(新名称) 法と公正手続きへの基本的理解が欠如した原子力規制委

(旧名称) 九州電力第三者委員会、郷原委員長、そして枝野経産大臣への疑問

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 原子力規制委員会の敦賀の破砕帯評価会合が、1119日の会合で、敦賀2号機直下の破砕帯を、活断層と改めて認定する評価書案をとりまとめました。
 
◎日本原子力発電株式会社敦賀発電所の敷地内破砕帯の評価について(その2)(案)
 
 規制行政の暴走も極まれり、というところでしょう。前回の轍をまた踏むのか?とつくづく感じます。当事者の原電からすれば、あきれるだけでは済まず、死活問題です。
 島崎委員から石渡委員に変わってどうなるかな、と思いましたが、流れが変わることはありませんでした。今後、他の有識者によるピアレビューがなされた後、原子力規制委の了承手続きに進むものと思われます。
マスコミ報道の中では、産経新聞が批判的な論調ですが、他のメディアはそういうトーンはあまり感じられません。
 
産経新聞の記事の中で、法律学者として著名な森嶌教授のコメントを載せていたのが目にとまりました。
 
「名古屋大の森嶌(もりしま)昭夫名誉教授(民法・環境法)は「被規制者(原電)にとって不利な判断をする場合には十分な反論の機会を与えなければならない。規制委は原電側に『提出した資料は不十分』とするばかりで、何が足りないのか、どういう資料を示せばよいのかが分からない」と規制委の対応に首をひねる。
 さらに、森嶌名誉教授は法律的な位置づけのない専門家会合を問題視。「専門家会合では、メンバーに法律上の権限がなく責任も負わない。専門家会合の法的な根拠を明確にし、責任を負わせて判断させるべきだ」と指摘する。」
 
 森嶌教授は、原子力関係とは無縁の法学者で、環境行政や消費者行政などの面ではよく知られている方かと思いますが、同教授の感想が普通のリーガルマインド的センスだと思います。
原子力規制委は、巨大で強力な規制官庁であるにもかかわらず、法律的センスの点ではほとんど素人同然で、各種評価会合や基準作りの会合等でも、規制行政のイロハを踏まえない運営を続けてきました。その集大成というか、その縮図というか、それが敦賀の破砕帯評価会合とそれに関連した原子力規制委の対応でした。
原子力規制委の委員には、そういう法的手続きの面での専門家がいません。事務局にいるかといると、これもまたいません。本来は、規制庁長官なり次長なりが仕切るべきでしょうが、警察官僚出身のせいでしょうか、刑事法しかわからず、憲法の大原則や行政手続きの基本を理解しているとは思えず、存在感がありませんでした。
 
森嶌教授が述べるところの、「専門家会合に法的位置づけがなく、責任も負わない」という点は、この会合での議事なり評価なりが、一連の行政法に基づき、その可否を争い得る行政手続きや行政処分と位置づけられないということと同義だろうと思います。
これだけ、原子力事業者の存亡に関わるような評価をするとしても、その是非を争う法的手段がありません。評価の内容や手続きを争うことができないため、それにも基づき報告徴収や再稼働申請不許可(あるいは不作為)という行政処分として現れた場合に、初めてそれを争う形で、実質的にその評価内容、手続きを争う形になります(「名誉棄損」で訴えるという方法もありますが、本筋ではありません)。しかし、そこで最終的に訴訟となり、勝訴するまでには膨大な時間と労力とがかかるわけであり、その間の様々な経済的、社会的不利益は甚大なものとなりかねません。企業倒産など最悪の事態もありうるわけです。
これは、別に原子力規制委のせいではなく、法制度上の問題ですので、規制委に言っても仕方ないのですが、しかしだからこそ、規制委はそういう点を考慮において、行政手続、行政処分に準ずるものとして、慎重の上にも慎重に審議を進めるべきでした。
 
 この原電敦賀破砕帯評価会合の評価内容と手続きに関しては、多くの問題点を内包しています。それに基づいて再稼働申請不可となれば、取消訴訟で、瑕疵のある違法な手続きと内容だとして、取消になるでしょうが、憲法及び行政法の観点から、悪しき事例として記憶されることでしょう。
 公正手続きということを多少なりとも知っている人ならば、誰しも森嶌教授と同じような印象をもつことでしょう。
 
