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広島へ行った時に、『平和記念公園内』にある『平和記念資料館』も観てきました。 資料館には、被爆当時の人々の遺品、焼けた皮膚、髪、被爆後の街の写真、 被爆者の当時の出来事を描いた絵など、原爆の悲惨さに胸が痛くなりました。 アメリカは1942年8月、『マンハッタン計画』と名付けられた極秘の原爆製造計画に着手しました。 原爆は日本への使用が検討され、投下目標は都市の規模などの基準に沿って選ばれました。 アメリカは原爆投下により戦争終結させられればなどの考えで、 1945年8月6日、広島に世界で初めて原爆が投下されました。 現在の相生橋 現在は病院が建ってます。 当時は『広島県物産陳列館』でした。瓦礫の街となった中、爆風の影響で残った建物です ○被爆された方の絵のコメントから 熱波で暑い中、助けを求めても、皆が自分の事でいっぱいでした。 そんな中、自分の子供だけでもと助けを求める母親、 自分の生徒を守るために一生懸命になってる学校の先生もいました。 ○被爆後の街を撮影したカメラマンのコメントから あまりにも悲惨な状況なので、街を見て20分はシャッターを押す事が出来ませんでした。 そして、シャッターを押していくうちに、涙でファインダーが曇ってしまいました。 ○被爆された母親から生まれてきた少女も若くして白血病で苦しみ亡くなりました。 原子爆弾は広島・長崎に以来、投下された街はありませんが、 今現在、核兵器を保有してる国、又は保有しようとしてる国がいくつかあります。 その核兵器は、当時投下された原爆以上の威力があると思います。 もし、その核兵器が、どこかの街へ投下されたら・・・。 当時の広島、長崎以上の悲惨な状況になるでしょう。 全世界で核兵器が無くなってくれれば。 そして、平和であり続ければと思いました。
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