人物歴史訪問記

歴史上の人物は、各人の心の中で思い思いで生きています。

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龍馬の躍動3

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龍馬が、よく苛められたのも、この生い立ちに原因がありそうだ。
郷士は貧しい。
世が世であれば、長曾我部の家臣として代々暮らせたものを、今は山内家の陪臣の如く、名誉も身分も貶められている。
一領具足としての誇りを失なわぬ郷士達にしてみれば、金を遣って郷士株を買った坂本家を、中傷するのも、有り得る事だ。
しかも、豪商の出だから、金に困る事は無い。
悪童共の苛めの対象になっていたのかも知れない。
乙女は、そんな龍馬を心配もし、絶えず、励まし続けた。
家長の権平は、そんな様子を見て、
「乙女と龍馬は、男と女が入れ替わっちゅうがや。」
「兄上様、そんな事は無いがに。龍馬やち、今に立派になるっちゃ。」
常に、龍馬を庇う、乙女であった。
或る時、城下を流れる鏡川で龍馬が数人で泳いでいると、乙女が通り掛かった。
それを目敏く見つけた悪童が、
「あっ、龍馬んくの御仁王様じゃ。」
「これ、誰れが御仁王がじゃ。変な事云うと、懲らしめちゅう。」
と、本気で着物の裾をたくし上げ、水中に乗り込もうとした。
慌てた悪童連は、対岸へ一目算に泳ぎ、逃げ去って行った。
「乙女ねえも、やっぱり、女じゃったか。」
「当たり前ですろう。御仁王とは、酷すぎるやっち。」
「そうかのう。強い名前でいいですろうに。」
「ほんじゃ龍馬、おまんにその名前をやるっちゃ。」
「わしは、まだ、そこまで強くないっちゃ。」
「まあ、龍馬ったら…」
苦笑しながら、乙女は立ち去って行く。
その堂々たる後姿を見ながら、
―やっぱり、御仁王様じゃ―龍馬は呟いた。
その後も、私塾に入門したりしたが、長続きしない。
唯一の興味は、乙女姉さんの様に強く成りたいとの一心で、剣術を志す事になり、嘉永元年(1848年)、城下の日根野道場に入門した。
十三歳の時の事である。
この頃より、背丈がぐんぐん伸び始め、160cm位になり、同門の内でも抜きん出る体格になってきた。
こうなると、少しは自信も出てくる。
剣術にも、上達の加速度が増して行った。
悪童共の苛めも無くなり、多くの友達も、周りに集まる様になっていた。
そも、龍馬の坂本家は、本来、武士の出である。
どころか、相当名門の家柄だ、と云うのだ。
家紋の桔梗で直ぐ思い付くのは、戦国時代の武将・明智との関連だ。
思い起こして頂きたい。
明智光秀は、何故に信長を討ったのか。
その大きな要因の一つに、信長が意を翻して、四国征伐、つまり、長曾我部家を討つと云い出したからに他ならない。
光秀は、本来、主殺しをする様な人物では無い。
教養も冷静さも分別も併せ持った人格である。
さらば、何故、斯くなる挙に及んだのか。
明智家と長曾我部家との、深い交わりがあったのである。

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