京にまつわる歴史上の人物

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ねねと秀吉

ひょうが降って不安定だった昨日とうってかわり、今日はすっきりした青空が顔を見せた京都市内。
ゆば泉や姉妹店のある京都市東山区には、高台寺圓徳院というお寺があります。
ここは今、大河ドラマにも登場している秀吉の正妻・ねね(おね)が
秀吉亡き後、ねねが彼の冥福を祈るため建立し、終の住処とした地です。

政略結婚があたり前だった当時には珍しく、秀吉とねねは恋愛結婚でした。
結婚当初は秀吉よりずっと身分も高かった、ねね。
彼女の母の猛反対を押し切った末の結婚だったようです。
ずっとともに寄り添い、後々天下を取った秀吉を
彼の死後までも支えた糟糠の妻として知られます。

そんなしっかり者の彼女も、秀吉の浮気に悩んで
秀吉の上司・信長にダンナの浮気相談をしたとかで、
信長がねねを激励した史料が残っているのだそうです。
その信長からの手紙には『この前久しぶりに会ったあなたは
一層美しさが増している。あなたに対する秀吉の態度は言語道断で
あのハゲネズミがあなたほど素敵な女性を得られる筈がない、
ここは堂々と妻らしくして嫉妬なんかしないように。
この手紙を秀吉にも見せてやりなさい。』
といった意味のことが記されているんだそうです。
……遠い歴史上の人物像にぐっと人間味を感じるようなエピソードですね。
さて現在、高台寺と高台寺圓徳院では東日本震災復興支援として、
その収益を全額寄付される「茶席」が設けられています。
お近くにお立ち寄りの際は、青紅葉の中でいっぷく、いかがですか?

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期間は、2011年5月13日(金)〜7月18日(月・祝)まで。
高台寺/1,000円 圓徳院/800円
お茶席の受付は午後4時半までで別途拝観料が必要だそうです。
詳細は高台寺圓徳院のホームページ等でご確認いただけます。

また圓徳院のすぐお隣には、ゆば泉姉妹店で
高台寺御用達の『京料理 高台寺 羽柴』もございますので
ぜひ、こちらの方へもお立ち寄りくださいませ。
真心込めた“ほんまもん”の京の味で、みなさまをお迎え致します。

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繁華街の真ん中で、合掌。

三条〜四条通り間の河原町通りに面し、人通りでごった返すコンビニ前。

そこに立つ石碑と立て札には『坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地』とあります。
1867年、坂本龍馬と中岡慎太郎が
ここにあった近江屋の2階で刺客に襲撃された地です。

龍馬はほとんど即死。
中岡は、死んだふりをして刺客を去らせた後、
2日後に絶命したそうですが、それはもう凄惨な暗殺事件だったようです。

龍馬は頭を深く切られて意識もうろうとする中、
中岡をかばおうと、彼の名をわざと石川と呼んだ、とも伝わっています。
死に面して、そこまで機転がきくなんて…。

この頃の龍馬は幕府に目をつけられており、
以前にも危ない目にあっていたので、もっと別の安全な場所を探していたようですが、
そんな矢先の事件でした。

しかも普段は、近江屋の2階ではなく裏庭の蔵の中に身をひそめていたとかで、
たまたま…運が悪いというのでしょうか。
逆に、少しのスキをつくほど狙われていたと見るべきでしょうか。

武力に頼らず歴史を良くしようと東西奔走し、まだこれから…というときに
時代の転換期を見届けることなく命を奪われた二人。

今年は、大河ドラマの影響もあってか、
この立て札の前で写メールや写真を撮られる方が多いように思います。
日本人だけでなく海外の方の姿も見られます。

亡くなった後から現在に至る143年の間に、
人の手には、刀でなく携帯が握られていることを
龍馬たちが知ったらビックリでしょうね。


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信長の命日

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今から400年以上前の天正10年(1582年)。
49歳の信長は四国攻略のため、軍の手配を進めていました。

