あそこでは言えないこと〜心理学 言いたい放題〜

しばらく多忙で開店休業状態です。主に心理学について書いてます。投票もやってますのでよろしければご覧下さい。

臨床心理学,精神疾患・障害

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

更新が止まってからもここを訪れる人がちらほらといらっしゃるのですが、
ここの情報もずいぶん古くなってきましたし、サイトを閉鎖しようかと考えもしました。

しかし、いわゆる「うつ病」について、
現状の問題点を簡潔に分かりやすく整理してくださっている論文を知りましたので、
サイトを閉鎖せずにその論文を紹介しておこうと考えました。

こちらの論文です。リンク先はpdfファイルです。
「うつ病臨床における「えせ契約」(Bogus contract)について」(井原, 2010)
精神神經學雜誌, 112巻(11号), 1084-1090.

「現状」と申しましても、論文は2010年のもので既に新しくはないですが、
「うつ病」の「現状」理解には役立つのではないかと思われました。

論文のタイトルにある「えせ契約」とは、簡単に言えば、
言いたくても言えない(あるいは言わない)ことがある医師と、
「うつ病」は治せると思い込んだ(あるいは思い込まされた)患者の間の
歪な関係のことと言えるでしょうか。
言いたくても言えないとは、

医師は何について言いたくても言えない、言わないのか。
そして、患者に限らない多くの人はなぜ、
「うつ病」は治せると思い込んで、思い込まされているのか。
その歪な構造をもたらす要因である、診断の問題、原因の考え方と治療法の問題、
医師の立場、製薬会社の立場などについて、
医師である著者が忌憚のない見解を述べていらっしゃるように思われました。

研究が進展している一方で、
社会問題としての「うつ病」の問題はその進展以上の速度で
混乱を増しているように思われます。
その現状の理解の助けになるのではないでしょうか。

それほど長くない論文ですが、それでも論文ですし、全部は読めないという方は、
6ページ目の「精神科医からのメッセージ」だけでもとりあえず
ご覧になってはいかがでしょうか。
これは専門知識がなくても読める言葉で書かれています。

興味をもたれた方は、この論文と同じ号の他の特集も興味深いのではないでしょうか。
一覧のページをリンクしておきます。
上記の問題について、他の論文も読むことができます。
精神神経学雑誌第112巻第11号|公益社団法人日本精神神経学会
私がいつか書こうと思っていたことを簡潔に書かれた先生がいらっしゃったので,
ご紹介で済ませることにしました(^^;

ダイヤモンド・オンライン
クスリに頼るのは悪いこと?――「抗うつ薬」の効用と限界――「うつ」にまつわる誤解 その(10)
(こちらを見られない場合は,このページの下のリンクをご利用下さい)
私がここ何年も感じてきた,薬の働き方や役割についての,
医師と,患者やクライアントとの認識のギャップや,
それをさらに広げる,うつ病の定義の拡大と曖昧さが,
簡潔に説明されていると思いました。

私が特に念を押したいのは,
3ページ目の後半に書かれている点です。
一部を引用しましょう。

「アンバランス」を薬物療法によって整える作業は、厳密に言えば「うつ」という
状態に対しての対症療法なのであって、「うつ」をひき起こした何らかの根源に対する
根治療法とは言えないわけです。
 その次元に向けてアプローチを行なって根本的解決を目指す精神療法と、症状を
軽減して療養しやすくすることで治癒力の発現を助ける薬物療法とを、それぞれの
目的と限界を把握したうえで、病態や状態に合わせて上手に活用することが治療として
大切なスタンスだろうと思います。
 ですから、「クスリさえ飲んでいれば良い」という考え方も「クスリには意味が
ない」という意見も、いずれも偏った認識なのであり、そのような極論に振り回されて
しまうことは危険なことだと言えるでしょう。
治療における薬の使用意図の誤解と,
一部のいいかげんな医師や犯罪者などによる行為から,
薬物治療に対して過剰な嫌悪感が多くの人々に生じているように思われます。
しかし,その嫌悪感を支持する意見(
は,この泉谷先生がご説明されているように,
極論ではないかと考えます。

