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列福式:188殉教者、あす 全国から2万7000人参列へ長崎 江戸時代初期のキリスト教徒迫害で死亡した日本人殉教者188人を、ローマ法王が「福者」に列する「列福式」が24日、長崎市の県営野球場で開かれる。日本人の列福は27年ぶりで、列福式が日本で行われるのは初。全国から約2万7000人が参列する予定だ。 列福されるのは、国東半島(大分県)出身で、日本人で初めてエルサレムを巡礼したペトロ・カスイ岐部(1587〜1639年)▽天正遣欧少年使節の一人、ジュリアン中浦(1568?〜1633年)▽毛利輝元の家臣で萩城下(山口県萩市)で殉教した熊谷元直(?〜1605年)ら。5人の司祭・修道士以外は一般信徒で、女性62人、8歳までの子供22人も含む。 式は24日正午開始。前列聖省長官として今回の列福に貢献したホセ・サライバ・マルティンス枢機卿がローマ法王代理で出席する。サライバ枢機卿は23日には殉教者が拷問(ごうもん)され落命した雲仙地獄(雲仙市)を、24日は爆心地公園(長崎市)を訪問する。【錦織祐一】 〔長崎版〕 毎日新聞 2008年11月23日 地方版 論評: 私は生まれも育ちも長崎で学校の行き帰りでは教会の鐘の音で時刻を確認する慣わしだった。とはいえ、私はカトリックの信者ではない、生まれつき頭の上に坊主も神父も宣教師も戴くのが大嫌いでどちらかというと宗教には不信感を持つ人間である。13歳の中学1年生の時に父を癌で失くした、結婚していた一番上の姉がブラジル移住をするので私に来ないかと誘われた。私は二つ返事で承知した。 地球の裏側まで40日間の船旅でブラジルに到着、そこは国民の90%以上がカトリックの信じられないような場所だった。長崎とブラジルは不思議な縁がある、日本に最初に到着した南蛮船はポルトガルのもので長崎でザビエル神父が学校を設立している。そしてブラジルはポルトガルの植民地だった場所である。この奇妙な符号で数々の疑問が一気に解けた、日本に定着した多数の南蛮渡来の言葉、たとえば長崎の言葉でコンペイトウがある、これはポルトガル語のCONFEITARIAが変化したもの。 それからカステラもある(bolo de castilha)、長崎では凧揚げにガラスの粉を使用するがビードロという名前で呼ばれている(po de vidro)。カボチャをボーブラと呼ぶ(abobra)、木こりが使用する半ズボンをカルソンというがこれもポルトガル語である。大阪の有名なバッテラ寿司これはボートの意味のポルトガル語、コップもパンも元をただせばポルトガル語で500年間生き続けてきた。 西洋と日本の接点は長崎で始まりやがて全国に普及していった、日本で使用する言葉の中にその面影が見て取れて懐かしくなる。 25歳で日本に帰国、でもどういうわけか女性にはまったく縁がなかった。毎日飲んだくれて歩いていた、帰国して妻と出会うまでに20年もかかった、これは妻の策略ではないかと今でも疑っている。まず妻の話から聞いて欲しい、妻はブラジルの女で結婚しないで2人の子供がいた、世にいうシングルマザーである。ある日のことブラジルの霊媒師のカンドンブレ(ブードゥー教)に自分の人生を見立てて貰ったとこころ、あなたの旦那はブラジルにはいないとの答え。それから妻は夢を見て確かに私が夢の中に現れた間違いないと言う。ここらあたりから何やらブードゥー教の儀式の中に私は取り込まれて気味が悪い。 妻は日本のレストランで調理士を探しているという広告を探し出した、それで探し主と直接国際電話で話して了解を取り来日している。それレストランは私の行きつけの場所でオーナーとは懇意だった、こうして彼女は私の妻になったが、話を聞けば聞くほど釈然とはしなかった。それで20年も待たされたわけか、妻は私を探しに来日したというがにわかには信じられない、子供2人の父親に自動的になるなんてもっと信じられない。 娘とゴチャゴチャあって結婚3年後に娘は来日した、身長170センチ以上見上げるような女である。まだ新婚気分なのに19歳の娘ができた、イトーヨーカドーに出かけて娘の買い物のお供、私が尻込みすると妻が厳しい顔で前にに押し出した。女性の下着売り場で娘はショーツを手に取り広げて見せて私にどう?と聞く、女性店員がクスクス笑っていた、私は場違いの場所で大慌てで逃げ出すきっかけを探した。
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2008年11月23日
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