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板垣征四郎、東条英機が、日本政府の不拡大方針に逆らって、関東軍を動かして中国で戦線を拡大して勝手な行動できたのはなぜか。日本政府が予算を付けなければ、彼らは行動ができないはず。暴走の裏に阿片があったということを「兵士の戦争、NHK証言シリーズ」で紹介していた。二人とも、A級戦犯で絞首刑、靖国神社に合祀。問題の人物である。 満州国という独立国は、日本からは心のトゲのように語られるが、若い人には「満州国って何?」と思われるくらいの存在だろう。満州の位置は北朝鮮の更に北にある中国大地だ。 次に、「関東軍って何?」関東軍:日露戦争後にロシアから獲得した(遼東半島=関東州)租借地と南満州鉄道(満鉄)の守備をする関東都督府陸軍部が前身。1919年改組後は、関東軍として独立。当初は独立守備隊6個大隊と2年交代で内地から派遣される1個師団の編成。と説明しても、それで?と言われるかもしれない。そこで関東軍を勝手に動かして、中国で戦線拡大した、板垣征四郎、東条英機がいた、といってもよくわからないかもしれない。彼らの行動を通して、戦争が起こる原因を追究してみたい。 勝手に出先の関東軍が、日本政府の言うことを聞かないで軍を動かすことができるだろうか、その疑問を解いたのが、NHKの調査報告「日本軍と阿片」だった。勝手に出先の関東軍が、日本政府の言うことを聞かないで軍を動かすことができるだろうか、その疑問を解いたのが、NHKの調査報告「日本軍と阿片」だった。 日本軍は軍隊内で通用する「軍票」がある。しかし、中国内では誰もこの軍票を価値ある貨幣だとは思っていないので、殆ど使えない。軍の権力で通用させて、多くの中国人はこの軍票を持っていて、これを買い取ってほしい、という。現金として物を買って払ったのが軍票なら、それが単に紙切れ・・・となれば、当然中国人は怒るだろう。未だに戦後処理が行われていない、軍の犯罪である。 昭和12年、盧溝橋事件以後、戦線拡大で日本軍は中国内で占領地に傀儡政府を作っては我が物顔をして、中国国土をほしいままに使っていた。清朝が倒れていない、国民政府ができる前の中国は、国自体が疲弊して、押せば今にも倒れそうな状態で、香港、マカオとか、99年単位でイギリスやフランスに立地のいい場所を租借された。99年たって、ようやく香港は中国に戻ってきた。戦前の中国は、西欧列強に食い荒らされた場所だった。 日本政府は、「戦線を拡大する意思はない」不拡大の意思を明言したにも係わらず、関東軍、板垣征四郎辺りの強硬派がどんどん中国内部へ領土拡大していった。そのさい、内地政府から予算が付かないのは当然である。機密費が必要だから、ということで、関東軍の知恵者が阿片に目をつけた。戦時中、日本の戦費は年間予算の70%を越す。そんな状態で戦線を拡大した分に予算が付けられるはずがない。 そこで、阿片を現金代わりに使うのが当然のようになっていた。特務班を中心に、中国人をスパイに仕立てて、敵情を探らせていたが、お金の代わりに阿片を持たせたという。特務班の班長だった人が、阿片はこのくらいだと見せてくれたのはアメの包みだった。これが10粒で、一ケ月の給料くらいした、という。一粒が1万数千円の価値がある、ということだ。軍票をもらうより、ありがたいことになる。
証言している特務隊の班長だった人は、官給品の阿片を10粒、県庁でもらい、それを資金として活動をするのだという。ポケットにそれを入れて、阿片窟へ行って阿片の暗号で小指を立てて「いりませんか。要不要ヨウプヨウ」と取引するのだと説明した。
阿片はケシの実を傷つけて、そこから出る汁を削り取って貯めると阿片の元になる。そんな説明はあまりよろしくないが、それを軍が目つけた。日本軍は金欠でお金がないから、それで阿片栽培して、それを精製して、機密費にしたり、軍費にしていた。阿片争奪戦(第80話)に詳しい。歴史研究家:岡崎溪子これ阿片の害は、人間を破壊する。ヨーロッパ列強が中国で、阿片戦争をやって、もう骨身にしみていけないもだと、方向転換した後に日本がイギリスの真似をしているわけだ。散々ヨーロッパ列強諸国が甘い汁を吸ったあと、日本が50年遅れてやると、ダメだと文句言われている。満州国設立もヨーロッパの植民地政策の真似。国際連盟の委員会で、非難勧告されて、日本軍はそれをおっぴらにできないから、取り扱うように偽装組織の民間機関に任せた。それが宏済善堂である。アメリカの諜報機関は、既に日本軍は阿片の取り扱いを偽装慈善団体で行う、と報告書に書いている。(戦後資料で発見) 中国戦線が広がると、中国政府は、日本の中国侵略を国際連盟に提訴して、制裁を発動するように求めた。それに応えて、連盟は第16条(経済制裁)を与える権限を与えた。この一連の行動から、ついには連盟の機関との効力関係を停止を通告した。日本が国際的に孤立していく道を選んだ。 益々中国内で占領地を増やして、占領地に傀儡政府を樹立した。その費用にも、阿片から得た利益をつぎ込み、武器弾薬の費用をまかなった。阿片は内モンゴルの農家を動員して大量生産していた。年間33トン、金額にすると、現在の金額で110億円に上った。その当時、阿片で得た金額はほぼ南京政府の年間予算に匹敵した。 宏済善堂の副代表をしていた中国名李鳴(日本名:里見甫)は、東京裁判(国際軍事法廷)で証言している。宏済善堂へ阿片が送られてくると、それを売りさばき、最初は関東軍に治めたが、南京傀儡政府ができると、そっちへ納めたと言う。東條英機、板垣征四郎の関与も証言した。 里見 甫(さとみ はじめ、1896年1月12日 - 1965年3月21日)は、関東軍と結託しアヘン取引組織を作り、阿片王と呼ばれた。中国名李鳴を名乗って活動した。満鉄総裁に就任した後藤新平は、台湾総督時代に阿片の専売化・漸禁政策により、アヘン戦争以来中国に流入、蔓延していた阿片売買を独占する。満州でも同様の政策を実行し、阿片利権は三井物産および興亜院主導で設置された宏済善堂理事の里見に託される。関東軍の影佐禎昭大佐の指導で中国の地下組織青幇や紅幇とも連携し、上海でのアヘン密売を取仕切る里見機関を設立。阿片によって得た莫大な利益を関東軍の戦費に充て、一部は日本の傀儡であった汪兆銘政権に回した。(8%が宏済善堂の利益)ウィキペディア(Wikipedia) 興亜院(こうあいん)は、昭和13年(1938年)12月16日に設立された日本の国家機関の一つ。中国大陸での戦線が拡大し占領地域が増えた為、占領地に対する政務・開発事業を統一指揮する為に設けられた。長は総裁で、内閣総理大臣が兼任した。総裁の下に副総裁4名と総務長官、政務部・経済部・文化部の各部長で構成された。ウィキペディア(Wikipedia)
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