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私は進行性筋ジストロフィー(筋ジス)という、
筋肉が萎縮していく、遺伝性の障がいを持っています。
有効な治療法はなく、進行を遅らせることしかできません。
筋ジスは、様々なタイプに分かれているのですが、
私の場合は、デュシェンヌ型という重度のタイプでした。
今は指先しか動かず、入浴以外は呼吸器を装着しています。
私はベストセラー作家を目指して執筆をしながら、
ボッチャという競技で、パラリンピックを目指しています。
可能性が0%でも、自分で1%をつくって叶えてみせます。
障がいの進行とともに苦しいことも増えていきますが、
どんな困難にも負けず、泥中之蓮で生き抜いてみせます。
世の中の汚れに染まらないで清く生きる、という意味です。
1歳半のとき、風邪のため血液検査を受けたところ、
私が障がいを持っていることが分かりました。
転倒が多いので、親は病気かと心配していました。
成長が遅くても歩けるようになって、
保育園を卒園して、普通小学校に入学しました。
ですが次第に歩行が難しくなって、小3で転校しました。
養護学校へ転校すると、歩行から車椅子になりました。
小5になると、筋力の低下で電動車椅子に変わりました。
おかげで、行動範囲が広がって移動も速くなりました。
スラローム・車椅子サッカー・風船バレーに熱中しました。
小6になると、先生の薦めで小学部代表を務めました。
中学部に進級すると、ゲームデザイナーを志しました。
中2でボッチャというスポーツに出会って、熱中しました。
自分の病を知り、 足の麻痺・側湾・便秘に苦しみました。
側湾とは、背骨が曲がってしまうという意味です。
高等部へ進学すると、勉強やテストに熱中しました。
高1のとき、呼吸不全で倒れて生死をさまよいました。
私は奇跡的に生還して、呼吸器を使い始めました。
1ヵ月もの入院を通して、ベストセラー作家を志しました。
高2と高3の2年間は、児童生徒会長を務めました。
養護学校を卒業すると、
障がい者が働く作業所に勤め始めました。
はがきのデザイン、文書を作成する仕事をしています。
デイサービスやショートステイの利用も始めました。
障がいによって自由を奪われて、
生きる意志を失くしたこともありましたが、
家族や周りの人のおかげで乗り越えられました。
障がいは、困難を生き抜く力をくれました。
障がいは、生きる尊さを教えてくれました。
私には今、2つの夢があります。
それは、ベストセラー作家になることです。
家族を支えて、読者に生きる力を与えたいからです。
ベストセラー作家になるべく、文学賞に挑戦しています。
それから私は、スポーツに熱中しています。
それは、障がい者スポーツの「ボッチャ」です。
的球へボールをいかに近づけるかを競います。
障がいにより、介助者や傾斜台(ランプ)を使えます。
ボッチャは、パラリンピックの正式種目です。
テレビで試合を見たときに、ボッチャをしたくなりました。
夢は、パラリンピックで金メダルを獲ることです。
可能性が0%でも、自分で1%をつくって叶えてみせます。
ボッチャ http://www.boccia.gr.jp/whats-boccia.html
障がいの進行とともに苦しいことも増えますが、
どんな困難にも負けず、泥中之蓮で生き抜いてみせます。
世の中の汚れに染まらないで清く生きる、という意味です。
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