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事業仕分けが好評だそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091123-00000520-san-pol
落ちかけてた内閣支持率も急にUP.
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091124-00000034-jijp-pol.view-000
おかげさまで、来年もやる気満々だそうです。
一方で不満も続出。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091124-00000005-maip-soci
特に前半線で大幅なカットを要求された文部科学省関連の技術開発にかかわる予算や学術予算のカットには波紋を呼んでいます。
実を言うと私もこの「事業仕分け」には大いなる不満を持っています。
技術開発関連の予算や学術関連の予算が削られたのは言うまでもないのですが、各論はよそでもやってますし、いちいち突っ込んでるのにかける手間も相当なものになるので割愛…
ただ単に怠けたいだけですが。
で各論をほったらかして本陣に切り込んでみようというわけです。
なんと無謀な…
さて、何が不満か、といえばズバリ!
「“事業仕分けそのもの”が“壮大なムダ”」
という点につきます。
なぜでしょうか。
もちろん、採算性の悪い事業や存在価値のない事業を切ることには異存はありません。
むしろ、積極的にやるべきです。
では、そのための「事業仕分け」をムダというのはなぜなのでしょうか。
それは
「“ムダ”ということを全く定義せずにムダを切ろうとしている」
からです。
ムダとは何か。
手持ちの辞書では「したことが役に立たないで終わること」(三省堂 例解新国語辞典第4版)とあります。
他の辞書もいくつか見てみましたが似たような感じです。
これだけだとちょっとぱっとしませんので、製造業のいわゆる「ムダ減らし」のムダというのを比較してみたいと思います。
製造業でこの「ムダ減らし」を実践していると思われる代表格が「トヨタ生産方式」の「カイゼン」というやつです。
これも突っ込んでくとややっこしくなるのですが大雑把に「トヨタ生産方式」の「ムダ」とはつまるところ
「付加価値を生まないすべての行為」
となります。
たとえば、仕掛品(製造途中の半製品)を倉庫にしまったり、出したり、あるいは営業に行くための準備のために書庫に資料を探しに行ったり…
これらは立派な労働ではありますが、その行為自体には製品ややろうとしている仕事に何の価値も与えません。
仕掛品が滞らなければ倉庫にしまう手間、出す手間を省けますし、資料が机のそばにあればわざわざ書庫に足を向ける必要はないのです。
その手間を「トヨタ生産方式」では「ムダ」と定義しているのです。
では行政のやる事業、つまり公共事業の「ムダ」ってなんでしょうか。
「価値を生まない」という事業は実のところ存在しません。
たとえば、非難を浴びる箱モノ行政だってその建設に当たっては建築業者の「雇用の創出」をしているわけです。もちろん箱モノ行政は非難されるべきですが。
要は、かけたコストに対しどれだけのメリットを生んだか、が一番問われるのです。
しかし、これでは「ムダ」を定義したことにはなりません。
「定義する」というのは境界線を決めてしまうことです。
「かけたコストに対しどれだけのメリットを生んだか」というのはあくまで概念でしかありません。
私が求めたいのは「明確な“ムダの定義”」なのです。
さらに言ってしまえば「定義された“ムダ”」も必ずしもすべてに通用するものではありません。
たとえば道路建設と宇宙開発では同じ定規でムダを図るのはナンセンスです。
なぜなら規模も用途も将来の貢献度も全く違うからです。
利益率だけで町の鉄工所と日本航空を比較するのと同じようなものです。
実は「公共事業におけるムダ」をちゃんと定義して実施した例が直近であります。
麻生内閣下で行われた「事業の棚卸」がそれです。
このとき、麻生内閣は「公共事業のムダ」を各省庁間で「重複する事業」と位置づけ持っている事業をいったんすべて表に出したうえで同じような事業・似た事業を統廃合することで1兆円を超える事業費のねん出に成功しました。
この定義ならおそらくはほとんどの事業に画一的に当てはめても問題はないだろうという思惑があったのかは知りませんが、少なくとも事業全体を見直すうえでは効果的な定義であったことは間違いありません。
ひるがえって今行われている「事業の仕分け」は一体どんな基準でムダを判別しているのでしょうか。
私の知る限りこの「事業仕分け」は「ムダ」を全く定義していません。
あるのは一般的な「ムダの概念」だけです。
概念というのは大雑把なもので人によって見方が大きく変わってしまうものです。
はたして、重福祉論者の仕分人が文部科学省に対して行ったのと同じように福祉事業に切り込めるでしょうか。答えは“否”です。
その結果、起きているのが文部科学省の学術、科学技術予算の大幅な圧縮です。
圧縮だけならいいのですが、たちが悪いことに「公開でムダの烙印を押している」のです。
それも所謂「仕分人」の独断と偏見だけで…
もうお分かりでしょう。
わたしがこの「事業仕分け」をムダと断じるわけが…
「ムダ」をきちんと定義しないがためにその判断基準が仕分人の独善によってきめられているという点。
それが公開で行われ必要な事業までもが再起不能に貶められている点。
これでは行政事業の公平性に大きな問題が生じるのは火を見るより明らかです。
なぜなら、基準という名の公平性のスケールがないからです。
「ムダを定義する」とはすなわち「ムダに対する公平な基準を持つ」ということにほかなりません。
その基準を以て、一人ひとり違うであろう「ムダの基準」をそろえてはじめて公明正大な「ムダ減らし」ができるのです。
基準があればそれに逸脱しているか否かが外部からでもはっきりわかります。また、その後の指標にもなります。
基準亡きムダ減らしはただの因縁付けと変わりません。
いま「事業仕分け」として行われている「ムダ探し」はユダヤ人と言うだけで「劣等人種」の烙印を押され強制収容所のガス室へ送り込まれたホロコーストと大差はないのかもしれません。
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韓国で NHK のテレビ見てたけど。仙谷さん、やっぱりよくわかっていないわ。理学部は基礎研究、工学部は応用なんて言っているけど、そんなものは建前に過ぎず、大学の理学部・工学部なんてのは実質的にほとんど差はない。研究者なんて、たまたまどちらかにポストを得ただけ。何十年も前の幻想を抱いたまま、トップで判断しているなんて、危なすぎる。そのほかのことも、したり顔で発言しているが、ほとんどわかってないんじゃないの。
2009/11/24(火) 午後 9:45 [ 韓国から ]
文句を言う前に、世界最低の教育の改革です。
2009/11/24(火) 午後 11:33 [ 大和 ]
韓国から 様、ご意見ありがとうございます。
まぁ、ぶっちゃけて言えば専門家が必ずしもその事業を切る必要はないんですね。むしろ、専門家を気取った“モドキ”は結構マスメディアにいますから。
ただ、こういうことをやる人にはどこかで“謙虚さ”を持ち合わせていないといけないと思います。
“自分はこの分野の素人である”という自覚とそれに対する努力をする人がなるべきなんです。
少なくとも10月に亡くなった中川昭一氏ぐらいの勉強家でないと務まりませんよ。
そうでない人がやってるんですから推して知るべしです。
2009/11/26(木) 午後 9:09 [ ac1100kv ]
大和様、ご意見ありがとうございます。
正直何を言わんとされてるのか???なのですが独断と偏見でお返事させてください。
今回の、仕分では教育関連予算も削られてますね。
教育改革の芽が摘まれたというか明らかに後退しています。
一体我々はどこに向かっているのか…って感じですね。
“聖域なき”っていうのはある意味良し悪死なんですよね。
2009/11/26(木) 午後 9:13 [ ac1100kv ]