検討
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コメント承認制への移行によって、投稿が多少なりとも冷静な内容になる兆しが出てきているのは良かったと思います。今回、一応数コメントを承認扱いにしてありますが、それでも電力会社の過去、現在に対する「抜きがたい不信」の表明がメインのものが多いのは否めないところです。
もう少し安定供給の担保のあり方に対する視点ももっていただいてもいいかと感じます。「コンバインドサイクルとシェールガスで万事解決!」的議論は、複雑に絡む諸要素を含めて真剣に安定供給を考慮していないように見えます。シェールガスが90年代からあったかのように書かれているコメントもありましたが、そうではありませんし、天然ガスの安定確保を怠っていたかのように言うコメントもありましたが、地球温暖化対策との関係で、ついこの間まではあの菅直人内閣でさえ、原発比率向上を打ち出していたくらいです。地球温暖化が大きな課題で(+エネルギー安保の観点で)、化石燃料を減らすというベクトルの中で、ガスの供給源の安定確保を怠っていたと批判しても、それはせんない後付け的類いの議論になってしまいます。日本の産業界は、石油ショックや中国によるレアメタル禁輸の後と同様、危機意識を持てば一気に調達努力を展開する優れた対応能力が備わっていますから、それほど心配することはないでしょう。
原発の電力買取制の話については、それを持ち出しているのは政府側であって、電力側ではないはずです。そこを従前のように政府・電力一体とみて、「自分たちが」と形容するのは適当とは思われません。総括原価方式と電力自由化とで、安定供給にとっての長短の比較が冷静に行われているのか、安定供給の確保視点がないがしろにされているのではないか、といった疑問が「中年九電社員」さんにはあると思いますし、なんでも反体制、反対の反日左翼と同じパターンの議論ではないかとの疑問が「私も一言」さんにはあるのだろうと想像しています。電力自由化だけを推進することによってクリームスキミングで薄利となり投資余力がなくなれば、いくら政府が原発比率を一定割合に維持するといってもそれを担保する各論が伴わないわけですし、安全対策向け、廃炉向けの投資も十分確保されるのか、ということにもなってきます。
安全基準の変遷の話もありましたが、原発に限らず、建築、食品、電気製品等、初めから神のような洞察力によって間違いがないように設定できればいいのでしょうが、しかしどの分野でも事故の教訓や新たに得られた知見を踏まえて改定されてきているというのが実態です。
また、安全性を追求するあまり、実質的に使えないような経済性を無視した議論もバランスを欠くものです。そういう点を踏まえずに、過去、基準をどんどん変えてきておかしいではないか、という指摘も少々無理筋の話ではないと感じます。
変動地形学が従来重視されてこなかったという指摘はそうなのかもしれませんが、しかし、いったん委員として当局側に入りこんで(=権力を得て)、検討の担い手になった途端に、変動地形学的判断が全ての議論を封じる拒否権を持つかのような議論を展開したり、自ら変動地形学的知見をこの局面では役立たないと自認しながら、専門外の分野まで平気で断定的な結論を述べて議論を強引に誘導したり、後から議論の土俵を変えて追加的材料をエンドレスで要求したり、あげく、同じ地形を観察しても変動地形学者によって分析がかなり異なったりといったような実態を見ると、彼らは科学者なのか? 原発廃絶の反日左翼的運動家としての活動をしているだけなのではないのか?という疑念を持たざるを得ないことも正直なところです。
いずれにしても、電力の安定供給の責任ある担い手としての公益事業の電力会社が原発を維持する姿勢を持つことは何らおかしなことではないと思っています。博打は許されないのですから、漸進的姿勢を持つのは当然です。あとは、各種エネルギーの安定性、安全性、経済性、技術革新動向、内外の諸動向等々を考慮にいれて、どういう電源構成に持って行くのが適切なのか、どういう行動計画をもつべきかを、客観的材料をもとにして判断していくということでしょう。もちろんその際には、政府が一貫した現実性のある政策を示しているということが前提ですが・・・。
ともかく・・・「電力会社はひたすら自分たちの会社の利益ことしか考えていない」「原発は利益を上げるための必須のものだから、理屈をつけて反対論を封じようとしている」といって責め立てる類いの不毛な議論は、もうこれで打ち止めにしていただきたいと思います。
