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			<title>人物歴史訪問記</title>
			<description>歴史上の人物と対話する事は　ある意味で　現代我々のアイデンティティーを探る事になります。　我々にとって最重要な事は　生きている現在です。　さりながら　遠い彼方の人物の生き方・環境・物の考え方は　我々の参考にもなり　反省にもなります。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kyoumisinsin23</link>
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			<title>人物歴史訪問記</title>
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			<description>歴史上の人物と対話する事は　ある意味で　現代我々のアイデンティティーを探る事になります。　我々にとって最重要な事は　生きている現在です。　さりながら　遠い彼方の人物の生き方・環境・物の考え方は　我々の参考にもなり　反省にもなります。</description>
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		<item>
			<title>龍馬の躍動７</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-33-6e/kyoumisinsin23/folder/1405814/16/26215316/img_0?1140504401&quot; width=&quot;50&quot;&gt;&lt;br /&gt;
それにしても、若き&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;には不満であった。&lt;br /&gt;
一藩の下級武士であるから、内情はよく解らなかったが、むざむざ黒船を獲り逃がすとは、何たる失態との想いが、沸々と湧いていた。&lt;br /&gt;
若き青年の偽らざる愛国の情であった。&lt;br /&gt;
まだまだ、勤皇、尊王、攘夷という政治的スローガンは無い時ではあったが、素直な感情として、そう想ったのである。&lt;br /&gt;
唯、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;には、他の青年達と違う捉え方があったのも事実である。&lt;br /&gt;
任を解かれた&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は、又、千葉道場の修行に汗を流す日々に戻って行った。&lt;br /&gt;
その年の暮れ、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は、信州・松本藩の至宝と云われた&lt;b&gt;佐久間象山&lt;/b&gt;に、砲術を学びたいと入門している。&lt;br /&gt;
やはり、夏に遠望した黒船の大砲が、相当気に掛かっていた様だ。&lt;br /&gt;
象山は学究肌で、天才の名を欲しいままにした大学者であった為、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;との肌合いは相当違っていた。&lt;br /&gt;
象山先生が講義する内容は、ちんぷんかんぷん。&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;には、全く理解出来なかった。&lt;br /&gt;
「&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;、理解出来ているや？」&lt;br /&gt;
「さっぱり解らんっちゃ。」&lt;br /&gt;
「解らんのに、学んでも仕方無かろうに。」&lt;br /&gt;
「先生、解らんから、学ぶんですきに。」&lt;br /&gt;
「でも、学んでも解らんのじゃろう。」&lt;br /&gt;
「解らんっちゃ。」&lt;br /&gt;
「では、始末に負えないじゃないか。」&lt;br /&gt;
「いや、そんな事無いがやっち。先生に接していると、頭やち、少しずつ変わって来るきに。」&lt;br /&gt;
「はは、これは、面白い事を云う輩じゃ。」&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;が象山塾で学んだのは、こんなものであったが、この経験は、その後に、多大な影響を与えている。&lt;br /&gt;
当代一と云われた頭脳にも、物怖じせず近づけた&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は、その後、大立者と、次々、交友の輪を広げて行く事になる。&lt;br /&gt;
黒船が来た時、笹舟の様な小船に乗って、大艦に近づいたものの、乗艦を拒否され、捕まって牢に閉じ込められている、&lt;b&gt;吉田松陰&lt;/b&gt;がいた。&lt;br /&gt;
又、幕臣で後に頭角を現す&lt;b&gt;勝海舟&lt;/b&gt;の妹が、この象山に嫁ぐ事になる。&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;が大金をはたいて、象山塾に通っている事は、忽ち、土佐藩・下屋敷の長屋で話題になった。&lt;br /&gt;
