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さて、敷地の外に足を向けてみることにします。
公園の敷地にはところどころにこういったコンクリート製の台座があります。
発電所につながっていた送電線鉄塔の台座でしょうか。
後ろに見える白い建物が八百津発電所本館建屋、その後方の山の上にある鉄塔は丸山発電所の変電所になります。
発電所建屋の後ろ側に回ってみました。
と言っても公道からですが。
発電所建屋などは保存されていますが、重要文化財に指定される前に撤去された水圧鉄管の大部分はその影も見ることができません。
しかし、発電所につながる部分、本当にわずかな区間ですが水圧鉄管が顔を出していました。
地中に潜っているようにも見えますが赤茶けた鉄板のある部分からこっち(発電所の背後の上部水槽側)にむかって上ってきていたようです。
角度を変えてみましょう。
夏場で草が結構茂っていますが水圧鉄管を支えていたコンクリートの台座がしっかり残っています。
現役時代の発電所水圧鉄管は発電所の背後から露出していたのでしょうね。
その背後の公道は…というと
なんか橋のような?それにしては川もなくやたらと低い…
左にあるのは旧八百津町温水プール。今は八百津町海洋センターだそうですが、その建物があります。
この橋に見える道路、実際に発電所が稼働していた頃は本当に橋だったそうで、この橋の下を4条の水圧鉄管が走っていました。
八百津町海洋センターの後ろ側の空き地にもコンクリート製の台座があります。
水力発電所の水圧鉄管は一直線に下りてくるイメージが強いのですが、八百津発電所の場合、上部水槽と発電所の間が段地になっていたようで縦方向にクランクするかっこうで水圧鉄管が走っていました。
上部水槽からここまで一旦、一直線に降下し今の海洋センター、そしてさっきの橋までほぼ水平に、そこから発電所へ一気に下る感じです。
そんな光景をイメージしていたら諸田公園の看板に当時の写真が出ていました。
水平区間、結構長かったんですね。
桜のシーズンは結構きれいそうです。
さて上部水槽、
上部水槽も見学コースの中の一つでフェンスで覆われているものの近くまで接近することができます。
スクリーンやゲート、余水吐などが運転を終えた当時の状態で残っています。
惜しむらしくはあの水圧鉄管が撤去されてしまっていることでしょうか。
もっとも道路の敷設や再開発の邪魔でしかなかったのですから致し方ないのですが。
こちら側は上部水槽の上流側。
木曽川から、のちには丸山ダムから取水された水はトンネルを通ってここに流れ込んでいたようです。
残念ながらそのトンネル自体を見ることはかないませんでしたが。
おそらくもう、ふさがれてしまったのでしょうか。
こちらは余水吐水路
上部水槽で余った水はここから木曽川へ返されます。
木曽川は約50mほど下の方。
生い茂る木々が余水吐水路の行く手をさえ切っていました。
さて、ちょっと長くなってしまいましたがこれで旧八百津発電所の訪問記はおしまいです。
最後に、発電所の写真を見ながらタイトルについて考えてみたいと思います。
左側に八百津発電所、右奥に見えるのは丸山発電所でその手前を木曽川が流れています。
この日は丸山発電所にある4基の発電機の内、2基が稼働していたようで放水路の右2つから勢いよく水が流れています。
八百津発電所は、一部の資料では丸山ダム、発電所の登場で役目を終えたと書かれています。
しかし、実際は丸山発電所が稼働してから20年近くも稼働を続けていました。
それどころか、わずかな期間ですが丸山ダム直下に作られた新丸山発電所の稼働開始時にもかぶるのです。
大きな転機となったのは新丸山発電所が稼働を開始した翌年、1972年の事でした。
放水口発電所が故障し運転を停止します。
その後も本館にあった3台の発電機は運転を継続しますが1974年、ついに八百津発電所はその役目を終え閉鎖されます。
ダムによって水源が水没し廃止となった発電所は少なくありませんが、ダムの完成後も取水地を移し存続し続けたものの廃止に追い込まれたのは珍しい例ではないでしょうか。
とはいえ、八百津発電所が丸山ダムの恩恵を充分に受けていたとはとても思えません。
