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「コペルニクス的ばか者!」とは、なんでも相手を一喝する時に、使う言葉とのこと。横浜市長がヒューザーの社長を一喝する時などに使って、有名になっているようなんです。分かったような分からないような言い回しながら、なんか自分を優位に立たせて、相手の人格を否定し、馬鹿にしているというニュアンスは、伝わってくる気がします。
この市長さん、そういうタイプの人なんでしょうね。。。ちょっとした「悪るい人」を見つけると、正義の味方として、徹底的に懲らしめようと、相手の全人格を否定し、馬鹿者呼ばわりする。そういうスタイルが斬新で分かりやすいと人々に受け入れられているのでしょうが、猪突猛進タイプで一歩間違うと怖いことになりそうな気がします。
ところで、コペルニクス的ばか者って、どんな意味なんでしょうか。。。カントの「コペルニクス的転回」は、天動説を唱えたコペルニクスの業績をふまえた言葉であり、コペルニクス的って、肯定的に使うものだと思われます。
デンマークの風刺画をめぐって、イスラム教徒が抗議行動を繰り広げていますが、コペルニクスの時代に天動説を唱える事は、まさに、こういう抗議を受ける可能性があることで、それゆえ、コペルニクスは自説の公表を生前は控えていたのでしょうが、人々が信じている「真実」に異議を唱える事は、本当に難しいものだと思われます。
天動説にしろ、宗教への風刺にしろ、言論というのは、非常に危険なものだと改めて認識させられています。自分が真実だと思うことを公表すれば、地動説を教義としている教会や、それを支持する人々からの反感を買い、命まで奪われるかもしれない・・・このことは、遠い西洋社会の出来事であるだけでなく、まさに、現代社会においても起こりうることなのです。かつて、「悪魔の詩」が出版された時、イランのホメニイ師は、死刑宣告を全世界に向けて発し、懸賞金までつけられ、日本語訳を出版した大学教授は、筑波の研究室で、何者かに咽を切られて殺されたという事件があったことが思い返されます。
今、まさに、ここで欠如しているのは、寛容の精神なんですが、そんな寛容の精神を認めない人々が、世界には多く存在し、日本においても、さまざまな局面で見られることで、その最たるものが、マスコミの論調であったり、たとえば、「コペルニクス的ばか者」呼ばわりする横浜の市長であったりするように思われます。
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