「事業者の存亡を左右する話が、こんな杜撰な手続きで評価されるなど、あり得るのか?!」
 
 ということです。
 いくつかの重大な論点があるかと思いますが、ざっくりと問題の所在を述べると次のようなものになるかと思います。かなり多岐にわたります。
 
【論点1】何のために評価しているのか?―原発の重要施設への安全上の影響評価のはず
 もともと、破砕帯評価は、バックチェックから始まった話の延長だったはずです。破砕帯が活断層なのかどうか、活断層だとしてどういう構造で、それが動いた場合にどういう影響を原発の重要施設に及ぼすのか、ということが根本的な問題意識だったはずです。浦底断層が活断層だということがわかって、それとの連動がどうなるのかというのことが、基本的出発点だったはずです。
 
 ところが、それは何ら評価されないままに、基準上の「今後動く可能性のある断層」の定義に当てはまるかどうかの、いわば矮小な議論に終始しました。
平成18年9月の耐震設計審査指針の改訂に伴い、各事業者に対して、耐震バックチェックを指示している中で、東日本大震災が発生し、その教訓を踏まえて、意見聴取会での議論がなされ、平成23年11月に更に深堀りした調査指示がなされたという流れです。それに応じて、調査が行われてきたということです。何を目的として、どこでどういう手法で何を調べるのかといった点を盛り込んだ調査計画書が、保安院と原子力安全委員会で承認され、それに即して調査が行われてきたというのが、原子力規制委に引き継ぐ時点までの話です。
 平成23年11月の最初の保安院指示には、次のように書かれていました。
 
「貴社敦賀発電所については、文献調査から天正年間に若狭地域に大きな津波が到来した旨が記載された古文書の存在が明らかとなったこと及び地震・津波に関する意見聴取会において周辺斜面の安定性評価も必要であるとの指摘があったことを踏まえ、当院は、同地域における既往津波に関する調査とそれを踏まえた津波の影響評価及び基準地震動の変更に伴い、周辺斜面の安定性の再評価と当該再評価を踏まえた安全上重要な施設等への影響評価が必要であると考えます。
また、貴社は、耐震審査の改訂に伴う耐震安全性評価結果中間報告書において、同発電所敷地内を通る浦底断層及び原子炉建屋直下に存在する破砕帯の活動性については、地形・地質調査の結果に基づき否定しているところです。
しかしながら、当院は、当該地震に伴う想定以上の地殻変動により、広域にわたって応力場に影響を与え、正断層型の地震も発生していることを踏まえ、浦底断層の活動に伴う破砕帯も含めた地盤の変位について原子炉建屋等への影響について評価すること、また、貴社東海第二発電所については、従来、耐震設計上考慮していなかった断層についても、活動性の再評価が必要であると考えます。」
 
ここに書かれている通り、調査の目的は、「重要施設への影響評価」だったはずです。ところが、新基準に、重要施設の直下に活断層がある場合には立地不可とする旨が盛り込まれ、既存原発に対しても、規制行政としては極めて異例のことながら、即時に遡及適用するとの措置が取られたことにより、実質的に新基準適合性審査に変質してしまいました。
約12万年前以前の断層(=活断層)かどうかだけが焦点となり、その活動性はどうなのか、どの程度の地震が生じるのか、その場合重要施設にはどの程度の影響があるのかというもっとも肝心な点は、ほとんど議論されることはありませんでした。
それまでは、規制内容が厳しくなった新基準が制定されても、法的には遡及適用はせず、バックチェックの形で耐久性をチェックし、必要あれば補強する、という形で、安全と利用のバランスがとられてきました。立地後に活断層が直下に見つかっても、その重要施設に与える影響を評価して判断する、という本来目的に即した運用方針が公式に取られていました(国会での質問主意書への答弁書)。
しかし、新基準で、活断層と認められた場合には、直上にはともかく設置不可とされたことにより、活断層だとしても、それがどのようなメカニズムでどの程度の地震を生じ、それがどういう影響を重要施設等に与えるのか?それは運転を継続できないほどのものなのか? あるいは代替的な補完策があるのかどうか?といった当初のバックチェックの本来目的とするところが吹き飛んでしまって、それらについての議論が何らなされないという異常な展開となってしまいました。
 自分で出した指示にもかかわらず、それに応じて報告しようとしているのを拒否しているに等しい構図ですから、本来考えられない話です。その点の影響評価をしないままに、「絶対に基準にいう活断層でないとは言い切れない」というだけで、思考停止、検討停止し、再稼働不可の判断をすることなど、あり得ようはずがありません。
 まして、今回の評価書案では、9.5万年前以降は動いていないことを認めましたから、なおのこと、動いた場合の影響評価をしないままに、9.51213万年前の間に動いたか不明という一点だけで廃炉に追い込むということは、本来趣旨からしても逸脱しています。
 
