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原電の破砕帯に関する最終調査報告書に関して、規制委は検討会合でのヒアリング後、「論点整理している」というのみで、音沙汰ありませんでしたが、そのHPの「被規制者との面談」の欄に、10月31日付で原電担当者と会い、要確認事項、現地調査での確認事項を手交した旨が書かれています。
これをみると、年代判断のための火山灰の話と、K断層との連続性に関する話とでの「論点整理」になっています。全体、個別評価項目ごとに、有識者評価書と原電最終報告書、ヒアリング時の意見等が対比されていますから、便利ではあります。
しかし、これの作成だけであれば、8月30日のヒアリング以降、2カ月も要するとは考えにくいところです。1週間もあればできる内容です。今後どう対処するのかについて、島崎氏らとすり合わせながら、原電に渡すタイミングを見ていたのでしょう。
それで、今後どう対処するつもりなのか?
それは、この規制庁の作成資料を眺めていると、容易に想像できるような気がします。
次回出てくるセリフは、おそらく、例によって、
「そうとは断定できない」「そうとは限らない」
「データが不足している」
「調査の手法が不十分だ」
でしょう。そういうところにつなげようという意図がにじみ出ている記載が随所にあります。
一番右欄の「検討項目(案)」のところにある記載は、だいたいは、原電調査内容の「妥当性」とだけあって、特に前半の地層年代のところはそれだけ書いてありますが、後半のK断層のところになると、それだけには留まりません。
・K断層の性状では、N-S系断層は調査を行っていないのは、いいのか?
・K断層のずれがなくなるのを2カ所だけで確認したとあるが、いいのか?
・最左欄には、「確認場所が少なく、ずれが地表に達しなかった可能性
がある」とまで書いてあります。
・変位センスを判定した場所と数量は十分かつ適切か?
・G断層の連続性について南側は、ボーリングと変位センスだけで判断し
ているがいいのか?
もう、こういう趣旨の記載をみるだけで、
「これだけの材料で判断するにはデータが不足している。」
と、島崎氏が定番の台詞を告げる場面が想像できるようです。
●ともかく、K断層との連続性は、彼らの生命線です。あれだけ、D-1破砕帯と連続していることを強調して来て、浦底断層との連動とともに、それを大前提として延々と評価書の骨格を固めてきたわけですから、これが崩れたら、面目は丸つぶれです。
自分たちのが誘導したい方向に結びつく材料が出るまで、「データが不足している」と言い続けたいのでしょう。
「連続している」と判定するときは、ろくに調べず、「方向がほぼ同じ」という抽象的な印象論だけで決めつけ、変位が違っていても「逆転することはある」と無視したのに、複数箇所でK断層のずれが消滅していることや、やはり変位は異なるという結果が出たら、今度は「確認場所が適切か? 確認地点数は足りるのか?」などと言い出すのですから、ご都合主義も極まれりです。
彼らには、自らの判断を積極的に裏付ける合理的推論というものが、ほとんどありません。根拠なく、「そうとは限らない」「こういう可能性もある」という想像上の、希望的観測にのみ依拠して、事業者側の調査を否定しようとします。「こういう可能性」という以上、それを推測させる根拠があってしかるべきですが、そ想像だけであって、具体的材料はありません。
●原発の安全をつかさどるはずの規制委なのに、肝心の設備への影響については、何らの検討もせずに、活断層かどうかというレッテルを貼ることだけに終始しています。
東通有識者会合メンバーの栗田委員が述べていた
「・・・どの程度の地震波を出し得るのか。それとも、問題にならないほど小さいのか。あるいは、敷地の変形で言えば、こういった断層の1回の動き、変状の量、面的に見たときにそれが原子力施設に影響があるのかないのか、そういうことが本質的に重要なことだと思うんですよね。」
という指摘も無視しています。それが一番大事なのに、「活断層」という分類に入れることだけに汲々としています。
一方、敦賀の第5回会合では、嶋崎氏は、ぼろっと、こういうことを述べています。
「活断層と言ったときのこの概念、一般の活断層研究者が特に思っている活断層の概念というのは、浦底断層みたいな断層、これが活断層であって、ここで出てくるような、それに比べると規模も小さいし、繰り返しなんかも恐らくならないだろうようなものを活断層と呼ぶのに、あまりそれほど立派ではないといいましょうか、何かそういう意識をお持ちの方もいらっしゃって、どれもこれも活断層と呼ぶことに対して多少問題があるような御見解もありましたので・・・」
D-1破砕帯自体は大したものではないということは、十分に分かっているのです。他のところでも、「D-1自体は自分で動くものではない」とも述べています。
そこで描くシナリオは、まず浦底断層という活断層があって、その近傍にK断層があって、それが連動して何度も動いた、それとD-1とが連続しているから、D-1の上にある施設は危ないのだ、というものでした。
ところが、K断層について、浦底断層との連動性や複数回活動も否定され、D-1との連続性も否定され・・・では、シナリオは崩壊してしまいますから、焦るのも無理はありません。島崎氏が、意図してかどうか、「1.8mものズレの恐怖」という確定もしていないものをわざわざとりあげて、K断層とD-1破砕帯とを混同させるような印象付けの論をぶって危険性を煽っていた試み(これは、明白な違法行為です)も、水泡に帰してしまいます。
(※ 他方で、破砕帯が動いて、使用済み核燃料の貯蔵施設が仮に全壊に至っても、問題にはならないという評価結果は、承認しています。)
●敦賀の破砕帯に関する規制委の検討の進め方の問題点が、今回も改めて出ています。
①評価書における推論の根拠への反証が出ても、それに対する具体的な根拠に基づく反証をしない。あくまで、想像上の「〜という可能性がある」というに留まる。自らは何らの追加的な合理的推論を行っていない。
②事前に、調査地点、手法について承認を受けた計画に基づく調査結果であり、有識者会合で指摘を受けて追加調査もした結果であるはずなのに、それは無視し、結果が意に沿わなければ、「その地点、内容等で十分か」と言い出す。あたかも「逃げ水」のようで際限がない。
③自然が対象であり諸制約もある中で、「絶対」の結論はあり得ないにも拘らず、時間と物理的負担を無視して、自らが求める材料が得られるまでエンドレスで調査負担を強い、審議を引き延ばす。
※ 大飯と敦賀がその典型です。
④安全確保のためには、「活断層」というレッテルを貼ることではなく、仮に動いた場合の原発施設への影響の見極めであるにも拘らず、そういう検討作業は皆無。
訴訟と並行して牽制しないと、関電の大飯と同様、「データが足りない」で延々とどこまでも行ってしまいそうです。
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続き
公表の違法性による国家賠償請求について、先ほどは、合成洗剤事件を見てみましたが、カイワレO-157報告書事件の判決も見てみました。
これも、敦賀の有識者会合による活断層の認定の違法性について争う場合に、参考になる部分が多々あると思いますので、ご紹介しておきます。
これは、O-157中毒の原因についての中間報告で、カイワレが原因と特定できていないにも拘わらず(その後も生産ルートや流通ルートから病原菌は発見できていない)、それが原因であることも否定できないとの旨を公表したことによって、カイワレ業者全般が甚大な売上減の被害を被ったということで、業界団体が国家賠償請求訴訟を提起したというものです。
当時の厚生大臣は、あの菅直人氏でした。
○東京高裁控訴審判決
○判例解説
●以下、判例解説から抜粋して、大きな構図を見てみます。