「&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;、おんし、そんな勤勉じゃったがや。」&lt;br /&gt;
「いんや、さっぱり解らんちや。この教本を見ていると、頭がずきずきして来るちや。」&lt;br /&gt;
「ほな、何で、入門するがや。」&lt;br /&gt;
「何でじゃろう。わしやち、よう解らんがじゃ。」&lt;br /&gt;
「おんしも、変わった人間じゃのう。」&lt;br /&gt;
それでも、藩庁の方では内々に&lt;br /&gt;
―その心掛け、朱勝である。以後も、励むべし。―&lt;br /&gt;
との御達しを受けていた。&lt;br /&gt;
翌けて、安政元年（１８５４年）二月、藩の長屋住まいの悪童連が、そんな&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;を引っ張り出して、吉原へ繰り出した。&lt;br /&gt;
「俺達は、お江戸へ来て、未だ、吉原は知らんがじゃ。金が掛かるきにのう。&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は金があるきに、俺達を連れて行きいや。」&lt;br /&gt;
「ほうじゃのう、ほな、そうするっちゃ。」&lt;br /&gt;
土佐の下級若者武士連は、その夜、初めての吉原を体験したのだった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kyoumisinsin23/26215316.html</link>
			<pubDate>Tue, 21 Feb 2006 15:46:41 +0900</pubDate>
			<category>小説</category>
		</item>
		<item>
			<title>龍馬の躍動５</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-33-6e/kyoumisinsin23/folder/1405814/89/25844489/img_0?1140155613&quot; width=&quot;50&quot;&gt;&lt;br /&gt;
千葉道場で案内を乞うと、うら若き女性が出て来た。&lt;br /&gt;
「土佐藩の&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;坂本龍馬&lt;/font&gt;と申す者ですが、千葉先生に御目通り願いたいがじゃ。ここに、郷元より、日根野先生の紹介状がありますきに。」&lt;br /&gt;
「それは、御苦労様。直ぐ案内致します故、暫し、お待ち下さりませ。」&lt;br /&gt;
道場主・&lt;b&gt;定吉&lt;/b&gt;の娘、&lt;b&gt;佐那子&lt;/b&gt;は奥へとって返しながら、思った。&lt;br /&gt;
―何て薄汚れたお方なんでしょう。鬢は乱れ、顔は浅黒く、細目で、焦点が合わない様な顔でこちらを見て、おまけに、臭気すら漂わせていらっしゃる。―&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;の初印象は、散々であった。&lt;br /&gt;
然しながら、この頃には珍しく、背は既に五尺七寸（約１７５cm）もあり、大男に部類していた。&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は旅装も解かず、直行して来ていたので、無辺ない成りである。&lt;br /&gt;
やがて、足だらいが用意された。&lt;br /&gt;
たらいの水が、薄墨を撒いた様な有様に変わった。&lt;br /&gt;
袴の埃をパンパン叩きながら、案内に従い、奥へ通った。&lt;br /&gt;
案内人は、顔をしかめつつ、袖で鼻と口を押さえていた。&lt;br /&gt;
障子を開けながら、「どうぞ、こちらへ。」&lt;br /&gt;
にゅっと部屋へ入ろうとした&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;の頭に、鴨居が待ち受けていた。&lt;br /&gt;
ゴツン！&lt;br /&gt;
この瞬間、待ち受けていた千葉定吉は、平然としていたが、脇に控えていた佐那子は、堪えきれず、口を袖で隠しながら、笑いを噛み殺して、立ち去って行った。&lt;br /&gt;
定吉の前に平伏した&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は、&lt;br /&gt;
「土佐藩江戸下屋敷、吟味役付き畠山左衛門が家来、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;坂本龍馬直柔&lt;/font&gt;と申しまする。ここに、日根野よりの介状がありまするきに。」&lt;br /&gt;
受け取った紹介状を一読し、&lt;br /&gt;
「相解った。入門を許そう。それで、何時から通うかな。」&lt;br /&gt;
「今直ぐにでも…」&lt;br /&gt;
そこへ、佐那子が茶を運んで来た。&lt;br /&gt;
「これは、我が娘、佐那子と申す者。少しは、剣術を嗜んでおる。」&lt;br /&gt;
「佐那子と申しまする。以後、お見知り置きを…」&lt;br /&gt;
