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今現在は・・・
私は、中学3年、高校1・2・3年の4年間を海外で過ごしました。 そのうち3年3ヶ月は、父親の勤務地である、エジプトのカイロで過ごしました。 カイロのイングリッシュ・スクールに入学し、3年間全寮制のこの学校で多感な少年時代を送ったのです。この学校には、英国人を中心に22カ国の国々から生徒が集まって、米国の子供もおりましたし、エジプトをはじめ中近東のあらゆる国々からも優秀な子供たちが送り込まれておりました。 その様な環境の中で、私は初めて日本人であると言うことを自覚せざるをえなかったのです。日本が戦争に負けて、三流国の扱いをされていた頃ですから、私は敗戦国の国民の一人として扱われていました。 その時、私は思ったのです。ひとつは、勉強では絶対によその国の生徒に負けないようにしよう。それから将来は、日本を一流の国にして、世界から尊重・尊敬される国にしなければならないということです。 現在の日本は、戦後の先輩たちの涙の出るような努力の結果出来上がったのだと思います。今の若い人たちは、豊かさというものを当たり前のこととして受け止めております。他の国と違って、日本は努力しなければ、豊かさを維持できないという国だと言うことを忘れてはいけないと思います。 また、政治・経済・文化の面でも、世界の国々から尊敬される国々にならなければならないと思っています。どの面をとっても一流といわれたいものです。日本の豊かさを維持し、また世界からは、日本の国柄に尊敬の眼差しをむけられる国にすることが政治の責任であると思います。エジプトでの生活、外国人との交わり、それが私の政治生活の原点であると思っています。 >>>与謝野氏34歳の頃
晩秋
路は一すぢ、竝木路、 赤い入日が 斜 《 はす 》 に射し、 点、点、点、点、朱の斑…… 櫻のもみぢ、柿もみぢ、 点描派 《 ポアンチユリスト 》 の繪が燃える。 路は一すぢ、さんらんと 彩色硝子に照された 廊を踏むよな酔ごヽち、 そして 心 《 しん 》 からしみじみと 涙ぐましい氣にもなる。 路は一すぢ、ひとり行く わたしのためにあの空も 心中立 《 しんじゆうだて 》 に毒を飲み、 臨終 《 いまは 》 のきはにさし伸べる 赤い入日の唇か。 路は一すぢ、この先に サツフオオの住む家があろ。 其處には雪が降つて居よ。 出て行《 ゆ 》ことして今一度 泣くサツフオが目に見える。 路は一すぢ、秋の路、 物の盛りの盡きる路、 おヽ美しや、急ぐまい、 点、点、点、点、しばらくは わたしの髪も朱の斑…… by与謝野晶子
やがて冬が来ますが、春の来ない冬はありません。
今年はいつになく寒さが長引きましたね☆ 与謝野氏はリベラルのように誤解されている方も多いかも知れませんが、34歳の頃の理念は日本人というものをどのような方向性に導こうとしているか、自身の経験からの立ち位置はコンサバな政治家と見受けられます。 反民主党で財政再建に向けて頑張って下さい。
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