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ジャーナリスト月崎時央が仕事のことや日々の出来事などを書いていきます

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昨日は仕事の関係で、聖路加病院の日野原重明先生が理事長をしているライフ・プランニング・センターの財団設立記念講演会に行き(財)日本対がん協会会長・国立がんセンター名誉総長、垣添忠生先生の「再び歩み始める時期」という講演を聞いた。(イメージ 2右の写真は本にサインする垣添先生)
 
 垣添先生は、20代の研修医時代に、12歳年上の奥様と熱烈な恋愛の末結婚し、子どもはいないとても仲のよいご夫婦だったそうだ。
 
講演の内容は、2007年その奥様をがんで亡くされた闘病の記録と、奥様をなくされた後、悲嘆にくれ自死まで考えたという垣添先生が再び活動を始めるまでの物語だ。
 
ご夫婦の愛情の深さや、がんという病気の思うに任せない病状を、淡々とした科学者らしい語り口でお話する姿がとても印象的だった。
 
 特に最期の4日間を、奥様の希望通り、在宅で過ごさせてあげたいと家に連れ帰って、すべての医療的、看護的、介護的ケアを、垣添先生自身が一人で行ない、妻と二人ですごし、その死の瞬間を看取ったという。
 
 医師だから、それが可能だったのかな?と漠然と聞いていたが、それだけではないことがわかった。
先生はもともと泌尿器科出身の外科医であったし、当時はもう現場からは離れていて、最新の医療器具の使い方にも不慣れだったし、介護などの技術はもともともって居なくて当然だろう。
 
 しかし垣添先生は、奥さんのケアに必要な全ての最新の実務をそれぞれの専門家から詳しくレクチャーしてもらい、それをマスターし、医療器具は病院から借り、他人をほとんど入れずに自分だけですべてを行なったという。
 
 そして奥様は本当の最期に一瞬だけよみがえり、夫である先生の手をぎゅっと握って旅立っていかれたそうだ。
 
つまりすべては、垣添先生個人がかなり強固な意志で選択し、技術をマスターするために努力し、全てを周到に整えた結果なのだと聴いているうちに分かった。
 
「すごい人!」と思うと同時に、家で人が亡くなるということが今は本当に特別で、大変なことなんだと知って愕然とした。
 
 実は1年前、同居していた義理の父が入院先の病院で亡くなった。老人専門病院に入院していて、2日前にはちゃんと意識があった義父だったが、朝になったら、息を引き取っていたという連絡が病院からあった。孤独な旅立ちだったと思う。
 
その時には「せめて最期だけでも家で過ごさせてあげたかったね」と軽々しく口にしていた私だが、自分の軽率さを今日思い知った。知識を持った医師でも大変なことを、そんなに簡単に普通の家族ができるようなことではないのだ。
 
 国立がんセンターの名誉総長という、医療の中心みたいなところに居る医師で、決断力と行動力と妻への愛があって、手先が器用でそして多分お金もあって…そんな恵まれた環境にいる人でも、たった一人の大切な家族を自宅で看取ることがそんなに難しいって…なんだか不思議でもあり、理不尽な気がする。
 
私は、今は、病院で孤独に死ぬのでもいい!って思うけれど、そのときになったら家に帰りたいって誰でも強く思うのだろうか。
 
 垣添先生は、奥様を亡くされた100日ぐらいの間悲嘆にくれて過ごしていたが、3ヶ月ごとを節目に少しずつ回復したという。そのプロセスを話してくださり、今はとてもお元気そうな様子だった。
 
 先生は、今後は グリーフケアといって、死別などによって愛する人を失うことによって生じる大きな悲しみである「悲嘆(GRIEF)」をケアすることや、在宅で、人生の最期を迎えることをテーマにした医療を考えていくと話していた。
 
 グリーフケアの考え方は東日本大震災の被災者の方にも提供したいと先生は語っていた。
 
私にとっては、グリーフケアという言葉を体験者自身から聞いたことが初めての経験だったこともあったし、在宅医療のこれからを考える意味でも、とても印象に残る講演となった。
 
講演の内容をもう詳しく書いた著書もあります。
『妻を看取る日』 垣添忠生著 新潮社イメージ 1
グリーフケア
 
 

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