もちろん,治療方法を選択する権利が患者・クライアントにはありますし,
自らの考えによって薬物治療を避けるのも選択肢の1つです。
また,違法行為,犯罪(虚偽の診断による薬の処方)は問題であり,
取り締まる必要があることは当然ですが,
薬物治療に対する極論は,誤解を根拠にしていることが多いと思われ,
精神科医を訴えるための根拠としては不十分と思われます。
極論を根拠にして薬物治療を避けたり,精神科医を訴えるたりするのは,
患者・クライアント自身にとって,むしろ,
有効な選択肢を自ら減らすことにつながるのではないかと懸念します。
また,精神科医やカウンセラは,理解してもらえないと投げ出さず,根気強く,
極論に対抗していかなければならないのではないかと思います。

ただし,私はうつ病をはじめとする精神疾患・障害の診断基準を
全面的に支持するものでもありません
精神疾患・障害の概念や診断基準,治療法は,依然として,
ようやく黎明期を脱出し始めたくらいの水準ではないかと,個人的には考えています。
新たな「うつ病」と命名される病態が増加していることも,
その表れと考えられます。
少なくとも,科学技術の進歩によって明確になった部分と,
近代の思弁的な概念を引きずったままでいる部分が混在しており,
しかも,それが治療者の個人差としても表れているのではないかと推測しています。
旧態依然とした治療者と,新しい根拠や理論に基づく治療者がおり,
しかもいずれにも利点と問題点があるようです。

そのとおりならば,患者・クライアントは,
治療者も万能ではないことを承知の上で治療を求めるという姿勢が必要ということになるでしょうし,
緩解(寛解)(Yahoo!辞書)という概念を受け入れる覚悟も必要と思われます。
一方,治療者は,謙虚な姿勢で治療にのぞむことが必要とされるのではないでしょうか。
そして,このことは,他の診療科でも当たり前のことではないでしょうか。
治療者は神様ではありません。
精神疾患や障害以外にも,完全には治らない病気もありますよね。

完治するためではなく,より良い,もしくは,せめてよりましな状態を手に入れるためには,
精神科医やカウンセラが役立てることもあります。
その点を無視して,極論にとらわれ,精神医療排斥のような態度をとるのは,
苦しんでいる人たちにとって利益にならないのではないでしょうか。


ただ,どのような治療を受けることが自分にとって望ましいかという,
専門知識があっても迷いが生じることもあるであろう難しい判断を,
患者・クライアントに判断するように求めることは,あまり現実的ではないとも思います。
患者・クライアントが努力できることは,できるだけ正確に症状を伝えることであり,
そして治療者は,患者・クライアントがそうしやすい環境・状況を作るように
心がけることが必要ではないかとも思います。
このことは,治療者にとっては大学・大学院で学ぶ基本原則程度のことだと思いますが,
実際にどのくらい実行できているのでしょうか?


前回から長い間放置してしまっていたテーマですが
今回は,精神疾患や障害の診断における問題は何かということについて,
見聞きしたことや考えたことを,自分の頭の整理のために,少しだけ書いておきます。

その話題に参考になるので,ミカ先生の記事にトラックバックさせていただきました。

この記事をはじめとするミカ先生の記事からは,学習障害(LD),
ひいては他の精神疾患・障害にまつわる診断の問題のいくつかが見えてくるように思われます。
ミカ先生の記事によると,LDの診断基準はありますが,その基準の客観性が不十分なために,
アメリカでは過剰に「障害児」が生み出るという問題が生じていたようです。(現在は状況が変わったようです。