「はあ、宜しく頼むっちゃ。」&lt;br /&gt;
「ところで、お頭の方は大丈夫で御座いますか？」&lt;br /&gt;
「いやあ、ここん処、背が伸びてかなわんちゃ。江戸への下向の途中でも、あちこちの旅籠でぶつけているきに、もう慣れっこになっちゅう。」&lt;br /&gt;
「佐那子、この&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;坂本殿&lt;/font&gt;は、今日にでも、入門したいと云っておる。初手合わせをやってやれ。」&lt;br /&gt;
道場で、門弟一同に引き合わされた後、佐那子との立会いが始まった。&lt;br /&gt;
両者互角で稽古を終えたが、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は、&lt;b&gt;乙女&lt;/b&gt;姉さんより強い女性がいるとは、世の中、やっぱり、広いもんじゃ。と感じていた。&lt;br /&gt;
それからの&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は、土佐藩下屋敷と千葉道場の往復で、日々を重ねて行く事となる。&lt;br /&gt;
佐那子は、はっきりした物云いをする娘で、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;に対し、汗臭いから、ちょくちょく身体を拭いなされとか、髷が乱れているから、直しなされとか、着物が、着崩れていますよとか、その都度、直言して来た。&lt;br /&gt;
―かなわんなぁ。佐那さんは、まるで乙女姉みたいじゃっち。わしは、綺麗好きの方じゃと思っちゅうに―</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kyoumisinsin23/25844489.html</link>
			<pubDate>Fri, 17 Feb 2006 14:53:33 +0900</pubDate>
			<category>小説</category>
		</item>
		<item>
			<title>龍馬の躍動４</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-33-6e/kyoumisinsin23/folder/1405814/43/25754543/img_0?1140073440&quot; width=&quot;50&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;光秀&lt;/b&gt;に水魚の交わりとして仕えた重臣に、&lt;b&gt;斎藤内蔵之助利三&lt;/b&gt;がいる。&lt;br /&gt;
後の、徳川三代将軍家光の乳母として権勢を振るった、&lt;b&gt;春日局&lt;/b&gt;（お福）の実父である。&lt;br /&gt;
その利三の縁戚が、&lt;b&gt;長曾我部&lt;/b&gt;家に嫁していた。&lt;br /&gt;
当然、明智家とは入魂である。&lt;br /&gt;
山崎の戦いで明智家が滅びると、家中は各地に落ち延びた。&lt;br /&gt;
光秀の娘婿・&lt;b&gt;左馬助光春&lt;/b&gt;は、近江坂本城で血縁者を自刃させ、自ら城に火を放って、生涯の幕を引いたが、その折、僅かばかりの者を落ち延びさせた。&lt;br /&gt;
土佐の長曾我部家を頼った人々もいた筈だ。&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;が、父の&lt;b&gt;八平&lt;/b&gt;から、家紋の桔梗紋の謂れや、こんな話を聞かされて、自分の先祖は明智であると、生涯信じ込んだのも無理は無い。&lt;br /&gt;
土佐に桔梗の家紋は少なかった。&lt;br /&gt;
坂本家が郷士株を取得し、本家才谷屋から分家して、士分になってから、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;で四代目である。&lt;br /&gt;
だから、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;の家は、元々町人では無く、武士の家柄であったのだ。&lt;br /&gt;
そう云う事を聞かされ、段々自信を得て行った&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は、悪童共を相手にせず、日根野道場の帰り道、桂浜に腰を下ろしては、浦戸の沖・太平洋を飽かず眺めていた。&lt;br /&gt;
厚い瞼の瞳を細め、少し縮れた頭髪を潮風に靡かせながら、何を想っているのやら、もそっとした少年一人が俯瞰して目に浮かぶ。&lt;br /&gt;
嘉永六年（１８５３年）正月、&lt;b&gt;乙女&lt;/b&gt;が家長である&lt;b&gt;権平&lt;/b&gt;に、&lt;br /&gt;
「兄上様、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;も本年、十八になりますろう。何時までも、部屋住みではないですろう。行く末を考えれば、剣術道場でも開かさねばならんがじゃ。どうじゃろう、この辺で、江戸遊学させるちゅうのは…」&lt;br /&gt;
「江戸遊学ちゅうても、お城の御許しが必要じゃち。」&lt;br /&gt;
「その御許しを、願い出て貰えんですやろか。」&lt;br /&gt;
