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今回は知恵袋ではなくてトラックバックです。 興味深いお話だと思いました。 もっとも私は,実験心理学寄りの立場というか, まともに現象学的心理学を勉強したことがなく, 実験心理学しかかじったことがないのですが…。 とりあえず,「実験心理学(?)」とお書きになられていますが, その目的として書かれた行動の予側・制御は, 厳密には行動主義心理学に典型的な趣旨・目的であるかと思います。 行動主義心理学に実験は欠かせませんが, 実験心理学というとWundtも含まれてしまいますし, Wundtは行動の予測・制御よりは, むしろ,意識の構造の分析を目的にしていたのではないかと思われます。 さて,現象学的心理学の目的は何であるかと考えると, 私は前述の通り,まともに勉強したことがないのですが, あえて断片的な知識から申しますと, 心(意識),特に自己と他者の存在は,どのように認識(認知)されるか, そしてなぜそのように認識されるのか,を論じることであるかと思われました。 違っていたら,ぜひともご教授願いたいのですが…。 まあこの点は今回の私の話の中ではそれほど重要ではありません。 少なくとも,私の限られた(誤っているかもしれない)理解からでも 言えるのではないかと思える点に,現象学的心理学とは哲学と区別がつかない, という点があると思います。 この点が誤っていたら,この後の話が成り立たないので, ぜひともご指摘いただきたいのですが…。 一方,哲学的に,思索や思弁によって論じていては,心の真実が得られない, 心の真実を得るには科学的に,経験主義的に論じなければならない, という考えから生じた流れが,行動主義心理学であると思われます。 この観点からすると,現象学的心理学と行動主義心理学は, 対立する立場であるかと思います。 特に,徹底的行動主義は心や意識について論じるべきではないとしているようですから, 心や意識について論じる現象学的心理学とは前提が異なることになるので, かみ合わないのではないかと思われます。 (行動主義的な現象学的心理学があるのならば, そうとは限らないということになりますが…) ただ,徹底的行動主義を除けば,現象学的心理学と行動主義心理学は, 少なくとも全く並び立たないものでもないと思われます。 たとえば,現象学的心理学で論じられた問題を,行動主義心理学で検討し, その結果をふまえて再び現象学的心理学の問題を論じ, その結果を行動主義心理学で検討…,という循環は, 不可能ということはないかと思われます。 行動主義ではどうしても切り捨てられやすい問題 (行動に反映されるとは限らない心理についての問題など)は, 論じられないからといって論じなくてもよいとは限らないでしょうし, 一方,思索・思弁だけでは考えを誤る可能性が残ることも, 言うまでもないと思われます。 だから,循環は互いを補い合うことであり, それは必要なことではないかと思いました。 実際的には,現象学的心理学で論じられたことについて 行動主義心理学で検討するためには,概念の操作的定義を行わなければならず, その操作的定義が現象学的心理学に受け入れられるかどうか, 私には分からないのですが…。どうなのでしょう。 また,心(意識)の存在を前提として論じることになるので, この場合の行動主義とは,方法論的行動主義に限定されてしまうかもしれません。 いずれにしても,(現時点での)科学的方法だけでは論じきれない問題というものは あると思いますので,循環は必要なのではないかと思うわけです。 この研究の循環という考え方は私の独創的な着想ではなく, 「心理学の新しいかたち―方法への意識」という本から着想を得たものです。 この本の第1章には,実証を重視する科学的研究と, 問題解決を重視する(その結果,実証性は基礎的研究ほどには重視されない) 実践を通しての研究の循環が必要であると書かれています。 現象学的心理学と行動主義心理学は,単純に実践的研究と科学的研究, と位置づけることはできませんが(少なくとも行動主義心理学にはいずれも含まれる), 知見を循環させることで心理を多面的に検討することができるのではないか, と考えられる点で,共通するのではないかと思われたのでした。 もっとも,経験主義的に実証しなくてよい, というのが現象学的心理学の方法論であるのならば, 行動主義を含めた実証主義的立場をとる心理学とはかみ合わず, 対立関係にならざるをえないかもしれませんね…。 だからかどうか,両方に通じた研究者というのも少なそうですし…。 luciferxx13さんが「科学と、現象学の方法論の違いはどうするのか?」