このようなことになった理由を考えてみました。
私はLDの歴史を調べたことはありませんが,いくつかの文献から,次のように推測しました。
LDに限らず疾患・障害全般において,「疾患」「障害」の定義は,心身が原因で生活に支障がある,
という事例が積み重ねられ,それらの共通点がまとめられるのだと思われます。
そして対処(治療に限らない)方針を考え指標とするために,疾患・障害を特定するための診断基準を,
やはり事例の共通点をまとめることで作るのだと思います。
例:DSM(参考 Wikipedia)

診断基準を作るための疾患・障害の定義は,できる限り厳密である必要がありますが,
診断基準には簡便に使用できることも必要と思われます。
診断は対処のための症状の分類であって,対処方針さえ立てられればよく,
また,多くの場合,診断にコストをかけることは誰にもあまり望まれないのではないでしょうか。
命にかかわる事態でない限り,脳や心を検査するために,頭を開くことにはなりません。
MRIだって簡単には使用されるものではありません。
そのため,診断基準は必ずしも科学的厳密さを追及したものとはならないのだと思います。
頭を開く代わりに,比較的容易に観察できる行動や問診,
そして身体反応や生理的指標などによって判断することになりますが,
これらは脳の状態の間接的指標でしかありません。(そして,心の直接的指標はありません。

その結果として,診断者によって診断結果が異なる,という問題が起きやすくなるのだと思われました。
ただし,研究者や専門家もそのままでよいと考えているわけではないことは,
以前(2007年8月21日)に書いたことがあります
少なくとも診断基準が,まったくの主観に頼っている,という見解には賛成しかねますし,
曖昧さを解消するべきという主張もあり,努力もされていると思われますが(例:EBM(参考 Wikipedia)),
今のところある程度の曖昧さを含むことは事実と考えます。
また,その曖昧さが,治療とは異なる意図での(けびちゃん氏がしばしば主張されるような),
恣意的な診断基準の運用を行いやすくしているということはあるかもしれません。
DSMを見る限りでは,個別の条件についての判断の正確さは,
診断者と対象者とその周辺の人々(家族や教員など)の努力に頼るしかないからです。
いずれかの人が努力を怠って(もしくは他の意図で),根拠のない見立てを報告すれば,
無根拠な診断が下されるという危うさを含んでいます。

なお,少々話がそれますが,精神科関係だけでなく内科などにも,
自己報告や間接指標に頼ることがあるという点で同じ問題はあると思います。
それにもかかわらず,けびちゃん氏が,精神科だけを攻撃対象とする理由が理解できません。
精神科の問題が他の診療科に比べて取り上げられにくいからでしょうか。
もし,そのような事情があるとしても,しかし,けびちゃん氏の記述がそういう論旨だけであるようには見えません。
けびちゃん氏の論旨は,日本の過去の戦争犯罪を取り上げて現代の日本人の多くが悪人であるとする主張や,
企業の1つの違法行為を取り上げてその企業活動の全体が悪意を持って運営されているとする主張に
似ていると思われます。
一部の問題を全体的な問題として一般化しすぎているのではないか,ということです。
また,問題の原因を医師や製薬会社の内面にばかり帰属する傾向も見受けられます。
自然科学的アプローチではない,社会学的アプローチ(?),
もしくは政治的主張とはそういうものなのかとも思いますが,
精神医学に対する誤解を,別の誤解をもってとらえるような偏った主張が多く含まれるように見受けられ,
その点は問題だと思われました。
また,専門知識の不足による誤解もときどきあるように見えます。
もしかすると,治療者側を敵視するあまり,患者側の見解に偏ってはいないでしょうか。
たとえば,けびちゃん氏はADHDの問題をしばしば取り上げられますが,
このページ下のおすすめの本のような方々の取り組みはまったく無視されているように思われます。


話を戻しましょう。
脳や心の問題を適切に診断するには,どうしたらよいのでしょうか。
客観性が低い,だから客観性を高めるべき,という意見はあります。
しかし,どのようにしたら客観性を高められるでしょうか。