新丸山発電所の有効落差は78m、最大使用水量は93m3/sに比べ八百津発電所のそれは46m(放水口発電所を含めると53m)と26m3/s。丸山発電所より下流側にあるにもかかわらず落差、使用水量ともに劣る八百津発電所では存続し続けること自体が難しかったのだと思います。
不適切とも言われる設計と技術不足による数々の失敗、早過ぎたがために得られなかった技術、そして時代の変化。
八百津発電所はいろんなものに翻弄されてきた発電所と言えるでしょう。
発電所としての本来の役目を終えたとはいえ八百津発電所はその設備の多くを今に残しています。
稼働していないとはいえ発電所設備を間近で見られる施設でもあります。
もし、旧八百津発電所資料館を訪れることがあったなら、この発電所のたどって来た歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
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新・発送電
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なんか更新が微妙に空いてしまいモチベーションが下がってしまっているかもしれません。
ヘンなテンションで進んでいくかもしれませんがよろしくお願いします。
発電室の壁には発電機から発電された電気の流れる母線がびっしり。
発電機周りにはあまりそういった導線の類が見られないのでどのようにつながっているのかは分かりません。
この母線群、碍子を通して壁の向こう側、母線室に流れていきます。
母線室の母線群
ここに来ると廃線が結構物々しいことに。変圧器や高圧碍子が圧倒する室内にはパネル展示で水力発電所やその原理などの説明を見ることができます。
手前階段を上がると配電室になりますが、そっちはここまで物々しさはなく、展示内容も郷土資料館としての性格が強くなってきます。
母線室にあったパネルの一枚
八百津町から木曽川上流部方向(恵那市方向)にかけての航空写真のパネルです。
パネル状にシールが貼られているヵ所は左から八百津発電所・沈砂池・取水口になります。
航空写真自体はすでに丸山ダムができた後の物ですから沈砂池・取水口ともに水没してしまっていますがどれだけ離れているかは分かるかと思います。
その長さは実に9km以上。
取水口のあった場所は恵那市川平地区で導水路の大半は無圧導水トンネルだったといいます。
今でこそこの長さの導水路は決して長いとは言えませんが(短くもないけど)この発電所が運転を開始した当時は非常に長い導水路でかつその全長の6割がトンネルと言う破格の設計でした。
当然ながらコストがかさみ発電所の建設費用を圧迫する結果になりました。
また、長い導水路は水を流すため緩やかながら傾斜も必要で結果的に水力発電の重要な要素である落差を犠牲にしてしまうことにもなります。
丸山ダムの完成によりこれらの導水路や取水口は水没してしまい、その代替として丸山発電所の取水口のそばに新たに取水口が設けられましたが元々、無圧導水で上部水槽まで導水していたためダムの高さを生かすことはできなかったようです。
配電室から木曽川を眺めると発電所のすぐそばにもう一つ小さな建物があることに気付きます。
木曽川に面して建てられたモルタルの建屋。水こそないものの水槽と思われる構造物の端に位置して建てられています。
この建物は八百津発電所を象徴する建物のひとつであり、同時にこの発電所が持っていた致命的な欠陥の一つを象徴する建物である放水口発電所になります。
実は八百津発電所は木曽川に直接面しているわけではありません。
木曽川の水面よりも10m近く高台に設置されているのです。
これは、設計当時、暴れ川で名をはせた木曽川の水害を懸念しわざと高台に発電所を設置したためでした。
当時はまだ水車を発電機より高い位置に設置する技術がなく高価な水車や発電機を水害から守るために意図的にそうしたのでしょうが、結果として約10m分の落差をムダにしてしまうことになります。
発電所の建設から数年後、電力需要の増加に伴ってこの落差を利用するため設置されたのが放水口発電所でした。
八百津発電所の4基(実稼働は3基)の水車を通って排出された水は木曽川に面した放水口より放出されます。
開業当初はこのままタキのように木曽川に流れ落ちていたそうですが放水口発電所ができてからはそのまま川に沿って流れ
スクリーンを通って放水口発電所のある水槽に導かれます。
