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書庫2016.11飛越地方合掌造集落

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2016.11.4
さていよいよ本命白川郷」へ 

これまで様々な「合掌造りの郷」を廻ったが、
其々に 歴史的なのか、風土の影響か、特色があって面白い 
まだまだ日本中の郷を廻ったわけではないが、
代表的な集落を幾つか観てきて
日本古来の原風景」は、どこか懐かしい景観だった 

動画編

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此れからは、こんなかなぁ    白川郷 | 白川村役場公式サイト
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和田家から分家して居を構えたのが神田家の始まりで、ここで酒造業を興しています。1850年ころの建築と推定されますが、間取りの発達や小屋組み
合掌木)の大工の手跡の多さから、合掌造り家屋のなかでも非常に高い
完成度を誇っています 
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茜色が増してくる風情のある景観だ 
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長瀬家250年つづく旧家で、初代から三代目までが医者でした。
そのため、江戸期の医療道具が残されています。
5層建ての合掌造り家屋で、約11メートルの一本柱合掌柱)が
屋根の勾配の上から下までを貫き、大きな屋根を形作っています 
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イメージ 28今度 行ってみたいなぁ 

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屋根は茅葺きですが、1階に板庇(ひさし)をつけた珍しい建築物。
亨和2年(1801)加藤定七により、延べ人数1425人を要して建てたと
伝えられています。
梵鐘(ぼんしょう)は第二次大戦中に供出されたため、現在のものは戦後に
鋳金工芸作家の中村義一氏(高岡市)によって作られたものです
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浄土真宗大谷派(本山は京都の東本願寺
1744年に創建。山号は松原山
白川郷
親鸞聖人の弟子 嘉念坊 )善俊が最初に念仏を広めた 
集落の北側に位置し、本堂庫裏鐘楼門とすべての屋根が茅葺きという
珍しい合掌造りの寺 
村指定重要文化財本堂県指定重要文化財庫裏鐘楼門
県指定天然記念物イチイの木がある
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春の桜冬の雪景色など絵葉書のような光景が一年中見ることができます
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岩魚の塩焼き、飛騨牛の陶板焼き、汁物、
てんころいも、いたどりの酢の物、わさびの葉、長いも、 お豆腐、山菜の盛り合わせ
季節の天ぷら、 お漬物、季節の果物
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今回は、食す機会に恵まれなかったけど・・特別料理 
 白川村ならではの、昔からのごちそう料理
 先祖の御徳をしのび、その恩に感謝するために作られた料理です。
 ここの地ならではの伝統的な特別料理を、是非ご昼食にお楽しみください
 「ほんこさまのおごちそう」1日10人分の要予約のお昼ご飯 
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白飯と「ちゃつ」には焼き豆腐、にんじん、ごぼう、大根の白あえ、わらび、
あずきな、「ちょく」にはささげ豆の煮豆、汁碗にはお豆腐のみそ汁。
「つぼ」にはじゃがいもの二つ切り、にんじん、くるまふ、焼き豆腐の煮しめ

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明日の朝は、荻町城跡天守閣展望台へ食事前に・
 眼下にひろがる荻町合掌造り集落その眺望は格別だそうな 
  写真好きには最高の撮影ポイントへ伺います 

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2016.11.4
今夜の宿 白川郷の「伊三郎」には、時間があるので、
五箇山」見学に出かける旨伝えて ソロソロ 夕刻迫る頃 
相倉合掌造り集落」へ急いで、向かいました 

動画編

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15:00
R156 飛越峡合掌ライン・・反対方向には、白川郷の合掌集落だが、
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越中五箇山岩瀬家
昭和三十三年(1958)五月十四日に国指定重要文化財に指定
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岩瀬家の総体は、間口14.5間(26.4m)・奥行き7間(12.7m)、高さ8間(14.4m)もあり、大黒柱などは一尺(0.3m)角のを、また、24畳敷の出居の敷板にも全て欅材が使われ、しかも釘を一切使わず縄とねそで結び上げて造られています
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岩瀬家は「塩硝役宅」とされ、五箇山で作った塩硝を上納する役目を果たしていました。加賀の役人の宿舎にもなっていたので、居間は書院造りとなっており、材質にはケヤキを使用することを許されていました
囲炉裏では合掌造りについてのお話が聞け、天井裏へ登ることもできます 

