湯葉(ゆば)の歴史

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京都・ゆば泉から、湯葉の歴史をご紹介いたします。
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ゆば(湯葉)の歴史の続きです。

鑑真によって、日本に伝えられたゆばは、仏教の広がりとともに、発展していきました。

中国から日本に伝わった精進料理は、調理も僧の修業の1つと考えられ、
寺で研究、工夫され独自に発展していきました。
仏教の歴史的な場として、繁栄した京の都を中心に育まれていったのです。

やがて、精進料理の影響をうけ、茶道とともに発展した懐石料理が確立され、
公家料理などの文化が溶け込み、京料理が誕生しました。

仏教の教えである、精進料理は、京料理の重要なルーツになっているのです。
精進料理の素材である、ゆばも京料理に取り入れられ、京の食文化になっていきました。

ゆばは、インドから発祥した仏教から、たくさんの文化を伴い誕生した、
深い歴史のある食材なのです。

そして、仏教とともに、ゆばを日本に伝えたとされる鑑真は、
日本にやってきて、わずか11年でその生涯をとじます。

中国でも立派な地位があった鑑真が、命をかけてまで日本に渡ってきたのは、
当時では異例のことで、大変珍しいことだといわれています。

鑑真は日本にたくさんの功績を残してくれました。
殺生をしないという、慈しみの心のある、精進料理の素材は、
現在の日本食の基礎になっているともいわれています。

鑑真の仏法を広め、多くの人を救いたいという純粋な気持ちは、
現在の食文化の中にも、生きづいているのではないでしょうか?

ゆば泉でも、長い歴史の中で育まれた伝統を大切に継承し、
心を込めてゆばを作らせていただいております。


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京都で湯葉(ゆば)料理なら
清水五条坂 ゆば泉 http://gojo.yubasen.co.jp/
宝ヶ池 ゆば泉 http://takaragaike.yubasen.co.jp/
今日は、ゆばの歴史についてのお話の続きです。
ゆばは、鑑真(がんじん)和上が、日本に伝えたといわれています。

日本にやってきた鑑真は朝廷から、仏教行政の最高指導者である、
大層都に任命され、東大寺戒壇院を健立し、受戒を行いました。
そのため正しい仏法が根づき、日本の仏教界は、劇的に改善されました。

単に、僧を減らす目的であった朝廷と、純粋に正しい仏法を広めたい鑑真の
両者の思いは次第にすれ違い、鑑真は、わずか2年で、大層都を解任されました。
朝廷に利用された失意の彼の思いをくみとり、ある人から土地を寄進され、
「自由に修行する僧侶」という意味の唐招提寺を設立します。

純粋に悟り得た僧を増やすために、身分のわけ隔たりなく自由に修行させ、文学なども学ばせました。
国には僧として正式には、認められていませんでしたが、たくさんの人達に慕われたといいます。

朝廷とは、信念が対立していましたが、正しい仏法を広め、結果的には仏教による
国づくりを確かなものにし、仏教だけではなく、文化、知識の面でも多くのものを与えてくれました。

中国から世界中の文書や宝、美術、建築、医薬品、香料、食品などを持ち込みました。
ゆばはもちろん、砂糖、豆腐、納豆、味噌も鑑真によって伝えられたといわれています。
鑑真は日本に多くの偉大な業績を残してくれたのです。

仏教の発展とともに、ゆばも広まっていったとされています。
鑑真がいなければ、ゆばの歴史もかわっていたかもしれません。

修行僧は、戒律で殺生が禁じられているために、肉を摂ることができなかったので、
大豆からできているゆばは、貴重なタンパク源となったのです。

僧のために、殺生したものを使わず、野菜、豆類、穀物を
工夫して調理したものが、精進料理といいます。

仏教の広がりとともに、ゆばは精進料理には欠かせない食材となり発展していきます。
特に、ゆばが日本で初めて伝わったとされる京都地方では、寺院が多かったため、
次第にゆばは一般にも広まっていき、京の長い歴史とともに、かかせない食材になっていったのです。


このお話の続きはまた次回にさせていただきます。


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今では、よく知られているゆば(湯葉)ですが、秘伝の食材といわれ、
実は、一般に伝わったのは、まだまだ最近のことだという説もあるようです。

ゆばは、約1200年前に、中国(唐)から鑑真(がんじん)和上によって、
仏教とともに日本に伝えられたといわれています。

二千年の歴史があるともいわれているゆばの深い歴史を、
日本に伝わった歴史背景とともに、ご紹介させていただきます。

ゆばの歴史を紐解くと、時代は奈良時代初期にさかのぼります。

当時の日本では、国家を安定させるための国策として仏教を信仰していました。

僧は国に保護されているため、税金を免除されていました。
そして、当時は戒律という制度がなかったため簡単に僧になることができました。

そのため、重い税金に苦しむ庶民たちは、税金免除という優遇を
受けることができるので、どんどん僧になっていきました。

僧は増えましたが、元々仏法を学ぶために僧になっていないので、
僧の質は下がり、風紀は乱れて、仏教は堕落し、腐敗していきました。

その結果、朝廷は、税金が入らなくなることに困っていましたが、
国策として、仏教信仰している以上、僧を弾圧するわけにはいきません。

一方、当時、仏教の先進国であった唐では、10人以上の僧の前で、教団の規則である、
律を誓う儀式である「受戒」を経なければ、正式に僧として認められない制度がありました。

朝廷は、これに目をつけ、国家が認めた受戒師から、受戒をうけた者だけを僧に
公認すれば、僧の数も少なくなり、質も高くなると考え、公の戒律がない
日本の仏教界にも、この制度を導入することを計画します。

そこで、僧侶である栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)を、正式な受戒の仏法を知る名僧を
連れてくるために、唐へ派遣しました。

当時の渡航は、命がけであり、半分以上が遭難している状況の中、733年
二人は無事に到着することができました。

ところが、当時の唐は、国民の出国が禁じられており、国法を破ってまで
日本に来てくれる名僧はなかなか見つからず、苦心していました。

そして、とうとう9年目に、4万人の授戒を授けてきた、鑑真の存在を知ります。
ふたりの強い希望に心を動かされ、日本に行くことを決意しますが、その人徳を
惜しまれ、周囲の猛反対もあり、なかなか渡日を許されなかったそうです。

そんな中、何度も失敗し、20年という年月を経て、6度目の渡航で日本に渡ることができました。
旅は大変過酷であったようで、栄叡は他界し、鑑真は失明をしてしまうほどでした。

鑑真の持ってきた新しい仏法によって、乱れた仏教界の風紀は劇的に改善されました。
そして、その仏教とともに、日本に伝わったのがゆばなのです。

ゆばが日本に伝わるには、長い年月と苦労があり、深い歴史があります。
この続きは、また次回にお話させていただきます。

ゆば泉のゆばにも、この伝統がいきづいております。
深い味わいをぜひお楽しみくださいませ。


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