既に使用されてはいない為、水ではなく草が生い茂っていますが現役時代は水が満たされた水槽にまるで発電所が浮いているような感じだったのかもしれません。
実はこの水槽は上部水槽と呼ばれていません。
それはこの発電所の水車の設置の仕方に理由があります。
そもそもこの放水口発電所建屋には発電機こそあれ水車は存在していないのです。 暗くて見えにくいかもしれませんが放水口発電所の下部、水槽の底の方に建屋の両側から赤チャビ色の管が伸びているのが分かるでしょうか。
実はこれが水車なのです。
少しアップしてみましょう。
夏草に埋もれかかっているもののガイドベーンとそれを動かすリンク機構が見えます。ガイドべーンのある場所が流入口、その内側にはフランシス水車があります。
発電所の片側に水車が4つそれが両側で計8個の水車が1つの軸でつながれています。
あまり例を見ない4連8輪の水車構成ですがこれにも理由があります。
放水口発電所建設当時、世界では低落差向けの水車の研究がおこなわれていた時代でした。
しかし、当時の日本にそのような最先端の研究はまだ行われていませんでした。
ようやく自力でフランシス水車や発電機を作れるようになった時代です。
最新鋭の水車の研究などまだまだ荷が重かったのです。
かといって外国から最新の水車を買ってくることはおろか、その情報すらまともになかったのでしょう。
そこで、既存の技術を応用する形でこのような水車構成となったのです。
聞くところでは発電機、水車とも日立製の物になるそうです。
既存技術の応用、と言えばかっこはいいのですが、最新の技術を自力開発できなかった当時の苦心の作と言った方が正しいのかもしれません。
少し離れたところから(と言っても同じ諸田公園の一角ですが)八百津発電所本館建屋と放水口発電所を見てみます。
放水口発電所の木曽川に面したところに口をあけているのは放水口発電所の放水路。
八百津発電所の設置された位置の高さが良く分かります。
放水口発電所の有効落差は6.67m。
木曽川にまだダムがなく、暴れ川でもある木曽川の水害から発電所を守ろうとしたためとはいえ結果的には発電性能をロスしてしまうことになったのは皮肉ともいえます。
その後、水力発電の技術は水車と発電機を垂直に結ぶ縦軸水車の開発で水害からの問題を、スクリュー水車(カプラン水車)の登場で低落差大流量向け高効率水車の実現をそれぞれ解決して今に至っています。
その意味では八百津発電所は"失敗した発電所"と言うより"早すぎた発電所"だったのかもしれません。
さて次回は最終回。上部水槽に向かって歩いてみたいと思います。 |
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先日、4年近く前にアップした記事を再編集して載せたのにはわけがありました。
それはある発電所と対比させるためでした。
明治後期、電力黎明期とも言える時期に建てられた発電所の中で現役で稼働をつつける発電所の一方で、片や役目を終えた、悪いいい方をすれは放棄された発電所が存在します。
その中で現在、新たな役割を担って当時の姿を留める発電所があります。
厳密には発電所だった施設…でしょうか。
旧八百津発電所資料館
木曽川発電所として先の梅木発電所の翌年、明治44年に名古屋電燈(後に大同電力、現在の関西電力の前身)が開発した発電所です。
送電を停止して数年後の昭和53年、関西電力から譲り受ける形で八百津町郷土館として開館、平成10年に施設が国の重要文化財に指定されたのを受け、旧八百津発電所資料館としてリニューアルし現在に至っています。
先週、この旧八百津発電所資料館にいってきたので今回から3回にわたってその様子となぜこの発電所が捨てられたのかをレポートしたいと思います。
旧八百津発電所資料館入口
国道418号を川辺から東に進むこと10数分、八百津町の町を過ぎ人道の丘方向に分かれる道を案内板に従って進むと旧八百津発電所資料館が見えてきます。
資料館自体は諸田公園の一角にあり、と言うよりも資料館を中心とした一帯が諸田公園と言ってもいいでしょう。駐車場があり自家用車で訪れることも可能です。
資料館の入り口は旧発電所建屋、それも重要文化財とあって入口は結構狭いです。
入るとすぐ右に小さな事務室とカウンターがありここで入場券を購入します。