「本件各報告の公表について主として問題となったのは中間報告である。中間報告は集団食中毒事件発生後1ヶ月程度でまとめられたもので、その意味では、科学的には未だ充分なものではなく、「原因食材とは断定できないが、その可能性も否定できない」という曖昧な表現をとっている。実際、特定施設などからは、病原菌は発見できておらず、中間報告の判断はあくまでも疫学的な判断であり、どうしても曖昧な点を残すものであったと思われる。」
「厚生大臣は,中間報告においては,貝割れ大根を原因食材と断定するに至らないにもかかわらず,記者会見を通じ,前記のような中間報告の曖昧な内容をそのまま公表し,かえって貝割れ大根が原因食材であると疑われているとの誤解を広く生じさせ,これにより,貝割れ大根そのものについて,O-157 による汚染の疑いという,食品にとっては致命的な市場における評価の毀損を招き,全国の小売店が貝割れ大根を店頭から撤去し,注文を撤回するに至らせたと認められる」。このような中間報告の公表により,原告である業者や協会の事業が、困難に陥ることは,容易に予測することができたというべきであり,食材の公表に伴う貝割れ大根の生産及び販売等に対する悪影響について農林水産省も懸念を表明していたのであり,それにもかかわらず,上記方法によりされた中間報告の公表は,違法であり国家賠償責任を免れない。」
「原因食材とは断定できないが、その可能性も否定できない」
というのは、どこかで聴いたことがある表現です(笑)。
以下順次、各争点ごとの判決のポイントを、判決から抜粋しながら見ていきます。これを読んでみると、司法判断では、違法性の有無についての判断は多岐にわたる観点からなされることがわかり(そういう争点を提起したのは原告側ですが)、これに照らし、敦賀有識者会合の活断層判断は極めて杜撰かつ恣意的であり、訴訟には耐えられないだろう、という印象がしてきます。
カイワレ訴訟では、科学的検討の不十分さと、曖昧なままの公表の仕方が、理解を正確にさせる配慮に欠けたことにより甚大な被害を招いたとして違法性を認定をされています。これに対して、敦賀の活断層認定は、科学的検討過程も公表の仕方も慎重とは対極の状況でとりまとめ、事業者に甚大な被害を与えています。国民の生活と安全を守るという点では両者とも目的は共通するところですので、そういう中での適切な判断と公表のあり方というものに警鐘を鳴らす高裁判決だったと思います。
以下の判決文を、敦賀の活断層判断の過程、内容等を念頭に置きながら、読んでみて下さい。
*********************************
●争点(1)(疫学的調査の適否及び本件各報告の判断の合理性)について
ク 小括(総合判断)
(原判決296頁9行目から297頁末行までに代える当裁判所の判断)
以上のとおり,本件集団下痢症の原因食材として,本件特定施設から特定の日に出荷された貝割れ大根と断定できないが,その可能性も否定できない(中間報告),又はその可能性が最も高いと考えられる(最終報告)とした本件各報告における判断は,中間報告においては,内容自体曖昧に過ぎるが,当時,貝割れ大根が原因食材であると断定できないとしたこと自体は格別の問題を生じないし,最終報告については,前記のような疑問を抱く点もあるものの,調査や分析の手法等において疫学的な調査の手法に則ったもので,(ア)本件集団下痢症が発生した時期及び場所の特定,(イ)発生原因の特定,(ウ)原因食喫食日の特定,(エ)原因献立の特定,(オ)原因食材の特定の各項目を順次検討して上記結論に至った点も不合理とまではいうことができず,本件集団下痢症の原因食材として本件特定施設から出荷された貝割れ大根が疑われるとの判断を否定することにはならず,本件調査及びその分析の過程において,恣意的な判断があったともいえない。これによれば,本件各報告における判断に不合理な点は認められないとした原審の判断は,是認することができる。
(3)要約
本件各報告の内容及び前記認定の事実は,次のとおり要約することができる。 (中略)
本件各調査においては,本件特定施設の水や土壌,種子からはO-157の菌が検出されず,汚染源,汚染経路については,生産過程,流通過程を含め,解明されなかった(原審丙証人)。原審乙証人は,流通過程において他の食材により貝割れ大根が汚染された可能性は考えられないと証言するが,原審丙証人は,中間報告の段階においては,流通経路における汚染の可能性も考えられたと証言している。本件においては,実験による検証の結果,生産過程における汚染の可能性が明らかになったにとどまり,O-157の菌が,貝割れ大根の常在菌ではなく,本件特定施設からも発見されていない以上,流通経路における汚染こそ,疑われるべきで,それがおよそないと結論付けることは到底できない。
また,本件特定施設から出荷された総量と学校給食に納入された量とを比較すると,出荷量の95%超を占める出荷先からは発症の報告が皆無に近く,本件集団下痢症が学校関係者に大量発生したことは,学校給食を含む流通の過程が大きく寄与した疑いを抱かせ,貝割れ大根の汚染の事実に疑問を抱かせる事実である。
本件各報告は,原因食材の観点から調査の結果を分析しており,その分析及びこれにより得られた結論には合理性を認めうるが,学校給食に関してのみ本件集団下痢症の大量発生を見た原因についての検討は不十分であったという他ない。
●争点(2)(本件各報告の公表の適法性及び相当性)について
(1) 本件各報告の公表の意義,法的根拠の要否
本件各報告の公表は,現行法上,これを許容し,又は命ずる規定が見あたらないものの,関係者に対し,行政上の制裁等,法律上の不利益を課すことを予定したものでなく,これをするについて,明示の法的根拠を必要としない。・・・しかしながら,本件各報告の公表は,なんらの制限を受けないものでもなく,目的,方法,生じた結果の諸点から,是認できるものであることを要し,これにより生じた不利益につき,注意義務に違反するところがあれば,国家賠償法1条1項に基づく責任が生じることは,避けられない。
(2) 本件各報告の公表の適法性
本件各報告の公表の目的は,これに適うものとして是認すべきで,目的の点においては,本件各報告の公表を違法視することはできない。また,前記の経緯に鑑みると,本件各報告の公表は,これをすること自体は,情報不足による不安感の除去のため,隠ぺいされるよりは,国民には遙かに望ましく,適切であったと評すべきで,この点も,違法とすべきものではない。
(3) 厚生大臣による中間報告の公表の適法性,相当性
イ 貝割れ大根は,中間報告当時も,後にも,O-157への汚染が裏付けられず,本件特定施設の出荷量の95%超を占める学校給食用以外のものが汚染されたことは,後にも,裏付けられていない。中間報告は,前記のとおり,本件特定施設が出荷した貝割れ大根について,本件集団下痢症の原因食材であるとまでは断定できないとする。尤も,上記貝割れ大根については,その可能性も否定できないともされていたが,本件特定施設以外の生産する貝割れ大根(調査対象でもない。)はもとより,本件特定施設の出荷した学校給食以外に供給された貝割れ大根は,中間報告当時も,O-157への汚染を疑われるべき理由もなかったと認められる。
ウ 報道機関は,総じて,中間報告の内容を正確に記事として報道している。中間報告は,科学的な調査と分析であり,厳密に表現する必要に迫られ,断定を避けた曖昧とも見える表現が用いられるなど,正確を期すために,かえって読者による的確な理解が妨げられる表現及び内容となっていると認められる。実際にも,中間報告においては,貝割れ大根について,原因食材と「断定できないが,可能性も否定できない」としており,原因食材であると「断定できない」と否定的判断を示しながら,「可能性も否定できない」という表現を付加して,読み方によっては,本件集団下痢症の原因食材である疑いを抱かれていることを明らかにする内容である。・・・・本件特定施設が特定の日に出荷したものに限定して貝割れ大根が疑われていると読みとることが困難で,他の業者の生産する貝割れ大根が食中毒の原因と疑われるかどうかについては,明確な記述もない。・・・・遠隔地にある小売店までによる上記行動(注:カイワレの一斉撤去)は,記者会見を利用したことにより,厚生大臣が,貝割れ大根そのものについて5月以降多数の地域に発生した食中毒の原因食材であると疑っていると公表したと理解されたからにほかならないと認められ,それ以外には,合理的な理由と説明を見出すことはできない。
