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宗教者に「裁く」葛藤 思想信条 辞退難しく 裁判員制度スタート

2009年5月21日(木)17:30
 心の救済と裁くことは両立できるか‐。21日に始まった裁判員制度での法廷参加をめぐり、宗教者の間で判断が揺れている。「社会を守るため」と肯定的にとらえる人もいれば「協力したいが、宗教の教えに従えば人を裁けない」との葛藤(かっとう)も。死刑制度に反対する宗派もあるが、法務省や裁判所は宗教上の理由だけでは辞退を認めない方針だ。

注記:宗教が拒否できる理由とはならないとは日本は本当に信教の自由はあるのかと疑問に思う、宗教とは犯すべからざるもので国側とて踏み込めない問題であるはずだ、それを国は平気で踏みにじるとは信じられない暴挙である。

■「社会を守るため参加」「死刑だけは避けたい」

「人は誰でも罪を犯すものであると教える宗教者が、人を裁くことに疑問を感じる」。福岡県筑後地方の浄土真宗(真宗大谷派)の寺の男性住職(58)は、裁判員に選ばれれば参加するのは仕方がないと考えているが、戸惑いを隠さない。

真宗大谷派は死刑制度に反対を表明している。本山の東本願寺(京都市)は参加について反対はしないが「選任されたら、死刑判定は出さないという態度を求める」との見解。筑後地方の住職も「選ばれたら死刑だけは阻止しようと思っている」と話す。

長崎市にあるキリスト教のカトリック教会の神父は、参加は「事件によって判断したい」という。「キリスト教は人をゆるすのが原則。死刑判決を出さなければならない事件の裁判員はやはり難しい」との認識だ。

新約聖書には「人を裁くな」と書いてある。それでも福岡市西区のプロテスタント教会の40代の牧師は「聖書の『裁くな』は、人を心の中で非難してはならないという意味。法律上で裁くのは問題ない」と話す。キリスト教も一様ではない。

一方、福岡市のイスラム教徒の男性(52)は「社会の規律を重んじるのが教え。参加は社会を守ることにつながる」と肯定的だ。「規律を維持するためには、死刑の制度もやむを得ないと考える」という。

裁判員法や法務省が定める政令には、思想・信条を理由に裁判員を辞退できる規定はないが「精神上の重大な不利益が生じる」と裁判官が判断する場合に限って辞退が認められる。裁判員制度に詳しい久留米大学法科大学院の吉弘光男教授(刑事訴訟法)は「精神的な不利益を具体的に説明しなければ、辞退するのは難しいだろう」とみている。

2009/05/21付 西日本新聞夕刊
視点・論点:
久しぶりにアメリカ映画「12人の怒れる男」をスカパーチャンネルで見た、アメリカは移民の国である、そこで市民参加の法制度が確立した。ヘンリーフォンダ演ずる市民の代表が有罪か無罪を決めていく、1日3ドル足らずで陪審員に選ばれた市民はブツブツ述べながら事件を解明していく。

「こんな安い金でやってられないよな、どう思う?」

「市民参加だから仕方ないよ、どうしても嫌ならば辞退する手もある」

「人を裁くのは人か、アメリカではなるほど意味は分かるが難しい問題だ」

長い話し合いと喧嘩と反目で市民は疲れ切っていた、それでも市民は陪審員制度は正しいという確信がある、喧嘩と反目の中で正道に戻そうという力が働く、アメリカは弁護士はロースクールを出た若い新人で占められる、そこでは依頼人の思惑と取引と駆け引きが激しく検察側とぶつかる、負ければ全て終わりでそこで激しい火花が飛び散る。

日本では戦後にこのアメリカの陪審員制度が一度は導入された、しかし日本は移民という土壌はなく裁判は人事として人は関心さえ持たない、結局この陪審員制度はまったく機能しないと判断されてすぐに取り止めになった歴史を有する。

現在の裁判員制度は国側が主導して行う制度で日本で導入された陪臣員制度からどれだけ進歩したかと問われれば何も進歩していないのである、人々にとってはわずらわしい制度で色々な理由をつけて拒否する人間が続出するのは目に見えている。

アメリカでは市民参加は義務である、選挙で棄権でもしようものなら人から何故だと厳しく詰問される。人が軽犯罪を犯した、その量刑によって市民参加のボランティア活動が命じられる、これは拒否できない。アメリカは世界中の民族で構成された複合国家である、そこで法制度は市民が直接参加する陪臣員制度が導入された、日本とはまったく異なる土壌でそれを日本は再び真似してもうまくいく保証はどこにもないのである。

この制度の最大の問題点は「個人の宗教が裁判員制度を拒否できる理由としては認めない」という国側の高圧的な態度にある、戦後にアメリカは信仰の自由宗教の自由を日本人に教えたはずである、「宗教とは犯さざる聖域」であるはずである。ところが裁判員制度を交付するに当たり国は宗教的な理由は拒否できる理由とは認めないとは呆れる、国側が主導する制度ならば国民は従えとでも言うつもりかバカにするな。

信仰の自由とは憲法でも保障された制度である、国側がそれに踏み込めば重大な問題を引き起こす恐れがある、法を施行するに当たりその制度を抹殺するような国の態度は解せない、国家権力は個人の領域にまで踏み込めば裁判で敗訴するのは当然である。

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1960年3月私は移住船アルゼンチナ丸に乗り込んで日本を後にした。目指すのは日本と反対側の南米ブラジルである、日本は有名な「棄民政策」で多数の国民を海外に捨てていた、私の義兄もその政府宣伝に応募し南米行きが決定した、私たちは一時神戸に集められた、そこに移住者のための宿泊施設が用意されていた。

船に乗り込むとある有名人が乗っていた「丹下キヨ子」女優でタレントの走りだった、当時すでに40歳で二人の娘を連れてのブラジル行きだった、なぜ彼女がブラジル移住を決心したのか不明である、一時の気の迷いとしか考えられない、その後ブラジルで日系二世と一緒になり1女を設けたがその後帰国している。私はサンパウロで丹下の長女と知り合いになった、長女は丹下節子と名乗りサンパウロで日本食レストラを経営していた、どういう理由で尋ねたか忘れたが同船者であり奇遇だと思った、その後帰国してから新宿でこれまた次女と知り合いになった、偶然としても奇妙な取り合わせではないか、丹下と長女と次女どう考えてもおかしい、不思議な縁だった。丹下本人は1998年に心不全で亡くなっていた、享年78歳だった。

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ブラジルは私がイメージしていたのとはまったく別の世界でそこは西洋文明の世界だった、白人が威張っていて黒人はへいこらしていた、そして日本人がいた。日本人は集まってもとにかく仲が悪い、喧嘩は日常茶飯事でこれを日系社会と呼ぶ、私は喧嘩に閉口して日系社会から距離を置いた、自分が見えなくなる恐れを感じたからである。その後来日していた妻と知り合い結婚した、妻は白人系ブラジル人で子供が二人いた、その子供も二人とも日本に呼び寄せ「親子の絆」を交わした。

その子供は長男はブラジルに帰国した、長女は日本でアメリカ兵と結婚現在はロサンジェルスに住んでいる。妻と結婚して私は日本女性との結婚は無理だったと気がついた、日本女性は不可解で私の中に入り込めないのである、あまりにも早く日本を離れて私は日本女性不信感に捕らわれていた、日本を離れたのも日本が嫌いでそれで何処でもいいから海外と考えてそれでブラジル行きが転がり込んできた。随分ひねくれた子供だったと思う、しかし性格は今更変えられない、これでやっていくしかないと思っている。

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