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3月6日(日)
続きです。
こんな珍しいものをいただきました。
途中の雪景色です。
まるで花が咲いたようです。
こんな様子が岡山近くまで続いていました。
どなたか写真をたくさん貼る方法を教えてください。どんなに小さくしても3枚しかアップできません。
大きくても小さくても3枚までです。
続きます。
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3月6日(日)
3月3日の「ひなまつり」の日に、ここに行ってきました。
そうです。岡山市です。
何しに行ったのでしょう。
それはこのためです。
第44回の中小企業問題伝国研究集会に参加しました。
また、良い学びをいただきました。
初めて舞鶴〜若狭間の無料実験高速道路を通りました。
驚くほど早く岡山に着きました。
写真は次ページに続きます。
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3月2日(水)
続きです。
この方が遺族の方です。
どんなことがあっても二度と起こしてはならない戦争です。
考えられないほどの重い課題です。
明日は岡山に勉強に行ってきます。
明後日は岡山を早朝に出て、長浜の三姉妹にまつわるふるさと館で、坂井市商工会女性会の皆さんに合流します。
毎日充実した日々を元気に動けることに感謝しています。
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3月2日(水)
続きです。
私たちの一行の中に、レイテ島でお父さんが戦死された方がいらっしゃいました。
戦没者を祭る「マリア観音」が建立されています。
棟が締め付けられるほど、悲しみが湧いてきました。みなさん涙が止まりません。
どうして赤紙一枚で、こんな遠い遠い何の繁栄もないこんな島で、兵士となって大勢の日本人が死んでいったのはなぜか、国家とは何かなどなど・・・・・・
マリア観音像です。
全員で献花しました。
続きます。
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3月2日(水)
続きです。
マッカサー元帥は、「I shall return」(負けたのではない、必ず戻ってくる)と言って、一旦レイテ島を撤退するが、昭和19年10月20日レイテ湾より再上陸した。この時、40キロに及ぶレイテ湾には海が真っ黒に見えるほど、700艘の軍艦が押し寄せてきたそうです。
当時日本には171個の師団があった中で、東京を中心として編成されていた第16師団は、1週間で全滅した。補給なきいくさの中、全員自力で、歓喜峰山に集結せよ!の命令のもと、敵陣となったタクロバン側に向って進攻し、草の根をかじり、泥水をすすりながら戦死して行ったのである。
レイテ湾
マッカーサーを先頭に7名の米兵の彫像が、再上陸地点に立てられている。
次に続きます。
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