【論点2】昨年7月の重要施設への影響なしとの報告徴収を了承したこととの関係
 いったい何のために議論しているのか? ということについては、昨年5月に規制委本体の会合で、いったんは活断層と断定され、ただちに影響評価についての報告徴収をかけたのに対して、影響なしとする原電の回答を了承したこととの関係からしても、疑問です。
昨25年5月の規制委で、活断層だと断定した評価会合の報告書が了承され、断層が動いて重要施設である配管が全壊して冷却水が失われた場合の影響を評価せよ、という報告徴収命令が発せられました。重要施設にどういう影響を与えるかを評価せよ、という命令ではなく、いきなり全壊することをアプリオリに決めつけての命令というのは前代未聞の奇妙な命令だと思いますが、いずれにしても、誤った認定に立ったものであるとして、原電は異議申立てをしました。しかし規制委は、命令に応じていることを以て訴えの利益なしとして却下しましたが、それは、判例にも反する決定でした。裁判になれば規制委は負けますが、原電としては、それに時間と精力を費やすのは無駄だということで、争っていないだけです。それに甘えて、判例違反の決定をすることは、本来許されません。
それは別として、規制委は、その命令に応じて影響評価を提出し、配管が全壊しても他の代替措置により、安全性を損なうことにはならないとの原電の評価を、あっさり了承しました。
それであれば、バックチェックとしての、そして立地基準としての本来目的である原発の耐震面の安全性はまず担保されているということですし、全壊に至らない補強工事も十分に可能です。破砕帯が12万年以前か以降か、破砕帯がK断層とつながっているかどうかといった点は、ある意味で些末な話でもあります。「活断層である」との認定にも拘わらず、それが耐震面で安全性に影響しないということであれば、その原発を全否定し、運転を認めずに廃炉に追い込むことは、法益の比較衡量において均衡を著しく失した措置であり、憲法上の問題となってきます。この点は後ほど詳しく述べます。
 
【論点3】憲法上の基本原則への違背
このブログで当初から一貫して述べていることは、原子力規制委の規制行政は憲法の基本原則の多くに違背しているということです。
法益の比較衡量、不利益措置の不遡及、比例原則、公正手続きの確保 といった基本中の基本であるはずの原則に反する措置が、実にあっさりと講じられています。こういう原則に、田中委員長を筆頭として、委員も規制庁も誰も勘案する様子さえも見せず、原発の安全確保のみを考えているとの台詞のもとに、それを当然としてきました。
原発の安全確保ということはもちろん、非常に大事な国民の利益であり、いったん深刻な事故が起きれば大変なことになるということは、福島原発事故で体験したことです。それは、電力会社を含めて誰も否定しているわけではないでしょう。
問題は、法益の比較衡量とバランスということです。原子力発電は、これまで原子力基本法による平和利用の促進という枠組みの下に、電力の安定供給を担うベース電源としての役割を果たしてきました。地球温暖化対策のカギとしても、菅直人政権の下で、一時は比重を50%まで引き上げるとの方針も決定されました。電力の安定供給は、電力会社の法的義務として定められていますが、電力会社とすれば、これまで政策的にベース電源として推進されてきた原発を一定割合以上組み込むことを前提としていたわけです。
安全確保も大事な課題ですが、安定供給(量、質、価格の三面での)もまた大事な課題です。絶対安全ということはあり得ないわけですから、利用促進、安定供給の確保とのバランスをどうとるために、どこまでのレベルで線を引くのかが重要な視点になってきます。これは、別に原子力安全規制に限らず、すべての安全規制に共通していえる基本原則です。米国の原子力規制委員会においても、安全確保と利用促進とのバランスをとることが要請されており、事実上の利用禁止に等しいような安全確保策というのは、この原則を無視したものであり、適当ではありません。ところが、それを無視し、「安全のことだけを考える」と宣言して委員会運営を行ってきているのが、田中委員長でした。安全確保だけでなく、安定供給の確保も社会的、政治的、経済的要請なのですから、すべての原発を止めて、新基準適合性審査を行うという方式は疑問です。というか、明らかに不適当です。