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下階の炉から暖をとり、風通しをよくする為上階の床板は透かしの目皿 
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加賀藩塩硝を取りまとめ納入する上煮役の藤井長右エ門が、
 天領飛騨白川郷へ、加賀百万石の威光を示した 
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白川郷とともに、大家族制度の地方として有名、この家族の中に一部の使用人が含まれていたことは白川郷と異りますが居住者はすべて
一階(大きな家では中2階も使用)で寝起きしていたことは同様の形態 

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塩硝釜など 加賀100万前田藩主他藩に秘して等値で
 塩硝製造を命じた際使用したものなどが展示されている 
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両手を合わせて合掌礼拝する形からであろうが、
 熱心な真宗信仰地帯らしい命名 
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屋根部の木材は落葉樹自然木を、丸太のまま
  または縦に割り裂いたのを用いる 
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これがすべて農民の手によって発達進歩した経過を考慮すると、
 全く地域に根ざし地域の特徴を生かした構造物 
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一階部分の軸部他地域との違いがあり、
  同じ集落内でも多少の相違はあるそうな 
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建築儀礼生産生業暮し方など様々な村風習など集落共同社会の中での
合掌造りは、人間の暮らしと深く係ってくる現れなんだね 
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昭和初期の自動車道開通後は往来筋からはずれ、自動車道の閉鎖される冬期だけの交通路になった。それも昭和45年(1970)にかの有名な峠雪道を往復した郵便逓送隊の廃止となり、ついに交通路線に位置しなくなってしまった。
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・・なんともいい風景だなぁ 
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地形は、北西から南東へかけてゆるやかな傾斜をつくり、標高380m〜420mの段状平坦地の集落。後背の山地は急に切り立った岩壁になっていて、
古代の大きな地滑りによる段丘台地、地表の所々に岩石が頭を覗かせている
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現在の戸数や人口は昔に比べると極めて少ない。
養蚕製糸・製紙・製炭の主要産業の廃退と高度成長期の都市部への人口流出による過疎化現象だが、近年は道路網が整備され観光産業の発展で、
相倉集落を訪れる観光客が多くなり活気が甦ってきたそうな・・
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天正年間に建設されたと伝えられており、戦国時代の武家造りから書院造りに移行する過渡期の様子を示すなど、多くの古風、古式の遺構
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http://www.murakamike.jp/image/history/title_kayaku.gif

塩硝といわれる火薬原料の生産地として加賀藩の
重要な役割を担っていたのが五箇山である。
藩にとっては火薬原料の製造は軍事機密となり、
幕府や他藩の目をのがれるのに、山深い秘境の地の五箇山は、
豊富な塩硝を製造するための好条件であった。
300年以上にわたって続いた塩硝製造は、水田のない土地柄ゆえに
五箇山全戸で製造に携わる一大産業となり、質量ともに
全国随一であったと云われてる
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2016.11.4
越中東街道から越中西街道へと再び岐阜
 高山本線宮川と共に角川までV字谷路を西に向かう 
  天生峠は、あと数日で、一年の半分を雪に閉ざされ冬季閉鎖となる
   世界遺産合掌造り集落で知られる白川村は、峠の向こうだ 


動画編

タイムライン
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13:30 猪谷から神通川と別れ越中西街道
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飛騨の重要な街道として整備された
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清流 宮川の流れを眼下に見ながら進む 
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岸には巨岩奇岩が見られる 
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川の所々には深淵が、
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檜ヶ淵などの伝説のある美しい淵がある 
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紅葉はたいへん美しい 
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飛騨市世界遺産合掌造り集落で知られる
      白川村を最短で結ぶ国道360号線天生峠
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に至る道は狭く急坂急カーブが連続する山岳路 
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元々地盤が弱いため無雪期も度々崖崩れによって通行止になる事が多い
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閉鎖期間例年11月半ば〜5月末だが、今年は、少し長めだ 
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一帯にブナをはじめとする落葉広葉樹の原生林が広がる 
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岐阜県天然記念物に指定されている天生湿原などの高層湿原が点在
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語り部である僧侶がかつて旅をした地として、天生峠が登場する」 

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    ( ゚Д゚) 