「&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;、おまんの気持ちは、どうがじゃ。」&lt;br /&gt;
突然の話に驚いたが、直ぐ嬉しさが込み上げて、&lt;br /&gt;
「嫌も何も無いきに。今直ぐでも、飛んで行きたいっちゃ！」&lt;br /&gt;
「仕方無いのう。江戸とは、わしも行った事が無いっちゅうに。まあ、御許しが出るか出無いか解らんが、願い出てみる事にするきに。」&lt;br /&gt;
「兄上様、有難う存じまする。これ、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;も早よう頭を下げっちゃ。」&lt;br /&gt;
その日の&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は、日根野道場でも、生き生き、活つ活つ、笑みさえ溢しながら、稽古に打ち込んだ。&lt;br /&gt;
三月になると、藩庁より、正式には遊学は叶わないが、上士のお供と云う名目で、且つ、自費で行くと云うのなら、拒みはしないと云う御達しが出た。&lt;br /&gt;
十七日、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は、日根野道場より&lt;b&gt;千葉定吉&lt;/b&gt;道場への紹介状を懐に、権平から四十両を貰って、勇躍、土佐を出立した。&lt;br /&gt;
見送る兄嫁の&lt;b&gt;千野&lt;/b&gt;と、姪の&lt;b&gt;春猪&lt;/b&gt;は、涙を溜めていたが、乙女は微笑んでさえいた。&lt;br /&gt;
道場の仲間も、羨ましそうに見送りに出ていた。&lt;br /&gt;
将に春盛り、桜の花弁が舞い散る中、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;の後姿は、春霞に消えて行った。&lt;br /&gt;
他国へ足を踏み入れるのは、初めてである。&lt;br /&gt;
流石の、のんびりした性格と好奇心旺盛な&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;も、大坂も京も素通りして、一心に江戸を目指した。&lt;br /&gt;
四月初旬、お江戸に着いた&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は、土佐藩下屋敷に申し出、到着を報告した。&lt;br /&gt;
その足で、早速、千葉道場に向かった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kyoumisinsin23/25754543.html</link>
			<pubDate>Thu, 16 Feb 2006 16:04:00 +0900</pubDate>
			<category>小説</category>
		</item>
		<item>
			<title>龍馬の躍動３</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-33-6e/kyoumisinsin23/folder/1405814/25/25659825/img_0?1139991095&quot; width=&quot;50&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;が、よく苛められたのも、この生い立ちに原因がありそうだ。&lt;br /&gt;
郷士は貧しい。&lt;br /&gt;
世が世であれば、&lt;b&gt;長曾我部&lt;/b&gt;の家臣として代々暮らせたものを、今は山内家の陪臣の如く、名誉も身分も貶められている。&lt;br /&gt;
一領具足としての誇りを失なわぬ郷士達にしてみれば、金を遣って郷士株を買った坂本家を、中傷するのも、有り得る事だ。&lt;br /&gt;
しかも、豪商の出だから、金に困る事は無い。&lt;br /&gt;
悪童共の苛めの対象になっていたのかも知れない。&lt;br /&gt;
&lt;b&gt;乙女&lt;/b&gt;は、そんな&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;を心配もし、絶えず、励まし続けた。&lt;br /&gt;
家長の&lt;b&gt;権平&lt;/b&gt;は、そんな様子を見て、&lt;br /&gt;
「乙女と&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は、男と女が入れ替わっちゅうがや。」&lt;br /&gt;
「兄上様、そんな事は無いがに。&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;やち、今に立派になるっちゃ。」&lt;br /&gt;
常に、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;を庇う、乙女であった。&lt;br /&gt;
或る時、城下を流れる鏡川で&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;が数人で泳いでいると、乙女が通り掛かった。&lt;br /&gt;
それを目敏く見つけた悪童が、&lt;br /&gt;
