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[ 安全は大切ですね ]
2018/12/30(日) 午後 4:23
浜松市における弘仁新羅の乱
弘仁11年(820年)2月13日、遠江・駿河両国に移配した新羅人在留民700人が党をなして反乱を起こし、人民を殺害して奥舎を焼いた。
両国では兵士を動員して攻撃したが、制圧できなかった。賊は伊豆国の穀物を盗み、船に乗って海上に出た。
帰化人には口分田と当面の生活費が与えられたが、かれらはおそらく博多などに土着して本国と違法な交易を目論んでおり、それを見透かされ東国に移されたことを逆恨みしたものと推定される。
新羅からの帰化人対策に詳しくなった藤原衛は、のちに新羅との最前線である太宰大弐を勤めていた承和9年(845年)、新羅人の来航・帰化申請の禁止を朝廷に進言した。
朝議の結果、以後は帰化を申請してきた場合でも、漂着民に食料衣服を与えて追い返すこととされた。これは『貞観格』にも収められ、以後の新羅人対策の基本方針になった。
[ 元寇を学び日本を護る ]
2018/9/2(日) 午後 5:57
寛平の韓寇
『日本紀略』『扶桑略記』寛平5年(893年)および六年(894年)の条にみえる熊本、長崎、壱岐、対馬にかけての入寇とその征伐の記録。
貞観15年(873年)、小野春風が対馬守に赴任、政府に食料袋1000枚・保呂(矢避けのマント)1000領を申請してた。
寛平5年(893年)5月11日大宰府「新羅の賊、肥後国飽田郡に於いて人宅を焼亡す」。
翌寛平6年(894年)4月、対馬島を襲った。
寛平6年(894年)、唐人も交えた新羅の船大小100艘に乗った2500人にのぼる新羅の賊の大軍が襲来し、対馬に侵攻を始めた。
9月5日の朝、45艘でやってきた賊徒に対し、文屋善友は数百の軍勢で迎え撃った。
捕虜の証言ではこれは民間海賊による略奪ではなく、新羅政府による襲撃略奪であった。捕虜曰く、、新羅は不作で餓えに苦しみ、倉も尽きて王城も例外ではなく、「王、仰せて、穀絹を取らんが為に帆を飛ばして参り来たる」という。
その全容は大小の船100艘、乗員2500、逃げ帰った将軍はなお3人いて、特に1人の「唐人」が強大である、と証言した。
[ 正義を学ぶ教育 ]
2018/3/21(水) 午後 3:27
蒲鮮万奴(ほせんばんど 生没年不詳)。13世紀前半、満州からロシア沿海地方で活動した女真の武将。 金に仕えていたが、大真国(東夏国)を建国した。
1214年、金の遼東宣撫使となり、モンゴルの後押しを受け反乱を起こした耶律留哥と戦うが敗北、翌年、再び鎮圧に向かうが、自らも反乱を起こし天王として独立を宣言する。当初の拠点である遼東地域は、出身国の金もさることながらモンゴルの影響が非常に強く、建国直後にはモンゴルの後押しを受けた耶律留哥と交戦して再度交戦して敗北、東方へ強行移動し1217年には、豆満江流域に移動して首都南京を建設した。 その後は、モンゴルや耶律留哥の軍と共同歩調を取り、周辺の諸国へ出兵するなどの活動を見せた。
その後、国力が増したモンゴルは周辺諸国の平定に乗り出した。1233年にグユクが本格的に侵攻し、大真国は完全に消滅した。蒲鮮万奴は捕らえられるが、消息は不明である。
[転載] 合邦と植民地
正義
[ 安全は大切ですね ]
2018/2/12(月) 午後 1:49
●1452年:ローマ教皇ニコラウス5世はポルトガル人に異教徒を永遠の奴隷にする許可を与えて、非キリスト教圏の侵略を正当化
・・・・・・・
●1571年:当時のポルトガル王セバスティアン1世から日本人貧民の海外売買禁止の勅令が発布されるが、奴隷貿易は根絶せず
●1587年 (天正15年):豊臣秀吉はバテレン追放令を発布して、イエズス会布教責任者であった宣教師ガスパール・コエリョに人身売買と宣教師の関わりについて詰問
●1596年 (慶長元年):長崎に着任したイエズス会司教ペドロ・マルティンスはキリシタンの代表を集めて、奴隷貿易に関係するキリシタンがいれば例外なく破門すると通達
●1603年 (慶長8年):徳川家康が征夷大将軍。江戸に幕府樹立
●1624年 (寛永元年):スペイン船の来航禁止
●1633年 (寛永10年):奉書船以外の日本船の海外渡航禁止
●1635年 (寛永12年):海外渡航と在外日本人の帰国を全面的に禁止
●1637年 (寛永14年):島原の乱
●1639年 (寛永16年):ポルトガル船の来航禁止
[ カンカンおじさん ]
2016/12/22(木) 午後 7:33