ちなみに月曜日が定期休館日となっていますので土日も開館しているのですが閉館が16時、入場締め切りは15時30分なので注意が必要です。
入るとすぐに送電碍子や変圧器の並ぶ母線室が広がります。
八百津発電所は日本で初めて66kV送電を行った発電所で、発電された電気はここで昇圧され名古屋方面へ送電されていました。
発電所資料館、ではありますが郷土資料館としての性格も持ち合わせているため発電所に名似つかわしくないような?展示物も見られるのはご愛嬌。
この高圧碍子を眺めつつ左の扉をくぐると発電機の並ぶ発電室になります。
八百津発電所の発電機は計3台。
当初は4台の水車と発電機、そして2台の励磁用発電機と水車が設置され合計で最大出力7500kW(のちに9800kWに増強)の発電所でした。
現在、3台ある水車・発電機の内、一番西側の3号機は1985年のつくば国際科学技術博覧会で展示されたもので博覧会終了後の再設置に際し(要出典)、構造が分かるよう水車ケーシングや発電機の一部が取り外された状態で展示されています。
3号機の発電機
発電機の構造が分かるよう外環状コイルをオフセットして設置してあります。
奥側の1・2号機との比較もできるようになっています。
発電機自体はこの時代の発電機では一般的な自然通風型の発電機です。
八百津発電所が欠陥発電所であった理由の一つがこの発電機と後述する水車にあります。
当初は国産の技術も充分ではなく八百津発電所の設備も外国製のものを取り入れていました。
発電機はGE製、水車はモルガン・スミス製、
いずれもアメリカ製で名古屋で一旦陸揚げ後、木曽川をさかのぼり当地へ運ばれたそうです。
しかし、水車の選定を間違えたため、初回の試験発電の際、水車の破裂事故を起こしてしまいます。
結局、12年後の大正11年、発電機は芝浦製作所がコイルの巻き直しを実施、水車は電業社製に取り換えという大掛かりな改造工事を行うことになります。
館内に並ぶ水車ケーシング(手前)と発電機、手前から1号機・2号機・3号機 水車はこの頃から採用されるようになった渦巻きケーシングのフランシス水車です。
上流から水圧鉄管により送られてきた水はカタツムリのようなケーシングを通って回転力を得、中心の軸につながった水車を回転させます。
3号機の発電機側吸出し菅から水車ランナーを見る
水車を取り囲むように水を流すことでより効率的に水車を回す試みでこの渦巻きケーシングのフランシス水車は現在も主流となっています。
吸出し菅の外側を取り囲むように水車ケーシングについているリンク装置はガイドベーンを操作するためのもので後述の調速機によって動かされます。
3号機ケーシング上流側
ガイドベーンは水車に流れ込む水の向きや量を調速機によってその角度を変え調整する羽根です。
実際に見てみるとケーシングの大きさに対し水車が小さいことが分かるかと思います
また、八百津発電所の水車は横軸単輪複流渦巻きフランシス水車で水車を通って水車中央から吐き出される水は水車の両側から吐き出されることになります。
そのため、ケーシングの両側に吸出菅が付いた構造になっています。
水車ケーシングに刻印された電業社の陽刻
先に書いたとおり、大正11年に八百津発電所の水車と発電機は更新工事を受けています。
この更新工事にあたって水車を納入したのが電業社原動機製作所と言う会社です。
この会社は現在でもポンプ・送風機メーカーとして盛業中の会社で、発電用水車事業は芝浦製作所から事業譲渡されるかたちでスタートしました。
戦後、電業社の水車事業は再び元の東芝(かつての芝浦製作所)に引き継がれる形で撤退していますが大正期から昭和初期の水力発電所の水車では保存・現役とも時々目にする機会があります。
調速機(1号機の物)
水車の回転を整えるのがこの調速機です。油圧駆動だそうですが、詳しい構造や動きは分かりませんでした。
おそらくシャフトの回転数から油圧を使ってガイドベーンの角度を調整する機構になっているのだと思います。
これがないと安定した回転力を得ることができないので重要な機械です。
筏の展示場と木板でふさがれた床
3号機の西側には木曽川で行われていた材木の筏流しに関する展示があります。
八百津発電所が木曽川という大河川、それも渓谷の入り口よ言う格好の条件でありながらダムと言う選択をしなかった理由の一つが木曽川上流部からの材木の筏流しでした。
その床面に目をやるとコンクリート一面の床の中でなぜか一区画分、木板でふさがれた空間がありました。