法益の比較衡量とともに、憲法の基本原則としてあげられるのは、不利益措置の不遡及です。これは直接的には刑事面での原則ではありますが、不利益措置を遡及適用してしまうと、既存の権利関係を侵害することになりますから、この点でも利益の比較衡量の視点に立って、基本的には遡及しないというのが原則です。建築物等の耐震基準の適用についても、新基準はこれから建築するものに対して適用されるのであって、既存の建築物については、建て替えや補修の際に適用していくとか、経済的インセンティブ(補助金、税制優遇等)を与えて、新基準への自主的適合を促していくというのが基本的な行政のあり方であるはずです。もし、新しい知見等によって、切迫した危険が迫っているということが判明したのであれば、それは緊急避難的に対処が検討されるべきことです。
原発の安全基準についても、通常の建築物と同様の方式により適用されてきました。新基準が定められても、遡及適用はせず、行政指導の形でバックチェックを行わせ、実質的な安全確保を図るというのが、これまでのやり方でした。
今回の規制委の下での活断層議論は、そういう憲法の基本原則を一切無視したものです。
 直下に仮にそれが活断層だとしても、その規模、形状、活動度合い等に関わらず、一律に公益事業として供されている私的財産の価値、効用を無に帰する措置をとるということは、財産権の侵害であり、経済活動の自由の侵害です。比較衡量の重要性を認識しているのであれば、評価の順序は次のようになるはずです。
 
 ・活断層かどうかを判定する。
 ・活断層だとして、その活断層の活動の切迫度合い、将来的活動時期の見 通しを評価する。活断層としての規模、活動度合、見通し等から、原発 の重要施設への影響を評価する。
 ・影響評価の結果が、耐震工事や代替的保補完策等によりカバーできるも  のかどうか評価する。
  
 このような一連の評価の結果、耐震工事や代替策を講じたとしても、原発の安全性が確保できる見通しがつかない、ということになった場合に初めて、廃炉ということになるわけです。その場合にも、経済的なダメージを補完するようなインセンティブが必要になってくることでしょう。
 ところが、【論点1】で述べたごとく、規制委や破砕帯評価会合は、そういう一連の評価を何も行っていないのです。昨年5月に活断層だと認定した後も、報告徴収でそのような評価を求めることはありませんでした。そのような影響評価こそが、規制委に求められているはずの基本的アクションだと思いますが、もともとバックチェックの指示から話が始まっていることからしても、理解できない対応です。
 それに、活断層の定義は、新基準になるごとに、活動時期の目安が遡っていっています。原電敦賀1,2号機が設置された当時は、5万年前だったはずです。それが遡ることはいいですが、それを既設置済みの原発に遡及して、しかも即時適用し、適合しなければ廃炉しかないというのは、不遡及の原則、激変緩和の原則、比較衡量の原則等を全く顧慮しないものであり、あり得る行政措置ではありません。通常は、新設のものから適用していくというのが基本です。
 ここで問題となっているのは原発ですが、それを自分の家に置き換えて考えればすぐに理解できる話でしょう。自分のマンションが、建築基準法の新基準に適合しないからといって、いきなり使用不可とされ、取り壊しを迫られるとすれば、到底納得がいくものではありません。現実に切迫した倒壊の危険がある、ということであれば、また別ですが、通常は、どの程度の地震に耐えられるのかを評価し、必要な耐震補強工事を行うことによって対応するはずです。
                           続く

コメントに関しまして


コメント承認制への移行によって、投稿が多少なりとも冷静な内容になる兆しが出てきているのは良かったと思います。今回、一応数コメントを承認扱いにしてありますが、それでも電力会社の過去、現在に対する「抜きがたい不信」の表明がメインのものが多いのは否めないところです。
もう少し安定供給の担保のあり方に対する視点ももっていただいてもいいかと感じます。「コンバインドサイクルとシェールガスで万事解決!」的議論は、複雑に絡む諸要素を含めて真剣に安定供給を考慮していないように見えます。シェールガスが90年代からあったかのように書かれているコメントもありましたが、そうではありませんし、天然ガスの安定確保を怠っていたかのように言うコメントもありましたが、地球温暖化対策との関係で、ついこの間まではあの菅直人内閣でさえ、原発比率向上を打ち出していたくらいです。地球温暖化が大きな課題で(+エネルギー安保の観点で)、化石燃料を減らすというベクトルの中で、ガスの供給源の安定確保を怠っていたと批判しても、それはせんない後付け的類いの議論になってしまいます。日本の産業界は、石油ショックや中国によるレアメタル禁輸の後と同様、危機意識を持てば一気に調達努力を展開する優れた対応能力が備わっていますから、それほど心配することはないでしょう。
 