カ しかしながら,【要旨】本件において,厚生大臣が,記者会見に際し,一般消費者及び食品関係者に「何について」注意を喚起し,これに基づき「どのような行動」を期待し,「食中毒の拡大,再発の防止を図る」目的を達しようとしたのかについて,所管する行政庁としての判断及び意見を明示したと認めることはできない。かえって,厚生大臣は,中間報告においては,貝割れ大根を原因食材と断定するに至らないにもかかわらず,記者会見を通じ,前記のような中間報告の曖昧な内容をそのまま公表し,かえって貝割れ大根が原因食材であると疑われているとの誤解を広く生じさせ,これにより,貝割れ大根そのものについて,O-157による汚染の疑いという,食品にとっては致命的な市場における評価の毀損を招き,全国の小売店が貝割れ大根を店頭から撤去し,注文を撤回するに至らせたと認められる。
キ 厚生大臣によるこのような中間報告の公表により,貝割れ大根の生産及び販売に従事する控訴人業者ら並びに同業者らを構成員とし,貝割れ大根の生産及び販売について利害関係を有すると認められる控訴人協会の事業が困難に陥ることは,容易に予測することができたというべきで,食材の公表に伴う貝割れ大根の生産及び販売等に対する悪影響について農林水産省も懸念を表明していた(原判決153頁)のであり,それにもかかわらず,上記方法によりされた中間報告の公表は,違法であり,被控訴人は,国家賠償法1条1項に基づく責任を免れない。
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●まず第一に、調査と分析の過程が審査されています。本件では、疫学的調査としてはセオリーに則ったもので恣意的ではなく、判断に不合理な点はないとされています。しかし、カイワレ食材自体に問題がある材料はどこからも見出せず、他方で学校給食向けという特定の流通経路の汚染が疑われる余地が多分にあったにもかかわらず、その検討をしなかったことは不十分であった、とされています。
それでは、敦賀の活断層判断はどうかというと、浦底断層の近傍、方向がほぼ同じ、比較的新鮮な地層でほぼ同時代というだけの超超印象論しかなく、セオリーの火山灰分析、地相分析等によって反証が出て重大な疑問が呈せられているにも拘わらず、それを何ら検証しないままでしたから、調査・分析過程は合理性に著しく欠けるということになるでしょう。
●第二は、報告の公表の適法性、相当性についてです。本件では、大量のO-157食中毒が発生した学校給食以外では、カイワレは中間報告の後にも先にも、生産、流通過程のどこにも汚染の事実はなかったにも拘らず、原因食材と「断定できないが,可能性も否定できない」と、取り方によっては、カイワレ全般が汚染源であるかのような誤解を招く曖昧な表現にして、致命的な評価の棄損を招いたとされ、違法性を認定されています。しかも、その懸念は農水省からも指摘されていたにもかかわらず、これを無視したというものです。
つまり、カイワレという食材全般が汚染源であるという推認される材料は皆無だったにも拘わらず、また農水省からの懸念があったにも拘わらず、「可能性を否定できない」と発表して甚大な風評被害を招いたというわけです。
それでは、敦賀の活断層判断はどうかというと、次のような違法性のある欠陥が多々あり、カイワレ大根報告書の問題どころではありません。カイワレ事件の裁判官がこれを見れば、論難することでしょう。
①活断層だとの合理的推論が、原電からの追加調査に基づく反証によって成り立たなくなっていたこと。その反証に対して何らの具体的補強をしていないこと。
②にもかからず、依然として根拠なく「可能性を否定できない」としたこと。それに留まらず、「可能性を否定できない」=「活断層である」と飛躍した断定を行い、社会的に極めて誤解を与える表現をあえて選択して報告書をまとめ、公表したこと。
③ピアレビューにおいて、「体系的ではなく、合理的推論が非常に弱いこと、全面的書き換えを要すること」等の指摘が複数為されていたにも拘らず、そのまま維持したこと。
④奥村教授らによる有識者側の判断を疑問視する具体的データに基づく意見書が原電から出されたにも拘わらず一顧だにしなかったこと、
⑤活断層」と認定しただけで、その規模、波及メカニズム、工学的影響度等を全く検討しないまま(検討が必要との指摘が有識者からもあったにも拘わらず)、「これまで何もなかったことが不思議」と委員長代理自ら危険性を煽ったこと。
⑥報告徴収命令において、「活断層認定を踏まえ」、使用済み燃料貯蔵施設が壊れ、冷却水が失われた場合の影響を評価報告せよというように、あたかも、活断層の存在によって直ちに重要施設が破壊されるかの如き印象を広く与えたこと。
⑦有識者会合報告書によって、廃炉が必至であるとの見方を、委員長、委員長代理を含め何ら否定せず、むしろこれを認容するが如き発言を行い、事業者及び原発施設への著しい信用棄損を招いたこと。
●判決の途中と最後に、裁判官の人間的な言葉が盛り込まれています。
「厚生大臣が報道関係者の面前において貝割れ大根を生で食べるなどという行動は,控訴人らが納得するのであれば,批判の限りでないが,それにより,貝割れ大根のO-157への汚染について厚生大臣自ら招いた疑いを解くことができると期待してのことであれば,国民の知性を低く見過ぎるのではあるまいか。」
「控訴人らの怒りの程は察するにあまりあるが,当裁判所は,この判決において判断した以上の解決を見出すことはできない。控訴人らが突きつける怒りは,この訴訟を契機として,被控訴人において,非常時に遭遇してから対処するのではなく,将来の危機に備え,国民の利益をどのように調整し,確保するかについての技能を高める契機とすることによって解消されることを期待すべきものと考える。」
当時の厚生大臣は、あの菅直人氏でした。「カイワレ+O157+大臣」で検索してみたら、冒頭にヒットしたのが、次のサイトでしたが、そこに江藤淳氏の論評が掲載されています。
「昨年の地震、サリン、今年のO-157といってもいいような事件であって、これに対して菅厚生大臣はどういう対応をしているかというと、何も適切に対応していない。」
国難といってもいいような時期に、なぜかいつも菅氏が枢要ポストにいたことの不幸を嘆きたくなります。それ自体が国難だったと言えるでしょう。
●ともかく、このカイワレ報告書事件の判決は、前回記事の合成洗剤事件とともに、規制委に対する国家賠償請求訴訟で、そのまま援用材料として使えると思います。
あのような理不尽な官庁には、攻勢防御こそが最善の策ですから、どんどん法的手段を講じて、追い込んでいくことが必要です。否が応でも対応せざるを得ない状況に追い込み、その後は、規制庁の出方次第で訴訟の取り下げ、和解を検討すればいいと思います。
「話し合いを」という微温的なことだけを言っているのは百害あって一利なしであり、今は法律闘争の局面ですから、法的手段で迫りつつ、他方で話し合いに応じる余地を残す、というのが最善の策でしょう。
●マスコミの記事を読んでいると、しばしば電力会社関係者や経済界の談として、「原電は感情的になり過ぎている」というような内容のものが引用されることがあります。どこまで正確なニュアンスを捉えているかわかりませんが、もし本当にそういうことを言っているとしたら、ピントはずれも極まれりです。