おそらくここが、かつて4号機のあった場所なのでしょう。
4号機は八百津発電所では予備機と言う扱いだったようで戦時中、福井の足羽発電所建設に先立ち同発電所に移設され、現在も同発電所で稼働中とのことです。
発電所の模擬配管板
励磁用発電機と水車
発電機はコイルの中を通る磁場の変化を電気に変える機械です。そのため磁場を与えるための磁石が必要になります。小型のモーターでは永久磁石が使えますが発電機のような大型の物ではそうはいかず磁場を発生させるためには電磁石が使われます。 そう、発電機で電気を起こすためには電気が必要なのです。
その電気、発電機の回転子側についた電磁石に電気を供給するのが励磁用発電機です。
現在では他の発電所で発電した電気を使うなど静止形の電源が使用されますが、充分な電力供給がなかった時代、水力発電所では小型の水車と発電機を用いてそれを行っていました。
この励磁用発電機は岐阜県中津川市の落合発電所の物が紆余曲折を経てここに展示されているのですが、八百津発電所にも当然、励磁用発電機が設置されていました。
励磁用発電機の設置跡
八百津発電所の励磁用発電機は横軸形の物で2号機と3号機の間に2台が設置されていたようです。
昭和30年頃、励磁用電源が静止形に更新された際に撤去されたそうで現在はその場所を埋めたコンクリートの跡だけがその存在を物語っています。
天井クレーン
天井に目をやると大型の20tクレーンが目を引きます。
おそらく建設当時からの物でアメリカ製のようです。
発電所では定期点検などで発電機や水車を持ち上げたり取り外したり必要があるため必須のアイテムとも言えます。
2階配電室より発電室を望む
ここまでざっくり駆け足で発電室を見てきました。いろいろいってはいますが水力発電所の設備を間近で見ることのできる貴重な施設だと思います。
この後は配電室そして外の放流口発電所・上部水槽などを見ていきたいと思います。 |
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注意:
本記事は2009年9月に連載していたものを編集しなおしたものになります。
よって当時のままの情報ですので現在の梅木発電所の状況とは異なるものがある場合があることをあらかじめご了承ください。
静岡県伊豆市
伊豆半島を流れる狩野川に水力発電所がある、と言ったらどれくらいの方が驚かれるでしょうか。 狩野川水系には箱根外輪山を水源とする黄瀬川(のさらに支流である深良川)と天城周辺(伊豆市内)にそれぞれ数か所小規模な水力発電所があります。 いずれも水路式の小さなものですが歴史は古く、明治の時代に建造されたものも少なくありません。 今回紹介する梅木発電所も明治44年に建てられた歴史ある発電所です。 梅木発電所は現在、東京電力の子会社である東京発電㈱によって管理されている発電所です。 無人ではありますが横軸フランシス水車と300kW発電機2基を備えておりなかなか興味がわく建造物です。 創業は明治44年。 現在の伊豆箱根鉄道の前身にあたる(もっと古いか?)駿豆電燈の手で操業が始まりました。 この時代、街の明かりはガス灯から電気へと変わりつつあり、そんな電力需要に呼応して静岡県東部域に電力を供給するための基幹発電所としてスタートしたのです。 同時期には大月市の駒橋発電所などがあり、この時代水路式の発電所が各地で相次いで誕生してました。 戦時中の電力管制もあって梅木発電所も接収され、戦後は東京電力の子会社の姫川電力(現東京発電㈱)に移管されています。 この発電所の存在を知ったのはつい最近で、明治期の遺構が垣間見れる貴重な遺産がこんなところに眠っているというのを知ったのは正直驚き出した。 そんなわけでこの梅木発電所についてレポートしていきたいと思います。 発電建屋と放水路
梅木発電所の発電建屋は建設当時はレンガ造りの、いかにも明治の建築を思わせる建物だったそうです。 ところが昭和5年に伊豆地方を襲った伊豆地震で発電建屋は崩壊。 翌昭和6年には復旧の上、発電を再開しますが建屋は木造のものに建て替えられてしまいました。 (注:ただし内部の水車ケーシング・発電機は設置当時の物が現在も稼働しているとのことです)