「あっ、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;んくの御仁王様じゃ。」&lt;br /&gt;
「これ、誰れが御仁王がじゃ。変な事云うと、懲らしめちゅう。」&lt;br /&gt;
と、本気で着物の裾をたくし上げ、水中に乗り込もうとした。&lt;br /&gt;
慌てた悪童連は、対岸へ一目算に泳ぎ、逃げ去って行った。&lt;br /&gt;
「乙女ねえも、やっぱり、女じゃったか。」&lt;br /&gt;
「当たり前ですろう。御仁王とは、酷すぎるやっち。」&lt;br /&gt;
「そうかのう。強い名前でいいですろうに。」&lt;br /&gt;
「ほんじゃ&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;、おまんにその名前をやるっちゃ。」&lt;br /&gt;
「わしは、まだ、そこまで強くないっちゃ。」&lt;br /&gt;
「まあ、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;ったら…」&lt;br /&gt;
苦笑しながら、乙女は立ち去って行く。&lt;br /&gt;
その堂々たる後姿を見ながら、&lt;br /&gt;
―やっぱり、御仁王様じゃ―&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は呟いた。&lt;br /&gt;
その後も、私塾に入門したりしたが、長続きしない。&lt;br /&gt;
唯一の興味は、乙女姉さんの様に強く成りたいとの一心で、剣術を志す事になり、嘉永元年（１８４８年）、城下の日根野道場に入門した。&lt;br /&gt;
十三歳の時の事である。&lt;br /&gt;
この頃より、背丈がぐんぐん伸び始め、１６０cm位になり、同門の内でも抜きん出る体格になってきた。&lt;br /&gt;
こうなると、少しは自信も出てくる。&lt;br /&gt;
剣術にも、上達の加速度が増して行った。&lt;br /&gt;
悪童共の苛めも無くなり、多くの友達も、周りに集まる様になっていた。&lt;br /&gt;
そも、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;の坂本家は、本来、武士の出である。&lt;br /&gt;
どころか、相当名門の家柄だ、と云うのだ。&lt;br /&gt;
家紋の桔梗で直ぐ思い付くのは、戦国時代の武将・&lt;b&gt;明智&lt;/b&gt;との関連だ。&lt;br /&gt;
思い起こして頂きたい。&lt;br /&gt;
明智光秀は、何故に&lt;b&gt;信長&lt;/b&gt;を討ったのか。&lt;br /&gt;
その大きな要因の一つに、信長が意を翻して、四国征伐、つまり、長曾我部家を討つと云い出したからに他ならない。&lt;br /&gt;
光秀は、本来、主殺しをする様な人物では無い。&lt;br /&gt;
教養も冷静さも分別も併せ持った人格である。&lt;br /&gt;
さらば、何故、斯くなる挙に及んだのか。&lt;br /&gt;
明智家と長曾我部家との、深い交わりがあったのである。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kyoumisinsin23/25659825.html</link>
			<pubDate>Wed, 15 Feb 2006 17:11:35 +0900</pubDate>
			<category>小説</category>
		</item>
		<item>
			<title>龍馬の躍動２</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-33-6e/kyoumisinsin23/folder/1405814/39/25446939/img_2?1139810598&quot; width=&quot;96&quot;&gt;&lt;br /&gt;
弘化３年（１８４６年）、初夏の昼下がり、高知城下の商家の大店と見まがう庭先に、この家の末弟の少年が、ベソをかいて帰って来た。&lt;br /&gt;
３歳年上の姉、&lt;b&gt;乙女&lt;/b&gt;が、目ざとく、それを見つけると、&lt;br /&gt;
「&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;、おまん、また苛められて、泣いちゅうか。」&lt;br /&gt;
「何も泣いちゅらん。」&lt;br /&gt;
慌てて、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は、右手の袖で目を拭いた。&lt;br /&gt;
この時、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は、十歳である。&lt;br /&gt;
「そうか、泣いちょらんか。では、早よう、井戸で顔を洗って、木刀を持ってきいや。剣術の稽古をするきに。」&lt;br /&gt;
根が繊細で優しく臆病だった、この少年の幼少期の指南役は、望むと望まぬとに係わらず、乙女であった。&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;達の母・&lt;b&gt;幸&lt;/b&gt;は、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;を生んだ後、肥立ちが悪く、病臥に伏していたが、この年、亡くなっていたのだ。&lt;br /&gt;
