人物歴史訪問記

歴史上の人物は、各人の心の中で思い思いで生きています。

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龍馬の躍動2

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弘化3年(1846年)、初夏の昼下がり、高知城下の商家の大店と見まがう庭先に、この家の末弟の少年が、ベソをかいて帰って来た。
3歳年上の姉、乙女が、目ざとく、それを見つけると、
龍馬、おまん、また苛められて、泣いちゅうか。」
「何も泣いちゅらん。」
慌てて、龍馬は、右手の袖で目を拭いた。
この時、龍馬は、十歳である。
「そうか、泣いちょらんか。では、早よう、井戸で顔を洗って、木刀を持ってきいや。剣術の稽古をするきに。」
根が繊細で優しく臆病だった、この少年の幼少期の指南役は、望むと望まぬとに係わらず、乙女であった。
龍馬達の母・は、龍馬を生んだ後、肥立ちが悪く、病臥に伏していたが、この年、亡くなっていたのだ。
幸い、乙女は、母性本能を善く発揮し、龍馬に愛情を注ぎ込んで、育てていたのだ。
坂本家の三女である乙女は、典型的な土佐の八金で、名前に似合わず、大女で、坂本の御仁王様と呼ばれて、敬愛とも畏怖とも付かぬ目で見られていた。
だから、弱々しい龍馬が、歯がゆくて仕方が無かった。
龍馬、思い切り、打ち込んできいや。」
「えい!やあ!」
襷掛けで、着物の裾が乱れるのも構わず、小一時も、稽古は続いた。
この様子を縁側で見ていた次姉のお栄
「まあ、乙女の八金ったら。はしたないっちゃ、ねえ、春猪。」
言葉とは裏腹に、微笑みながら、傍らにちょこんと座った姪に語りかけた。
この頃、坂本家の当主は、二十以上も歳の離れた、長兄の権平が継ぎ、父の八平は既に隠居していた。
長姉の千鶴は、既に高松家に嫁し、次姉のお栄、三姉の乙女、兄嫁の千野、姪の春猪(はるい)との七人家族であった。
龍馬と姪の春猪は、数歳しか離れていない。
この頃になっても、よく寝小便をしていた龍馬は、
「叔父ちゃん、また、よばったれしちゅう。」と、よくからかわれた。
「春猪は、よばったれしないんがじゃ。」
「しないっちゃ。」
「ふーん。子供じゃのに、なぜじゃっち。」
子供は、寝小便するものと思い込んでいる龍馬は、本当に不思議だった。
龍馬の家は、数代前までは、城下有数の大店(才谷屋)で、郷士株を買い取り、分家して、坂本家と云う武士身分になっていた。
ご多聞にもれず、江戸時代の土佐藩も複雑で、遠州・掛川より転封してきた、山内家の家臣が上士で、土着の長曾我部家の残党が下士の郷士と云う、身分構成になっていた。
上士と下士の差は絶対で、道で行き交う場合、郷士は農民と同様、地べたに土下座をしなければならなかった。
殿様に御目通りは元より、下駄を履く事も叶わなかった。
自然、郷士の暮し向きは貧しかったが、龍馬の坂本家は、元豪商の出、金に困る事は無かった様だ。
この上士と下士の間に、特別優秀・功績のあった郷士が取り立てられて、白札と云う制度が設けられていたが、それとて、決して上士には成れなかった。
白札は、御庭で御目通りも叶ったし、下駄を履く事も許されたが、それ以上ではなかった。
因みに、後に土佐勤王党を結成した武市半平太瑞山は、この白札に属していた。

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