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[ 中年九電社員 ]
2014/8/8(金) 午後 7:49
01:日曜朝の情景描写に対し思いもよらぬ反応です。単なる日記に何故そんないきり立つのか私には理解出来ません。斯様に先入観を持っていては正しい見方など出来無いのは原子力に対しても同じですが、それ以前の段階に問題が在る事を指摘します。
*
複数のオプションから選択する場合、特定のオプション(具体的には原子力)のリスク(1)だけ論って、代替となるオプションのリスクは無視しても意味の有る結論は得られない事は、最前説明した通りです。これは結論に賛成だ反対だと言った矮小な問題では有りません。結論に至るまでのプロセス(=手続き(2))に致命的な欠陥が有るという指摘であり、そんな空疎な検討で得られた結論は一瞥にすら値しないというダメ出しです。これは計算式が間違っていたら、どんな数字を代入しても正しい答は得られないのと同じです。
(1) リスクに限らず便益やコストもオプション間での比較考量が必要。
(2) これは文系の表現だが科学とて方法論は同じ。何が正しいのか前以て判らない(=神のみぞ知る)のだから、手順の適正さに結論の正しさを委ねる他は無い。
(続く)
[ 中年九電社員 ]
2014/8/4(月) 午後 10:45
日曜の朝、散歩しようと表に出ると野良犬の糞が6個転がってました。まぁ犬ですから立入禁止が理解出来ないのは仕方無い事ですね(笑)。跨けば何の事は有りません。
閑話休題…
少し古いですが一昨年に『現代ビジネス』に掲載された適菜収氏の文章を紹介します。
『日本をダメにしたB層の研究』著者:適菜収
なぜ日本人は「参加」したがるのか? 【前篇】
http://gendai.ismedia.jp/articles/print/33886
〃【後篇】
http://gendai.ismedia.jp/articles/print/33887
同氏の著書『日本をダメにしたB層の研究』の抜粋で、鋭い突っ込みに思わず膝を叩きました。読んでみて「我が意を得たり」とニンマリされる方も、きっといらっしゃると思います。
[ 中年九電社員 ]
2014/8/2(土) 午前 6:35
(続き)
他人の不安を煽って別のリスク(=必要の無い出費を強いられる)に対する注意を逸らすのが『不安商法』ですが、意図的に騙そうとする悪人よりも不安に駆られている善意の人の方が周囲の人を巻込む力は強いかもしれません(ある意味始末が悪い存在だと言えます)。例えば、スティーブン・キングの小説を原作とした映画『ミスト』は、宗教的な盲信を抱く人を発端に人々の不安が連鎖する事で個人や集団が冷静さを失っていく過程を見事に描いています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%88_%28%E6%98%A0%E7%94%BB%29
なお、意思決定に際しては選択肢相互でのリスク比較だけでなく、個々の選択肢のリスクと便益や、費用と効用を比較考量する事が必要なのは勿論です(詳細は別稿に譲ります)。
[ 中年九電社員 ]
2014/8/2(土) 午前 6:34
特定のリスクに捕らわれてしまう事により、別のリスクを軽んじてしまう事は往々にして有ります。
典型的な例を挙げましょう。アメリカでは同時多発テロ(いわゆる911)の後、長距離の移動でも飛行機をやめて自家用車を使うようになった結果、移動に伴う事故死が増えたという統計が有ります。
正しいリスク評価の重要性は中川恵一医師がわかり易い比喩で説明しています。
「ネズミとサルとゾウが襲ってきたら、ネズミの方へ逃げるべきです」
それをネズミに噛まれて怪我をした記憶に捕らわれてしまうと、ゾウのリスクを見逃してしまいネズミから逃げてゾウの方に走るような不合理な行動を取ってしまいます(諺だと『羮に懲りて膾を吹く』と言ったところでしょう)。
(*) 中川恵一『被ばくと発がんの真実』(公研2012年9月p.60)
(続く)
[ 中年九電社員 ]
2014/8/1(金) 午後 0:46
しばらく間が空いてしまいましたが、コメントも無いようですので続けます。
先日紹介したインタビュー記事の最後の部分で安念教授は、原子力発電だけではなく火力発電にもリスクが有る事を指摘しています。教授が挙げた大気汚染や地球温暖化だけでなく、メキシコ湾の原油流出事故やトルコの炭鉱事故のようなリスクが有ります。これらは脱原発に伴う機会費用になる訳で、選択肢毎の得失を比較考量しない偏った検討では、まともな結論は決して得られません。
