人物歴史訪問記

歴史上の人物は、各人の心の中で思い思いで生きています。

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龍馬の躍動4

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光秀に水魚の交わりとして仕えた重臣に、斎藤内蔵之助利三がいる。
後の、徳川三代将軍家光の乳母として権勢を振るった、春日局(お福)の実父である。
その利三の縁戚が、長曾我部家に嫁していた。
当然、明智家とは入魂である。
山崎の戦いで明智家が滅びると、家中は各地に落ち延びた。
光秀の娘婿・左馬助光春は、近江坂本城で血縁者を自刃させ、自ら城に火を放って、生涯の幕を引いたが、その折、僅かばかりの者を落ち延びさせた。
土佐の長曾我部家を頼った人々もいた筈だ。
龍馬が、父の八平から、家紋の桔梗紋の謂れや、こんな話を聞かされて、自分の先祖は明智であると、生涯信じ込んだのも無理は無い。
土佐に桔梗の家紋は少なかった。
坂本家が郷士株を取得し、本家才谷屋から分家して、士分になってから、龍馬で四代目である。
だから、龍馬の家は、元々町人では無く、武士の家柄であったのだ。
そう云う事を聞かされ、段々自信を得て行った龍馬は、悪童共を相手にせず、日根野道場の帰り道、桂浜に腰を下ろしては、浦戸の沖・太平洋を飽かず眺めていた。
厚い瞼の瞳を細め、少し縮れた頭髪を潮風に靡かせながら、何を想っているのやら、もそっとした少年一人が俯瞰して目に浮かぶ。
嘉永六年(1853年)正月、乙女が家長である権平に、
「兄上様、龍馬も本年、十八になりますろう。何時までも、部屋住みではないですろう。行く末を考えれば、剣術道場でも開かさねばならんがじゃ。どうじゃろう、この辺で、江戸遊学させるちゅうのは…」
「江戸遊学ちゅうても、お城の御許しが必要じゃち。」
「その御許しを、願い出て貰えんですやろか。」
龍馬、おまんの気持ちは、どうがじゃ。」
突然の話に驚いたが、直ぐ嬉しさが込み上げて、
「嫌も何も無いきに。今直ぐでも、飛んで行きたいっちゃ!」
「仕方無いのう。江戸とは、わしも行った事が無いっちゅうに。まあ、御許しが出るか出無いか解らんが、願い出てみる事にするきに。」
「兄上様、有難う存じまする。これ、龍馬も早よう頭を下げっちゃ。」
その日の龍馬は、日根野道場でも、生き生き、活つ活つ、笑みさえ溢しながら、稽古に打ち込んだ。
三月になると、藩庁より、正式には遊学は叶わないが、上士のお供と云う名目で、且つ、自費で行くと云うのなら、拒みはしないと云う御達しが出た。
十七日、龍馬は、日根野道場より千葉定吉道場への紹介状を懐に、権平から四十両を貰って、勇躍、土佐を出立した。
見送る兄嫁の千野と、姪の春猪は、涙を溜めていたが、乙女は微笑んでさえいた。
道場の仲間も、羨ましそうに見送りに出ていた。
将に春盛り、桜の花弁が舞い散る中、龍馬の後姿は、春霞に消えて行った。
他国へ足を踏み入れるのは、初めてである。
流石の、のんびりした性格と好奇心旺盛な龍馬も、大坂も京も素通りして、一心に江戸を目指した。
四月初旬、お江戸に着いた龍馬は、土佐藩下屋敷に申し出、到着を報告した。
その足で、早速、千葉道場に向かった。

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