環境保護は、現代の宗教である。科学的に証明されていない教義を多くの人々が信じ、それを道徳的なこととして他人に押しつける。特にたちが悪いのは、これが「国定宗教」とされ、政府が経済活動を統制する根拠に使われることだ。それを布教するのは、政府に保護されているマスメディアである。彼らは科学的根拠のないリスクを針小棒大に騒ぎ、それが嘘であると判明しても訂正しない。そのために膨大な税金が浪費され、多くの人が必要のないコストを負担する結果になる。環境省にとって不都合な真実/池田信夫 blog 地球温暖化問題の議論が盛んになってきていますが、私も、この議論はどうも胡散臭いという思いが捨てきれないでいたのですが、このブログを読むと、なんだか、目から鱗という思いがしています。テレビや新聞の報道は、果たして、正しいものなのか、どこか、大本営発表、環境教という国定宗教ではないのかという思いがしていたのでした。 「日本は遅れている」「欧米では**だ」というのが、戦後の左翼(および近代主義者)のマントラだった。そういう「他民族中心主義」の幻想は、あらかた崩れてしまったが、いまだに残っている最後の砦が歴史認識と地球環境だ。前者が「アジアへの加害者責任」として生き延びている経緯については4/3の記事に書いたが、後者はもう少しわかりにくい。 きょうのNHKの「ニュース9」で、IPCCの第4次報告書に関連して「温暖化の危機はすでに始まっている」として、オーストラリアの旱魃を紹介していたが、これは間違いである。IPCCの報告でも、温暖化の影響が出てくるのは2050年以降であって、現在の異常気象の原因が温暖化だという科学的根拠はない。しかしキャスターは「温暖化対策は待ったなしだ」としめくくっていた。 地球環境問題は、アル・ゴアに代表されるリベラル派の世界的な結集点になっている。市場にまかせていてはだめで規制が必要だ、という社会主義的な主張はほとんど相手にされなくなったが、この分野だけは規制強化論が勝利を収めているようにみえるからだ。社会主義で運営されているNHKが統制経済を主張するのは、わからなくもない。 しかし、これは経済学的にはナンセンスである。京都議定書の想定する温暖化ガスの排出権取引にともなって行なわれる排出権の割当は、地球規模の配給制度を作り出し、その効果よりもはるかに大きな経済的損失をもたらす。かりに温暖化の影響がIPCCの予想どおり起こるとしても、ピグー税のような市場ベースの対策が望ましい。統制経済の失敗は、社会主義でたくさんだ。左翼の最後の砦/池田信夫 blog 実験室内で実験を行えば、たしかに、二酸化炭素による温暖化効果は証明されるのでしょうが、地球環境は複雑であり、温暖化と寒冷化の振幅の中で、一概に温暖化に向かっているとは言えず、また、その温暖化が悪であるとは言えないのではないかという思いが、漠然としていました。20年ほど前、氷河期との関連で地球の寒冷化が話題になっていた記憶が蘇ってきたのですが、報道の視点というのは、どうして、こうも一面的で、一方向なのかと、不思議な気がしていました。 果たして、自然科学的に、地球温暖化が正しいものかという検証と、地球温暖化が、政治的・社会的な問題として、取り上げられ、それが、どのような政治的・社会的な問題としての意味を持っているのかと言うことを両面から、検証する必要があると思われます。自分自身の素朴な自然観との齟齬、そして、それが、政治問題、社会問題として、われわれの生活に影響を当たる場面での違和感、そういったものを大切にすることが大事なのではないかと思えてなりません。 人間による環境破壊は、たしかに問題があるのでしょうが、その問題を、針小棒大化し、絶対的な政治問題・社会問題に仕立てることは、やはり、間違っているのではないかと言うのが私の思いです。いい事であれ、悪いことであれ、人間が自然をコントロールしていこう発想は、どこか、西洋人の発想、それも、社会主義的な発想と根が同じではないかという気がします。いかに統制しようとも、自然はもっと偉大である・・・このことがどこまで自然科学的に正しいのかどうかは、わかりませんが、地球の温度の変化を、もっと長い目で見れば、真実が見えてくるような気がしています。 ところで、先の統一地方選挙では、東京都知事選に立候補した外山恒一という人について、なんだか、すごいインパクトを感じています。もともと、泡沫候補に親近感を持ち私なのですが、すべてをぶっ潰せ!と叫ぶ氏の姿に、どこか興味を感じたのでした。本当に、潰されると困ったもんであり、「私が都知事に当選したら、やつらはビビル、私もビビル」と言っていたように、私もビビッてしまうのですが、そういう心配は杞憂に終わったようです。。。スクラップ&スクラップ。多数決で決めれば、多数派が勝つに決まっている・・・。名言多数、どこか、お茶目で、面白い感じもします。。。 最後に、もう一度、地球温暖化問題における好都合な真実について、まとめておきますと、まず第一に、地球は、長いスパンで見ると、温暖化と寒冷化を繰り返し、現在問題にされている温暖化ガスによる温暖化問題は、非常に軽微なものである可能性が高いということです。以下、リンク先のホームページより、図表を転載させて頂きますが、これは、少し考えば、誰もがわかる事実でありながら、温暖化問題を語る時は、なぜか忘却している事実であるような気がします。また、二酸化炭素などの温暖化ガスによる温暖化よりも、太陽活動の振幅による温暖化、もしくは寒冷化、火山活動による空中の塵埃によって引き起こされる寒冷化など、その他、様々な要因が複雑に絡み合って、人間が温暖化が促進している可能性を過大視する必要はないように思われます。 さらに、かりに、地球が温暖化して、北極の氷が溶けたからといって、それが海面の上昇につながるともいえず、仮に海面が上昇したとしても、それは地球の長い歴史の中では、繰り返されてきた範囲内の出来事であるといえます。それにより、現在、海面ぎりぎりの平地が水没したとしても、地球の歴史は、そういうことの繰り返しであったともいえます。 地球温暖化に関するひと味ちがうリンク集 なぜ、地球温暖化問題がこんなに盛んに唱えられるようになったのかは、純粋な自然科学の問題であるというより、政治的・社会的問題であると言えますが、欧州の社民勢力の策動である側面もあれば、環境ビジネスで一儲けしようとしている様々な勢力による側面もあるように思われます。最近、復活が期待されている原子力産業にとっても、地球温暖化問題は追い風であり、地球環境のため、海面上昇によって沈んでしまうかもしれない南の島のためとかいうことは、あくまでも、多数派世論を形成するための建前で、本音は別物であろう事は、肝に銘じておく必要があるように思われます。相場観と同じで、私にとっては、大雑把な推測の域でしかないものもありますが、専門家による検証を詳細に読み込むことによって、実証される問題であると思われます。 さて、地球温暖化問題における好都合な真実と、外山恒一氏の関係なんですが、外山氏の言う「スクラップ&スクラップ!」。「いま進められている様々な改革は、どうせ全部すべて奴ら多数派のための改革じゃないか!」「我々少数派はそんなものに期待しないし、もちろん協力もしない!」というあたりなんです。ぶっ潰せと、叫ぶまでもなく、「みんなが言ってるから正しいこと」なんて、時とともに、自然に正しくないことが露呈してくるでしょうから、「みんなと一緒」、多数を気取っている人たちを、高みから、見物するというのがおもしろいのではないかとい気がしています。これぞ、まさしく、逆張り投資家の視点であり、投資というのは、こんな視点からも成功する可能性があるのではないかと思っています。。。(4/14追記)
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2007年04月12日
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