生理学的な数値指標や器質的な特徴でもって診断できるようにしたらよいのだとは思います。
それらについてのデータも積み重ねられていますが,しかし,
そこから特徴を見極め,原因を特定し,診断基準を決定するには,まだ研究が十分ではないようです。
障害の要因として生理・神経学的要因が見出されているといっても,
すべての研究事例において見出されているわけではないようであり,
結果が一貫していないことがあるように見えます。

そしてその背景にも,診断基準の不十分さがあるように思われます。
症状を厳密に定義し,それによって対象を分類しなければ,
異なるサンプルが混合しているために一貫しない結果が生じてしまうでしょう。
したがって,症状の定義,分類を客観的基準(行動指標を主とし統計学によって分析されたもの)に従って
より厳密に行う必要があると思われます。

ただ,DSMやICDはそれを目指して作成されているものと思われます。
実質的な問題は,診断マニュアルよりも実際の診断にあるのかもしれません。
そもそも,日本の場合,DSMはここ数年でようやく普及してきたようです。
それ以前は,診断者が個別の知識と経験で診断しており,今もそうしている人が少なくないということでしょうか。

ミカ先生の記事にも見られるように,この分野の研究はアメリカだけでなく日本でも関心が高く,
多くのコストが費やされているようであり,現場の実態はともかく,研究の進捗は日進月歩のようです。
その勢いは,1年前の情報でも古くなってしまうことがあるほどです。
部分的な因果関係は少しずつ解明が進められているようです。
そして,部分的な因果関係から考えられる対処もあります。
問題は,その研究結果があまり現場に反映されていないことのように思われます。

ただし,直接的原因が特定されたとしても,その原因が脳にある場合は,
それをそのまま診断基準にするのは,コストの問題から,困難であると思われます。
さらなる研究の積み重ねを待つしかないのでしょうか。


さて,ここまで,疾患・障害の定義と診断基準について問題点を考えてみたわけですが,
最後に,これらの問題を解決する一助になるのではないかと思われた思い付きを書いておきます。

診断基準の客観性が問題にされてきたわけですが,
その客観性の問題点は,2つに分けられると考えられました。
1つは繰り返し述べてきた症状の診断の客観性であり,
もう1つは,診断される方がおかれた環境の評価の客観性です。
ここで言う環境とは,教育・学校環境や,働いている人ならば労働環境,
そして家庭環境のことであり,より具体的には,その中での行動や人間関係のことです。
ミカ先生もけびちゃん氏も,いずれの問題についても指摘されてはいますが,
後者については相対的に言及が少ない,もしくは前者と後者を明確には区別していないように思われます。
しかし,私は明確に分けて考えるべき問題ではないかと思いました。

たとえば,ミカ先生が指摘されていたように,現在の学習障害の診断は
障害ではなく教育が不十分であるだけ,という可能性を十分に排除できないようです。
その原因は,症状の診断指標の適切さが不十分であることはもちろんですが,それだけではなく,
教育の適当さの評価が不十分であるためでもないかと思われました。
学習障害の診断には,「教育が適切に行われているにもかかわらず」という前提が含まれているはずですが,
その前提の判断が,それこそ診断者(や教育者)の主観的な評価に頼っている点が,
障害ではない人が障害と診断されるという問題を起きやすくする一因ではないかと思われたのです。
学習障害に限らず,疾患・障害は,外的問題(だけ)ではなく,内的に問題がある,という前提があるはずです。
しかし,いずれの診断も,症状の厳密な診断は追及していても,外的な問題の厳密な評価はほとんど追及せず,
家族や教員などの口頭報告に頼っているのではないでしょうか。

そこで私の思い付きなのですが,環境の評価も客観的に行うことが必要ではないかと思いました。
環境アセスメントとの導入いうことです。
測定されるのは,教育環境ならば教育の適切さや教師の態度,
労働環境ならば上司や同僚の指示の適切さや仕事の質と量,
そして家庭環境ならば家族の接し方(虐待の有無など)ということになります。
それらについて,問題行動や思考を引き起こす要因がないかどうかも,
客観的に行う必要があるのではないかと考えました。

