混沌の時代のなかで、真実の光を求めて

現代に生きる私の上に 仏法は何ができるかを 試そうと思い立ちました。//全ての原発を 即刻停止して、 別の生き方をしましょう。

感動したことば

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人は皆 苦しい (3)

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人は皆 苦しい。

けれども、私たちは、苦しい時 真面目に苦しむより外ありません。

苦を逃れようとすればするほど、苦は増してきます。

苦しければ、苦しみましょう。

苦を苦しむ真摯な心は、きっと 苦のその真っ只中に、何か大きなものを見出すでしょう。


私たちの内面に湧き出る苦しみは、真実の苦しみは、私たちの改造向上の源泉であります。

苦しみに対して、卑怯になってはなりません。

人が堕落する。それは、苦から卑怯に逃れるのです。

苦を苦として、強い人のみ 向上の一路を辿ります。

弟妹よ、 苦しくても 忍べ。進め。 苦を 苦しむことによってのみ、慰められなくてはならない。



                                   ( 住岡夜晃全集一巻 )

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★ 孤独には、2つの種類がある。
 その区別は、ひとが何から孤独になったか、その性質によって定まる。
 
 もしも、我々が、孤独を、「 事物の体験と利用とを止めること 」と解するならば、
 この種の孤独は、最高の関係ばかりでなく、ありとあらゆる関係にとっても必要となるであろう。
 
 しかし、もしも、孤独を、「 すべてのものから関係を断つこと 」と解釈するならば、
 そのときは、他人に向って心から<なんじ>と呼びかけたにもかかわらず、
 相手の応答を得ることができなかった者のみが、神に迎え入れられるであろう。
    
 これに反して、自分の方から相手を見捨てて孤独に陥った者は、神に迎え入れられない。
 この種の孤独者は、他人に利用価値がある間は 他人に執着するが、
 利用価値がなくなったら 決して他人と交わろうとはしない。

  
 実存の内に生きようとする者は、必ず自己以外のものと生きた関係を結ばなければならない。  
 また、自分以外のものと生きた関係を結ぶ者こそ、神と応答することができるのである。
 なぜなら、その人のみが、神の現実と人間の現実とを対立させることができるからである。



★ さらに、孤独は、ひとが如何なる目的で孤独になったか、その目的の性質に応じて、2種類に分かれる。
  
 もしも、孤独が、我々を浄化する場所であるならば、
 ―――すでに、<われーなんじ>の関係に生きている者にとってさえ 彼らが至聖所に入る前、
 あるいは、真理へ赴く茨の道の中途においてーーー必要な浄化を施す場所であるならば、
 我々は、こうした孤独を体験するために生まれ出たと言ってもよいであろう。

 これに反して、もしも、孤独が 他の人々から孤立するための要塞ならば、
 ―――我々を待ち構えている<なんじ>のためでも、自分を試したり熟知したりするためでも
 なく、自分の魂の姿をひとり楽しむために、自分と話をする場所に過ぎないならば―――
 そのとき 孤独は、真の精神を にせの精神へ変じてしまうであろう。
  
 それと同時に、我々は 自らのうちに神を持ち、
 また神と共に語っているという思い上がった想像を抱いて、
 最後の深淵に堕ち込んでしまうであろう。


 事実においては、たとえ 神は我々を包み、また 我々の内に宿ってはいても、
 我々は 自分のうちに神を持つことはできないのである。
 言葉が 我々のうちで死んでしまわないかぎり、
 我々は、神と共に語ることができないのである。


    〜〜〜〜 「我と汝」から     〜〜〜〜〜
      〜〜〜〜〜〜URL: http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/14010282.html
    〜〜〜〜

  ○●○●○●
 
 ▽「 <われ>が <なんじ>と 純粋な関係を結ぶということは、
    <われ>が <なんじ>以外のすべてのものを 無視するということではなく、
    <なんじ>のうちに、<なんじ>を通して、すべてを眺めることであり、
    また、この世を否定するということではなく、
    むしろ、この世を その真の基礎から作り直すことである。」
  
        ーーーーー「人間と神との関係について」述べる文脈のなかで

 
    ▽「 われわれは、個々の<なんじ>と関係を結んでも、
       その<なんじ>が <それ>に変わってしまうことを知った時、失望を禁じえない。
        (乃至)
       何かを探し求めるように、永遠の<なんじ>を探し求めることは出来ない。
       いや、この世で{神を探し求める}必要はないのである。
       なぜなら、この世のすべては、すでに神を宿しているからである。
    
       だから、神を探し求めるために、この世を捨てたり、
       定められた己の道からはずれたりすることは、
       実に希望のない愚かしいことなのである。
       このような人は、どれほど勝れた智慧や精神力を持っていようと、
       結局は 神を探しあぐねるであろう。」


 ▽「 われわれは 心のうちで、なによりもまず神が必要であることを知っている。
    しかし、人間が神を必要とするように、
    神も人間を必要としていることを知らない。
    神が、永遠のさなかにあって、我ら人間を必要とし給うていることを ・・・・。
     (乃至)
    われわれは人間として存在するために 神を必要とし、
    また神は、人間の生命の真意を明かさんがために、われわれを必要としている。
     (乃至)
    この世は、神の遊び場ではない。
    神の運命の場である。
    神の意義は、この世の生活に 人間生活に
    自分自身の生活のなかに ひそんでいるのである。」


    ▽「 純粋な<われ>−<なんじ>の関係を、<われ>の<なんじ>に対する、
       絶対依存の感情と考えることは、
       とりもなおさず関係の担い手の一方を抹殺し、
       その結果、関係そのもの あるいは現実そのものを無にしてしまうこととなる。」



   ****ブーバーの関連記事が、「現代のさまざまな問題1〜科学 8」にあります。
        URL: http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/14010282.html

    
    
 

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