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一通り、論点について書くべきこと、書きたいと思ったことは書いたので、少し落ち着いています。
この後は、全体総括の「まとめ」を書いて一段落にしようと思っています。10月20日以来、夜や早朝に書き続けてきたので、そろそろ自分の生活に戻りたい気持ちもあります。
ただ、新たな動きがあったら、またコメントしたいと思っています。また、10月17日の佐賀県議会委員会での郷原氏の参考人陳述が議事録で読めるようになりましたので、そのうち読んでみて、気付きの点があれば記事にするようにします(p557以下)。
●ところで、12月15日付の「しんぶん赤旗」の一面トップに、「九州太郎」のブログのことが大きく載っていたので、びっくりしました。
一個人ブログがここまで取り上げられることになるとは、2カ月弱前のスタート当初は夢にも思いませんでした。最初の頃は、アクセスは20〜30件くらいでうろうろしていましたから感慨深いものがあります。
「九州太郎」というHNで、既存の各種ブログ、サイトなどがあるとは知らず、スタートしてしばらくたった後でそれを知りました。検索結果で混同されて迷惑された方もおられるかもしれません。お許し願います。
また、赤旗の記事によると、「九州太郎」ではないかと疑われた方もおられたそうで、迷惑至極だったろうと思います。
●それにしても不思議なのは、なぜ、第三者委員会報告書の内容や郷原氏の言動を批判しただけで、「九電のやらせ」という発想になるのでしょう???
このブログのコメント欄にも、さかんにそのような決めつけのコメントが載っていました。今回の赤旗もそうです。「やらせだとすれば」と留保はつけていますが、実質上決めつけているのでしょう。
こういう発想は全く理解できません。九電を「擁護」など別にしていませんが、「九電を「擁護」するヤツなどいるはずがない」という発想なのでしょう。
異なる立場、異なる発想、異質の言論を一切認めない全体主義的発想が自らの内に潜んでいることに気がつかないのでしょう、きっと。「言論は一色でなければならない」・・・かつて「非国民!」と叫んだ人々、マスコミと同じです。
誰が書いたか?ではなくて、何が書かれているか?で議論していただきたいものです。 百歩、千歩譲って九電関係者だったとしても、書かれた疑問についてどう考えるべきか、はまた切り離して検討する必要があります。
●話は少々飛びますが、今回の赤旗だけでなく、新聞記事を読んでいると、ちょっとした言葉の使い方で、書いた記者のスタンスがにじみ出るときがあります。
「正体不明」と言う言葉は、胡散臭い語感があります。「匿名」というのがニュートラルな言葉でしょう。
「第三者委員会への批判を書き連ねた・・・」の「書き連ねた」も、一般的には、「不平を〜」「恨みを〜」「欠点を〜」というようなマイナスの内容をあれこれながながと書く、そして書くこと自体も含めてマイナスの語感です。駄文を延々と書いているという語感ですね。
●少し検索して拾ってみると、以下の西日本新聞の記事。一見淡々と紹介しているようにみえます。
「・・・第三者委認定を覆すに足るものではない」とことごとく反論している。」
しかし、「ことごとく」は、逐一、すべてということですが、もれなく全部、という語感で、「ことごとく反論」という文章の印象としては、「論破している」という語感があるように感じます。読者によっては印象は異なるかもしれませんが・・・。
●また、今日の読売新聞。取締役会中止で、最終報告書の扱いの結論が越年の見込みという記事です。
「 しかし、その後も真部社長が自社の見解にこだわり、第三者委との対立が続いている。」
「こだわる」は明らかにマイナスのニュアンスです。「我を張って執着する」という語感です。中立的語感を出すのであれば、「眞部社長は、引き続き自社の見解を維持する立場を取っており」といった書き方でしょう。
●朝日新聞や今回の一連の日経新聞のように、完全に郷原氏側に感情移入してしまっているような記事は論外として、それ以外の社の個別記事も、事実を淡々と伝えているようにみえる中にも、言葉の使い方を通じて、記者の考えや立場が微妙に滲み出ていることは、なかなか興味深いところです。
しかしそれにしても、今回の一連の九電第三者委員会関係の記事では、様々な立場の異なる識者のコメントをほとんど載せていませんでしたが、そういうパターンは珍しいような気がします。そういうことは、記事のバランスを取るためにも、マスコミの大事な役割だと思いますが・・・・。
今からでも遅くはないので、宗像弁護士をはじめとした様々な立場の人々による検証の議論が行われることを期待しています。
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このブログが、九電側のやらせであったり、九電を利するだけの記事や、擁護論に終始してるだけならわざわざ私もコメントなどしない。
対九電ではなく、一企業と一第三者委員会との構造的な問題を論じるケーススタディと捉えて私はこのブログを閲覧し、コメントもさせてもらっている。
そして、郷原氏個人を批判する時には、彼がライフワークとしていたLD事件での見解を基軸に、いかに彼のコンプライアンス論が感情に左右されているかの欠点まで指摘している所だ。
原発や電力会社問題まではよく知らないし、語る気もない。
こういう人間が閲覧者の一人であるってことも、このブログを九電側のやらせと認定してしまっている方々には理解してもらいたい。
やらせなら、九電の正当性をこれでもかと述べたコメントがたくさんあるに違いないだろう。
2011/12/17(土) 午前 11:07 [ やらせ論に一言 ]
家を奪われた高齢の人はたぶん存命中に故郷に帰れないだろう。
そんなひとが大勢いる。なぜこういうことが起きたか?