5月15日に家康が安土城を訪問し、
信長は部下の明智光秀に3日間家康を手厚く接待させます。
そんな中、他所を攻めていた秀吉から「敵が大軍です。」と
報告を受けた信長は、光秀の接待を中止し秀吉の援軍行きを命じます。
俗説では、光秀の接待が不満な信長が小姓の蘭丸に光秀の頭をはたかせたそうです。

そして6月2日。
信長が滞在していた京都の本能寺を、秀吉の援護に行くはずの光秀の軍が襲います。
当初は自ら闘っていた信長も、僅か100名程の手勢に対し光秀側が圧倒的な大軍だと悟ると、
居間に戻り自ら放った炎の中で自害した…と伝えられています。
彼の遺体は探してもどうしても見つかりませんでした。

当時本能寺は弾薬庫的な役割もあって火薬が蓄えられており、
遺体は爆散したと言われていますが、別説では信長は脱出し別の場所で自害したとか、
信長を慕う僧侶と配下が秘密裡に埋葬したとも伝えられています。

この最後の僧侶説にちなんで、現在も『阿弥陀寺』(寺町今出川・北)では
毎年6月2日「信長忌」が行なわれています。
この寺に伝わる清玉上人という人物は、織田家で育てられた僧侶だそうです。
清玉上人が本能寺の変を聞き駆けつけると、寺は焼け信長は自害した後でした。
「俺の身体は敵に渡すな」との遺言で、家臣が焼いた遺体は灰と化していました。
上人はその遺灰をもらって帰り、阿弥陀寺で葬ります。
翌日信長の長男や家臣100名以上の遺骸も手厚く埋葬しました。

後にその手柄を讃えた秀吉は、清玉上人に秀吉を喪主として法要を行うよう、
褒美とともに強要しますが上人はそれを辞退します。怒った秀吉により
阿弥陀寺は移転、敷地も八分の一に縮小させられたと伝えられています。
大正6年(1917)の宮内庁調査で阿弥陀寺の信長公墓が廟所だと確認されたそうですが、
ほかにも中京区の本能寺、右京区の妙心寺玉鳳院、東山区の建仁寺・大雲院、
亀岡市の聖隣寺などが信長の廟所や供養塔にあげられています。

今も、そのカリスマ性などで人気の高い戦国武将、織田信長。
最後に彼が生前発した言葉を以下にご紹介します。
現代社会でも(なるほど)と思える名言ではないでしょうか。

◎『理想や信念を見失った者は、戦う前から負けているといえよう。
廃人と同じだ。理想を持ち、信念に生きよ!』
◎『臆病者の目には、敵は常に大軍に見える。攻撃を一点に集約せよ、無駄な事はするな。』
◎『必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ。』
◎『仕事は自分で探して、創り出すものだ。与えられた仕事だけをやるのは、雑兵だ。』


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新撰組屯所 八木邸

暖かかった先週にくらべ、今週はまた寒さが逆戻りしたようです。
皆様も風邪などひかれませんよう、気をおつけ下さいね。


今日は、新撰組とその宿を提供していた八木家のお話をさせていただきます。


新撰組と言えば、幕府から京都の治安警護隊として集められた浪士隊でした。
京都市中京区壬生の、綾小路通りと坊城通りが交差する所を少しさがると、
彼らが寝泊まりしていた屯所の八木邸があります。

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八木家は元々但馬の国(兵庫県)の人々でしたが、
源頼朝の富士の裾野の巻狩りの時、功績をあげたと云われます。
室町時代に、京・洛西壬生村に居を構えるようになりました。
江戸時代に入ると、村の経営や壬生狂言にも携わり、代々村の行司役をも勤めていたようです。

壬生という土地は、古くから水質にも恵まれていました。
湧水が出て、壬生菜、菜種、藍などの産地でした。
その藍で染めた水色が壬生の色です。
壬生狂言に使用する手拭いの色にも古くから使用されているそうです。
皆さんもご存知の新選組の水色の羽織は、この色なのです。