この提案を実践するには数々の困難が容易に推測されますが,もし実践することができれば,
疾患や障害ではない方を疾患や障害と誤診するリスクは減らせるのではないかと思われますが,
いかがでしょうか。
また,もし疾患や障害だった場合には,環境アセスメントの結果を治療に役立てることができると思われます。
それだけでなく,不適切な環境の発見率と適正化の向上,
そのことによる疾患・障害の減少にもつながるのではないでしょうか。
この提案に,一考の価値はないでしょうか。それとも,既にどこかで試みられているでしょうか。
(なお,いたずらに増やされ続けている臨床心理士を活かすことにもなるのではないかと思われます…。)
先日書いた「心の健康(病気)」についての疑問を,Yahoo!知恵袋にも書いてみました。
その結果,3つのご回答をいただけたので,その感想です。

対照的な部分が含まれる複数の意見をいただけたため,質問してみてよかったと思いました。
ご回答して下さった皆様,どうもありがとうございました。

まずベストアンサーに選択したご回答について。
「心」と身体の位置づけを,
コンピュータと対比することで分かりやすく説明していただけました。

それから,恒常性という観点,これは興味深く拝見しました。
ホメオスタシス(参考 Wikipedia)という言い方でなら聞いたことがありますが,
すっかり失念しておりました。
これは,『「恒常性」=「自然治癒力」でもあります』ともおっしゃっていますし,
臨床心理学で言えば,レジリエンス(弾力性)がある状態,
と言い換えられるでしょうか。

心だけでなく身体も,ある日常的な一定の状態があり,
そしてそれが損なわれたとき,その損傷はある程度は自ら回復されますが,
それができなくなるほどの損傷を受けることがあり,それがすなわち病気である。
ただし,「社会生活に支障がでない」場合はその限りではなく,
「健常(健康)」と考える,ということだと理解しました。

元々私が考えていたことに近い部分もあったためか,
分かりやすいご説明だったと思います。

生まれつきの障害をもっていた場合は,損傷を受けたあとに回復する水準が,
元々の障害の水準までしか回復しない,ということがあるかと思います。
そして,障害が社会生活に支障をもたらしていた場合,
これは治療対象になりえるかと思いますが,
その場合に獲得を目指す恒常性の水準は,その人の社会生活に支障がなくなる水準,
ということになるでしょうか。

次に,時間的には一番最初にいただいたご回答についてです。
何が病気かという基準についは明確にお答えいただいていないように思われますが,
おっしゃっていることからすると,社会生活に支障があるかどうかが基準でしょうか。

「前提として、心と体は別物とお考えください。」
「肉体は心(魂)の入れ物にすぎません。そう考える事が自然なのです。」
ということですが,その考えが自然であるとする理由をご説明いただきたかったです。
特に,ベストアンサーに選択したご回答は,
このご回答に対する反論と位置づけられると思いますので,
それに対する反論をうかがいたかったです。

また,このように考える場合,脳は身体なのでしょうか,それとも「心」に属するのでしょうか。
「脳の一部が異なるという点では身体的なハンデがあるといえるかも」とおっしゃってますから,
脳も「心」に属するのではなく身体なのでしょうか。
詳しい方がいらっしゃったらお教えいただきたいと思います。

昨今の脳研究の急速な進展から考えて,将来,この考え方が,
科学的ではないと棄却されることが多くなるのではないかとも推測しますが,
(反対に心身二元論が証明される可能性もゼロではないのかもしれませんが…)
先日にも書いたように,その考え方で救われる人がいるならば
科学的でない,というだけでは棄却する理由とすべきではないかもしれないとも思います。
このような考え方は,準宗教とでも言うべき位置づけをしたら
よいのかもしれないとも思います。
(「準」を付けたのは「神」を前提とするとは限らないという点で
宗教の原則からは外れるのではないかと思ったからですが,
最近の原則は必ずしもそうとも限らないようでもあります。参考例)サイエントロジー(Wikipedia)