絶対安全を貫いてきた国と電力会社の原子力政策。
それをとりまく多くの利害(利権)関係者のあり方。
電力会社のそもそもの立ち位置と方針。
こういうことを、今、一番振り返り、考えなければいけない。
その中心に、九電もいたから、今後、類似のことが九電管轄内でも
起らないようにすることが大切なのに。
居住する土地を汚し、産業を壊し、健康を脅かす権利など、誰にもない。
2011/12/17(土) 午前 11:55 [ バカな書き込み ]
しかしここで書き込む方々はそうした大枠に目を向けない。
ひたすら、九電のいいところ探しに終始する。
郷原が・・・第三者委員会が・・・マスコミが・・・・ではなにも解決しない。第三四半期から見事赤字突入だ。しかしね、これは滅茶苦茶な原子力政策をとってきた国との共同責任だ。
議論の場も与えず、情報やリスクを十分に出さずただ一方的に進めてきたつけがこれなんだ。
それがうまくいかなくなって会社のバランスシートがおかしくなってきたとしても、そんなことは知ったことじゃない。
市民にいかに迷惑をかけずに存続してゆくか、推進してきた自分たち国、電力会社、自治体、発注業者、御用学者みんなで考えなさい。
どこまで自分勝手で甘えているんだ。そのマインドを一番の問題にしたい。国民の多くが感じているであろう風と、まったく反対を向いてそよぐ風。それがこのブログと賛同者の書き込み。
あなた方の収支尻などどうでもよい。
2011/12/17(土) 午前 11:55 [ バカな書き込み ]
第三者委員会のやらせ論を語る前に、九電のやらせをもう一度振り返り、語るべきだろう。
いったいやらせを始めたのはどっちなんだ?
やらせをした奴が他人のやらせを批判する権利さえないだろう。
泥棒が泥棒を裁けないのと同じだ。
そうでないと時節柄、「また電力擁護か」と思われてしまうのは当然だ。網の目のように張り巡らされた電力ネットワークは今なお根強く生き抵抗しているのだから。
私は、そのネットワークの波及具合をみると、おかしな合意形成を導き出すポイントを検証し、おかしければそのポイントを破壊したい。
2011/12/17(土) 午後 0:00 [ やらせ? ]
>>このブログを九電側のやらせと認定してしまっている方々に は理解してもらいたい。
やらせと認定したわけではない。世間常識から遠く離れた、電力会社や自治体の視点から見た異常なコメントが目立つ。
冷静に第三者委員会を考察する視点などなく、ひたすら自分たちを擁護する材料探しに奔走する書き込みが大変目立つのだ。
こういう人間は、今までしれっと自分都合で物事を進めてきた。
抵抗する人間に対しては詭弁に詭弁を重ね国策のバックボーンで自己を正当化し思い通りにしてきた。
もう世の中、そんな風につごうよくいかないよ、と私は言いたい。
至るところでノイズを出し、2005プルサーマルや根拠なき再稼働など二度とさせない。市民ひとりひとりが自分の頭で考え、チェック機能を働かせるべきだ。
2011/12/17(土) 午後 0:09 [ 自分の頭 ]
>>なぜ、第三者委員会報告書の内容や郷原氏の言動を批判しただけで、「九電のやらせ」という発想になるのでしょう???