それぞれの方々が(私も含めてですが)、ディベート的に自分の中で、肯定否定、長短の双方の立場の意見を冷静に戦わせてみるという作業が、建設的議論を導くと思います。
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保釈された美濃加茂市長の弁護人に、郷原氏が就いたようで、テレビで久しぶりに姿をみかけました。今となっては懐かしいです。
それはともかく、もともとこのブログは、九電第三者委員会にしろ、原子力規制委員会にしろ、物事を決める手続きの在り方が間違っている=憲法、行政法に基づく公正手続きになっていないことを最大の問題意識として、縷々述べてきました。
本来その公正手続きの確保という点は、原発に批判的な皆さんにとっても共有される一般的普遍的ルールだと思うのですが、しかし、このブログに批判的なコメントを寄せられる方々は、それを、電力会社の利益と原発の存続を至上目的として、その一環として理屈を述べているという捉え方しかしていただけません。電力会社の「やらせ」でなければ、「イヌ」だという発想でしょう。
コメント欄に激烈なトーンで書き込んで来られる方々は、もっぱら、原発の安全性の問題のみを捉えて、「安心できない原発は廃絶せよ」、「過去の電力会社や政府は批判的意見にろくに傾けてこなかったがために大事故に至った」、「電力会社は自らの利益維持のために原発を維持しようとしている」等々のご指摘です。
それはそれで、原発を巡る論点としてはあると思いますし、大事な論点だとは思いますが、しかし、それはこのブログでの論点ではないと繰り返し申し上げてきました。
原発の新基準の話であれば、その新基準がいかなる点で安全性を確保できないものになっているか、国際的標準に比してこういう点で問題であり、日本固有の状況からしてこういう点で安心が出来るものではない…等々の点を具体的に議論されればいいと思います。旧基準で、例えば、津波の際の引き潮で冷却水が確保できないなどは現実のものになったわけで、共産党が国会で指摘していた問題点は貴重な問題指摘だったわけです。そういう類いの問題点が、依然として新基準にあるのだ、ということであれば、その問題提起を個別具体的な議論をされればいいと思います。世界有数の地震国日本における原発安全基準としては、この項目についてここまでのレベルで確保されるべきだ、ということを具体的に議論されればいいでしょう。
また、過去の電力会社なり政府の対応の問題点、反省点も論点としてはあるわけで、これまで各種の事故調で総括されているとは思いますが、それで足りない点があるということであれば、問題提起して補足をされればいいと思います。
しかしながら、それらは、このブログでの論点ではないので、それらを主要論点としてまとまった議論をしたいのであれば、別途の場で議論して下さいといっているだけなのですが、なぜか「異論排除」「追い出し」という話になってしまいます。
●このブログでの問題意識は、原子力規制委の場合については、
①安全基準を決めたり、破砕帯の検討会合で検討、再稼働に向けた基準の適合性審査の際に、賛否双方の科学的意見を十分に吸い上げた上で、科学的視点から判断根拠を明確にした上で決めているのか?
②他の重要な要素である電力の安定供給その他の要素を総合的に勘案した上で(=比較較量した上で)、基準の検討や適用がなされているのか?
③審査、検討をする際に、論点があらかじめ明示され、それに即した議論がなされているか? 検討の際の予測可能性、透明性が担保されているか?
④当事者と利害関係者に十分な意見表明や反論の機会を与えているか? それに対して、当局側の見解を然るべき理由とともに示しているか?
⑤合理的期間内に手続きが進められているか? 合理的理由なく遅延させていないか?
⑥規制当局としての継続性を認識した上で対応しているのか? 判断を変更する場合に、然るべく合理的根拠と説明とをしているか?
キーワード的にまとめると、次のようなものになります。
「科学に合理的な検討の確保」
「必要な要素の総合勘案と比較較量」
「被規制側にとっての予測可能性と透明性の確保」
「当事者、利害関係者に対する十分な意見表明の機会の確保」
「合理的な審査期間の遵守」
「行政の継続性の担保」
規制行政として、当たり前すぎるほど当たり前のことなのですが、素人集団の如く、ことごとく担保されていないことを問題視して、個別具体的に問題指摘してきました。原発反対派の皆さんにしても、立場が逆になれば、規制当局にこういうことを訴えたいのではないでしょうか?
