 不覚義故、 依縁者 妄作境界義故
若因滅 則縁滅、 因滅故 不相応心滅、
縁滅故 相応心滅

ーーーーーーーーーーーーーー(よみかた)ーーー生滅相1.ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
復た 次に、生滅の相を分別せば、二種あり。云何ikanが二と為naす。
一つには、粗soなり。心と相応するが故に。 二つには、細saiなり。心と相応せざるが故に。
また、粗中の粗は、凡夫の境界kyougaiなり。粗中の細 及び細注の粗は、菩薩の境界なり。
細中の細は、これ仏の境界なり。
この二種の生滅は、無明の薫習kunzyuuに依yoりて有り。謂iう所は、因に依ると、縁に依るとなり。
因に依るとは、不覚の義なるが故なり。縁に依るとは、妄midaりに境界を作naす義なるが故なり。
もし、因にして滅すれば、則ち縁は滅す。因 滅するが故に、不相応の心も滅し、
縁滅するが故に、相応の心も滅すればなり。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ここからは、前に、立義分(「大乗起信論1.正宗分(9)」)に、
  「 是心 生滅因縁相 能示摩訶衍自体相用故 」( この心の生滅因縁の相は、能く・・・ )
とあったのを受けて、その「 生滅(因縁)の相 」を広く説くのであります。

 海東疏は、
  「 先には、生滅の粗細の相を明かし、 後には、粗細生滅の義を顕す。
  初のなかに、また二あり。 一には、正しく粗細を明かし、 二には、人に対して分別す。」と。


( 正しく粗細を明かす )「 一者 粗 與心相応故 〜 」
  
  「{ 一者 粗與心相応故 }とは、六種の染のなかの、前の三染なり。 これ心相応にして、その相 粗顕な
  り。経の中に説きて名づけて、相生滅と為すなり。
  { 二者 細與心不相応故 }とは、後の三染心なり。これ不相応にして、心・心法粗顕の相なく、その体 微細
  にして、恒に流れて絶えざれば、経の中に説きて、相続生滅と名づく。
  
  十巻経に云うが如し。 < 識に、二種の滅あり。何等をか二と為す。一者、相滅、二者、相続滅なり。
  生住もまたかくの如し。>と。
  四巻経に云う。 < 諸識に、二種の生住滅あり。所謂 流注生と及び相生となり。滅もまたかくの如し。>と。
  経中には、直ちに二種の名字を出して、別して相を顕さざるが故に、今、論主は、相応・不相応の義に約して、
  以って、二種の粗細の相を弁ずるなり。」と。

  義記は、海東疏とほぼ同じ釈を施しています。

  
( 人に対して、分別す )「 又 粗中の粗 〜 」

 海東疏は、
  「{ 粗中の粗 }とは、謂く、前の三の中の初の二( 執相応染・不断相応染 )、これなり。
   { 粗中の細 }とは、即ち、この三の中の後の一( 分別智相応染 )、これなり。
  前の中の初の二は、倶に 意識にあるを以って、行相 これ粗なるが故に、凡夫の所知なり。 
  前の中の一は、これ 第七識にして、行相 粗ならざれば、凡(夫)の所了に非らず。
  後の中の初の二( 現色不相応染・能見心不相応染 )は、能現能見能所差別なるが故に、菩薩の所知なり。
  最後の一( 根本業不相応染 )は、能所 未imaだ分れざるが故に、唯taだ 仏のみ能く了したまえり。」と。

 義記は、
  「 初に、人に約して対顕す。後に、相の所依を弁ず。 初のなかに、三位の人に対するなり。
  前の三染心を、倶に名づけて粗soと為す。 中において、初の<執相応染>を、また更に 粗と為すが故に、
  {粗中の粗}と云うなり。
  三賢の位を内凡naibonと名づく。能くこの染を覚するが故に、{凡夫の境界}と云う。
  また、前の三粗のなかに、後の二は、謂く、<不断相応 及び分別智相応染> なり。これ粗心の中に、稍ya
  や細saiなるが故に、{粗中の細}と云うなり。 
  {細中の粗}とは、後の三染心を倶に名づけて、細saiと為す。 中において、前の二は、謂く、能見・能現 
  これなり。同じくこれ不相応なるが故に、名づけて、細と為す。 後の根本業識に形nazoraうるが故に、
  また粗と云う。 これは、これ十地以還の菩薩の位の中の所知の境なり。
  {細中の細}とは、謂く、根本業不相応染なり。 能所 未だ分たず、行相 極めて細なるが故に、唯だ、仏
  のみ能く知るのみ。」と。

  ここで、海東疏は、「粗中の粗」を、執相応染と不断相応染の2つとし、「粗中の細」を、分別智相応染と
 しているが、 義記は、「粗中の粗」を執相応染だけとし、「粗中の細」を不断相応染と分別智相応染の2つ
 としている。

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
kyomutekisonzairon
kyomutekisonzairon
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
検索 検索

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事