幕末の文久二年 (1862)、八木家は江戸からの浪士を預かります。
その後、浪士隊は江戸に呼び戻されるのですが、13名が京の地に残りました。

芹澤鴨、近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助、新見錦、原田佐之助、藤堂平助、
野口健司、井上源三郎、平山五郎、平間重助、永倉新八。

彼らが、文久3年(1863年)、八木家右門柱に『松平肥後守御領新選組宿』と新しい表札を掲げ、
新選組が誕生となったのです。


その後も隊士は増えていき、八木家だけでなく、前川家や南部家も宿所になりましたが、
慶應元年(1865年)夏に、手狭な壬生から、西本願寺の太鼓番屋に引っ越しました。

新選組壬生屯所時代は3年間ほどですが、池田屋事件や激しい内部抗争など様々な事件がありました。
その話は、またのちほどお話させて頂きます。

八木邸は、現在京都市指定有形文化財に指定されており、一般公開もされています。


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豊臣秀吉と京都 2

少しづつ寒さがゆるんでくるそうですが、
今日の京都も寒い一日となりました。

明日は、朝は冷えますが、お昼間は良く晴れて、少し暖かくなるそうですよ!

今日は、京都の歴史と深いかかわりのある、豊臣秀吉のお話をさせていただきます。


【織田信長との出会い】

故郷尾張に戻った秀吉は、天文23年(1554年)18歳の時、
地元の大名で織田信秀の後を継いでいた、
織田信長の小者(雑用などを受け持つ奉公人)として仕官することになります。


織田家の小人頭をしていた友人の紹介で仕えることになったということですが、
諸説がありはっきりとしたことはわかっていません。


織田家でも、機転がきき、こまかい気配りで次々と結果を残し、
小者から小者頭、さらに足軽にへと出世していきます。


秀吉が信長の草履取り(身の回りの世話をする下人)
に任命された時の有名なエピソードがあります。


寒い真冬に信長を気遣い、自分のふところに草履を入れて温めたところ、
感心され、翌日草履取りに任命されたという話です。


この出来事をきっかけに信長は秀吉に目をかけるようになったといわれています。
※この話は、後に書かれた太閣記によって作られたものだという説もあるようです。


また、精州城の普請奉行(ふしんぶぎょう)、台所奉行などを
率先して引き受け大きな成果をあげ、 信長の歓心を買うことに成功します。


次第に織田家中で頭角をあらわし、組頭、足軽大将へと次々と出世し、
周囲からの信頼を得ていきました。
信長には、その猿に似た風貌から、猿や禿ネズミなどと呼ばれていたそうです。


【ねねと結婚】

永禄4年(1561年)25歳の時に、信長配下の足軽弓隊の
組頭・浅野長勝の養女ねね(後の北政所)と結婚しました。


ねねは、実の母に反対されていたため、叔母の嫁ぎ先の浅野長勝の養女になり、
反対を押し切って嫁いだといわれています。
当時は、政略結婚などが一般でしたが、2人は珍しい恋愛結婚だったといわれています。


秀吉は後に多くの側室を抱えることになりますが、
つねに正室であるねねを大切にしたといいます。
とても素敵な夫婦ですね。


【秀吉の活躍】

永禄8年(1565年)29歳の時、信長の一奉行としての地位を築き、
木下藤吉郎秀吉と名のっています。


永禄11年(1568年)信長が上洛した際に、
明智光秀とともに京都の政務を任されることになります。


元亀元年(1570年)に越前朝倉義景討伐に従軍した際には、
進軍中に盟友だった北近江の浅井長政が突然裏切り、小田軍を背後から急襲します。


浅井と朝倉の挟み撃ちとなり、絶体絶命の危機でしたが、
秀吉はしんがりをみずから願いでて、これを防ぎました。
これを金ヶ崎の退き口といいます。


秀吉の奮戦で危機を脱した信長は、褒美として黄金30枚を与えています。
このことから、秀吉の勇名は、一気に高まることになりました。


このお話は次回へと続きます。
本日もごらんいただきまして、ありがとうございます。


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