九電第三者委員会事件では、
①合理的事実認定なきままの恣意的な判断
②予断に満ち、根拠明示なき中での結論付け
③当事者たる九電からの意見表明、指摘の封じ込めと非難
④委員長によるインサイダー的個人行動による公正性の棄損
⑤審議の中途段階における個人ブログで委員長の個人的見解の一方的かつ継続的表明
⑥行政手続法を無視した経産大臣の言動
等々を問題視し、すべて個別具体的に問題指摘してきました。
これらの公正手続きが確保されているかどうかは、民主主義社会や科学的世界では大事な点であり、原発に賛成であろうが反対であろうが、双方の立場から確保が求められるべき話のはずです。
ですから、この論点を重要な一論点として評価、認識していただいて、そういう視点での個別具体的なコメントがなされることを期待していたわけです。
●もっとも、こちらも最近はあまりフォローできておらず新しい記事も発信できていませんし、電力の安定供給の重要性の話もしばしばして書いていますので、関連して、広く安全性の話とか、代替エネルギー源、新技術、エネルギー政策論等々の話をコメント欄に投稿していただくのは構わないと思っていますし、これまでもそうしてきました。
ですから、冷静な筆致で、できるだけ具体的な内容で様々な情報提供なりご意見の披歴をしていただくのは、特に排除するものではありません。
お断りさせていただくのは、
① 言葉の汚い、罵詈雑言的コメント
②電力会社の直接、間接のやらせだと決めつけて非難する投稿
③ 「電力会社の利益のためだけに、原発を動かそうとしているのだろう」といった類いの不毛な議論
④シュプレヒコール的な電力批判、原発廃絶を連呼するためにコメント欄を使っているかのように見える議論
⑤原子力規制委に対して言うべきことを、コメント投稿者に対して回答を迫るようなコメント(安全基準が足りないというのであれば、それは規制委の問題ですから、具体的にこういう項目のこういう点で足りないと述べてください。)
などです。
批判的な皆さんは、電力会社のやらせとか、異論排除とかおっしゃいますが、考えても見てください。もし、そういうことだったら初めからコメント承認制にしています。そして、都合のいいコメントだけを選別していたことでしょう。しかし、そういう承認制にはせずに、良識に任せて、自由投稿制を維持してきました。コメント禁止措置はとりましたが、それでも自由投稿制は維持しつつ、削除コメントも実際には「倉庫」に保管し、本ブログからのリンクも張りました。今回、承認制に移行しましたが、それも「倉庫」には保管するようにしていますし(今後もするとは限りませんが)、こういった一連の措置を見ていただければ、「やらせ」「異論排除」といった構図とは無縁だということはわかっていただけるのではないでしょうか。
そういう比較的自由なコメント投稿方針であることに乗じて、自らが論点だと考えることだけについて、罵詈雑言的、一方的決めつけの投稿が繰り返されたのは残念としかいいようがありません。私にしてもこういう措置はとりたくありませんでしたが、さすがにもう、上記①-⑤の類いの相次ぐ投稿には辟易していますので、2011年10月下旬以降3年弱続いた自由投稿制もこれで打ち切りにしたという次第です。
●スイシンジャーさんは、直近の投稿の末尾で、次のようにおっしゃいました。
「そして意見を変える必要などないが原子力と電力には功罪両方があること せめて認めるべきではないのか」
それはおっしゃる通りですが、原発支持派に対してだけ言う言葉ではなく、原発や電力批判派に対しても等しく投げかけられるべき言葉だと思います。
私は、量、質、価格の三面での電力の安定供給の確保は必須であるとの立場ですし、海外の不安定な情勢変化に左右されない自前のエネルギーを一定割合確保すべきとのスタンスですので、その点での問題意識が必ずしも大きくない原発・電力会社批判派の皆さんとは立場的には相容れないとはおもいますが、冷静な議論であれば聞く耳はあるつもりです(ただし、このブログの論点上の議論としてではなく、あくまでコメント欄への投稿としては許容するという意味です)。
私もマスコミ報道や書籍類でしか知りませんが、原発の安全性にしても、冷却水に頼らない新型炉や、次世代炉の開発も進んでいるようですし、福島第一の固定的イメージでずっと議論するのもミスリーディングではないかと思います。
ガスコンバインドサイクルの拡大や、シェールガスの長期安定確保ももちろん進められる必要があると思いますが、ひとつに偏するリスクには大きなものがあります。現在、石油ショック時よりも化石エネルギー依存度が大きいなどは異常な状況です。資産運用の分散化と同じく、電力供給源も分散化、多様化することがリスク低減と安定供給に資するものと考えるものです。
少々時間的余裕がないこともあり、常にこのブログにアクセス管理しているわけではありませんので、コメントの承認もタイミング的にずれ込むことがあり得ることはご了解ください。 |
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行政不服審査法の改正は抜本的なもので、実に52年ぶりだそうです。