原発の電力買取制の話については、それを持ち出しているのは政府側であって、電力側ではないはずです。そこを従前のように政府・電力一体とみて、「自分たちが」と形容するのは適当とは思われません。総括原価方式と電力自由化とで、安定供給にとっての長短の比較が冷静に行われているのか、安定供給の確保視点がないがしろにされているのではないか、といった疑問が「中年九電社員」さんにはあると思いますし、なんでも反体制、反対の反日左翼と同じパターンの議論ではないかとの疑問が「私も一言」さんにはあるのだろうと想像しています。電力自由化だけを推進することによってクリームスキミングで薄利となり投資余力がなくなれば、いくら政府が原発比率を一定割合に維持するといってもそれを担保する各論が伴わないわけですし、安全対策向け、廃炉向けの投資も十分確保されるのか、ということにもなってきます。
 
安全基準の変遷の話もありましたが、原発に限らず、建築、食品、電気製品等、初めから神のような洞察力によって間違いがないように設定できればいいのでしょうが、しかしどの分野でも事故の教訓や新たに得られた知見を踏まえて改定されてきているというのが実態です。
また、安全性を追求するあまり、実質的に使えないような経済性を無視した議論もバランスを欠くものです。そういう点を踏まえずに、過去、基準をどんどん変えてきておかしいではないか、という指摘も少々無理筋の話ではないと感じます。
 
変動地形学が従来重視されてこなかったという指摘はそうなのかもしれませんが、しかし、いったん委員として当局側に入りこんで(=権力を得て)、検討の担い手になった途端に、変動地形学的判断が全ての議論を封じる拒否権を持つかのような議論を展開したり、自ら変動地形学的知見をこの局面では役立たないと自認しながら、専門外の分野まで平気で断定的な結論を述べて議論を強引に誘導したり、後から議論の土俵を変えて追加的材料をエンドレスで要求したり、あげく、同じ地形を観察しても変動地形学者によって分析がかなり異なったりといったような実態を見ると、彼らは科学者なのか? 原発廃絶の反日左翼的運動家としての活動をしているだけなのではないのか?という疑念を持たざるを得ないことも正直なところです。
 
 いずれにしても、電力の安定供給の責任ある担い手としての公益事業の電力会社が原発を維持する姿勢を持つことは何らおかしなことではないと思っています。博打は許されないのですから、漸進的姿勢を持つのは当然です。あとは、各種エネルギーの安定性、安全性、経済性、技術革新動向、内外の諸動向等々を考慮にいれて、どういう電源構成に持って行くのが適切なのか、どういう行動計画をもつべきかを、客観的材料をもとにして判断していくということでしょう。もちろんその際には、政府が一貫した現実性のある政策を示しているということが前提ですが・・・。


 ともかく・・・「電力会社はひたすら自分たちの会社の利益ことしか考えていない」「原発は利益を上げるための必須のものだから、理屈をつけて反対論を封じようとしている」といって責め立てる類いの不毛な議論は、もうこれで打ち止めにしていただきたいと思います。
 それぞれの方々が(私も含めてですが)、ディベート的に自分の中で、肯定否定、長短の双方の立場の意見を冷静に戦わせてみるという作業が、建設的議論を導くと思います。


保釈された美濃加茂市長の弁護人に、郷原氏が就いたようで、テレビで久しぶりに姿をみかけました。今となっては懐かしいです。
 
それはともかく、もともとこのブログは、九電第三者委員会にしろ、原子力規制委員会にしろ、物事を決める手続きの在り方が間違っている=憲法、行政法に基づく公正手続きになっていないことを最大の問題意識として、縷々述べてきました。
 本来その公正手続きの確保という点は、原発に批判的な皆さんにとっても共有される一般的普遍的ルールだと思うのですが、しかし、このブログに批判的なコメントを寄せられる方々は、それを、電力会社の利益と原発の存続を至上目的として、その一環として理屈を述べているという捉え方しかしていただけません。電力会社の「やらせ」でなければ、「イヌ」だという発想でしょう。
 