幸い、乙女は、母性本能を善く発揮し、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;に愛情を注ぎ込んで、育てていたのだ。&lt;br /&gt;
坂本家の三女である乙女は、典型的な土佐の八金で、名前に似合わず、大女で、坂本の御仁王様と呼ばれて、敬愛とも畏怖とも付かぬ目で見られていた。&lt;br /&gt;
だから、弱々しい&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;が、歯がゆくて仕方が無かった。&lt;br /&gt;
「&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;、思い切り、打ち込んできいや。」&lt;br /&gt;
「えい！やあ！」&lt;br /&gt;
襷掛けで、着物の裾が乱れるのも構わず、小一時も、稽古は続いた。&lt;br /&gt;
この様子を縁側で見ていた次姉の&lt;b&gt;お栄&lt;/b&gt;が&lt;br /&gt;
「まあ、乙女の八金ったら。はしたないっちゃ、ねえ、&lt;b&gt;春猪&lt;/b&gt;。」&lt;br /&gt;
言葉とは裏腹に、微笑みながら、傍らにちょこんと座った姪に語りかけた。&lt;br /&gt;
この頃、坂本家の当主は、二十以上も歳の離れた、長兄の&lt;b&gt;権平&lt;/b&gt;が継ぎ、父の&lt;b&gt;八平&lt;/b&gt;は既に隠居していた。&lt;br /&gt;
長姉の&lt;b&gt;千鶴&lt;/b&gt;は、既に高松家に嫁し、次姉のお栄、三姉の乙女、兄嫁の&lt;b&gt;千野&lt;/b&gt;、姪の春猪（はるい）との七人家族であった。&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;と姪の春猪は、数歳しか離れていない。&lt;br /&gt;
この頃になっても、よく寝小便をしていた&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は、&lt;br /&gt;
「叔父ちゃん、また、よばったれしちゅう。」と、よくからかわれた。&lt;br /&gt;
「春猪は、よばったれしないんがじゃ。」&lt;br /&gt;
「しないっちゃ。」&lt;br /&gt;
「ふーん。子供じゃのに、なぜじゃっち。」&lt;br /&gt;
子供は、寝小便するものと思い込んでいる&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;は、本当に不思議だった。&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;の家は、数代前までは、城下有数の大店（才谷屋）で、郷士株を買い取り、分家して、坂本家と云う武士身分になっていた。&lt;br /&gt;
ご多聞にもれず、江戸時代の土佐藩も複雑で、遠州・掛川より転封してきた、山内家の家臣が上士で、土着の&lt;b&gt;長曾我部&lt;/b&gt;家の残党が下士の郷士と云う、身分構成になっていた。&lt;br /&gt;
上士と下士の差は絶対で、道で行き交う場合、郷士は農民と同様、地べたに土下座をしなければならなかった。&lt;br /&gt;
殿様に御目通りは元より、下駄を履く事も叶わなかった。&lt;br /&gt;
自然、郷士の暮し向きは貧しかったが、&lt;font color=&quot;#800080&quot;&gt;龍馬&lt;/font&gt;の坂本家は、元豪商の出、金に困る事は無かった様だ。&lt;br /&gt;
この上士と下士の間に、特別優秀・功績のあった郷士が取り立てられて、白札と云う制度が設けられていたが、それとて、決して上士には成れなかった。&lt;br /&gt;
白札は、御庭で御目通りも叶ったし、下駄を履く事も許されたが、それ以上ではなかった。&lt;br /&gt;
因みに、後に土佐勤王党を結成した&lt;b&gt;武市半平太瑞山&lt;/b&gt;は、この白札に属していた。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kyoumisinsin23/25446939.html</link>
			<pubDate>Mon, 13 Feb 2006 15:03:18 +0900</pubDate>
			<category>小説</category>
		</item>
		<item>
			<title>おまた</title>
			<description>ご無沙汰しました。&lt;br /&gt;
本日より、また、再開したいと思います。&lt;br /&gt;
宜しく、お付き合い下さい。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kyoumisinsin23/25066930.html</link>
			<pubDate>Thu, 09 Feb 2006 13:33:44 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>お知らせ</title>
			<description>スミマセン。&lt;br /&gt;
一月いっぱいは、多忙に付き、記事の更新が出来ません。&lt;br /&gt;