なお,このご回答者はプロフィールに,
スピリチュアルによるカウンセリングを紹介するサイトへのリンクを張っていらっしゃいますし,
「神」はいなくても「霊」や「魂」を前提とするならば,
やはり宗教に準じるものと考えるのが妥当かと思われました。

次に,最後のご回答について。
こちらも,社会生活に支障があるかどうかが基準の1つという点は
他のご回答と同じであるかと思いましたが,
特にベストアンサーのご回答とは,身体的な損傷も前提とする点が異なると言えるかと思います。

この点については,Bさんの括弧書きにした点について
もう少し考察していただけるとうれしかったのですが,
私が書き方を曖昧にしすぎたかもしれません。
括弧書きにした点とは「少なくともAさんのように大きな欠損があるというわけではない」
と書いた点です。
「欠損があるわけではない」とはせずに,上記のようにしたのは,
欠損の有無だけが脳(の機能)や行動に障害をもたらすとは限らないのではないか
という観点を暗に含めたつもりでした。

私が問題にしたかったのは,
悩を構成する神経ネットワーク状態に病的な状態と呼べるものがあるかどうかということです。
脳の神経ネットワークは,学習に関わっていることが示すだけでなく,
実際に観測されてもいるように,日々変化するものであるようです。
これが異常(社会生活に障害をもたらす)と思われる行動を生じる状態になり,
しかも自らの努力では制御できなくなったとき,
それは病気として治療対象になるかどうかという点です。

それからもう1つ,誤解のために十分にお答えいただけなかった点があります。
「脳の器質に損傷が無ければ、自らだけでは困難であっても、
コントロール出きるように成ります。」
「努力せずに、自らはコントロール出来ないとする前提に無理があります。」
とおっしゃいましたが,
私は,他者の介入を求めても,一生,改善しないという意味で
「自らの努力ではなかなかコントロールできない」と書いたのではなく,
あくまでも,一人で努力するだけではコントロールが困難な状態,
という点だけを条件にしたかっただけですので,
他者の介入を求める努力もしない,ということは意味していません。

自らは困難ということは,他者の援助を必要とするということです。
他者の援助を必要とするとは,必ずしも,即,
専門家の援助を必要とすることを意味するのではなく,
家族や友人などの,いわゆるソーシャルサポートで足りる可能性も考えられます。
しかし,それでは足りない場合もあると考えられます。
その場合を,病気とするべきかそうするべきではないか
そのことについて他の方のお考えを聞いてみたかったのでした。

ベストアンサーに選択した方のご回答では,
恒常性を維持するのに専門的援助を必要とする状態ならば,
脳の欠損に関わらず,病気と見なす,ということになるでしょうか。

投票はとうぶん募集しますので,投票だけでも,コメント付きでも,
お考えを聞かせていただけると幸いです。

ちなみに,ちょうど最近,香山リカ先生がこの問題について触れられていたので,
ついでに紹介しておきます。
香山リカのココロの万華鏡:精神医学も多数決(キャッシュ元記事:MSN毎日新聞インタラクティブ
理論的な問題というより,実際的な側面について,
精神科医としてのリアルな心情が表されているでしょうか。
ただ,本文中に
「『正常か異常か、というのは、結局、多数決の問題なのではないだろうか』と
考えるようになった。もちろん、医学的に言えばそんなわけもなく」
と書かれているにもかかわらず,
「精神医学も多数決」というタイトルは,誤解を招くタイトルではないかと思いましたが…。

より厳密に考えるならば,器質的な差異は多数決によって決定されるものではなく
科学的に決定される(観測することで決定することができる)ものですが,
それが正常か異常かという問題は多数決によって決定される側面があると思います。
だから,何が病気で何が病気でないかについては,
絶対的な正解はないと私は考えるのです。
ただし,多数決だけで決定されるとも考えません
そこに,専門家の存在意義があるとも考えています。