 コメント欄に激烈なトーンで書き込んで来られる方々は、もっぱら、原発の安全性の問題のみを捉えて、「安心できない原発は廃絶せよ」、「過去の電力会社や政府は批判的意見にろくに傾けてこなかったがために大事故に至った」、「電力会社は自らの利益維持のために原発を維持しようとしている」等々のご指摘です。
 それはそれで、原発を巡る論点としてはあると思いますし、大事な論点だとは思いますが、しかし、それはこのブログでの論点ではないと繰り返し申し上げてきました。
 
 原発の新基準の話であれば、その新基準がいかなる点で安全性を確保できないものになっているか、国際的標準に比してこういう点で問題であり、日本固有の状況からしてこういう点で安心が出来るものではない…等々の点を具体的に議論されればいいと思います。旧基準で、例えば、津波の際の引き潮で冷却水が確保できないなどは現実のものになったわけで、共産党が国会で指摘していた問題点は貴重な問題指摘だったわけです。そういう類いの問題点が、依然として新基準にあるのだ、ということであれば、その問題提起を個別具体的な議論をされればいいと思います。世界有数の地震国日本における原発安全基準としては、この項目についてここまでのレベルで確保されるべきだ、ということを具体的に議論されればいいでしょう。
 
 また、過去の電力会社なり政府の対応の問題点、反省点も論点としてはあるわけで、これまで各種の事故調で総括されているとは思いますが、それで足りない点があるということであれば、問題提起して補足をされればいいと思います。
 しかしながら、それらは、このブログでの論点ではないので、それらを主要論点としてまとまった議論をしたいのであれば、別途の場で議論して下さいといっているだけなのですが、なぜか「異論排除」「追い出し」という話になってしまいます。
 
●このブログでの問題意識は、原子力規制委の場合については、
 
安全基準を決めたり、破砕帯の検討会合で検討、再稼働に向けた基準の適合性審査の際に、賛否双方の科学的意見を十分に吸い上げた上で、科学的視点から判断根拠を明確にした上で決めているのか?
他の重要な要素である電力の安定供給その他の要素を総合的に勘案した上で(=比較較量した上で)、基準の検討や適用がなされているのか?
審査、検討をする際に、論点があらかじめ明示され、それに即した議論がなされているか? 検討の際の予測可能性、透明性が担保されているか?
当事者と利害関係者に十分な意見表明や反論の機会を与えているか? それに対して、当局側の見解を然るべき理由とともに示しているか?
合理的期間内に手続きが進められているか? 合理的理由なく遅延させていないか?
規制当局としての継続性を認識した上で対応しているのか? 判断を変更する場合に、然るべく合理的根拠と説明とをしているか?
 
 キーワード的にまとめると、次のようなものになります。
 
  「科学に合理的な検討の確保」
「必要な要素の総合勘案と比較較量」
「被規制側にとっての予測可能性と透明性の確保」
「当事者、利害関係者に対する十分な意見表明の機会の確保」
「合理的な審査期間の遵守」
「行政の継続性の担保」
 
 規制行政として、当たり前すぎるほど当たり前のことなのですが、素人集団の如く、ことごとく担保されていないことを問題視して、個別具体的に問題指摘してきました。原発反対派の皆さんにしても、立場が逆になれば、規制当局にこういうことを訴えたいのではないでしょうか?
 
 九電第三者委員会事件では、
 
合理的事実認定なきままの恣意的な判断
予断に満ち、根拠明示なき中での結論付け
当事者たる九電からの意見表明、指摘の封じ込めと非難
委員長によるインサイダー的個人行動による公正性の棄損
審議の中途段階における個人ブログで委員長の個人的見解の一方的かつ継続的表明
行政手続法を無視した経産大臣の言動
 
 等々を問題視し、すべて個別具体的に問題指摘してきました。
 
 これらの公正手続きが確保されているかどうかは、民主主義社会や科学的世界では大事な点であり、原発に賛成であろうが反対であろうが、双方の立場から確保が求められるべき話のはずです。
 ですから、この論点を重要な一論点として評価、認識していただいて、そういう視点での個別具体的なコメントがなされることを期待していたわけです。
 
●もっとも、こちらも最近はあまりフォローできておらず新しい記事も発信できていませんし、電力の安定供給の重要性の話もしばしばして書いていますので、関連して、広く安全性の話とか、代替エネルギー源、新技術、エネルギー政策論等々の話をコメント欄に投稿していただくのは構わないと思っていますし、これまでもそうしてきました。
 ですから、冷静な筆致で、できるだけ具体的な内容で様々な情報提供なりご意見の披歴をしていただくのは、特に排除するものではありません。
 
