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狂風:「 苦しみが 感謝に変わるまでには、人は 大分苦しまなければなりません。
私も やっぱり苦しみのたびに、寂しさのたびに、喜んでいます。
私は 苦しみに出会うたびに、いよいよ私一人の世界を 明らかに見出されるような気がします。
だまって、苦しみ苦しんでいるとき、私は ほんとうに 私を見出して、
何か大きな光に引き寄せられた気がします。
私は どうも浮調子になって 騒いでいるときや、幸運が向いてきて フカフカするときには、
私の霊は、落着きを失って とかく傲慢になって思慮がなくて、
何だか 私自身を失ったような 悲哀を後から感じます。
私は 苦しいたびに、強くなれるように感じます。
私たちは、言う権利もあり 理前もあるとき、私の思うほどを言って、立派に勝ちたいのですけれど、
やっぱり、勝者の地位に立ったときは、何だか 心の空虚を感じます。
言いたい理前も言わないで、静かに負けていることは、辛いことですけれど、
その後では、その苦しみが、中身のある大きな喜びとかわるような気がします。」
問者:「 先生は喜んでおられます。いつも喜んでおられます。そして辛い時にも消えてしまわない喜びです。
そうです。 自分一人でしか喜ばれないような喜びは、小さな喜びです。
家庭の者に分てる喜び、世の人にまで及ぼす喜びでなくては、本当の喜びではありますまい。
ふつうの喜びは、苦しい時 消える喜びです。 」
(乃至)
狂風:「 人は 一体 人を信じすぎますね。
信ずるというよりも、人の好意を あまり無造作に考えて 頼りすぎますね。
私たちも 人に頼りすぎて、度々バカを見たり 苦しんだりするものです。
人に信じられたり 理解されたりすることは、嬉しいことですが、
自分から人に頼りすぎたり、理解を求めすぎたりするために、弱くなったり苦しんだりします。
自分を正しく知らせるということは、誰も持つ欲ですが、
それがために、つい人に頼りすぎたり、自分を言訳することに、日を暮らすようになるでしょう。
人間は、< 自分が たった一人だ。> と そのどん底に立ったとき、
案外 自分の力も見えるし、自惚れも取れるし、動かない自分の生き方が 分るような気がします。
私たちも 随分言いたいだけ言って、自分の明かりを立てたかったものですが、近頃 少しは 忍ばれる
ような気がします。 時には、私たちが 人の身代りに罪をきるようなこともありますが、それも、
意義あることのような気がします。 けれども人には、やっぱり信じられたいですな。」
問者:「 先生のは、信じてくれないと言われても、他人のことです。
私たちのように、もう三人も四人も 子供があって、一生つれ添う妻が、自分を信じてくれないで、
小さなことにも、ビクビクしてくれることは、先生には 分らない辛い問題です。」
狂風:「 私たちのは、まだ真実に触れていないかも知れません。
親が 子を信じない。子が 親を信じない。夫が 妻を信じない。妻が 夫を信じない。
それこそ 人生 一番辛いことでしょう。 お互い辛い世の中ですね。 けれども、この辛さがなかったら、
人生は 変なものでしょうね。私たちは とても今日のような幸福はなかったでしょうね。」
( 住岡夜晃全集 第一巻 )
** 狂風: 住岡夜晃は、若い時 自分を「狂風」と名のっていました。
この対話を書いたときは、まだ 独身でした。
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