ところで私事ですが,24日に学会出張から帰ってきました。
いくつか興味深いお話もうかがったので,
そのご報告は,追い追いさせていただこうと思っています。
忙しいため,あっという間に日が過ぎるので,
「追い追い」というのがいつになるのかは予告できません…。
できれば記憶が薄れたり変容したりしないうちに書きたいのですが,
自分の頭の上のハエを追うべき状況でして…(--;
「心が健康」とはどのような状態でしょうか
「病気」は「健康」と対になる概念と考えるならば,
「健康」を「病気でないこと」とするのはトートロジー(同語反復)であり,
少なくともどちらかが定義できなければもう片方も定義できないことになります

そこで,次のような問題を考えてみました。
(私が考えた例であって実際の事例ではありません。)

脳の一部の構造が多くの人とは異なる
(たとえば欠損している)人,Aさんがいたとする。
多くの人と異なるとは,たとえば,
1,000人に1人くらい(0.1%ということ)の割合で存在するとする。
Aさんの脳の構造の特徴は,思考や行動に影響もし,
しかもAさん自らの努力ではなかなかコントロールできないが,
それに影響された思考や行動は社会的にはほとんど無害なものであり
(たとえば,いつでも,たいていの人より楽天的,とか),
人並みの生活を送っているとする。

脳の構造には特別に特徴的な部分はない
(少なくともAさんのように大きな欠損があるというわけではない)が,
その働きに特徴的な点があるBさんがいたとする。
その脳の働きによってもたらされる思考や行動が社会的には特異的であり
(Aさんと同じく1,000人に1人くらいの特異性だとする),
しかもBさん自らの努力ではなかなかコントロールできない特徴だとする。
そのためにBさんは問題行動,社会的逸脱行動が多く,
周囲の人とトラブルをよく起こす,いわゆるトラブルメーカだとする。

なお,2人の特徴が先天的なもの(生まれつき)か
後天的なもの(事故等による)かは,どちらでもよいとします。

この2人は,心の病気や障害か?そうではないか?
投票を設置してみました。絶対的な「正解」はないと考えます。
よろしければ,お考えをご投票下さい。
ちなみに,もう1つ,別のテーマで投票を募集しておりますので,
よろしければそちらもよろしくお願い致します。
こちらも「正解」はありません。
他の方のお考えが知りたくて実施しています。

なお,学術的,社会的に「病気」とされない場合のメリットは,
病気ではないので,病気があると就労・就学できないとされることがある領域でも
進むことができる等,人生選択の自由が維持される点が考えられるでしょうか。
そして,生じるデメリットは,治療法が積極的には研究されない点
(そもそも「病気」でなければ「治療」の対象ではない),
仕事や学業に問題が生じた場合,能力不足・努力不足等として
自助努力を求められやすい点が考えられるでしょうか。
また,病気でなくても「欠損がある」とは思われた場合は,
偏見や差別の対象となる可能性は考えられます。

一方,学術的,社会的に「病気」とされるた場合に得られるメリットは,
社会的保障制度の対象となる可能性が得られ,
対象となれば弱い点を社会的に補われることが期待される点,
それから研究者と研究予算が相対的に増加し,治療法が積極的に研究され,
治ったり症状が改善される可能性が高まる点が考えられるでしょうか。
そして,生じるデメリットは,
症状によっては偏見視されたり,差別されたりする点,
病気がないことが条件とされる仕事や学業の領域には
進むことができなくなる点が考えられるでしょうか。