 お断りさせていただくのは、
 言葉の汚い、罵詈雑言的コメント
電力会社の直接、間接のやらせだと決めつけて非難する投稿
 電力会社の利益のためだけに、原発を動かそうとしているのだろう」といった類いの不毛な議論
シュプレヒコール的な電力批判、原発廃絶を連呼するためにコメント欄を使っているかのように見える議論
原子力規制委に対して言うべきことを、コメント投稿者に対して回答を迫るようなコメント(安全基準が足りないというのであれば、それは規制委の問題ですから、具体的にこういう項目のこういう点で足りないと述べてください。)
 
 などです。
 批判的な皆さんは、電力会社のやらせとか、異論排除とかおっしゃいますが、考えても見てください。もし、そういうことだったら初めからコメント承認制にしています。そして、都合のいいコメントだけを選別していたことでしょう。しかし、そういう承認制にはせずに、良識に任せて、自由投稿制を維持してきました。コメント禁止措置はとりましたが、それでも自由投稿制は維持しつつ、削除コメントも実際には「倉庫」に保管し、本ブログからのリンクも張りました。今回、承認制に移行しましたが、それも「倉庫」には保管するようにしていますし(今後もするとは限りませんが)、こういった一連の措置を見ていただければ、「やらせ」「異論排除」といった構図とは無縁だということはわかっていただけるのではないでしょうか。
 
 そういう比較的自由なコメント投稿方針であることに乗じて、自らが論点だと考えることだけについて、罵詈雑言的、一方的決めつけの投稿が繰り返されたのは残念としかいいようがありません。私にしてもこういう措置はとりたくありませんでしたが、さすがにもう、上記①-⑤の類いの相次ぐ投稿には辟易していますので、201110月下旬以降3年弱続いた自由投稿制もこれで打ち切りにしたという次第です。
 
 
●スイシンジャーさんは、直近の投稿の末尾で、次のようにおっしゃいました。
 
「そして意見を変える必要などないが原子力と電力には功罪両方があること せめて認めるべきではないのか」
 
それはおっしゃる通りですが、原発支持派に対してだけ言う言葉ではなく、原発や電力批判派に対しても等しく投げかけられるべき言葉だと思います。
 
 私は、量、質、価格の三面での電力の安定供給の確保は必須であるとの立場ですし、海外の不安定な情勢変化に左右されない自前のエネルギーを一定割合確保すべきとのスタンスですので、その点での問題意識が必ずしも大きくない原発・電力会社批判派の皆さんとは立場的には相容れないとはおもいますが、冷静な議論であれば聞く耳はあるつもりです(ただし、このブログの論点上の議論としてではなく、あくまでコメント欄への投稿としては許容するという意味です)。
 
 私もマスコミ報道や書籍類でしか知りませんが、原発の安全性にしても、冷却水に頼らない新型炉や、次世代炉の開発も進んでいるようですし、福島第一の固定的イメージでずっと議論するのもミスリーディングではないかと思います。
 ガスコンバインドサイクルの拡大や、シェールガスの長期安定確保ももちろん進められる必要があると思いますが、ひとつに偏するリスクには大きなものがあります。現在、石油ショック時よりも化石エネルギー依存度が大きいなどは異常な状況です。資産運用の分散化と同じく、電力供給源も分散化、多様化することがリスク低減と安定供給に資するものと考えるものです。
 
 少々時間的余裕がないこともあり、常にこのブログにアクセス管理しているわけではありませんので、コメントの承認もタイミング的にずれ込むことがあり得ることはご了解ください。
 

 今般、行政不服審査法と行政手続法とが大幅に改正されるそうです。
行政不服審査法の改正は抜本的なもので、実に52年ぶりだそうです。
 

  http://www.soumu.go.jp/main_content/000279329.pdf  ←総務省資料

これをみると、

① 不服申立てを審査した機関が再審査するのは問題なので、審査した者の排除
  と、裁決の別機関での妥当性判断等の制度を設ける。
②異議申立前置の廃止(審査請求への一本化)
③行政手続法に反する行政指導の中止を求める手続きを盛り込む。