埼玉県川越市で中学の同級生3人から暴行を受け今も寝たきりの状態が続く少年とその家族が、同級生と川越市などに賠償を求めた裁判で、裁判所は「少年はいじめによる被害を受けていた」などと指摘し、およそ1億5000万円を支払うよう命じる判決を言い渡しました。
平成24年の1月、川越市の市立中学校の2年生だった少年は同じ学校の同級生3人から市内の公園で暴行を受け意識不明の重体となりました。
19歳になった少年は、今も寝たきりの状態が続いているということで、少年と母親は、同級生と川越市などに対し、合わせて3億9000万円の損害賠償を求めていました。
判決で、さいたま地方裁判所川越支部の野口忠彦裁判長は「少年は、周囲の生徒からいじめによる被害を受けていた」と指摘したうえで、「学校の教員は少年の生命や身体に重大な危険が生じることを予見できる可能性があったのに回避するための措置を取らなかった」などとして、およそ1億5000万円を支払うよう命じる判決を言い渡しました。
いじめたら、謝って、少年院に入ってから、大金を払わなければなりません。
[ カンカンおじさん ]
2016/12/22(木) 午後 7:27
埼玉県川越市で中学の同級生3人から暴行を受け今も寝たきりの状態が続く少年とその家族が、同級生と川越市などに賠償を求めた裁判で、裁判所は「少年はいじめによる被害を受けていた」などと指摘し、およそ1億5000万円を支払うよう命じる判決を言い渡しました。
平成24年の1月、川越市の市立中学校の2年生だった少年は同じ学校の同級生3人から市内の公園で暴行を受け意識不明の重体となりました。
19歳になった少年は、今も寝たきりの状態が続いているということで、少年と母親は、同級生と川越市などに対し、合わせて3億9000万円の損害賠償を求めていました。
判決で、さいたま地方裁判所川越支部の野口忠彦裁判長は「少年は、周囲の生徒からいじめによる被害を受けていた」と指摘したうえで、「学校の教員は少年の生命や身体に重大な危険が生じることを予見できる可能性があったのに回避するための措置を取らなかった」などとして、およそ1億5000万円を支払うよう命じる判決を言い渡しました。
いじめたら、謝って、少年院に入ってから、大金を払わなければなりません。
いじめ加害者からの逆訴訟
学び
[ 日本の若者とママを守って ]
2016/12/22(木) 午後 7:25
埼玉県川越市で中学の同級生3人から暴行を受け今も寝たきりの状態が続く少年とその家族が、同級生と川越市などに賠償を求めた裁判で、裁判所は「少年はいじめによる被害を受けていた」などと指摘し、およそ1億5000万円を支払うよう命じる判決を言い渡しました。
平成24年の1月、川越市の市立中学校の2年生だった少年は同じ学校の同級生3人から市内の公園で暴行を受け意識不明の重体となりました。
19歳になった少年は、今も寝たきりの状態が続いているということで、少年と母親は、同級生と川越市などに対し、合わせて3億9000万円の損害賠償を求めていました。
判決で、さいたま地方裁判所川越支部の野口忠彦裁判長は「少年は、周囲の生徒からいじめによる被害を受けていた」と指摘したうえで、「学校の教員は少年の生命や身体に重大な危険が生じることを予見できる可能性があったのに回避するための措置を取らなかった」などとして、およそ1億5000万円を支払うよう命じる判決を言い渡しました。
いじめたら、謝って、少年院に入ってから、大金を払わなければなりません。
[ 日本の若者とママを守って ]
2016/12/22(木) 午後 7:24
埼玉県川越市で中学の同級生3人から暴行を受け今も寝たきりの状態が続く少年とその家族が、同級生と川越市などに賠償を求めた裁判で、裁判所は「少年はいじめによる被害を受けていた」などと指摘し、およそ1億5000万円を支払うよう命じる判決を言い渡しました。
平成24年の1月、川越市の市立中学校の2年生だった少年は同じ学校の同級生3人から市内の公園で暴行を受け意識不明の重体となりました。
19歳になった少年は、今も寝たきりの状態が続いているということで、少年と母親は、同級生と川越市などに対し、合わせて3億9000万円の損害賠償を求めていました。
判決で、さいたま地方裁判所川越支部の野口忠彦裁判長は「少年は、周囲の生徒からいじめによる被害を受けていた」と指摘したうえで、「学校の教員は少年の生命や身体に重大な危険が生じることを予見できる可能性があったのに回避するための措置を取らなかった」などとして、およそ1億5000万円を支払うよう命じる判決を言い渡しました。
いじめたら、謝って、少年院に入ってから、大金を払わなければなりません。
[ カンカンおじさん ]
2016/12/21(水) 午前 7:07