また、２月になってから、宜しくお付き合い下さい。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kyoumisinsin23/22057708.html</link>
			<pubDate>Tue, 10 Jan 2006 11:14:27 +0900</pubDate>
			<category>小説</category>
		</item>
		<item>
			<title>官兵衛動く 完</title>
			<description>&lt;b&gt;＜晩年＞&lt;/b&gt;&lt;br /&gt;
秀吉は、伴天連禁止・追放令を出し、&lt;br /&gt;
切支丹の&lt;font color=&quot;#cc33cc&quot;&gt;官兵衛&lt;/font&gt;を取り巻く環境もいや増して厳しくなって来た。&lt;br /&gt;
慶長元年（１５９６年）には、年賀の伺候の為、上坂した折、旧知の細川藤孝と数日遊んだ。&lt;br /&gt;
藤孝も隠居して幽斎と号していたが、生臭い処は無く、すっかり枯れていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「平安故実の紐解きは、御進みで御座るか。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「暇に任せて、愉しませて貰っておりまする。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「それにしても去年は、関白秀次殿がああ云う形で…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「酷い事で御座ったな。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「秀頼様が御誕生遊ばさねば、あのような悲惨な事に成らなかったものを…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「然り。　世と云うのは無常なもので御座るよ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「そうじゃ、宗易殿が亡くなられて、もう五年も経ちまするな。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「そう、早いもので御座るよ…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「わしも早く隠居しておいて、命拾いをしたわぃ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「太閤殿は、ああ云う御方じゃ、出る杭は叩き潰す。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「重々、心得ておりまする。　&lt;br /&gt;
お互い、切支丹にも縁を持つ身で御座るからな。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
秀吉は、諸将に再度朝鮮出兵を命じていた。&lt;br /&gt;
その最中、慶長三年（１５９８年）葉月&lt;br /&gt;
稀代の異雄・秀吉が伏見城で亡くなった。&lt;br /&gt;
五奉行、五大老を始めとして、各将の思惑が蠢きだした。&lt;br /&gt;
豊臣恩顧の中でも、加藤清正・福島正則らと、石田三成らとは、仲違いが激しかった。&lt;br /&gt;
この結束力の無さが、豊臣家を滅ぼす事に成る。&lt;br /&gt;
五大老の一、前田利家が死んだのも痛手であった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここで、慶長五年（１６００年）長月&lt;br /&gt;
天下分け目と云われる、関ヶ原の戦さが始まったのである。&lt;br /&gt;
&lt;font color=&quot;#cc33cc&quot;&gt;官兵衛&lt;/font&gt;が嫡男・長政も、福島らと共に、東軍・家康に参陣していた。&lt;br /&gt;
この状況を見て取った&lt;font color=&quot;#cc33cc&quot;&gt;官兵衛&lt;/font&gt;は、遠く豊前中津城にいたが、&lt;br /&gt;
どう云う思惑を持ったのか、急遽、残兵を掻き集め、&lt;br /&gt;
偶々領国に残っていた加藤清正と共に、九州平定に乗り出した。&lt;br /&gt;
戦さ上手の&lt;font color=&quot;#cc33cc&quot;&gt;官兵衛&lt;/font&gt;、&lt;br /&gt;
九州の主だった諸将が、関ヶ原に出張していたとはいえ、次々、易々と周囲を平定していった。&lt;br /&gt;
よもや関ヶ原が、一日で片が着くとは思っても居なかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『何たる事、我が事終れりか…』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
三成の戦さ下手め、と思ったかどうかは定かでは無いが、&lt;br /&gt;
関ヶ原が長引けば九州一円を平らげて、その威を高く売付よう、&lt;br /&gt;
若しくは天下に覇をと、思慮したかも知れぬ。&lt;br /&gt;
されど、一日で東軍の壊滅的勝利と聞き及ぶや、即座に兵を中津城に収めた。&lt;br /&gt;