最後に,心の健康の考え方について,一例を紹介してみます。
たとえば,心理学の概論書である「心理学」(有斐閣)には,
「心の健康」について次のように書かれていました(pp.450-451)。
長いので要約して紹介します。
「現実認識の的確さ」‐自分や他者を過大/過小に評価することが少ない。
「セルフ・コントロール」‐社会的に受け入れられない衝動性をコントロールできる。
「自尊感情」‐自分の存在と価値を認め,ありのままの自分を受け入れることができる。
「親和的関係の形成」‐人と交わることを喜び,その関係を生かして自分を高めることができる。
「生産性」‐何事にも積極的に取り組み,生産的で,そのことに自ら意義を見出すことができる。
科学的ではなく,道徳の教科書のようなことが書かれている感じもします。
実際,絶対的な基準として書かれているのではなく,続けて,
次のようなことも書かれていました。
「心の健康と不健康の区別は必ずしも明確ではない。
また,心の不健康と心の障害(病気)の区別もそれほど簡単ではない。」
「心の障害に至る要因としては,個人の身体内部に起因する生物学的要因,
個人と環境との相互作用によって形成される心理学的要因,
および個人を取り巻く環境としての社会文化的要因が考えられる」

この例が表すように,「心が健康」という状態を純粋に客観的,
科学的に定義するのは,なかなか困難であると思われます。
以前にも触れましたが,理想的な状態は社会,文化,宗教によって異なるということです。
では,どのように定義を決定するのが望ましいのでしょうか。
おそらく,専門領域ではより詳細な理論が示されていることと思いますが,
そちらについてはいまだ寡聞にして存じません。

ちなみに上記の「心理学」(有斐閣)は,
刊行年が2000年と,既に最新のものではありませんが,
比較的幅広い領域が網羅されており,
大学教育水準の心理学がどのようなものであるかを概観するには
よい1冊であると思われます。


ところで余談ですが,最近,ブログを書いてみるものだ,と思いました。
本は,書いてあることしか分かりませんし,
著者に問い合わせるのは何かとハードルが高いですが(最近はそうとも限らないですが),
ブログは,記事に書かれていないことについて尋ねやすく,
回答をえやすい点がメリットだと思いました。
書かれていることの信頼性の判断は難しいですが,
それは本でも(他のマスメディアでも)同じです。
信頼できるかどうかは,著者の知名度や地位や出版社では決まりません。
そうは思っていたとしても,無自覚にそのような選択の仕方をしていないでしょうか。
そうするのも個々人の自由ではあるので,余計なお世話かもしれませんけども…。

日常ではなかなかお声をかけられないような方々が,
ブログという窓を開いて,お話をさせてくださる,
というのもブログのメリットだと思いました。
有名な方がご自分のウェブサイトを開設して,そこでブログも運営する,
ということは昨今では(特に日本では?)珍しくないことのようですし,
そのようなサイトで好きな作家の掲示板に書きこんだこともあります。
しかし,匿名で開設されている方がいらっしゃるとは想像しませんでした。
有名(優秀)な方はお忙しいことが多いので,なかなかお会いできないですし,
お見かけしてもお忙しそうで声をかけることがためらわれます。
その点,ネットだと時間のあるときにやりとりすればよいことも,メリットだと思いました。
ただ,いつでもと言っても限度があるのは理解しております。
都合により,コメントを書きっぱなしにして,お返しいただいたコメントに
数日応答ができないことがあります。その点はお詫び申し上げます。
近日中に必ず再訪問させていただきます。

しばらく更新しておりませんでしたが,本業の資料作成等で忙しくしております。
人に読んでもらう文章といってもいろいろあり,
ブログと違って随時編集というわけにはいかない文章は,
完成度を高めるには推敲に時間をかけるしかありません。
冗長で分かりにくくならないように,書かなくてもよいところは削るわけですが,
その加減が難しいのは,ブログでも他の文章でも同じでしょうか。
経験を積めばある程度は効率がよくなるのだと思いますが…。


注)トラックバック先が2つある↓のは私の操作ミスであり,
  いずれも同じ記事です。紛らわしくて申し訳ございませんが,
  削除することが(この記事を削除して再投稿する以外に)できないようなので,
  何卒ご容赦下さいませ。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.
検索 検索

ブログバナー

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

kyotax30
kyotax30
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事