原電の法的手段と抗議行動によって、どれだけ他の電力会社にとっても恩恵を被っていることか・・・。現時点でもかなりの牽制効果が生まれていますし、今後の訴訟等の結果により、規制行政の環境が劇的に変わる(改善される)可能性があるのですから、そんな他人事のようなことを言っている関係者は、問題の所在を理解していないと言わざるを得ません。
周囲をみれば、官庁と密接な関係にある企業であっても、その当の官庁と訴訟を行っている事例は少なからずあります。電力会社と官庁が共同で訴訟対応することはあっても、お互いが相争う世界はこれまでは想像できなかったかもしれませんが、官庁側で理不尽なことが行われれば、訴訟で対抗することは当たり前の世界であることを知ってほしいものです。
カイワレ訴訟判決の最後の結びにある、
「この訴訟を契機として,(厚労省が)国民の利益をどのように調整し,確保するかについての技能を高める契機とすることを期待する」
との言葉が胸に沁みます。
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次に、活断層の認定を争うための方策として、取消訴訟ともうひとつの選択肢として、
国家賠償請求による誤った活断層認定等の違法の訴え
というのがあるのではないかと思います。これは、高野氏の「ポスト・ノーティス命令取消の訴えの利益」に関する解説の中で、制裁的な「公表」行為の意味合いについて述べられていたのに触発されてのものです。
よく、ペナルティとしての企業名公表や、調査結果に基づく企業名公表というのが見られます。あの「公表」行為は、間接的に企業側の行為を促す効果はあるとしても、「行政処分」ではなく、事実行為だとするのが一般的理解です(塩野宏教授らのように、公表行為の取消も認められるのではないかとの説もありますが、判例としては見当たらないようです)。
●それで、これに関しては、様々は判決例があり、次の学習用サイトが、学説、判例を多数、コンパクトに紹介してくれていて、重宝します。
これをみていると、原電敦賀の活断層審議・認定とオーバーラップして見える事例が多数あるのではないかと思います。幾つか紹介してみます。
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○本件各報告の公表は、なんらの制限を受けないものでもなく、目的、方法、生じた結果の諸点から、是認できるものであることを要し、これにより生じた不利益につき、注意義務に違反するところがあれば、国家賠償法1条1項に基づく責任が生じる(O−157東京控訴審判決)。
○むろん違法な公表によって名誉、信用等を段損された者は、国家賠償を請求することができる(合成洗剤不足の原因についての地方公共団体の調査が不当な推測によるものであり、その公表が洗剤メーカーの名誉致損となるとして損害賠償を命じた事例があった(東京地判昭和54・3・12判時919号23頁)が、損害賠償だけでは救済が十分とはいえない。→原田尚彦「行政法要論全訂第四版増補版」
○東京地判昭54・3・12(洗剤パニック事件)
東京都物価局が家庭用合成洗剤の不足の原因についての報告書を公表したことはメーカーに対する名誉毀損に当たり、損害賠償が認められるが、名誉回復の適当な措置としての謝罪広告をなすべき義務はない。
○東京高裁昭和54・2・22
消費者保護基本法に基づき神戸市が設置した神戸市生活情報センター所長が、同市センター条例に基づき市政記者クラブにおいて情報提供を行うことは国家賠償法一条一項の「公権力の行使」に当たる。
○O−157東京控訴審判決
関係者に対し、行政上の制裁等、法律上の不利益を課すことを予定したものでない情報提供としての公表は、現行法上、これを許容し、又は命ずる規定が見あたらないものの、これをするについて、明示の法的根拠を必要としない。
内容が正確な公表であっても、目的、方法、生じた結果の諸点から、是認できるものであることを要し、本件は公表方法に違法があるので、国家賠償法1条1項に基づく責任が生じる。
厚生大臣が、記者会見に際し、一般消費者及び食品関係者に『何について』注意を喚起し、これに基づき『どのような行動』を期待し、『食中毒の拡大、再発の防止を図る』目的を達しようとしたのかについて、所管する行政庁としての判断及び意見を明示したと認めることはできない。
かえって、厚生大臣は、中間報告においては、貝割れ大根を原因食材と断定するに至らないにもかかわらず、記者会見を通じ、前記のような中間報告の唆昧な内容をそのまま公表し、かえって貝割れ大根が原因食材であると疑われているとの誤解を広く生じさせ、これにより、貝割れ大根そのものについて、O-157による汚染の疑いという、食品にとっては致命的な市場における評価の毅損を招き、全国の小売店が貝割れ大根を店頭から撤去し、注文を撤回するに至らせたと認められる」。
公表に伴う貝割れ大根の生産および販売等に対する悪影響は容易に予測できたにもかかわらず、「上記方法によりされた中間報告の公表は、違法であり、被控訴人は、国家賠償法1条1項に基づく責任を免れない」。
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公表行為は、「行政処分」ではないけれど、国家賠償の対象である「公権力の行使」に当たるということです。原電は、公開質問状では、ずっと有識者会合の審議は「公権力の行使」である旨を繰り返し指摘してきています。そこで問題があるような運営や判断をするのであれば、責任が問われる旨の警告だったとおもいますが、規制委側、有識者会合側には全く通じませんでした。
敦賀有識者会合の活断層認定に関して、最も似ている例としては、「合成洗剤パニック事件」のような気がします。間違った調査結果を発表することによる損害の賠償責任を認められたものです。「O-157の貝割れ大根」の事例は、中毒の原因が貝割れ大根であるかのような誤解を生じさせる中途半端な中間報告を公表したことに伴う損害賠償責任ですので、少しケースが違うかもしれません。
●合成洗剤パニック事件について、判例を見てみようと思って、判例データベースに当たったのですが、ヒットしませんでした。判例時報にしか載っていないようです。それでネット検索すると、次の論文があり、そこに判決内容が紹介されていました。
『地方公共団体における消費者情報提供制度の法的諸問題
一事業者名等の「公表」麟度を中心にして一』(中井勝巳)
「(イ)花王石鹸株式会社対東京都事件
昭和48年のオイルショックを契機として生活関連物資の不足、急激な値上りが起こり全国的に大きな社会問題となった。東京都は、翌昭和49年2月15日に制定、公布された東京都緊急生活防止条例第4条と都議会の要請にもとづいて、洗剤パニックの原因調査(本件調査)を実施し、「家庭用(衣料)合成洗剤調査報告」と題する報告書(本件報告書)を作成した。同報告書は、「本件調査結果を総合的に判断すると、洗剤不足が起こった第一の原因は、やはり業界などによる生産制限、出荷操作にあったのではないかと疑わざるを得ないと結論づけた。東京都は同報告書の調査結果を昭和49年3月27日の都議会で報告するとともに、同報告書を報道機関に配布し記者会見を行ない、翌28日付の各新聞で一斉に報道された。
これに対して、本件の原告にあたる花王石鹸株式会社は、そのような事実は全く存在しないのであるから、被告東京都の報告書の公表には重大な過失があり、それによって原告の名誉が肇損されたとして、被告に対して100万円の損害賠償請求と謝罪広告の掲載を請求して訴えを起こした。
第1審東京地方裁判所は、昭和54年3月12日に、謝罪広告の掲載請求についてはこれを棄却したが、損害賠償請求については、被告東京都に対して100万円の支払いを命じる判決を言い渡した。その判決理由は多岐にわたるが、地方公共団体の民事責任に関する点を整理すると次のようになる。