当然です。多くのマスコミ媒体が、原子力・電力業界に対して無言だったから、言葉をしゃべらせない、あたかも合意事項のように情報を操作してきたからです。
そして明らかに電力業界の利得視点で書き込みをする輩が跋扈するからです。あなたの発言の端々にもそのようなニュアンスをじられます。それは、第三者委員会設置に至るまでの九電の暗黒面や
国策原子力や電力会社と各方面との癒着関係にほとんど触れられないからです。
全体の一部のみを切り取ってこういう公の場で議論すること自体、庶民には不可能なのです。
あれだけ絶対安全を吹聴して発生してしまった他所での事故が大きな要因です。
2011/12/17(土) 午後 0:16 [ 当然 ]
ではなぜ真鍋社長は郷原氏に本ブログの存在を示唆したのでしょう。
郷原氏の発言自体が信ぴょう性に欠けるのでしょうかね。
しかしあなたの枝野ー郷原結託説も、いまだ証明できない著しい仮説にすぎないじゃないですか。
市民は国策と電力会社中心でやってきた原発推進の手法そのものに怒っているのが大きな背景ですが。
そんなこともおわかりにならないか、九州太郎氏。
2011/12/17(土) 午後 0:22 [ 九州太郎氏へ ]
久しぶりに覗いてみました。今まで発言機会のなかった方々の発言の場になりつつありますね・・・私は、震災後計画停電や物流の途絶えを経験し、電気の重要性を再確認するとともに、放射能による不安感を強く感じたものでした。九州の方々は計画停電や物資の途絶えを経験していませんよね。主要幹線道路の信号が突然消え、駅前の繁華街が一斉にクローズする光景は忘れられません。また、コンビニに商品のない毎日は例えられない不安を駆り立てられました。放射能についても子供への影響が心配で食品の選別に気を使ったもので家族の疎開について真剣に考えました。しかしながら、10年、100年のスタンスで物事を捉えるならば原子力発電の技術革新も新エネルギー開発もどちらも重要な選択肢の一つです。直ちに原子力を放棄して、今の安定した生活を失うことは苦痛ですし、放射能の脅威も不安です。これだけの人口と設備を維持するエネルギー多大で、それだけリスクを伴います。コストとのバランスも今急激な変化は経済への打撃を鑑みると大きすぎます。
工業製品や農作物の高騰、ガソリン高騰、輸出の停滞etc…
2011/12/17(土) 午後 1:21 [ 関東人ですがR1 ]
広い目で見れば人類の歴史は食糧=エネルギーの獲得によるものであることは明白で、世界の競争から取り残されては国が成立もしません。農業にしても工業と同じ位置づけで決して自然ではなく人工的エネルギー消費産業であり国の根幹に影響します。電力を含むエネルギー政策をもっと国の皆で真剣に深く議論し、国民投票により国民で選択するべきと思います。
2011/12/17(土) 午後 1:22 [ 関東人ですがR2 ]
九州の方々、石油・天然ガス高騰などを想定し、計画停電を実際に経験してみてはどうですか?また、諸官庁や電力について利権等々記載する方がいますが、そこに携わる人は法外な給料をもらっていませんし、ほとんどが目先の生活の安定と成立、そして数十年、百年先の安定を保障できるように努力する人ばかりです。その方々の利益は普通の給料であって、個人での利益など手にしていません。あまり悪く書くのは失礼です。今の子供達に確かな未来を手渡せるよう冷静に議論しましょう。ちなみに九州電力のホームページにある「ずっと先まで、明るくしたい」これいいですね。このように記載する会社の人も、他に選択肢があれば好き好んで原子力を推進しないと思います。ただ明るくしたいんですよ。皆さんを。ですので、云われなきバッシングに反論してもいいのではないですか?他者の否定からは何も変わりません。まずは肯定からですよ。大阪とともに九州から変えて下さい。
2011/12/17(土) 午後 1:24 [ 関東人ですがR3 ]
関東人ですが さん 真摯なコメント有り難うございます。
ここは、経済と電力の安定供給のことを一生懸命考えてくれている
経団連さん、電事連さん、電労連さんが一生懸命見てます。地元の方はむしろ少ないでーす。
全員サラリーマンなんで、明日のエネルギー政策とか原発の安全性とか電力会社のあり方とか送配電分離の議論とか住民の安全とかはなーんも考えてませーん。
ただ早く原子炉をぶん回して会社を黒字にし給与水準を維持することしか考えてませーん。
でもって安全確認もせず原発推進したことがばれたら困る人が多すぎて司法が対処できないと思ってますんでなんの反省もいらないって思ってマース。
早くときが過ぎ去ってくれればいいな〜。
2011/12/17(土) 午後 3:44 [ 原発安全(キリッ) ]