対岸から土手沿いに発電建屋の方向へ歩いて行くと高音のタービン音が響いてきます。 この音こそまさにこの発電所が今稼働している証。 建屋真下から川へ向かって伸びる放水路からは水車を回した水がとうとうと流れています。 水力発電の終点ともいえるこの場所から、今度は上流へ向かっていきたいと思います。 発電所の裏手から延びる太い管は水力発電所には欠かせない水圧鉄管
水圧鉄管とは発電所の直上にある上部水槽や貯水池から水車に水を導く導管です。 当然なかには水圧で圧力がかかった状態ですのでその水圧に耐えられるだけの肉厚と構造が必要です。 梅木発電所の有効落差(発電に供される高低差)は20m強あり、その落差の大半がこの水圧鉄管の落差になります(残りは水車のを吸出菅など)。 水圧鉄管の上部に必ずあるもの。
そう、上部水槽です。 堰から流れてきた水を留め置き水車に一定量の水を供給するため設置された人工池です。 梅木発電所の場合、上部水槽は沈砂池(砂やゴミを除去するため池)もかねているようです。 水路式水力発電所はよほど規模が大きいか、条件が良くない限り平地にこういう人工池を設置することはできず、この梅木発電所も山の斜面にコンクリートの水槽を設置し上部水槽としています。
手前に伸びてきているベルトコンベアは枯葉や浮草のように水に沈まないごみを除去するためのもの。 常時動いているものではないようで行った時も発電所は稼働しているのにコンベアは止まったままでしたがベルトには湿気が…時間によって動くようです。 上部水槽などでごみを除去したきれいな水が先の水圧鉄管を通って水車へと導かれるのです。 ちなみにこの上部水槽は当然ながら接近不能。 周りは山ですしそれに加えフェンスが設置されているので接近しようがありません。 大昔はフェンスなどはなく地元の子供たちの格好の遊び場だった、とは地元の人の談。 むろん、そんな危険な遊びが許されるわけがありません(当然今でも)がそんな時代もあったのでしょう。
さて発電機はもちろんですが発電した電気を送電するシステムもまたなくてはならないものです。
ある程度の規模の発電所では作った電気を消費地に送るための送電システムを備えておく必要があります。 送電システム…簡単に言ってしまえば変電所のことです。 ただ、一般の変電所とは違うのは“電圧を下げる”のではなく“上げる”変電所だという点です。 長距離の送電の場合、電圧が高ければ高いほど送電ロスは小さくなります。 つまり作った電気を無駄なく送れるのです。 ぶっちゃけ、100Vや200Vで送るよりも数万Vで送ったほうがいいのです。 ちなみに日本で実際に営業に供されている高圧送電は最大で550kV 1100kV送電も対応した設備が既に準備されているそうです。 梅木発電所に隣接している送電用変電所はそこまで高い電圧ではなくおそらくは66kV程度ではないかと思います。 もちろん変電所には立ち入りできませんがフェンス越しには大型変圧器が2基設置されていました。 変電所の規模は大きくはなく、どことなくちんまりとした模型チックなスタイルにはそそられるものがあります。 以前は発電所に隣接して変電所もあったようですが今は道路を挟んで反対側に移動しています。 ここから梅木発電所で発電された電気が消費地に向かって送電されていくのです。 さて、電気が送り出される現場を見たところで次は水の行方を追って水源地方向へ足を向けてみましょう。 発電所の上部水槽の脇の道路を山に向かって進んでいくと突然右手の民家の裏手からとてもそこには似つかわしくないものが現れます。
赤レンガ造りの水道橋です。 水道橋というより水路橋ですね。 この水路橋はこの発電所ができたときから発電所とともに歩んできた水路橋で、発電所が少なくとも明治という時代に作られたことを物語る貴重な産業遺産です。 発電所が倒壊した昭和5年の伊豆地震においてもこの水路橋は倒壊を免れ現在に至っています。 発電所の竣工当時、この水路橋はレンガ造りのモダンな設計とあって見物客が後を絶たず、茶屋までできて繁盛する始末だったとか。 今はひっそりと民家の裏手から延びていますがそれでも貴重な近代遺産には変わりありません。 というわけで水路の上のほうに… ここはちょこっと水路橋を上から見ることができるんです。 (注:水路を渡る橋の上から撮影。水路式地は立入禁止)