また、リスクの評価は起こり得る損失の大きさと発生頻度の両方を勘案して行うべきです。勿論、単なる期待値ではなくファイナンスに於けるリスク・プレミアムのような評価も加味する必要は有るでしょうが、何れにしても確率を無視して起こりうる損失の大小だけで評価するのは間違いです。そういう意味では先般の大飯運転差し止め訴訟に対する福井地裁判決の理由付けは不合理なものだと言えるでしょう。
[ 中年九電社員 ]
2014/7/19(土) 午前 3:00
(続き)
例えば、関電大飯の運転差止めに関する福井地裁判決に対しては、判決に批判的と言いながらも批判するときは判決の全文を読むべきだと言っており、併せて原子力学会のコメントが判決を読んだ上で作られたとは思えない総括的なものに留まっているとの印象を示しています。
安念教授の指摘は正鵠を射たものです。裏返せば、郷原氏の記者会見を鵜呑みにするだけで、報告書の内容を検証したとは到底思えなかったマスコミや、報告書が公開されるや否や出張先の中国でコメントを発した枝野前経産大臣にも共通する思考・行動様式の問題点であり、このブログで再三主張されている事とも通じるものだと思います。
また、安念教授は裁判とは当事者の出した証拠だけで判決を出すのであり当事者がしっかりした証拠や科学的知見を出した上で裁判官を説得する必要がある、とも指摘しています。関電は第一審だからとなめていた訳ではないでしょうが、控訴で逆転するために地裁判決を丹念に分析した上で全力で取組む事になるでしょう。
[ 中年九電社員 ]
2014/7/19(土) 午前 2:59
約1年前に、中央大学法科大学院の安念潤司教授が法治の観点から規制委による原電敦賀の活断層認定の問題点を指摘したJBpressのインタビューは、此処の記事で紹介されました。先月のJBpressには、政権が責任を持って再稼働を表明すべし、という同教授のインタビュー記事が掲載されています。
「安倍首相が再稼働を表明すべきだ」
安念潤司中央大学教授に聞く、「空気主権がむしばむ原発行政」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40936
安念教授の趣旨は、政府や電力会社は「空気主権」に流されるのは止めて法治に基づく責任ある判断をすべきだ、というものだと思いますが、他にも示唆に富む点が読み取れます。
(続く)
[ 中年九電社員 ]
2014/7/16(水) 午後 7:39
この小説を読み進めると興味深い描写が出てきます。
例えば、警察は何の容疑であるかを明示せず主人公の会社を捜査していますが(結局は何も出て来なかった)、新一はこれを『容疑があるから調べるのではなく、調べることで容疑の雰囲気を作りあげようとしているとしか思えない』と記述しています。また、内密の筈の取調べ経過をマスコミにリークする警部補や、そのリーク情報を検証もせず垂れ流すだけのマスコミも登場します。
これらは、第三者委員会としての活動が始まる前から、古川知事が発端だとの『見立て』に基づき記者会見を利用し印象操作を企て、本来の対象そっちのけで調べまくったにも拘わらず「泰山鳴動して鼠の糞」すら出せなかった郷原氏の愚行と重なります。とかく検察を批判する郷原氏ですが、彼こそ検察の旧弊そのものです。知らずにやってるのなら救いようのない無知だし知っててやってるのなら容認出来ないダブスタです。
それにしても、今時大正時代さながらに郷原の拡声器と化したマスコミが居たのには呆れます。尤も、マスコミのそんな姿も、程度の低い報道を鵜呑みにして手を叩く大衆の鏡像だと言えますが。
[ 中年九電社員 ]
2014/7/7(月) 午後 5:52
ご無沙汰しています。
星新一の小説に『人民は弱し 官吏は強し』と題する長編があります。
SF作家でショート・ショートの名手として有名な星には珍しい伝記もので、実父である星一(はじめ)を描いたものです。
アメリカ帰りの主人公が大正初期に日本初のモルヒネ精製に成功したのを皮切りに、国際感覚や創造性あふれたビジネスを展開する中、保身第一の官僚の反発やライバル企業による妬みから執拗な妨害のみならず、会社もろとも政争にも巻き込まれ窮地に追い込まれていく様子が描かれています。
国益よりも省益の優先、許認可の不作為による引き延ばし、事後的なルール変更といったアンフェアな妨害にも徹頭徹尾真っ向から立ち向かい、一貫して明るさや前向きさを失わなかった主人公には爽やかさを感じます。また、身びいきや『官僚=悪』というレッテル貼りに傾かず、個人として主人公に理解を示しながらも組織の論理に屈せざるを得なかった官僚の姿も描いた新一の筆致にも好感が持てます。
今の時代に、こんな昔の旧弊である人質行政を押し進める組織には、科学や公正手続きの欠片も無いと言えるでしょう。
[ kyusyutaro ]
2014/6/7(土) 午後 6:53






