日記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全28ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

折り返し

東日本大震災の被災地に来て、明日で半年となりました。
あと1日で派遣期間も折り返しとなります。
 
私の担当する業務は公共交通対策ということで、これまで10月1日の町民バスの路線改正に向けて準備を進めてきました。
東日本大震災前は、JRが町内を縦断し、中心都市へのアクセス手段として通勤・通学などに大きな役割をはたしていましたが、震災の津波被害により不通となっています。
特に通学への影響は大きく人口の流出につながっているところです。
4月からは隣町にあるJR駅への直行バスを運行させ、その後、調査事業(乗降者数調査、バス利用者へのアンケート、全世帯アンケートなど)、公共交通会議による新路線、時刻表の検討、車両購入などを進めてきました。
新しい職場ということもあり、慣れないことも多々ありましたが、地元職員の方に非常に助けていただき、何とかひとまずの目標を達成することができました。
 
この半年間、外的環境も大きく変わりました。
JRが同じく不通となっている隣町の駅に来春から部分復旧させることが7月に、そして、町内の駅の復旧までは約5年かかるということが昨日新聞報道されました。
3月からは新市街地に災害復興住宅が建ち、入居が始まっていく見込みです。

下半期は復興まで、そして復興後を見据えた中長期計画を作ると同時に、来春のJRの部分復旧や彩が復興住宅の建設に合わせた路線の改正を検討したいと考えています。
色んな方法、可能性が考えられますが、住民の皆さんに安心していただけるような交通網を形成できるよう努めたいと思います。
 
いずれにせよ、半年後に「あの時もっと頑張っておけばよかった」と後悔することのないよう、精一杯頑張っていきたいと思います。

GWもあと一日

今日、宮城県へ帰ってきました。
長期派遣職員は1日と2日を優先的に休ませていただけるという職場の厚意に甘えて兵庫県の実家へ帰省していました。

実家にいる間、派遣元の職場(去年の部署と総務課)への挨拶まわりや餞別を下さった方へお土産を届けたり、金融機関の手続きなどを済ませて後はのんびり・・・するつもりだったのですが・・・。
ひょんなことから、お見合い・・・みたいなものにも行きました。
挨拶に廻った一人がセッティングをされ、前の日の夜に「明日出会ってもらうことになったから」と電話がかかってくるという急展開。
宮城県(仙台空港)に車を置きっぱなしで足がないため、送迎までしてもらってという至れり尽くせりぶり。
 
なんか、自分の知らない所で色々と動いているみたいな感じです。
出発前に新聞に載ったりとか町の広報に載ったりとかもあったりして。
 
挨拶まわりに行った先の何か所かで「帰る時は2人で帰ってこいよ」とか「誰かいい人連れて帰ってくるんちゃうか」っていうプレッシャーもあり。
そもそも壮行会でうちの社長もそういうことを言ってたし・・・。
いやいや、私は仕事をしに来てるんですって・・・。
 
とりあえず、明日、こっちで休んで月曜から仕事ですが、
これほど終わるのが楽しみな連休は生まれて初めてです。
 
相変わらず無駄にグダグダな長文でした。

宮城県にいます

関西を離れて、宮城県にいます。
仕事や生活で戸惑いながらも何とかやっています。

本音は

家族が僕の東北派遣の壮行会と称して、というか、それにかこつけて、今日の夕食はちょっとしたご馳走だった。
(よそから見たら「ご馳走」じゃないかもしれないけど、うちではお盆、正月のお客さん用レベル・・・。)
 
これまで家族は僕に気を遣わせないよう努めて明るく振る舞ってくれていてくれたが本音はちがう。
「他の人に代わってもらわれへんの?」
「上司には親は望んでないって言うたん?」
 
僕がいない所で、
「これやったら夏に志願せえへんかったらよかったのに。」
 
そりゃそうだ。
この派遣が理由でもうすぐ婚約って所で話が立ち消えてしまったから。
これまで待ちに待って楽しみにしてたのに。
 
ごめんよ、親不孝者で。
いよいよ、私たちの被災地への派遣が新聞報道されるようです。
今晩、地元紙のHPに記事が掲載されました。
 
個人名は出ませんでしたが、われわれの町から1名宮城県某町へ1年間派遣されることが出ました。
 
人事担当課に派遣そのもの、派遣方法の再考のため1週間の時間をいただいていましたが、奇しくも、今朝、予定通り1年の派遣としていただくことを改めて回答していました。
この日曜日には約半年間お付き合いいただいた彼女と最後の話し合いの場を設け、「やはり1年は待てない」との結論で、お別れすることとなりました。
苦渋の選択でした。
 
私が就く業務は、被災地から求められている条件は「主査以上、1年間、できれば平成23年度中から」。
・本当の所は管理職がほしいが無理は言えない。
・少しでも早く来てほしい。
と言ったところだと思います。
 
私が行政の道を選んだのは、この国が私が死ぬ時には私が生まれた時よりもよくなっていればいいと思う青くて漠然とした思いから。
この国難に向かって自分自身が何かをできる機会が与えられたならそれにぶつかっていくしかないと考えました。
そして、阪神大震災の時は何もできなかった、しなかった。
兵庫県内にある自治体職員としてこの16年間復興する神戸とともに仕事をさせていただきました。
自分自身の「幸せ」よりも大切な「信念」のため。
(もちろん、そのために自分以外の誰かを傷つけてしまったこと・・・それがすごくすごく苦しくてつらいのだけれども。)
せめてもの恩返しのため。
 
もう後戻りはできません。
私の力でどれだけのことができるかも分かりません。
 
この1年間、後から振り返って、「もっと頑張っておけばよかった」とは思いたくない。
まずは被災地の人たちの声をしっかりと受け止めたい。
そして、思いっきり悩んで、考えて、考え抜いて、行動したい。
 
短期戦だった去年の夏とは違い、次は長期戦。
どうかこれから先の1年間、体を壊さずに戦いきれますように。
 

全28ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
うらめし山
うらめし山
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事