まず第1に、本件報告書が原告の名誉を毅損したか否かについて、判決は本件報告書で述べられている『業界等とは、メーカーすなわち原告会社及び訴外ライオン油脂を意味し、その旨社会一般が受けとめたであろうことは容易に推認できる」と述べ、原告の名誉段損を認めた。また、判決は、本件報告書の「公表」と原告の名誉段損との間の因果関係の存在も認めている。
第2に、本件報告書の「公表」に名誉段損の違法性阻却事由があるか否かについて、判決は『本件報告書の公表事実は、その主要部分において真実性の立証がないことになるので、本件報告書の公表事実が公共の利益に係わり、その目的が専ら公益を図るものであることは当事者間に争いがないものの、…本件報告書の公表は違法性を阻却されないと判示した。
第3に、『公表」にあたって現実的悪意(「公表」した事実が虚偽であることを知っていたか、または虚偽であるかどうかについて全く無関心な態度)がなかったという被告東京都の主張について、判決は、「本件において、被告主張の如く、行為者において摘示された事実の真実性について重大な疑問を抱いていたことを被害者が主張、立証しない限り、不法行為が成立しないものと解すべき筋合いのものではないと考えられる」と述べ、被告東京都の主張をしりぞけた。
第4に、本件、「公表」に際しての被告東京都の過失の有無について、判決は、本件調査目的の家庭用(衣料)合成洗剤の生産出荷状況の実態を把握するにあたり、粉末洗剤の資料を基礎とすべきであるところ、被告は通産統計の粉末洗剤と液体洗剤の合計数量をもって家庭用(衣料)合成洗剤の生産出荷を論じて本件報告書を作成し、「それを公表したことは…物価局の所轄事務内容からして、明らかに被告に重大な致命的過失であるといわざるを得ないとした。
以上のような判決理由に基づく原告勝訴判決に対して、被告東京都が控訴したが、その後、両者の間で和解が成立した。」
これはもう、ほとんどそのまま、敦賀有識者会合の活断層認定〜委員会での了承〜報告徴収命令の一連の行為(=公権力の行使)の問題と重なります。アナロジー的に書くと、
①有識者会合報告書記載の内容は、その主要部分において真実性の立証
がない。
②公表が公益目的であっても、違法性を阻却されない。
③記載内容の真実性に疑問があることを被害者が立証しなければ、不法行為が成立しないわけではない。被害者は立証しているのだから、それに反証しなければ違法性は阻却されない。
④調査手法、判断内容、判断過程の杜撰さは、重大な致命的過失である。
●敦賀有識者会合の活断層認定〜委員会での了承〜報告徴収命令の一連の行為は、報告徴収を除き行政処分ではありませんが、全体は一連の公権力の行使になります。そこで、この行使における違法性による名誉棄損、営業権侵害について損害賠償を求める国家賠償請求が有力な選択肢としてあるのではないでしょうか。
今年5月の過程だけでなく、昨年12月の第1回での評価会合での認定と記者会見、規制委への報告も、一つの違法性ある公権力の行使です。その双方を視野に賠償請求してもいいのです。
その違法性の認定は、行政処分の違法性の認定と変わるわけではありません。伊方原発訴訟での最高裁判決の違法性認定の考え方は、規制委の一連の公権力の行使でも当てはまることでしょう。
<伊方原発訴訟最高裁判決>
行政庁の処分が違法になるのは、以下のいずれか。
(1)現在の科学技術水準に照らして、安全基準自体に不合理な点があ
る場合
(2)調査審議や判断過程等で看過しがたい過誤、欠落がある場合
敦賀有識者会合の活断層認定が、このいずれにも該当することは明らかです。
合成洗剤事件での原告たる花王石鹸は、損害賠償は名誉棄損の100万円と謝罪広告を求めています。賠償を求めるというより、名誉回復を図ることが直接の目的だと思われます。
謝罪広告は認められませんでしたが、100万円の賠償は認められています。
以前、ブログ記事でご紹介した国立マンション訴訟でも、国家賠償請求訴訟を提起した明和地所は、勝訴して得た国家賠償金数千万円は、直ちに国立市に寄付しており、目的は名誉回復なり営業権侵害の排除にあったと思われます。
この国家賠償請求訴訟であれば、活断層認定の手続き及び内容の不当さを直接論点として争うことができますから、原電としても目的を達する上で、直接的かつ実効的ではないかと思います。金額の多寡を争うことが目的ではありませんから、請求額は百万円なり1千万円なりでもいいでしょう。謝罪広告までは難しいかもしれませんが、公開質問状もすべて悉く無視し、違法行為を放置していたわけですから、謝罪広告も求めたいところです。
●ついでに言えば、国家賠償請求であれば、国立市長の場合と同様、その違法行為に直接携わった者に、「故意又は重大な過失」がある場合には、後ほど求償がなされることになります。島崎委員長代理や田中委員長その他の原子力規制委員の各氏に、「故意」はないかもしれませんが、「重大な過失」があるのは明らかでしょう。「未必の故意」は島崎氏にはあるような気もしないでもありません。判断材料が足りないと有識者自身が言い、原電が重要論点に関わる部分の最終調査結果が出るのを待たず唐突に審議を打ち切り、公開質問状にを一顧だにせず、というのは「重大な過失」に他なりません。
その責任はきっちり取ってもらいたいものです。辞任は当然でしょう。謝罪広告まで行けば万々歳・・。ここまで来ると、半沢直樹の世界になってきますが・・・。週刊誌的にも格好の話題になるかも・・・。
いずれにしても、原電が、上記のような形で、
①報告徴収命令取消訴訟の提起
②国家賠償請求訴訟の提起
を並行して行うことによって、活断層認定の科学的不合理性、法手続き的不公正性による違法な公権力行使であることを司法に早期に認めさせることによって、規制委の暴走にブレーキがかけられます。その違法行為を働いた責任追及を通じて、現行の異常な規制委の体制と運営を変える契機にすることができることでしょう。
そういう意味で、これは、電力業界、事業者の代表訴訟的位置づけにもなると思います。
(注)貝割れ事件についても、参考になりそうな点があれば追記します。
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続き)
原電が意見書で援用している判例というのは、次のものです。参考欄には次のようにあります。
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「報告徴収命令に応じた後であるからといって、異議申立ての利益が消滅することにはならないことを明示した判例」
(仙台高判平成7 年1 月26 日労働判例675 号59 頁(最判平成10 年1 月22 日上告棄却))
会社が賃金等について組合員を差別したこと等を不当労働行為とした労働委員会の救済命令に対する会社側による取消訴訟である同事件で、仙台高裁は、「救済命令の取消訴訟は、規定上これを履行しつつ提起するほかないと解されること…などに鑑みれば、控訴人が右命令を履行した後であるからといって本件訴の利益が消滅することにはならない。」と判断し、門前払いされずに、本案審理がなされた。
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この判例は、最高裁の判例データベースではヒットしませんでしたので、ネットで検索したところ、中央労働委員会の関係判例データベースに、概要が掲載されていました。
ヒノヤタクシー事件
というのだそうです。盛岡地裁〜仙台高裁〜最高裁と行き、いずれも原告側のタクシー会社側は敗訴したのですが、訴えの利益は認められています。
「ポスト・ノーティス命令を使用者が履行したからといって、その救済命令取消を求める訴えの利益が消滅するものではないとした原判決は正当であるとされた例。」
ここで問題となっているのは、不当労働行為としたとして労働委員会から救済命令とともに出された「ポスト・ノーティス」の掲示命令に対する取消の訴えです。「ポスト・ノーティス」というのは、次のように書いてあります。