というわけで水路橋の上から。 登ってみました。 水路はすべてフェンスで囲われていて直接侵入はできません。 とはいえ、場所によっては接近はできますし水路には橋もあります。 水路自体に覆いがあるわけではないのでフェンス越しに観察することも…。 驚いたのは水がかなりきれいなこと。 やはり濁っているよりは透明度の高いほうがいいのでしょうね。 水量も比較的多く静かに、されど決してゆっくりではない速度で流れていました。 水路橋の先はまた水路、そしてそう遠くない先にはあの上部水槽があります。 では水源側は? 水路橋の反対側
東には夕時の月が白く浮かんでいます。 のどかな田舎の小川の夕暮れ時… そんなイメージです。 なんか忘れていた田舎の風景…みたいな感じでしょうか。 とても、これが発電所の導水路だとは思えません。
残念ながら水路はこの先でトンネルへ入ってしまいます。再び地上に姿を現すのは取水口の近く。そこにはまた面白い風景があります。 ひと山越えて…
ってほどでもありませんが水路わきの道を道なりに進むと小さな峠を越えるように大きくアップダウンします。 当然水路は地中のトンネルの中。 探すすべもありません。 水路が再び姿を現すのは取水堰付近。 ここではさっきの水路橋とは打って変わって水田の中を流れる小川…といった感じです。 写真の奥のほうが発電所方向、手前が取水堰側… 小川のような水路は山へ向かって流れていき山肌を添うように流れて… いるように見えますが、山肌に総当たりで実はすでに地中に潜っています。 もっとも、完全にトンネル状に山をくりぬいているのはもうちょっと先。 この付近は本当に日本らしい田園風景です。 ちょっと先には旧中伊豆町の町並みも… そして今、写真を撮っていたところもまたおもしろい光景が見られるのです。 それがコレ
ただの橋、ではありません。
これが何なのかは地図を見てみるとわかるかと思います。 http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=34.95300313716176&lon=138.99432341727018&z=19&mode=map&pointer=on&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=34.945229232634&hlon=138.98177067908&layout=&ei=utf-8&p= 実は水路の上を天然の?小川が流れているのです。 小川と水路が立体交差し、しかも水路のほうが下を流れている… そういえばただの橋にしては橋桁が分厚いですよね。 交差している小川の川幅は水路とほぼ同じくらい。 農業用水としても使用されていてそのまま川へと流れ込んでいきます。 水力発電所の水源たる取水堰です。 本来ならここからスタートするのが筋なのですが逆行して記事を書いています。 見ての通りコンクリート造りの変轍のない取水堰です。 水量ですがちょうどこの反対側(つまりは写真の後ろ側)で川が合流しており、かなり安定した大きな量の水を得ることができます。 だからこそここに取水堰を設け発電所を作ったのでしょうね。 ちなみにダムと堰の違いは基礎岩盤からの堤高が15m以下が取水堰、それ以上がダムなのだそうです。 ちなみに川の取水堰から発電所の放水口まではいわゆる減水区間と呼ばれ、川を流れる水の量が減る区間になります。 水の量も減るためこの区間でさらに水を撮る農業用取水せきなどは設置できませんし川魚の漁にも影響します。 そのため、発電所を管理する発電会社と架線を管理する国土交通省や地元とも間で河川法にもと好き水利権を巡る取り決めが交わされます。 過剰に取水し過ぎたがために川の水がなくなってしまい環境問題になった例としては大井川水系の「水返せ運動」があります。 水力発電所一つとってもいろいろあるのですね。 というわけでこれにて梅木発電所の話はこれで終了。 狩野川水系にはほかにもマイクロ水力発電所である落合楼発電所や湯ヶ島発電所、また黄瀬川方向には深良川に3発電所がありいずれは訪問してみたいと思っています。 近場に意外な施設がある。あなたのそばにもきっと歴史に埋もれた意外な施設があるのかもしれません。 |
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2点とも7月8日 上麻生ダムにて
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