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書庫2016.7 北海道ツー パート

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2016.8.3
富良野の丘木かげ』で自慢のチーズカレー夕張メロン 


今年も寄りらせてもらいました『富良野メロンのふくだメロン』で、
 ランチ替わりのタラフク完熟メロン 

誰も居ない大きな美瑛の丘で、おやじの走行撮影だ 
 
ビックリどっきり 美瑛ライハ「蜂の宿」は、
 安くて美味しい居酒屋安宿村」だったね 

動画編

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ファーム富田 四季彩の丘 で、嵐 を味わったので、
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お土産用の手配を済ませたのちに 
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一体、ここだけで、何個のメロン出来るのかなぁ 
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利用者には、1/2個のメロンが、おやつに付くそうな 
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2015.8の天気は、残念ながらかなり悪かったんだね!

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だぁ〜れも居ない 大きな風景に溶け込んで、気持ちイ〜イ 
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普段撮影ができないアングルで、
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スケールの大きさを再認識するね 
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なるほど・・ウナズケルねぇ 
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昨年とは・・・
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大丈夫・・
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チョイト・カルチャーショック 気味 
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後から 楽し気な麻雀が、始まったよ 
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昨年の渡道からライハを泊まり歩いているけど
2015.8 は、此処でしたね 
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・・もう 慣れましたけどネ 

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見てくれよりは、結構な充実した施設なんだよね
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大量の漫画が蔵書コーナーに 
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チャリダーの間では、「男の秘密基地」

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夕飯は、ここで、

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アルコール類の飲み放題が90分で1000円
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お通しは、ヤッパリ 富良野メロン 
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だんだんと人数も増えてくるね
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ともに 結構いけます 
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最後は、ウォーターメロン 
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イャ〜ぐっすりでした 
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2016.8.3
昨晩、ライハで偶然に居合わせた障者の彼は、逞しかったね 

小生は、45年前1.5ヶ月間 九州ソロツーに出かけたが、
 大学ノート3冊分に及ぶ知り合ったライダー達の住所録がある。
でも・・残念ながら未だに連絡を取り合っている人はいない 
 今、写真を見ても顔さえ思い出すこともままならない 

しかし 途中の広島で雨中のライディング指導してくれた白バイさん
長崎県雲仙仁田峠 台風で暴風雨の夜中 車も退避している状況下
       泊っていけと止めてくれたご家族 
宮崎川が氾濫し宿の2階まで水没し 水が引くまで3日間
       僅かな水と食料で、不自由な共同生活をした方々 
 など 未だに忘れることはできない 

 彼も偶然、旅で思いがけない 忘れ得ぬ一人だろう 

動画編

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     赤平駅ズリ山
   1913年大正2年)11月10日国有鉄道上赤平駅として開業
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空知炭山北側に位置する赤平芦別と共に豊富な石炭鉱脈があることが
知られ、早くから大小の企業による試掘や採掘が行なわれて来た。
その中で赤平3山と呼ばれてきたのが、昭和電工の豊里北炭の赤間
住友の赤平の各炭鉱で、西側に豊里、中央及び空知川対岸に北炭赤間
東側に住友赤平と市街を3分していた。いずれも駅裏山側に大きなズリ山
有し、赤平3つのズリ山が特徴となっていた程である
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昭和30年代後半の最盛期には、これら3つの積込専用線から毎日200両近い
石炭車が、長大貨物列車となって全国へと向かっていった 
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昭和40年代になり、エネルギー転換政策によって他の産炭地同様に
炭鉱が閉山に追い込まれると、当駅の貨物取り扱いは殆ど無くなった
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坑内から出る岩石などの部分を捨石、俗称でズリという。
この岩石などをトロッコを用いて長年積み上げられてやがて山ができる。
こうしてできた山をズリ山という。
火まつりの舞台ともなり、炭鉱のマチ赤平の象徴だった。
現在、北炭赤間炭鉱のズリ山に777段の階段がつけられ登ることができる。
ズリ山階段としては日本一のスケールを誇り、頂上から暑寒別岳十勝岳
などが一望できる 
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星の降る里」の持つ意味
 星が降るように美しいまち
 心のふる里(故郷)
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昨年は、チョイト遅かったけどね
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   さて・・昨年もお世話になった
 