「ポストノーティス命令とは、労働委員会によって不当労働行為と認定されたことを関係者に周知徹底させ、同種行為の再発を抑制しようとするため、一定の告知文を所定場所(企業の建物の玄関など)に一定期間、一定の大きさの掲示することが命じられるものです。
これが憲法19条の「思想・良心の自由」に反するとして争われました。平成2年3月6日の最高裁の判旨は、ポストノーティス命令は労働委員会によって不当労働行為と認定されたことを関係者に周知徹底させ、同種行為の再発を抑制しようとする趣旨のものであり、「深く陳謝する」等の文言は、同種行為を繰り返さない旨の約束文言を強調するにすぎないものであるから、会社に対し陳謝の意思表明を要求することは右命令の本旨とするところではないと解されるとして、19条違反の主張はその前提を欠くとしています。」
もっぱら、謝罪の文言強制について、思想良心の自由との関係で争われることはしばしばあるようですが、原電が援用する最高裁判例での大きな論点のひとつは、その点ではなく、その掲示命令にいったん従って後に、その取消を求めることに訴えの利益があるかどうかという点でした。
●それで、その点についての解説を探したところ、岩手大学の図書館のライブラリーに高野修氏が、次の解説論文を公表していました。
『履行済ポスト・ノーティス命令に対する取消の訴えの利益』(高野修)
ここで紹介されている地裁、高裁判決の内容は次の通りです。
「一審判決(盛岡地裁平成5年11月5日判決・労働判例 1994.5.1(N0.645)56頁)は、救済命令は、交付の日から効力を生じ、使用者は遅滞なく命令を履行すべき義務を負うものであるから、右命令を履行しつつ、再審査の申立てまたは右命令の取消訴訟を提起せざるを得ない立場に立つ以上、ポスト・ノーティスに不当労働行為を自認する趣旨があるからといって、その訴えが信義則違反や訴権の濫用に当たるとはいえないとした。
二番判決(仙台高裁平成7年1月26日判決・労働判例 1995.9.15(N0.675)59頁)は、ポスト・ノーティス命令については、控訴人がすでにこれを履行しているので、救済命令後の事情変更となり、その取消を求める訴えの利益が消滅しているのではないかとの疑問が生じないわけではないとしながらも、救済命令の取消訴訟は、規定上これを履行しつつ提起するほかないと解されること、及び救済命令が取り消されればその旨掲示するなどして事実上ある程度の現状回復ができることを一審の理由に追加して、ポスト・ノーティス命令を履行した後でも訴えの利益が消滅することにはならないとした。
なお、本案では一二審とも、会社側が敗訴している。 」
まさに、第二審の仙台高裁判決は、「履行済みなので、訴えの利益が消滅しているとの疑問も生じないわけではない」という従来型の訴えの利益論に立った見方もしつつ、しかし、
①「遅滞なく履行すべき義務を負っていることからこれを履行しつつ提起するほかない」
②「救済命令が取り消されれば、事実上現状回復できる」
の2点を理由として、訴えの利益は消滅しないとしています。一審の盛岡地裁では①の理由だけでしたが、二審の高裁では②の点を追加しています。これがそのまま、最高裁で支持された形です。
原電の意見書では、この①の部分しか抜粋されていませんでしたが、②の部分がそれ以上に非常に重要なポイントではないかと思います。
●それでは、ここで言う「現状回復」というのは、どういう意味でしょうか?高野氏の解説では次のように指摘されています。
「しかし、ここには、現状回復の方法があることが述べられているだけで、回復すべき法律上の利益として何があるのか説明されていない。ポスト・ノーティス命令の主たる法効果である文書掲示の義務付けについては、履行と掲示期間の満了により、二重に完了していて、明らかに訴えの利益は消滅している。判決がなお残っているとする法律上の利益は、判決の「その旨掲示するなどして事実上或程度の現状回復をなしうる」という文言を手掛かりにして考えるに、ポスト・ノーティスが命ぜられたこと、あるいは履行されたことにより労使間に生じた状態の変化からの回復が意味されていると思われる。それは、要するに前述のポスト・ノーティス命令の意義、実際的効果のことであろう。それが、行政事件訴訟法9条かっこ書きに当たるか、検討が必要である。」
として、「命令に応じて掲示した」という点では、二重に訴えの利益が消滅しているものの、それ以外にも、命令による実際的効果から回復すべき利益があり、それが即ち、ここで指摘されている法律上の訴えの利益だろうというわけです。
この判例の理論は、そういう意味で、原電が「報告徴収命令に応じた」というだけでは訴えの利益は消滅せず、それ以外の命令による実際的効果から回復すべき利益があれば、それは訴えの利益になりうるということを示しているもので、強力な援用材料になると思われます。
高野氏の論文では、続いて、「処分または裁決の取消によって回復すべき法律上の利益」の判定基準について、判例を素材に整理する中で、
①議員としての任期が満了した後でも除名処分の取消の訴え(→訴えの利益なし)、
②自動車運転免許停止処分の期間経過の取消の訴え(→訴えの利益なし)、
③弁護士の業務停止懲戒処分の業務停止期間経過後の処分取消の訴え(→訴えの利益あり)
等を通じて、
「制度上の結び付きが必然的な関係の場合法律上の利益であるとされることがわかる。これに対し、制度上の結び付き具合が可能性にとどまる場合、例えば、名誉や信用が許認可の裁量的基準として取り入れられていて処分前歴が許認可庁の裁量で考慮される可能性があるような場合について訴えの利益を否定した事例がある。
宅地建物取引業法による営業停止処分の期間経過後、処分を受けたことにより宅地建物取引業法その他関連法規上の許認可で将来不利益を受ける虞があることが処分取消の法律上の利益に当たるか否かが争われた事件である。この事件で最高裁は、「原審の判断は、原判決の説示に照らし、正当と是認することができる」と述べるだけであるので、原判決を見る。原審は、許認可で将来不利益を受けるとの主張に対し、「本件処分により法律上当然にその正当権利につき制約を受けているとは解せられない(かかる不利益を受ける旨の実体法上の規定も見い出しえない。)ので、それは要するに本件処分を受けたことが情状として事実上考慮されて、控訴人が宅地建物取引業法等の許認可問題に関し将来不利益を受け又は受ける虞があることをいうにすぎず、かかる不利益は、本件処分によって当然かつ直接的に招来されるものではないのであるから」としている。ここにも、法律上の利益といわれるためには、処分と付随的不利益の関係が「実体法上の規定」により「当然かつ直接的に招来される」ことが必要とされている。
法律上の利益か否かの判断基準が処分と付随的不利益との関係の内容にあって、付随的不利益それ自体の内容ではないとすると、ある不利益それ自体は別途裁判的救済が認められ、従って別途の裁判的救済においては訴えの利益であるが、同じ不利益が、処分に付随して生ずるが法令上処分に当然かつ直接的に結びつく関係にはないとき、処分の取消を求める裁判においては、法律上の利益ではないとされるということも出てくる。
保険医指定取消処分を受けた後で保険医指定制度が廃止され保険医療機関指定制度に改正された場合に、保険医指定取消処分を受けたことにより保険医療機関の指定が拒否されるおそれがあるとして処分取消を求めた事件で、それが現れている。最高裁は、「現行制度の上で、保険医指定の取消が保険医療機関指定の欠格事由とされているわけではなく、また、保険医指定取消処分を受けたことによって保険医療機関の指定が拒否されるという結果が当然に生ずるわけでもない」として、保険医療機関指定を拒否されるという不利益について、保険医指定取消処分の取消訴訟においては、訴えの利益性を否定し、他方で保険