 ということだそうです。

 そうなると、例えば、

・昨年9月の原電敦賀の報告徴収に関する不服申立ては、異議申し立て前置がなくなり、裁判所への審査請求に一元化されるというように、審査主体、方法も違ってきますし、

・九電第三者委員会事件における枝野経産大臣の、「郷原氏に従わないようなコンプライアンスなき電力会社に玄海の再稼動は認めない!」といった類いの行政指導も中止を求めることができるようになります。

 一般紙には載らないので知りませんでしたが、地味な法改正かもしれないものの、行政に対する牽制としては、大きな意味を持つと思います。


● あとは、今回の原子力規制委の有識者会合による人質行政を牽制することができるような仕組みの創設の検討が必要であり、期待されるところです。

 行政不服審査法改正案に盛り込まれたという、裁決の妥当性を審議する「諮問機関制度」というのは、応用がききそうな気がします。




4月3日付で、各紙に
「第三者委の調査報告書を格付け」する独立機関が発足という記事が一斉に載っていました。みずほ銀を一例目にする由。
 
「格付け委員会の委員長は久保利弁護士。委員にはこのほか、国広正弁護士、コンプライアンス問題に詳しい高巌・麗澤大学大学院経済研究科教授、八田進二・青山学院大学会計プロフェッション研究科教授など、計9人が就任した。
同日の会見で国広弁護士は、企業で不祥事が起こると第三者委員会ができて調査されるが、「仮面をかぶって企業は悪くない、またはあまり悪くない、経営者は悪くなくて現場がやっただけと言う不良第三委員会がでてきた」と指摘した。第三者委は不祥事を起こした企業が人選し、報告書をまとめるが、「企業からおカネをもらい、ちゃんとしたもの書けるのか」と疑問を呈した。」
 
 とあります。
  久保利、国広両弁護士は、九電第三者委員会事件の報道がなされているときにも、第三者委員会の問題に関して、名前が見えていた方々です。
 第三者委といえば、だいたいは弁護士が多いですから、弁護士同士の批判ということになり、そういう意味では「画期的」かもしれません

 問題意識が、「不祥事を、第三者委員会を使って、都合良い結論にしているのではないか」というものなので、九電第三者委員会の場合とは異なると思いますが、九電第三者委のような異質の問題ケースも再検証してもらえればと思います。あれだけ社会面で連日大々的に取り上げられ、このブログでも批判され、委託側の九電と全面対立に至って「撤退」。後日、宗像弁護士にも朝日新聞紙上で名指し批判されたという異例の展開を辿った案件ですから、検証の俎上に載せる資格十分といえるでしょう。
 
 もっとも、九電も、今は原発再稼働が最優先課題で、もう過去の第三者委員会問題で蒸し返されたくないという思いだろうと思いますが、この報道をみると、独立機関側が独自に選定して評価するようです。俎上に載って検証されれば、九電の主張が正しかったことがおそらく追認されることになり、名誉回復にもなると思いますが・・・。

 ともかく、こうやって、第三者委員会の活動に対して、外部からの評価がなされるチャネルができるというのは好ましいことです。
  ただ、期間限定で、運営費用も自費だそうなので、何らかの形で恒常化が図られることが期待されます。原電が活断層問題で外部専門家に依頼したときのように、依頼チャネルがあって、そこが中立的な者を人選して評価に当たらせるという仕組みがあるといいのではないかと思います。
 
「格付け委員会は3年間の期間限定で、運営費用は委員の自費で賄う。格付け委員会は3カ月に1件程度、第三者委の調査報告書を格付けし、近く開設予定のウェブサイトで公表する。
調査対象は、社会的な関心が高く、影響力の大きい報告書などとするという。質の悪い調査報告書だけではなく、好例も挙げて評価する。」

 評価は、5段階評価で、最低は「不合格」の由。是非、評価してみてもらいたいものです。あの時の7月26日の古川佐賀県知事への個人的訪問と辞職勧告の行動を以って、一発でアウトだと思いますが、さて如何??

「各委員は日本弁護士連合会の指針などを参考にし、調査報告書の独立性・中立性は十分か、不祥事の本質に迫っているかなどを判定し、「A」から「D」と「F」の5段階で評価する。Fは不合格にあたる。第三者委員会や会社などから、結果に反論が寄せられた場合などは、そのままホームページに開示する方針。」

 久しぶりに「第三者委員会」という言葉に接し、感慨深いものがありました。

 なお、これと同様の発想で、原子力規制委や活断層調査のWGによる法治的センスが皆無の独断的運営についても、法律家の観点から評価される仕組みがほしいところです。


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