    あの・・まるマル 極上試食のあの店へ GO 

ps

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2016.8.2〜3

小樽運河で、チョイト観光気分に浸り 
 札幌から三笠へ 
  筆談で、親睦が深まる嬉しい感動 

翌日、旧上砂川駅悲別駅)からロマン座へ 


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今頃は、こんななんだろうね 
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近所に大きなスーパーがあるので不便はないね
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御当人には、会うことはできなかったけど・・頑張ってね 
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2016.8.3 
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駅から遥かに聳え立つ姿が、見える 
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1968年(昭和43年)に建設された北海道随一の近代的な炭鉱立坑櫓
旧上砂川駅の東側にそびえ立っており、高さは55m、深さは710mに及ぶ。
1987年(昭和62年)に閉山となった後、1991年(平成3年)から2002年
(平成14年)まで世界最長の無重力状態をつくりだす
地下無重力実験センター」として再活用されていた
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とっても美味しい漬物には、丁寧な解説もいただけます 
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1953年に旧住友上歌志内砿の職員厚生施設(映画館)として竣工
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1971年に炭鉱が閉山してからは活用されることもなく廃墟状態となっていた
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1977年公開の映画「幸福の黄色いハンカチ」でロケ地としても使用
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S46年に炭鉱が閉山後は閉鎖され放置されていましたが、
S59年に倉本聰脚本のTV連続ドラマ「昨日、悲別で」のロケに使われ、
以来、そのままの姿で保存されています 

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 さて・・これから周辺を廻り

少し炭鉱の歴史に触れていこうか 


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2016.8.2
折角なので、小樽歴史的建造物 が、観光資源として見直しされ
観光都市として脚光を浴びるようになった街中へ・・
北海道商都として栄えた小樽を感じさせる、レトロな建造物に出会うため
小樽っ子」気分で、「坂のまち、小樽」を
少し歩いてみよう 

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                 小樽憲章 大正11年8月28日制定
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小樽は、北海道歴史文化経済大きく貢献した街
明治時代には国際貿易港にも指定され、日本でも指折りの企業や大手銀行が軒をつらね、大変な繁栄ぶりでした 
このため、鰊(ニシン)漁で財をなした親方の鰊御殿や、世界の相場で大儲けした
商人実業家が建てた大邸宅など、豪商たちにより、たくさんの文化的遺産
残されています 
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小樽商人気宇の大きさを味わうことができる、ロマン溢れる街並み 
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小樽は、海から山へせり上がった地形をしているため、多くの坂があります
住民は、昔から日に何度も坂を上り下りしながら、生活しています 
つま先上がりの急な坂を一歩一歩踏みしめながら上り切って、
ほっと振り返ると、
青い海にフェリー、対岸にかすむ増毛連山の絶景が目に飛び込んできます 

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・・大したことなくって良かったな 
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見晴らし坂上
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小樽市指定歴史的建造物 第71号 旧板谷邸
  海運業などで財をなした板谷宮吉の邸宅を利用している

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樽市では魅力あるまちづくりをすすめるために、市内を八つの地区に分け、
それぞれの地区を代表する景観を八つ選びだし、市内全体で64景(8地区×8景)
小樽八区八景として選定
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2016.8.2
積丹半島のもう一つのにある美しい島武意海岸 
     余市ウヰスキーの香り高いニシン弁当に舌鼓 
          小樽歴史的な建築物の残る街歩きにニンマリ 