嫡男・長政は、関ヶ原の武功を称えられ、家康より筑前一国五十万石を拝領した。&lt;br /&gt;
これより&lt;font color=&quot;#cc33cc&quot;&gt;如水&lt;/font&gt;は、茶会を開いたり招かれたり、&lt;br /&gt;
歌を詠んでの生活に没入した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
慶長八年（１６０３年）睦月&lt;br /&gt;
上坂して高台院（秀吉室）に祝詞を述べた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「高台院様、御機嫌麗しく重畳の至りで御座りまする。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「&lt;font color=&quot;#cc33cc&quot;&gt;如水殿&lt;/font&gt;も御健壮そうで、何よりじゃ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「殿下がお亡くなりになって、早や五年に成りまするか。　&lt;br /&gt;
それがしも、そろそろ旅立たねば成りませぬ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「何を御云いじゃ。　これからの行く末、世の移り変わりをじっくり見届けるのも、&lt;br /&gt;
一興では有りませぬか。　&lt;br /&gt;
身をいとい、長生きして下され。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「身に余る御言葉、感じ入りまして御座りまする。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「豊臣の天下は、&lt;font color=&quot;#cc33cc&quot;&gt;如水殿&lt;/font&gt;の御力なくしては無かった事。　&lt;br /&gt;
その崩れ行く様を見届けるのも、また、義かと…」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「高台院様の御心お静かな事、安堵仕りました。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この一年後、&lt;font color=&quot;#cc33cc&quot;&gt;官兵衛&lt;/font&gt;は息を引き取った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;u&gt;&amp;gt;身の丈の　才知を駆使し　まっとうす&lt;/u&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kyoumisinsin23/12151743.html</link>
			<pubDate>Fri, 30 Sep 2005 16:58:23 +0900</pubDate>
			<category>小説</category>
		</item>
		<item>
			<title>豊城さんへ</title>
			<description>豊城さん　コメントありがとうございます。&lt;br /&gt;
コメントでは２５０字しか送れませんので、記事にてトラックバック致します。&lt;br /&gt;
&lt;u&gt;黒田武士（節）のシリーズが終わりましたら、官兵衛如水について書きたいと思います。&lt;/u&gt;&lt;br /&gt;
加藤清正については、如水よりワンジェネレーション若いですが、彼も賎ヶ岳七本槍の一人で、正則の同僚ですが、秀吉の室・おねに可愛がられて育ちましたよね。&lt;br /&gt;
豊臣家の存続に最期まで腐心し、秀頼が家康と対面する時、胸に短刀を飲んで秀頼の脇に控えていたのは有名ですね。&lt;br /&gt;
築城術にも優れ、熊本城は四百年たった今でも、地震・台風にも崩れ去る事はありません。城内に梅を植えたのも有名なところです。&lt;br /&gt;
清正の虎退治は伝承ですが、それ程、有名だったと云う事でしょう。&lt;br /&gt;
清正の逍遥とした生き方は、際立ったところです。&lt;br /&gt;
朝鮮出兵の後、正則等は口を極めて、石田光成等をなじりましたが、同じ武闘派でも清正は、秀吉の命とあらば、中間に誰が居ようとも、敢然是を遂行したのでした。&lt;br /&gt;
如水は有り余る才を持っていたので、隙あらば天下を伺っていましたが、清正は、そう云う私心なく、あくまで豊臣家の御為、一筋でした。&lt;br /&gt;
その忠誠心、後の江戸時代の武士道に入魂しています。清正の子供の時代に、御家は改易断絶となりましたが、人の世の行く末の悲情さは、いかに考察すれば良いのでしょうね。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kyoumisinsin23/9753971.html</link>
			<pubDate>Mon, 29 Aug 2005 11:46:28 +0900</pubDate>
			<category>小説</category>
		</item>
		</channel>
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