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・・・・あぁ・・よかったw
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周辺は深い峡谷になっており、昼間でも薄暗いのだ 
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   ・・やっぱり凄いね 世界遺産合掌造り集落 

PS
 鎮魂の日々
 72年前の 東京大空襲 空襲としては史上最大規模の大量虐殺
 3月10日の空襲だけでも罹災者は100万人を超えた

 https://ja.wikipedia.org/…/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A…

 あれから6年 東日本大震災 日本周辺における観測史上最大の地震...
 https://ja.wikipedia.org/…/%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A…
 避難者等の数は174,471人 経済損失額としては世界史上1位
 絶対に忘れない ・・明日で六年が、過ぎます。

   謹んで ご冥福をお祈りいたします。


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2016.11.4
飛騨神岡の街を訪ね最後は、やはり此処は、外せない 
 旧神岡鉄道の廃線後に残された鉄道資産 「Gattan Go!!」
  そして R41 越中東街道沿いの廃坑利用のスーパーカミオカンデ
   更に もう一つの「飛騨鰤街道」 R360 越中西街道 を行く 

動画編

タイムライン 11:00
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レールマウンテンバイクガッタンゴー!!」は、岐阜県飛騨市で誕生した、
マウンテンバイクと廃線後の鉄路を組み合わせた、新感覚の乗り物です 
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鉄道レールの上を自転車で走るから、サイクリングでは体験できない
ガッタンゴットン」というレールの継ぎ目の振動と音を感じながら線路の上を
駆け抜けます 
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旧・神岡鉄道は、古くは明治の中頃に完成した馬車軌道神岡軌道)からの歴史を
持つ、鉱山の町・神岡を支え続けた全長19,9kmの軌道。
全線の6割がトンネルと鉄橋からなることから「奥飛騨の地下鉄とも呼ばれ、全国でも有数の包摂地帯として知られる奥飛騨の生命線とも言える大切な鉄道でした 
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廃線を迎えた田舎町の遊びゴコロの町おこし 
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町のシンボル・地元民のルーツを活かした 
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鉱山の町ならではの「モノづくりの精神」に溢れた鉄工所が設計図を引き、
試行錯誤を繰り返し・・ 
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地域住民の想いと技術が一体となって取り組んだこの「廃線エコプロジェクト
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平成24年度 第11回 日本鉄道賞「蘇ったレール」特別賞 受賞
    スポーツとまちづくり賞 日本商工会議所奨励賞スポーツ振興賞第1回
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平成25年度 第14回 中部の未来創造大賞大賞」受賞
        最優秀賞JTB交流文化賞第9回          
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平成25年度 第31回 地域づくり総務大臣賞」(団体の部)受賞
          飛騨市合併10周年特別功労者表彰               
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車両ラインナップ・ハイブリッド車も多く老若男女が楽しめる様に工夫されている
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注意事項・・基本、雨天でもOK 
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仕組みはとてもシンプルで、地元神岡町で製作されたオリジナルのガイドローラー付きメタルフレームに、2台のマウンテンバイクをがっちり固定されている!

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マウンテンバイクの後輪タイヤが直接レールの上に接地しており、マウンテンバイクのペダルをこぐことで前進、安全かつスムーズにレール上を走行します 
とにかくレールの上を自力でペダルをこいで進むのが楽しいのだ」 

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旧駅舎を利用して30年以上営業している
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炭鉱を走ったディーゼル車
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スーパーカミオカンデSuper-Kamiokande)とは、岐阜県飛騨市神岡町(旧吉城郡)旧神岡鉱山に設置された、東京大学宇宙線研究所が運用する世界最大の
水チェレンコフ宇宙素粒子観測装置 
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カミオカンデと同じ原理
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さてさて・・
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鰤街道の変遷は、興味深いね 
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富山の薬売‥の下りも興味深々 
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白川郷」を抜けて日本海小松まで続く R360
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   14:00  明るいうちに峠を越えよう 

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2016.11.4
飛騨古川の落ち着いた城下町と勇壮な「起こし太鼓」 
 300年以上も続く匠の酒造りなど
  その背景を覗い知る周辺を廻ってみた 