① 不服申立てを審査した機関が再審査するのは問題なので、審査した者の排除 と、裁決の別機関での妥当性判断等の制度を設ける。
②異議申立前置の廃止(審査請求への一本化)
③行政手続法に反する行政指導の中止を求める手続きを盛り込む。 ということだそうです。 そうなると、例えば、
・昨年9月の原電敦賀の報告徴収に関する不服申立ては、異議申し立て前置がなくなり、裁判所への審査請求に一元化されるというように、審査主体、方法も違ってきますし、 ・九電第三者委員会事件における枝野経産大臣の、「郷原氏に従わないようなコンプライアンスなき電力会社に玄海の再稼動は認めない!」といった類いの行政指導も中止を求めることができるようになります。 一般紙には載らないので知りませんでしたが、地味な法改正かもしれないものの、行政に対する牽制としては、大きな意味を持つと思います。
● あとは、今回の原子力規制委の有識者会合による人質行政を牽制することができるような仕組みの創設の検討が必要であり、期待されるところです。
行政不服審査法改正案に盛り込まれたという、裁決の妥当性を審議する「諮問機関制度」というのは、応用がききそうな気がします。
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4月3日付で、各紙に
「第三者委の調査報告書を格付け」する独立機関が発足という記事が一斉に載っていました。みずほ銀を一例目にする由。
「格付け委員会の委員長は久保利弁護士。委員にはこのほか、国広正弁護士、コンプライアンス問題に詳しい高巌・麗澤大学大学院経済研究科教授、八田進二・青山学院大学会計プロフェッション研究科教授など、計9人が就任した。
同日の会見で国広弁護士は、企業で不祥事が起こると第三者委員会ができて調査されるが、「仮面をかぶって企業は悪くない、またはあまり悪くない、経営者は悪くなくて現場がやっただけと言う不良第三委員会がでてきた」と指摘した。第三者委は不祥事を起こした企業が人選し、報告書をまとめるが、「企業からおカネをもらい、ちゃんとしたもの書けるのか」と疑問を呈した。」
とあります。
久保利、国広両弁護士は、九電第三者委員会事件の報道がなされているときにも、第三者委員会の問題に関して、名前が見えていた方々です。
第三者委といえば、だいたいは弁護士が多いですから、弁護士同士の批判ということになり、そういう意味では「画期的」かもしれません。
問題意識が、「不祥事を、第三者委員会を使って、都合良い結論にしているのではないか」というものなので、九電第三者委員会の場合とは異なると思いますが、九電第三者委のような異質の問題ケースも再検証してもらえればと思います。あれだけ社会面で連日大々的に取り上げられ、このブログでも批判され、委託側の九電と全面対立に至って「撤退」。後日、宗像弁護士にも朝日新聞紙上で名指し批判されたという異例の展開を辿った案件ですから、検証の俎上に載せる資格十分といえるでしょう。
もっとも、九電も、今は原発再稼働が最優先課題で、もう過去の第三者委員会問題で蒸し返されたくないという思いだろうと思いますが、この報道をみると、独立機関側が独自に選定して評価するようです。俎上に載って検証されれば、九電の主張が正しかったことがおそらく追認されることになり、名誉回復にもなると思いますが・・・。
ともかく、こうやって、第三者委員会の活動に対して、外部からの評価がなされるチャネルができるというのは好ましいことです。
ただ、期間限定で、運営費用も自費だそうなので、何らかの形で恒常化が図られることが期待されます。原電が活断層問題で外部専門家に依頼したときのように、依頼チャネルがあって、そこが中立的な者を人選して評価に当たらせるという仕組みがあるといいのではないかと思います。
「格付け委員会は3年間の期間限定で、運営費用は委員の自費で賄う。格付け委員会は3カ月に1件程度、第三者委の調査報告書を格付けし、近く開設予定のウェブサイトで公表する。
調査対象は、社会的な関心が高く、影響力の大きい報告書などとするという。質の悪い調査報告書だけではなく、好例も挙げて評価する。」
評価は、5段階評価で、最低は「不合格」の由。是非、評価してみてもらいたいものです。あの時の7月26日の古川佐賀県知事への個人的訪問と辞職勧告の行動を以って、一発でアウトだと思いますが、さて如何??
「各委員は日本弁護士連合会の指針などを参考にし、調査報告書の独立性・中立性は十分か、不祥事の本質に迫っているかなどを判定し、「A」から「D」と「F」の5段階で評価する。Fは不合格にあたる。第三者委員会や会社などから、結果に反論が寄せられた場合などは、そのままホームページに開示する方針。」
久しぶりに「第三者委員会」という言葉に接し、感慨深いものがありました。
なお、これと同様の発想で、原子力規制委や活断層調査のWGによる法治的センスが皆無の独断的運営についても、法律家の観点から評価される仕組みがほしいところです。
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