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「■8.天皇は専制権力を持たなかった■ たとえば、憲法第5条の「天皇は帝国議会の協賛を以て立法 権を行う」、第6条の「天皇は法律を裁可し其の公布及び執行 を命ず」は、議会が議決した法案は、天皇の裁可によって公 布・執行に移されるが、天皇が議会の同意なく勝手に法律を公 布する事も、さらに議会が議決した法律を裁可しないことすら、 憲法違反であると考えられていた。 行政面でも、第55条(1)「国務各大臣は天皇を補弼して其 の責に任ず」とあるが、そのすぐ後に(2)「凡(すべ)て法律 勅令其の他国務に関る詔勅は国務大臣の副書を要す」と続く。 国務大臣の同意ないままに、天皇が勅令を発することはできな いのである。 天皇はあくまで「国民の安寧を追求する」という国家理念の 体現者であり、天皇が独裁的に立法や行政を行って、失政の責 任を追求されるという事態は注意深く避けるように政治システ ムが作られた。第3条の「天皇は神聖にして犯すべからず」と は、天皇は神聖な理念の体現者として、現実の政治には関わら ないので、政治的責任は追及できない、という事である。 たとえば明治天皇は日清戦争に賛成されず、開戦時には「閣 臣らの戦争にして、朕の戦争にあらず」と言われた[2,p332]。 開戦という国家最重要事ですら、内閣独自の意思決定によって 行われたのである。明治憲法は天皇主権で、天皇が絶対的な専 制権力を持っていたかのような言説があるが、それが誤りであ ることは、この事実だけで明らかであろう。 ■1.欧米で高く評価された明治憲法■ 明治22(1889)年2月11日、紀元節を期して、大日本帝国 憲法(明治憲法)が発布されると、明治政府は早速その英訳を 欧米の著名な政治家や学者に見せて意見を聴取した。その評価 は極めて高いものだった。社会進化論学者として当時の日本に も広く名を知られていたイギリスのハーバード・スペンサーは 次のように語った。 日本の憲法は日本古来の歴史習慣を本とし、漸進保守の 主義をもって起草されたりと。然からばすなわちこの憲法 は余の最も賛成する所なり。 アメリカの連邦最高裁判官オリヴァー・ウェンデル・ホーム ズは、いくつかの具体的な点を評価しながら、最も感心した点 として、 この憲法につき、予が最も喜ぶ所のものは、日本古来の 根本、古来の歴史・制度・習慣に基づき、しかしてこれを 修飾するに欧米の憲法学の論理を適応せられたるにあり。 19世紀ヨーロッパにおける政治・社会学の権威、ウィーン 大学のローレンツ・フォン・シュタイン教授は、日本の憲法は ヨーロッパの憲法と比べても大変出来がよいが、憲法はその国 の歴史の産物であり、さらに憲法発達の歴史を編纂して示すこ とが急務であると助言した。 これらの評価に共通しているのは、明治憲法が単なる欧米の
憲法の引き写しでなく、日本の歴史・伝統に根ざしつつ、「欧 米の憲法学の論理」を適用した、まさに「和魂洋才」の産物で あったという点にある。」 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog242.html |

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