動画編

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特急(ワイドビュー)ひだ」の一往復が当駅で折り返す
また、かつての急行たかやま」の終着駅であった
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映画と同じシーンを撮れるのは9:57-10:01であるといわれている 
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当駅におけるワンシーンの絵柄を使用したコラボTOICA
2017年4月に事前予約限定で発売される予定 
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毎年4月起し太鼓などの古川祭が行われる際には
 夜間に臨時列車が運転される 
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越中東街道(東大路とも言う)
高山
ー上広瀬(今村峠)ー八日町(大坂峠/十三墓峠)ー巣山ー山田ー寺村ー
船津(神岡)ー東漆山ー東茂住ー横山ー荒田口ー東猪谷
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越中西街道(下山中道とも言う
高山ー広瀬ー古川ー野口ー大無雁ー三河原(文道寺峠)ー打保ー杉原ー小豆沢
ー蟹寺ー猪谷

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飛騨ぶりの由来http://n-hata.server-shared.com/spacer.gif
「飛騨ぶり」の呼称は、
遠く富山湾から塩漬けにして飛騨経由信濃に運ばれるのことを称している
その長い道程と越中東街道について
『飛騨ーよみがえる山国の歴史』から、 桐原 健氏の「ブリのくる道」 

一年に一回、年の暮れになると中央アルプスの谷間より
マレビト山苞(ヤマズト)ともいうべき”年取り魚”が入ってきます。
北信サケですが中、南信ブリでそれが飛騨からもたらされてくるので、
『飛騨鰤』といいます。

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司馬遼太郎『街道を行く』(飛騨紀行編)にこんなくだりがある。
「.....私どもは神岡町から道を越中(富山県)の方向にとった。
 この街道は随分古い歴史をもっていて、今も「越中東街道」とよばれている。
  道は渓流に沿って.....」

富山湾氷見で水揚げされたブリは数日(二日半)かけて塩ブリに加工され、
富山経由で神通川に沿って南に向かい高原川との合流点から飛騨に入ります
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高山まで32里"二つの峠"を越します。通しで2泊3日、中継ぎだと7日かかる
http://n-hata.server-shared.com/photo-fur/buriichiba.jpgここからいわゆる飛騨鰤となりボッカ
(歩荷)によってが降っていれば一日
3里、晴れなら 6里の早さで美女峠
野麦峠経由で信州へ送られて行く 


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11:20
途中に「神岡大橋」の🍄バス停が、
  その下には、廃線利用をしたGattenGo!! 
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文禄年間・慶長年間には茂住銀山(のちの茂住坑)最盛期を迎えるが、
江戸幕府が財政難のため、地下資源の開発を命じたことによる。
茂住銀山だけでなく和佐保銀山(のちの栃洞坑)も人口が増加し、
再びこの地の鉱山が活気付いたのである
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1889年(明治22年)には茂住のすべてを手に入れ、これをもって神岡鉱山全山
三井の所有となり神岡鉱山多くの資本を投入して最先端の技術による大規模な
採掘を行うところとなるが、のちにはカドミウム高原川から下流の神通川に流入し、イタイイタイ病を発生させることとなった。
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1983年昭和58年)、鉱山跡地の一つを利用して、カミオカンデというニュートリノ
観測所がつくられた。1996年平成8年)にはスーパーカミオカンデが稼動し、
カミオカンデの跡地にはカムランドがつくられた。
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この「船津座」の名前は、神岡鉱山の最盛期にこの街にあった
 芝居小屋名前に由来しているそうです 
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飛騨の匠の伝統技術を終結した「平成の芝居小屋 船津座」は、
地域の歴史・文化を伝承し、交流、賑わいの中心的役割を担います 
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付近の城址
0.4km 飛騨・八幡山城
0.7km 飛騨・江馬氏下館
1.3km 飛騨・高原諏訪城
1.4km 飛騨・金森左京屋敷
1.8km 飛騨・傘松城
1.9km 飛騨・岩ヶ平城
3.0km 飛騨・洞城
3.3km 飛騨・寺林城
4.5km 飛騨・石神城
5.0km 飛騨・下山田城
5.9km 飛騨・政元城
6.2km 飛騨・政元奥城
6.5km 飛騨・田谷城
7.1km 飛騨・堂殿城
8.1km 飛騨・尻高城
8.6km 飛騨・土城
8.8km 飛騨・下坪谷の狼煙台




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