と 書かれているのも,この点のことでしょうか? とりあえず研究(というか論文を書くこと)は, どちらか片方だけ知っていればできますしね…。 それは,いいことではないのかもしれないですが。 自分の領域では有名なことが, 他の領域では未知のこととして扱われていたということもありますしね。 両方に通じているのがいいのでしょうけど, 自分の領域だけでも把握するのは大変なのに, 哲学的背景が異なる領域の知見を把握するというのは, いろいろな意味で難しいですよね…。 おっと,書き忘れてました。 検索してみたら,このようなものがありました。 「運動依存症の実存的―現象学的意味」(その3:研究事例) (Fahlberg, Fahlberg, & Gates, 1992)の部分訳 山本裕二先生(名古屋大学)の書かれたもののようです。 この冒頭に,次のようなことが書いてありました。 「スポーツ心理学においては行動主義が優勢であるが、 その限界も指摘されるようになってきた。」 (中略) 「行動主義のもう一つの限界は、外から、つまり研究者によって、 観察される現象の分類と因果関係と、 それに基づく行動の予測を可能にすることを目指しているが、 現象の個人にとっての『意味』を理解するには十分ではない。 上記のような自然科学的行動主義の限界を補完(否定ではないことに注意)して、 人間の心理を研究する方法の一つとして「実存主義的―現象学的心理学」が、 20世紀の哲学(フッサール、ハイデガー、メルロ=ポンティ、サルトルなど)を 土台として発展してきた。人生における「意味」の探求である。」 …私が前述したことそのまま,ではないでしょうか(^^; このことは,私の考えのすばらしさを表しているのではありません。 今までに何度も経験してきたことですが, この程度の知識水準で考えつくようなことは, とっくに誰かが考えている,ということです。 厳密には,この文献の引用部分に書かれていたことは 行動主義→現象学的心理学,の流れであって, その反対の流れは含まれていませんが, この見解が行動主義心理学に投げかけられれば, それで循環が1つできあがるものと思われます。 そうわけで,タイトルに「循環(?)」と「?」を付けましたが,不要でしたね。 既に循環が試みられている領域がありました。 きっと,臨床心理学や教育心理学でも既に行われている動きなのではないでしょうか。 興味深い話でしたね。
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こんばんは^^ はじめまして。トラックバックありがとうございますッス。
えっとですが、私の捉えている現象学的心理学とかなり大きな隔たりが在るみたいなので、もうチョット勉強してから、またブログに書きたいと思います。。 m(__)m
2007/7/12(木) 午後 10:43
哲学的な立場から発言させてください。実存主義心理学とは「了解心理学」のことかと思いますが、そのままでいくと理解で満足してしまうと言う弱点を抱えているかと思います。行動主義心理学でも実践の現場ではウォルピの「系統的脱感作法」はイメージを扱っているではないかと言うことになると思うのですが、新行動主義では操作的定義が可能な構成概念は導入してもよいと言う流れになっていますね。実存心理学は幅がそれに対しても広すぎると思うんです。例えば僕は「意識」を「体験感覚」として定義している訳なんですけれども、これでは何を測ったら「意識」が実証できるかがきわどいんですよね。反応までの遅延時間とか、例えば新ピアジェ派なんかは延滞模倣の出現を以て表象能力の測度なんかにしていますけれども、日常言語学派の哲学と同じで、第三者的な理解の理解を問題にしなくてはならなくなってるんですね、こういうきわどいところでは。実証できないから実在しないというのは少々乱暴な感じを受けるわけです。もっと緻密な定義ができるかも知れない。要するに、定義力が問われているのではないでしょうか、実存主義と行動主義の間では。
2010/3/5(金) 午後 8:32
コメント欄だけでは難しそうなお話をありがとうございます。どれだけ私が理解できたか心もとないですが、とりあえず、何を定義する必要があり、それが可能かどうかや、何を目的として定義するのかも領域によって異なるのでしょうね。ある領域から見たら不十分な定義でも、その領域では足るということはあるのだと思います。そのことを考慮せず、自分の立場こそ正当だという前提がある場合は、ケンカになるのでしょうか。領域にこだわらず、目的によって定義の仕方を変えるほうがよいかもしれないですが、実際には簡単なことではないでしょうね。ただの定義の「方法」ではなく「主義」だから簡単ではないのでしょうか。
2010/3/5(金) 午後 11:49