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3月2日(水)
続きです。
マッカサー元帥は、「I shall return」(負けたのではない、必ず戻ってくる)と言って、一旦レイテ島を撤退するが、昭和19年10月20日レイテ湾より再上陸した。この時、40キロに及ぶレイテ湾には海が真っ黒に見えるほど、700艘の軍艦が押し寄せてきたそうです。
当時日本には171個の師団があった中で、東京を中心として編成されていた第16師団は、1週間で全滅した。補給なきいくさの中、全員自力で、歓喜峰山に集結せよ!の命令のもと、敵陣となったタクロバン側に向って進攻し、草の根をかじり、泥水をすすりながら戦死して行ったのである。
レイテ湾
マッカーサーを先頭に7名の米兵の彫像が、再上陸地点に立てられている。
次に続きます。
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竹田の里
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3月2日(水)
レイテ島は、マニラから730キロのところにあります。フィリッピンで8番目の大きい島です。
島の数はインドネシアが1位で、次がフィリッピンで、7100ほどの島があるそうです。
ちなみに、フィリッピンの人口は9千万人だそうです。
レイテ島には、あのイメルダ婦人の実家があるそうです。
太平洋戦争では、日本人が250万人戦死したそうですが、東南アジアには63万人が配置されていて、そのうちの50万人がここ、レイテ島で戦死しています。国力の7%を注ぎ込んで、大勝負をかけたそうです。日本防衛の最後の砦だったようで、最大の激戦地だったのですね。
戦後ここから生きて帰国した軍人はいない、といわれています。
続きます。
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3月2日(水)
名残雪でしょうか。今朝はちらほらと雪が舞っています。今日から2〜3日は雪が降る予報です。外れることを祈っています。
では、レイテ訪問の続きです。
2月20日の到着の夜は、地元タクロバンのロータリアンが数名参加して、魚料理の夕食会がありました。
あまり美味しくなかったです。その上、何も生ものは食べなかったのですが、お腹が痛くなりました。もちろん、歯磨きも全部ミネラルウォーターを使いました。明け方4時頃にひどい下痢でした。でも、メンバーの中には、お医者様が10名程参加されていましたので、下痢止めを頂きすぐに治りました。
ホテルの真下には、貧困層が暮らしているような場所がありました。
朝3時過ぎ頃から、鶏の声がかしましいです。
赤錆びたトタン屋根が見えます。この中にも暮らしがあり、大勢の人が住んでいるようです。
次に続きます
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3月1日(火)
つづきです。
ポッタム宣言調印式の調印書のコピーです。
重光葵の署名や各国代表の署名もあります。
とにかくたくさんの写真です。
おびただしいほどの写真の展示です。
でも、日本軍のものは少ないです。
明日は、このつづきを書きます。
当分の間は今回の報告がつづく予定です。
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3月1日(火)
待ちに待っていた弥生三月です。もう春ですね。
ロータリー2650地区、財団地区事業委員会「国際医療奉仕事業、レイテミッション」に参加しました。
2月19日に自宅を出て26日までフイリッピンにいました。
20日に関空をフライトしてマニラで乗り換えて夕方レイテ島の「タクロバン市」に到着しました。
ホテルAlejandro このホテルに宿泊しました。レイテ戦の写真やアメリカ軍の戦闘状況などの写真がいっぱいありました。 由緒のあるホテルのようです。
戦艦「大和」の模型もありました。
沢山の写真をアップしたのですが、どうしたらたくさん取り込めるのか分かりません。
とりあえず次に続きます。
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