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               神威岬より積丹岬を望む
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地名はアイヌ語の「シュマ・ムイ」(岩の入り江)に由来する。積丹岬の突端から1kmほど東側に位置し、断崖絶壁に囲まれながらわずかな浜辺を有する
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暗いトンネルを抜けると、明るいシャコタンブルーの海が目に飛び込んできて、
絶景が一気に広がります 
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多くの奇岩と海の透明度の高さで知られ、日本の渚百選 
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カモメオオワシなどの鳥類のほか、冬季にはアザラシも観察できる 
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          社名に使われている歴史的仮名遣の「」は、Whiskyの「wi」の発音に
          近いからという竹鶴の拘りによる
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寿屋サントリーホールディングスサントリースピリッツの前身)でウイスキー製造に従事していた竹鶴政孝が、よりスコットランドに近い気候の北海道で、よりよい
ウイスキー作りをするために退社し、資本を集めて北海道余市で創業した
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1940年(昭和15年)にウイスキーの出荷を開始。製品はリンゴジュース
商品名「日果」をカタカナにし、ニッカウヰスキーと名づけられた
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ウイスキーは統制品となり、大日本果汁海軍監督工場となった。
当時スコッチウイスキーの国内最大の消費者は帝国海軍であったが、イギリスからのウイスキー輸入が途絶えたため、日本国産ウイスキーへの需要が高まった。
このときは将校への配給用の酒を製造するために優先的に原料の大麦が割り当てられたため、事業の継続が可能となった
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1987年製造分が2008年WWA(ワールド・ウイスキー・アワード)
 世界最優秀賞 (WORLD'S BEST SINGLE MALT WHISKY) を受賞 
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2015年 (平成27年)ニッカウヰスキーは、
インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ2015」にて、優れた酒造メーカー1社に
のみ贈られる “ディスティラー・オブ・ザ・イヤー” を受賞  
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マッサン - 2014年度下半期NHK連続テレビ小説
創業者竹鶴政孝と妻リタが主人公のモデル。「北海道果汁株式会社」、並びに
ドウカウヰスキー」はニッカウヰスキーの前身「大日本果汁株式会社」をモチーフ
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ウイスキーは製造開始から出荷まで数年かかるため、最初期は余市周辺の特産品であったリンゴを原料に、リンゴジュース(商品名は日果林檎ジュース、のちに敵性語排斥によって日果林檎汁に改名)、リンゴワイン、リンゴゼリーなどを製造・販売していた。しかし、創業者竹鶴の品質へのこだわりはリンゴジュースにも及び、高価な果汁100%ジュースしか出荷しなかったため、あまり売れなかったという 
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本社ビルの地下1階には直営バーとして「ブレンダーズバー」があり、
ニッカブレンダーの手によるオリジナルブレンドウイスキーや、ブレンド前の
キーモルトシングルカスクウイスキーなどが常時提供されているほか、
テイスティングイベントも多く開催されている

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バイクなので、、まさか 試飲する訳にもいかず・・
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・・思いがけなくいただけた 「ニシン弁当」 ウマウマ 
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近年、ニシン北海道へ戻りつつあるようで、、

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ベン・ネヴィス山 (スコットランド・ゲール語Beinn Nibheis)はブリテン諸島
最高峰で、ハイランド南西部にある。標高は1,344m。ネヴィス山の北西麓のフォート・ウィリアムにあり、1989年にニッカウヰスキーが取得した
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小樽市の名は、アイヌ語の「オタ・オル・ナイ」(砂浜の中の川)に由来
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古くから北海道有数の港湾都市として発展してきた。札幌市から約40 kmの距離
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小樽市は北海道では古い歴史を有しており、慶長年間には松前藩
商場(あきんば)が置かれていたとしている
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明治になり蝦夷地北海道と改めて本府を札幌に定めると、
海の玄関口である小樽ヒトやモノが集まるようになった 
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1880年(明治13年)には北海道内初となる鉄道手宮 - 札幌間に開通 
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軒並み美味いもん屋さんが、続くが、ナントイッテモ
   市内に100店舗以上を構える寿司の街として知られる 
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小樽港道内各地への開拓民の上陸や物資陸揚げの港となり、昭和初期にかけて金融機関船舶会社商社などが進出して北海道経済の中心都市として発展
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戦後ニシン漁の不漁の喪失石炭需要の減少、道内他都市の港湾施設整備などによる卸商が衰退し、札幌市が北海道の中心都市として発展すると
小樽市は衰退の一途を辿るようになる 
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運河論争」を機に明治後期から昭和初期にかけての歴史的建造物
観光資源として見直し、観光都市として脚光を浴びるようになった 
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三市区連携
平成19年度から古くは運河でつながっていた石狩市札幌市手稲区と連携事業に
取り組み、相互交流を図っている 
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姉妹都市
ロシアの旗 ナホトカニュージーランドの旗 ダニーデン韓国の旗 ソウル特別市江西区
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  折角なので、ゆっくりと山の手まで、歩いてみよう 

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