医療機関指定拒否処分取消訴訟においては、「上告人が保険医療機関の指定を現実に拒否された場合において、当該拒否処分の効力を争う訴訟によって救済を受けることができる」として、訴えの利益性を認めている。
以上要約すれば、行政事件訴訟法9条かっこ書きの「処分または裁決の取消によって回復すべき法律上の利益」の判定基準として、次の二つがあげられる。一つは取消によって回復すべきもの、すなわち、処分の取消によってしか回復できないことが必要で処分の取消なしに別途の裁判救済が可能なものは除かれる。他は、法律上の利益であること、すなわち、処分に法令により当然に結びつけらていることが必要で、そうした関係なしに事実上生ずる不利益は除かれる。」
こうやってこれまでの最高裁判例の考え方を読んでくると、「ポスト・ノーティス」の掲示命令に対する取消の訴えの利益がなぜ認められる余地があるのか?が疑問に思われてきます。高野氏も同様の疑問を呈しています。今回の原電の異議申立て却下決定の考え方も、おそらくこれらの最高裁判例に近いもので、「報告徴収が後続処分に結びつく実体規定はない」「将来的な不利益の恐れというだけでは訴えの利益にならない」「後続処分で実際に不利益を被る場合にそれを争えばいい」というものだったと考えられます。そういう意味で、オーソドックスなパターンだったような気がします。
では、「ポスト・ノーティス履行後の訴えの利益」が最高裁でも認められた理由は一体何なのでしょうか? 高野氏の論文では、
「処分の効果がなくなった後なお処分の取消を求める9条かっこ書きの事例は、ほとんどが実質的には名誉や信用の回復をはたそうとするものである。」
と紹介しつつ、次のように書かれています。
「心理的苦痛あるいは名誉感情や社会的信用も、社会的受忍限度を超える場合、違法な侵害から守られるべき法益であることに異論はなかろう。そうすると、表向きの法効果をもった制裁処分であれ、指導監督のための処分であれ、あるいは表向きの法効果のない単純事実行為であれ、行政がこの法益を侵害するには、法律の根拠が必要なはずである。
今日、原発設置許可処分のように、行政処分の名宛人以外の第三者に対し、その生命・身体・財産に重大な被害がもたらされる可能性がある場合、第三者にも訴えの利益が認められることは、最高裁の確立した判例となっている。処分と第三者の関係についての次の分析は、表向きの法効果以外の受忍義務を考える上で示唆に富む。
「『法律による行政の原理』による私人の保護の必要は、本来処分の名宛人についてのみならず、第三者についても同様に考えられて然るべき筈である。そこで、この前提がもし認められるとするならば、第三者もまた、自己の個人的利益が考慮された上でこれを侵し得るための要件が明確に定められた法律の規定無しに、少なくともその『自由と財産』を侵害されることは無いことになる筈なのであって、このような法律の規定によらない行政処分によってそのような侵害が行われるならば、この処分はむしろ実体法上違法である、ということになる。そして私には、近時の最高裁判例が行っていることは、実質的にはまさにこの意味において、問題とされている第三者の利益侵害がいわば『自由と財産の侵害』に当たるかどうかの振り分けと、当たると判断される場合に必要となる法律の根拠の探索作業ではないか、と思われる。」(注:藤田宙靖『行政法I』第三版改定版)
名誉や信用に対する侵害が社会的受忍の範囲を超えて重大な場合、原因たる行為がいかなるものであれ、名誉や信用を侵し得るための要件が明確に定められた法律の規定が必要なことは、同じであろう。わが国の現行の法律が第三者利益侵害を意識して作られてこなかったことから、法律の根拠探しが必要であると同様に、表向きの法効果のみを問題とし公表や指導監督措置に必然的に伴う名誉や信用侵害を事実上のものしてきたわが国の現行の法律を、名誉や信用を侵し得るための要件を定めた規定と読みなおすことが必要であろう。そのように読み直すならば、制裁処分を定めた規定のみならず、公表や指導監督措置を定めた規定も、制裁、公表や指導監督措置が適法に行われる限り、それに必然的に伴う名誉や信用への侵害の受忍義務を定めた規定ということになる。これがあながち無理な解釈でないことは、次の最高裁判決と比べればわかる。厚木基地訴訟において最高裁は、騒音による影響配慮義務、住民の受忍の義務付けの条文上の具体的根拠を明らかにしないで、自衛隊機の運航に関する防衛庁長官の権限の行使は、その運航に必然的に伴う騒音等について周辺住民の受忍を義務付けるとしている。
名誉や信用侵害を必然的に伴う行為を授権する規定に受忍義務を読み取るとすると、名誉や信用侵害は、付随的効果ではなく、直接的効果になる。その場合、9条かっこ書きの利益ではなく、直接的効果が現に残っているか否かになる。
ポスト・ノーティス命令に、文書の掲示義務だけでなく、名誉や信用侵害がそれに必然的に伴うとき、その受忍義務を読み取って然るべきではないかというのが本稿の結論である。」
つまり、社会的受忍限度を超えるような名誉や信用侵害が必然的に伴うものは、直接の取消の訴えの直接の法律的利益があるということではないか、ということかと思います。同氏は、論文の注釈の中で、「訴えの利益の解釈基準は、処分の根拠法条から、直接明文の規定なしの合理的解釈、関連法規によって形成される法体系へと判例で拡大された」とし、もんじゅの設置許可処分取消訴訟や新潟空港事件等の判例を挙げています。
次の判例を要領よくまとめているサイトでみてみると
最高裁は、「当該処分の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」とは,当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され,又は必然的に侵害されるおそれのある者をいう」としつつ、新潟空港事件(平成4年判決)では、「当該免許に係る路線を航行する航空機の騒音によつて社会通念上著しい障害を受けることとなる者は、当該免許の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者として、その取消訴訟における原告適格を有すると解するのが相当である。」とし、もんじゅ訴訟(平成11年判決)では、「(原子炉等規制法は)単に公衆の生命、身体の安全、環境上の利益を一般的公益として保護しようとするにとどまらず、原子炉施設周辺に居住し、右事故等がもたらす災害により直接的かつ重大な被害を受けることが想定される範囲の住民の生命、身体の安全等を個々人の個別的利益としても保護すべきものとする趣旨を含むと解するのが相当である。」としています。小田急線連続立体交差事業認可処分取消訴訟でも、平成17年に判例変更し、都市計画法事業認可について、騒音被害が及びうる周辺住民にも訴えの利益ありとしています。
これらは、周辺住民について、直接個別の法律に権利保護の規定がなくとも、その環境や安全の保全、平穏な生活等の憲法に由来する権利を、「自己の権利若しくは法律上保護された利益」として認めているということです。
●こういった最高裁判例の流れの中で、原電が意見書において言及した「ポスト・ノーティス命令履行後の訴えの利益あり」との判例の趣旨を、仙台高裁の判決にいう、
「救済命令が取り消されればその旨掲示するなどして事実上ある程度の現状回復ができる」
との文言から読み解くと、そこで現状回復できる利益というのは、「不当労働行為を行ったとの名誉、信用棄損状態からの回復」ということになるのではないかと思います。不当な救済命令は、名誉や信用といった憲法上保護されている利益を侵害するという認識がその前提としてあるということです。法律上の利益が、第三者に認められるのですから、当事者には当然認めらなければなりません。
●これとのアナロジーで、原電の報告徴収命令を考えてみると、次の2点で、法律上保護されるべき利益を侵害し、その取消によって現状回復し得る利益があるという主張が可能にならないでしょうか?
