STARTING POINT

どうぞよろしくお願いします(*゚ー゚*)

まじめに自分なりに考える

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

加害者と被害者?

世の中でで起こる様々な事件、そこには必ず被害者がいますね。

それは必ずしも人間だけとは限らず、動物や植物やその他にも小さいものから大きなものまであらゆる物質が被害者として定義されることがあるんですが、

もちろん、被害者が存在すれば加害者も存在します。一般的には。。

ニュースや新聞などの報道では必ずそうやって明確にしないと人々には正確に伝わらないと考えるからでしょう。

確かにそのとおりで、誰が何かをして、それが原因でこういった結果が生まれたということをはっきりしておかないと、情報を受け取る側としてはなんのことだか分からないです。

でも、僕はこんなことを考えたりします。

確かに原因と結果は存在する。。けれど、本当に加害者と被害者って報道されていることを信じていいのだろうか。。

それは、捜査を続けるうちに新たな事実が判明してそれまでの認識が覆されることもあるんじゃないか、などということではありませんよ?

そういうことはもちろんいくらでもあります。秋田小1殺害事件(亡くなったお二人のご冥福をお祈りいたします)で畠山被告は被害者から一転加害者となりました。

でも僕が考えるのはそういうことではなく、どんな事件でも、もっとその事件を重く捉えるべきだ…ということです。何が言いたいのかまだわからないですよね…しかも生意気なことを言ってごめんなさい、、ほんとはどんな事件でもきっとみんな真剣に重く捉えていると思っています。

でも、マスコミの力で視野が少々狭められてしまいがちだと思うんです。

つまり、頭ごなしに加害者を「悪」としてしまいがちなんです。もちろんやっている事は悪い事かもしれません。ささいなことから大事件まで、どんな事件であろうとその加害者の犯した罪というものは道徳的に反している事が多いからです。

でも、それを知った僕たちはなにをその事件から感じるべきなのか。。被害者の気持ちになること…、それは最も大切な事だと思います。自分のことのように悲しむべきだと思います。大事な事です。

そこで、僕たちはマスコミと共にこう感じます。

加害者の対象となっているヤツは本当にひどいヤツだ。。自分には考えられない。。信じられない。。

戦争の戦場で人々を次々に殺していくアメリカ兵やイスラエル軍はひどい奴らだ!! 人間じゃない! 鬼だ………

……

僕はほんとはそうじゃないと思うんです。。

やっている事は確かにひどい事。。してはならないこと。。

でも、それは自分たちには関係ない…?

ほんとに加害者はひどいやつだ!!』で終わっていいのか…?

いや、すべて答えはNOだと思います。

僕たちは被害者の気持ちにはなれるのに、加害者のことはただ罵倒するだけに留めがちです。とっても気持ちは分かります。憎しみや怒りがこみ上げてくるんですから。。たとえば僕は北朝鮮の話題を聞くとそういった気持ちになってしまうんです…><

でも、なぜ加害者の気持ちを考えないでそういった事件は解決するだろう。。相手の気持ちを考えずして友達との喧嘩で仲直りできるだろうか。。事の背景を知らずしてその深層を掴んだといえるだろうか。。

僕は、今までの自分は間違っていたんじゃないかなと最近思い始めました。

悪い事をしている人をただ「アイツはほんまにあかんヤツや」なんて思ってた自分は浅はかだったと思いはじめました。

「何でだろう…」と思うようになりました。

なんでそういうことをするのだろう。。なんでこんなことが起きるんだろう。。どうしてその人はこんな事件を起こそうと思うようになったのだろう。。なんで戦争は始まり、終わらないのだろう。。

いろいろ考えていたら、少しわかることがありました。

ああ、これは全て自分たちの責任なんだ。。被害者とも、加害者とも無関係じゃない。自分たちは心の中では被害者でもあり、加害者でもあるべきだ。。加害者は、加害者ではあるが実は被害者でもあるかもしれない。。その加害者はもしかしたら加害者を非難している自分たちかもしれない。。

加害者はこんな世の中だから事件を起こしたくなったのかもしれない。。それならばこんな世の中にした自分たちは加害者じゃないのか…?こんな世の中に暮らす自分たちの中でたまたまその人が事件を起こしてしまったが、本当は自分たちも責任があるんじゃないか…?