第一は、活断層との認定と、それによって重要施設が破壊され使用済み貯蔵施設に重大な影響が生じる可能性があるとの認識に立った報告徴収命令は、原電の原子力事業者としての名誉と信用とを著しく棄損するとともに、営業の自由の侵害ともなっているのであり、命令取消によってそれらの憲法で保護された利益、権利の回復を求める法律上の利益があるという立論。
ここでの「法律的利益」は、原発や空港、鉄道訴訟と同様、憲法上保護された利益ということです。実際、活断層認定とそれによる重大な危険性という公式の認定に基づく命令によって、廃炉を当然視されるような信用棄損が生じ、株式下落、資金調達上の困難といった現実の被害が生じています。報告徴収命令が、その前提となる認識に誤りがあるとして取り消されれば、それらの名誉と信用の棄損状態からの回復を図ることができます。
第二は、原子炉等規制法では、報告徴収命令は「この法律の施行に必要な限度において」という限定がつけられている以上、事業者は同法上、必要な限度を超えて報告徴収を求められないという利益、権利を有するのであり、命令の取消を求めることによって、同法上保護された状態に現状回復しうるという同法上の利益を有する、という立論。
これは、原電が意見書の中で、
「適法に事業遂行している事業者が、突然報告徴収命令を出され、行政庁が求める報告内容は何か、その後に後続処分が予定されているのか、それはいかなる後続処分なのか、そして事業者はいかなる対応をすればよいのか、具体的な判断材料を何ら与えられないまま、行政庁の一方的な裁量に委ねられた状態に留め置かれています。このような本件処分の杜撰さこそが、問題の核心なのであります。」
と指摘している趣旨と同じですが、それをもう少し、「ポスト・ノーティス命令取消訴訟」の判例の思想、理論に立脚した形で、理論武装を試みた立論です。
いずれも、「ポスト・ノーティス命令履行」による損害よりもはるかに甚大な不利益を被っているわけですから、最高裁に支持された仙台高裁の判決の趣旨に立てば、これらの立論が成り立つと思うのですが、いかがでしょうか?
原電の主張は、
「本件処分が完了したのか合理的に判断できず、また、仮に本件処分の効果がなくなったとしても、将来の不利益な取扱いのおそれが存することから、なお処分の取消しによって回復すべき異議申立ての利益を有しています。」
というものです。前半の「処分履行が完了していない」という主張はいいと思うのですが、ただ、後半の「後続処分により将来の不利益な取り扱いを受けるおそれ」という主張だと、「宅地建物取引業法による営業停止処分取消訴訟」や、「保険医指定取消処分取消訴訟」での最高裁判例のように、「将来不利益を受け又は受ける虞があることをいうにすぎず、かかる不利益は、本件処分によって当然かつ直接的に招来されるものではない」として斥けられてしまうリスクがないだろうか、との強い懸念があります。
実際、宅建業法による営業停止処分を受けると、その後の不利益は容易に想像できると思うのですが、それでも最高裁は訴えの利益なしとしています。今回、規制委の却下決定は、これらの判決の思想、理屈を援用しているように感じられます。そうすると、今回の場合、漠然と「後続処分による不利益の可能性」と主張しても、それが「法律上の利益の侵害、侵害される必然的おそれ」として認められるのか、正直、大きく懸念されるところです。敗訴実績がある理屈に立脚してリスクを負う必要はないと思うのですが・・・。
それよりもむしろ、仙台高裁の判決に立脚した上記立論のように、命令取消によって、憲法上保護されている名誉と信用、営業の自由の棄損状態からの回復を求めること、そして、原子炉等規制法上保護されている「法律の施行に必要以上に報告を求められることはない」という利益の棄損状態からの回復を求めることは、法律上の利益があるというべきである、と理論武装して主張したほうが、勝てる公算が大きくなるのではないでしょうか。
原電意見書が言及するポスト・ノーティス履行後の取消訴訟判例については、「履行後であっても訴えの利益がある」という点だけを援用するのではなくて、仙台高裁で付け加わったもう一点の理由の「現状回復の利益がある」という点をもっともっと前面に出して理論武装をしなければ、あまりにももったいないと思います。
●今後の取消訴訟への移行については、近々予定されている現地調査やその後の動きをにらみながらということになるでしょうが、その後、短期間に進展することは見込み難いように思いますし、公開質問状にも全く答えず、情報公開にも応じない状況下では、早期に訴訟に移行したほうがメリットが大きいように感じます。訴訟になれば、規制委側をともかく法的にすべての原電の主張、質問に強制的に応答させるような状態に置かせ、彼ら内部での検討を大至急させる効果が見込めます。応答しなければ、原電の主張を認めたものと看做されますから、いやでも応答しなければなりません。鈴木首都大学教授のメールの件も、経緯、内容を説明せざるを得なくなりますし、文書提出命令、参考人としての証拠調べも裁判所の指揮命令の下に、強制的に進んでいきます。
そして、報告徴収命令の取消訴訟でのやり取りは、どのみちいずれ原子炉等変更不許可に関して予想される取消訴訟の前哨戦となり、もし命令取消訴訟で活断層の認定が誤りだということになれば、変更許可、再稼働が認められることになるでしょうから、時間の節約にもなります。取消訴訟と並行して、再稼働の準備を急げば、再稼働までの期間は短縮できるのではないかと思います。
命令取消訴訟では、参考人陳述申立てに対する不作為の違法の訴えも同時に起こすことになるかと思います。
もし、規制委の検討会合で活断層認定が覆れば、訴訟を取り下げればいいわけです。
このあと、もうひとつの選択肢である国家賠償請求の中での活断層認定の誤りを争うという方法を、高野氏の論文にあった違法な「企業名公表」(誤った調査に基づく公表による信用棄損、営業妨害)に関する諸判決を見ながら、書いてみたいと思います。
続く
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