そう思ったら、やっぱり『目をそらすべきではないんだ』という一つの答えが出ました。
万引きであっても、ゴミの不法投棄であっても、戦争であっても、、小さな事件でも大きな事件でもあらゆる事件から目をそらしてはならないと思いました。

目をそらすとは、自分とは無関係だと感じる事で、目をそらさないとは、自分のことだと感じる事だと思います。

何が出来るかとかではなく、ただ考えられるかどうかの違いで何かが劇的に変わってくる気がします。

まずは何で?と考えて、ああそうかとわかったら何か行動もしやすいと思います。学ぶっていうのはそういうことなんじゃないかと思います。

自分を取り巻くあらゆる出来事からできるだけ漏らすことなく学べたらいいなと思います。もちろんそんな簡単ではありませんが、そういう人間になれるよう頑張りたいと僕は思います(^^)



長々とした読みづらい文章でしたが、最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。。(^人^)感謝♪

今回は前回の記事の中で紹介した物語「ハチドリのひとしずく」について感じた事をコメントしたいと思います。

最後にハチドリのクリキンディーが言っていた「私は、私のできることをしているだけ」ということば。。これはすごくシンプルな言葉だし、やっている事もとてもシンプルです。

でも自分のできることをするって実は簡単ではないですね。みんなあきらめてしまいがちです。他の動物たちがクリキンディーを見て笑っていたのと同じように、

結局自分ができる事なんてたかが知れている。。どうせこの山火事を食い止めるなんて自分ひとりが頑張ったところで出来ないんだ。。

そう感じてしまいがちではないでしょうか…?そのとおりです。自分ひとりの力なんて大きな事を前に微々たるものです。ただ、こう考えることはできないでしょうか…。

この物語でいう森の火事…、これも全体で捉えたらものすごく強い炎に包まれとても太刀打ちできないように思える森の火事…。でもその炎も最初はどこかの枯れ草一本なんかから生まれた小さな火種からなんではないでしょうか。

つまり、こんなに大きな炎も、小さな火種が集まって出来ているんです。そしてもはやその集合体は、どこかの小さなエリアだけを消火しても瞬く間にそこを他の炎に覆われカバーされてしまいます。むしろ炎は衰えるどころか拡大しているでしょう。一度大きくなった、一つになったものはそう簡単には崩されたりしないのです。

じゃあこの例を動物たちにも当てはめてみましょう。。


最初はあきらめている動物たちが大多数で、自分のできることなんて…という動物たち。そんな中にも自分のできることを考えて微力でも無力でもできることをしようとするものがいる。。そんな一匹のハチドリをみて自分にもできる事があるんじゃないか、、できることもしないであきらめていては何にも始まらない、、そう考える者が一匹…。そうするとその二匹をみて逃げる自分が恥ずかしいと思い自分も自分にできる事から何か始めようと思う者がまた一匹…

そうやっていつのまにか元々森に住んでいた動物たちはみんな戻ってきて自分たちができることをみんなで考えて大きな行動力を生み出しました。もうその力は弱まりません。一度団結した、ひとつになったみんなの思いはそう簡単には崩れません。力をあわせて、あきらめずに森の消火にあたった動物たちは程なく消火に成功しました。

不思議とその努力をしていた動物たちには疲れは残りません。。なぜならただ自分のできること、自分たちのできることをやっていただけだから。


どうですかね?(;^_^A
僕はこんなことを考えたとき、森の火事っていうのは今の地球の環境、、動物たちは僕たち人間に置き換える事ができるなと思いました。いま、僕らには地球環境のことを考えた行動で自分のできることをあきらめてしまうシチュエーションがいっぱいあるなあと思います。。たとえばゴミの分別はきっと誰でも出来ることなのに今の日本全体のことを考えるとどうせみんなが適当にやっているんだと考えて、ばかばかしくなったりしてめんどくさくなって、、結局そっちにあわせてればいいやって考えてしまうなんてことはないでしょうか><;

そう言う人たちが一人ずつでもできる事を考え行動していくことになればゴミ問題は一気に解決の方向へと向かううんですよね。たぶんあっという間ですよ、みんながそういうことに気づき始めてからは><

そう考えると、やっぱり自分ひとりのできる事がたとえ微力であっても、あきらめたりせずに無理せずに、、そんな気持ちになりました。

だからきっと、自分がやりたいなと思う事、すべきだと感じた事はあきらめる必要ないんだと思います>< たとえ最初は手ごたえがなくとも、だれかに認めてもらえなかったとしても、、やりたいこと、できることをやってればいいんだと思います。そうしないと始まりませんからね…(;´▽`A

「ハチドリのひとしずく」(監修・辻 信一 、光文社)

という本をご存知ですか?
僕は最近この本の存在を知りました。とてもいい本です。
さてどんな内容の本かということですが、まずはこの本を開いて最初に出てくる「南アメリカの先住民に伝わる物語」について紹介しますので、どうぞ一度読んでみてください。
短い物語ですが、みなさんはどう感じられるでしょうか。。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆


この物語は、南アメリカの先住民に伝わるお話です


















森が燃えていました


















森の生きものたちは
われ先にと
逃げて
いきました


















でもクリキンディという名の
ハチドリだけは
いったりきたり
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます


















動物たちがそれを見て
「そんなことをして
 いったい何になるんだ」
といって笑います


















クリキンディは
こう答えました


















「私は、私にできることをしているだけ」

 














◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◇◆

いかがでしたか?
とても短い物語でしたが、このお話から何を感じますか?
この物語はここで終わりになっていますが、もちろん続きの物語があってもおかしくはないですよね。
でも書かれていないのはなぜか…?
それはこの短い中に言いたいこと、大切なことが詰まっているからでしょう。
ぼくはこの本を読んでたくさんのことを感じたり考えたりすることができたら素晴らしいなあと思います。
また、この物語の続きはどうなるんだろう…?
ぜひみなさんの感想を聞いてみたいです。
もしよかったらコメントしてくださいね、何でもけっこうですので…(^ー^* )
ちなみにこの記事の続きは次回ということにさせていただきます☆

家族→幸せとは

家族で居酒屋に行ったときに感じた事を書きたいと思います。

うちは4人家族です。下の子が二十歳で、子供が二人とも二十歳を越えてる家族がそろって居酒屋行くなんてのは少し珍しいんですかね?うちも実はなかなかそんな機会は無いですが、家族そろっての食事は楽しくて好きです。機会がなかなか無いだけで。。

今回も楽しかったです。普通に食べて飲んで話して笑って。。

こんな事を感じました。





ここにいる家族の一人ひとりはみんな、ここにいなくてはならなかったんだろうなあ。こうやっているときも、普段家にいるときも、学校などで離れ離れのときもある。そしてだれひとり完璧な人間はおらずどこか人間的に欠けているところ必ず持っている。

でもだからこそ家族はこうやってあるんだろうなあ。この家族は偶然集まった者たちじゃあない。成るべくして成ったこの家族だと思う。

全員が影響し合っていて、全員が家族の幸せのためには必要だ。一人ひとりが幸せだと感じるために家族を構成する一人ひとりが存在している。

その時点で、みんなは生きている意味があり価値がある。この家族のなかで起こる様々な出来事には全て意味が合って価値がある。誰も意味の無い者もいなければ意味の無い行動をとるものもいない。

たとえどんなにいやな事が起こっても、つらい事態に陥ったとしても、それはこの家族が乗り切るべき出来事であって幸せを自分たちのものにするために必要な出来事。そんなときは、きっとそれを乗り切るためにこの家族は必要なんだろう。





今この時点でこうやって幸せを見つけてしまった以上、この幸せの価値観は二度と離しません。

いつかはこの家族みんなではもう二度とこの世では集まれなくなってしまうときが来るでしょう。でも、たとえどんなにつらい別れが訪れたとしても、、この家族が与えてくれたこの幸せの価値観が色褪せることは無く、家族全員に対する感謝の気持ちがさらに深くなっていくばかりでしょう。

こういうことを考えていると楽しくはないですよね…^^; だってやっぱり別れはつらいです。間違いなく!

ただ、こんな事を考えていたら本当に今は幸せだと感じれるし、家族はどんなことがあっても大切にしようとも思います。感謝の気持ちがこみ上げてきます。でも、これが幸せなんだろうなあとつくづく感じます。

『何かに感謝できる事』、これが幸せなんだと思います。

そしてもうひとつ、重要な事に気づいたのですが、この家族は、ただ一番小さくて身近な単位であるに過ぎず、この今の幸せの価値観は、地球上全ての人々とも共有できるものであるはずです。

なぜなら、一つの家族の中にその家族の一員として生まれてきたひとりの人間は、同時にこの地球の中にその地球人たちの一員として生まれてきたともいえるのですから。

そしてまた、それは人間としてだけではなく、ひとつの生命として捉えたならば、この地球上全ての生命は家族であり、一つの幸せの価値観を共有すべきであり、そしてできるのだと思います。

つまり、全ては区別できるもではなく、人間、動物、植物、自然、地球、太陽、、、全てに僕らは生かされているのであって、全てのおかげでこうやって生きているわけで、、

だから僕はありとあらゆるものに感謝してもし過ぎることは無いのだと思います。それで幸せを感じれるのですから。。

...とは言っても!

なかなか、全てに感謝するなんて事も難しいです^^; イライラするときもあるし、腹が立つときも泣きたいときもあるし、、

でも、そんなときに、「あなたのおかげで今自分は生きている。あなたに今自分は学ばせてもらっている。そしてあなたもこの時間を自分と共に生きている。。」なんて感じで謙虚になることが出来たら、きっと乱れていた気持ちは治まってくる。。きっと幸せな気持ちになってくる。。  僕はそう思います><

                      ・
                      ・
                      ・


最後まで読んでくださった方、ありがとうございます、ご苦労様です>< だらだらとした複雑不明快な文章でごめんなさい。。まだまだ自己満のレベルです(‐‐;) いい文章書けるようになりたいなぁ。。

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

衛生対策製品クレベリンの姉妹ブランド
クレベ&アンドハンドジェルが新登場
今だけ。お試しキャンペーン実施中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
最大10万円分旅行クーポンが当たる!
≪10月31日まで≫今すぐ応募!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事